fate

星明かりが眩しい。

聖地は本当に星が美しい場所だ。
星だけではなく、空も花も、そこに存在している全てが女王の加護を受け、美しく輝いている。
数々の星をめぐって来た俺がそう思うのだから、間違いない。
もっとも俺が見上げて来た空は、黒い煙や死の匂いの立ちこめる戦場の空ばかりだったが。
俺はテーブルの上に置いたままだったスコッチの封をむしり取ると、ロックグラスの中に琥珀色の液体を注いだ。
ストレートで口の中に流し込めば、独特のピートの香りが鼻に抜け、まるで俺の一部のように肌に染みこんでくる。
飲み干したグラスに新しい液体を注ぎ、再び一気にあおった。

明日、この宇宙に新しい女王が生まれる。
その女王は新宇宙を育て導く、大いなる意志に選ばれた尊い存在。

今日までこの地で、俺はその女王のために教官として務めていた。
女王候補として選ばれた二人の少女。
レイチェルと…アンジェリーク。
天才少女と言われ、気の強さが前面に出ていたレイチェルに比べ、アンジェリークは内気な少女だった。
はじめの頃、こんなにかよわい少女に、とても女王など務まらないと思っていた。
けれど、その内側には純粋で気高い魂が隠れていて。
精神の教官として、彼女を見守るうちに、俺はそのことに気がついた。
彼女こそが、きっと女王になるだろう、と。
そして、その魂は俺自身をも惹きつけた。
もしも彼女に女王の翼がなければ。
そう願ってしまうほどに。


穏やかな夜風が薄手のカーテンを揺らしている。
わずかに湿り気を帯びた風がほんの少し酔いを感じる身体には心地よかった。
酒に逃げる、なんて、弱い男のすることだと思ってきたが、逃げ込む場所が必要な時もある。
戦場で酔った部下を叱りつけたことを思い出して、苦い笑みが浮かんだ。
「あいつらに謝らなければならんな…。」
琥珀色の液体をグラスの縁いっぱいまで注ぎ、その表面の揺らぎを見つめた。
いっそ溢れてしまったなら、俺はどうするんだろう。
バカげた妄想だと思いながら、俺は星の向こうに彼女の面影を探した。

ふと、風が揺らいで、グラスから液体が零れおちる。
グラスの縁を伝うように零れ出した琥珀色は、瞬く間にテーブルに広がっていった。
風が揺らいだのは。
「ヴィクトール様…。」
震えるようなアンジェリークの声に、俺は窓を隠すカーテンを一気に引き上げた。


「ヴィクトール様。私…。」
アンジェリークの身体は本当に小刻みに震えていた。
デートの時によく着ていた、淡いオレンジ色のワンピースは、彼女のもつ暖かな雰囲気に似合っている。
もし今が昼間の庭園ならば、アンジェリークはまるで陽だまりのように見えていただろう。
「どうした? こんな時間に。 それに、明日はお前にとって大切な日じゃないのか?」
正直、俺は狼狽していた。
彼女を想い、星を見ていたことを見透かされそうな気がして、目を合わせることさえ、ためらいを覚えてしまう。
薄手のワンピースの裾がふわりと揺れて、俺はソファにかけたままだった上着を手に取った。

「風邪でも引いたらどうするんだ。 お前は女王になるんだぞ。」
アンジェリークの肩に上着をかけてやる。
大きくて武骨な上着を強引に乗せられたせいか、アンジェリークはうつむいてしまったが、そんなことには構っていられなかった。
明日には女王になる尊い身だ。
そう思いながらも一瞬肩に触れた自分の指先が熱に浮かされたように熱い。
このまま二人きりでいることに耐えられそうもなかった。

「ヴィクトール様、私は明日、新宇宙の女王になります。」
「ああ。 おめでとう。」
俺は素直に賛辞を口にした。
実際、彼女の頑張りは誇っていいモノに違いない。
けれど、俺の言葉を聞いたアンジェリークは、薄く睫毛を伏せ、なにかを堪えるように胸の前で両手を組んだ。

「さっき、女王陛下に尋ねられました。 『なにか、思い残すことはないの? 女王になってから後悔して欲しくない。』って。
 それで、私、決めたんです。」
顔を上げたアンジェリークの瞳に、俺は吸い寄せられた。
懇願しているのに、拒否することを許さない、グリーンの瞳。
栗色の髪の一筋まで、俺をまっすぐに射抜いてくる。

「今夜、ヴィクトール様のおそばで過ごさせてほしいんです・・・!」

アンジェリークがここへ来た時、俺は別の期待をしていた。
想いを交わすような言葉は一度もなかったけれど、二人で過ごした時間は確かになにかがあったと思えたからだ。
女王になるのを止める。俺と未来を歩んでくれる。
その一言を期待していた。
けれど、今、小さな体を震わせながら俺の目の前にいる少女の背には、金色の輝く翼がある。
彼女は女王なのだ。
その事実が変えることのできない現実ならば、俺のできることは一つしかない。

「アンジェリーク。」
俺は胸の前で組まれていた彼女の両手をそっと包み込んだ。
俺の掌の中に彼女の手。
冷たいかと思った彼女の手は、思いのほか暖かく、それが俺の心に悲しみに似た感情を呼んだ。
このぬくもりは疑いようのない現実。
そのままアンジェリークの身体を抱き寄せ、今度は身体全体を包み込んだ。
胸に触れる、彼女の吐息。
震えが収まったのを確認した俺は、アンジェリークの膝裏に腕を差し入れると、彼女の身体を抱えあげた。

「きゃ!」
驚いたように小さく声を上げた彼女は、すぐに俺の意図を察したのか、俺の首に腕を回し、肩に顔をうずめている。
鼻先に栗色の髪が揺れ、陽だまりの香りが流れ込んできた。

二人で歩いた庭園。偶然会った森の湖。聖殿からの帰り道。
明るい太陽の下で、アンジェリークはいつも微笑んでいた。
彼女の笑顔に満たされていく自分の心を、愛だと知ったのは、いつからだっただろう。


柔らかな褥の上にアンジェリークの身体を下ろした。
無言のまま、彼女に重なり、唇を合わせていく。
「ヴィクトール様…。好きです…。」
「俺もだ。お前を愛している。アンジェリーク…!」
そこから言葉は途切れ、吐息だけが彼女から零れ始めた。

『ヴィクトール様はとても優しいですね。』
アンジェリークは俺にそう言ってくれたが、今の俺は、彼女にどう見えているだろう。
優しくしたいと思いながら、俺のありのままを彼女に見せたいとも思った。
激しさも哀しいほどの情けなさも、アンジェリークならば全てを受け入れてくれる。

苦痛に眉を寄せる彼女に唇を重ねた。
こんなに近くにいるのに。
今、俺と彼女は一つになっているのに。
明日になれば、誰よりも遠い存在になってしまう。
俺の手の届かないところに、彼女は行ってしまう。

アンジェリークの白い体に無数の赤い花を咲かせた。
いずれは消えてしまうと知っていても、付けずにはいられなかった。
俺は彼女に一体何を残せるのだろう。
小さな声をあげたアンジェリークを抱きしめることしかできない俺は。

俺の胸に背中を預けるように小さく丸まっているアンジェリーク。
彼女の寝息を聞きながら、俺は何度も腕に力を込めた。
この二度とない時間を、一秒たりとも失くさないように、俺はまんじりともせず彼女を抱きしめていた。


それでもやがて朝がやってくる。
カーテンから差し込む柔らかな朝日にアンジェリークが身じろぎした。
目を覚ました彼女は、俺を起こさないように気を使っているのか、重たい俺の腕をゆっくりと抱えあげると、身体を滑らせてベッドの上に起き上った。
彼女の瞳が俺を見ているのがわかる。
暖かな唇が頬に触れ、アンジェリークが囁いた。

「私にはわかるんです…。」
彼女の心には迷いがない。
引き留めたくなる己の心の弱さをに鍵をかけるように、アンジェリークが部屋を出ていくまでの間、俺は目を閉じていた。



アンジェリークが新宇宙へと飛び立ってすぐ、俺は軍へと戻った。
功績による特進を受けた俺は、軍本部への辞令を受けたが、丁重に辞退し、第一線へと戻っていた。
戦火の地を飛び回る生活。
穏やかな聖地の暮らしとはかけ離れていたが、慣れ親しんだ世界は、俺に別の意味で安心感を与えてくれる。

突然、激しい轟音が耳をついて、全身に緊張が走った。
閃光と地揺れ。嗅ぎなれた焦げた匂い。
伝令の部下の足音が、爆発音に混じり合い、近付いてきた。

「将軍! 敵襲です!」
すでに剣を携えていた俺は、部下を一瞥し、「状況は?」と尋ねる。
顔の青ざめていた部下は、冷静な俺の様子を見て、一瞬、息を飲んだ後、かかとを合わせ敬礼の姿勢をとった。
「はい! キャンプ地の外れが爆撃を受け、火災が起きています。 歩兵隊の一部が逃げ遅れたかもしれません。」
「そうか。」
報告を聞きながら、俺は炎を上げているキャンプの方へ向かっていった。
裾の長い上着は脱ぎ捨て、インナーシャツ一枚の姿になる。
炎があるならば余分な装備はかえって邪魔になるからだ。

一瞬、地鳴りのような爆発音が轟き、飛び立つ竜のような炎がわき上がる。
「将軍! 逃げてください!」
部下の悲鳴のような声に俺は足を止めた。
悲壮な顔をした部下の頭にぽん、と、手を置き、俺は笑みを浮かべる。

「お前は、先のブロックで、逃げのびた兵たちの手当てをしてくれ。
 俺は、例のキャンプへ向かう。」
手袋をはめ直し、汲み置きの防火水を頭からかぶる。
目の前の業火の熱はその程度の水を瞬時に温水へと変えてしまった。
「危険すぎます! 命を捨てるおつもりですか!」
叫ぶような声。
俺はもう一度頭から水をかぶり、部下の目をまっすぐに見据えた。

「心配するな。 俺は死なん。」
「将軍!!」
最後まで引き留めた部下を後にして、俺は炎の中へと身を投じた。

『私にはわかるんです。
 遠くない未来、私とヴィクトール様は一緒にいます。
 ですから、さようならは言いません…。』

あの別れの朝、アンジェリークが信じるといった未来を、俺も信じよう。
彼女のそばに俺の姿がいるという未来を。

「もういちど、お前に会うまで、俺は生き続けてみせる。 
 それが、俺の答えだ。」
俺は吹きあげる炎の中、助けを待っている人影に向かって、一気に走りだした。


FIN
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