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2.

ガラス張りの店内は、中の様子が外からもよく見える。
約束の時間通りに着いたことに安堵したヴィクトールは、店のドアを開けかけて、手を止めた。
ただでさえ目立つオスカーのこと。
見える場所にいれば、ロザリアがオスカーの存在に気づいて、店に入るのを嫌がるかもしれない。
そうなれば計画は台無しだ。
だから店の奥のテーブルにいる、と、約束したはずのオスカーの姿が、すぐそばに見えている。
しかももっと最悪なのは、オスカーが一人ではなかったことだ。

何とオスカーの隣には、長い黒髪の妙齢の女性が座っている。
相席などでないことは、店内がそれほど込み合っていないことからもわかるし、なによりもオスカーがその女性ににこやかに話しかけている。
女性は終始うつむきがちで顔はハッキリ見えないが、長い髪がとても美しく控えめな雰囲気だ。
どう見ても、オスカーがナンパした、としか言いようのない状況。
焦ったヴィクトールは、すぐ後ろにいるロザリアを盗み見た。

案の定、ロザリアは固まってオスカーの方を凝視している。
驚きで見開かれた青い瞳は切なげに揺れ、ぎゅっとバッグの持ち手を握りしめている姿も痛々しい。
どう声をかけるべきなのか。
気づかないふりをするべきなのか。
けれど、今更何食わぬ顔で店に入るのは、ヴィクトールにもためらわれた。
ヴィクトール自身もオスカーに裏切られたような落胆を感じていたからだ。

「ロザリア様。 別の店に…」
ヴィクトールが声をかけようとした瞬間、ロザリアが動き出した。
するりとヴィクトールの脇を抜け、店のドアを開けて、中へと歩いていく。
まさか、と思いながら、ヴィクトールも慌てて彼女を追いかけ、店へと足を踏み入れた。


外とはまるで違う、暖かな空気がヴィクトールを包む。
店内はクラシカルで落ち着いた英国風インテリアで統一されていて、いかにもロザリアに似合いの雰囲気だ。
流れている音楽も実に心地よい。
見回さずとも、オスカーはすぐに目に入った。
店外に体を向けているから、こちらからは背中越しになるが、オスカーもヴィクトールとロザリアが店に入って来たことに気が付いているだろう。
それに視線すら合わなかったが、二人が外にいた時から気が付いていたことは間違いない。

まだどういう態度をとるべきか決めかねていたヴィクトールをしり目に、ロザリアはカツカツとヒールの音を響かせて、オスカーの方へと近づいていく。
こうなればもう、ヴィクトールにできることは何もない。
ヴィクトールは少し離れた場所から彼らの様子を見守ることにした。
もしもなにかあれば、ロザリアを連れて店を出ていけばいい。
オスカーを問いただすのは、その後だ。
けれど、ロザリアは、すっとオスカーと女性の間に立つと、とても綺麗に微笑んだ。

「オスカー、ごきげんよう。」
柔らかなロザリアの口調にヴィクトールは驚いた。
ただそれ以上に驚いたのは、黒髪の女性が肩をびくりと震わせるように大げさに動いたことだ。
「ああ、ロザリア。」
オスカーもまるでいつも聖殿で会った時のように、ごく自然にロザリアに挨拶を返している。
どちらかといえば、普段よりも優しく紳士的な話しぶりだ。
気障ったらしい雰囲気もまるでない。

「ミス・エレイン。
 こちらは俺の仕事の同僚のミス・ロザリアだ。
 偶然、この店に来たところらしい。」
オスカーが隣の女性にロザリアを紹介する。
少し俯き加減のまま、女性は小さく頭を下げた。

「こんにちは、エレイン。
 ロザリアですわ。
 あの、失礼かもしれませんけれど、少しよろしいかしら?」
ロザリアはエレインのそばで膝を折ると、彼女の耳元に唇を寄せ、何事かをささやいている。
ロザリアの言葉にエレインは小さく頷き、わずかに頬を赤らめた。

すると、ロザリアはオスカーへ顔を向け、
「申し訳ありませんわ。 オスカー。
 少し彼女をお借りしてもよろしくて?」
にっこりと笑みを浮かべた。

まさか直接言い合うつもりなのか、と、ヴィクトールはドキリとした。
ロザリアらしくないが、カッとなっていれば、普段考えられないこともしてしまうものなのかもしれない。
けれど、オスカーはハラハラしているヴィクトールの気持ちなどまるで気づかないように、
「ああ。 構わないぜ。 頼む。」
と、優しい口調のままで告げた。


ロザリアはエレインの片手をとると、もう片方の手で彼女の背中を支えるようにゆっくりと立たせた。
同年代の女性でしかも初対面。
さらに言えば、恋敵に近い存在だというのに、ロザリアの所作は自然で、むしろいたわりに満ちている。
ヴィクトールが不審に思っていると、エレインの右手が宙をさまよい、それに気が付いたオスカーが椅子の横に寝かせてあった杖を彼女の手に握らせた。

「…ありがとう。」
しっかりと白い杖を握りしめたエレインが、オスカーの方に顔を向けてほほ笑む。
キレイで邪気のない笑顔。
けれど、その視線は、オスカーにはまるで合っていない。
そこでようやくヴィクトールはエレインの目が見えていないのだという事に気が付いた。

ロザリアはエレインに寄り添いながら、店の奥のレストルームへと歩いていく。
二人の姿がドアの向こうへ消えたところで、ヴィクトールはオスカーに近づいた。
「オスカー様。」
「…ヴィクトールか。 すまない。
 いや、ロザリアを連れてきてくれて、ありがとう、というべきだろうな。」
オスカーはわずかに眉をあげ、自嘲するような笑みを浮かべている。
「あちらの女性は?」
二人の消えたほうへ視線を向け、ヴィクトールが説明を促すと、オスカーは髪をかき上げた。

「この店の前で連れとはぐれたらしく、困っていたところに偶然俺が行き合わせただけのことさ。
 寒空の下、一人でウロウロしていたんでな。 つい声をかけたんだ。
 すぐに連れが探しに来るだろうとは言っていたが、レディを一人にしておくわけにはいかないだろう?
 彼女も紅茶が好きで、もともとこの店に来るつもりだったらしい。
 連れが来るまで、という約束でお茶を飲むことにしたのさ。
 なかなかの美女だろう?」

にやり、と笑うオスカーの行為が、全て彼の純粋な優しさからだとヴィクトールにはわかっている。
わざわざ窓際に座っていたのも、エレインの連れが見つけやすいように、だろう。
けれど、それはロザリアに見られる可能性も高くなるという事だ。
今でこそロザリアもオスカーの真意を汲んでいるだろうが、外から二人の姿を見た時は明らかに動揺していた。
もしもあのまま、ロザリアが踵を返していたら。
オスカーはただの軽い男だと思われて、嫌われていたかもしれないのだ。

「お前の言いたいことはわかるぜ。 ヴィクトール。
 だが、あそこで知らんふりをして通り過ぎるのは俺じゃない。
 そうだろう?」

ヴィクトールは言葉を返せなかった。
自分だったらどうしただろう。
やはり知らんふりなどできはしないし、たとえ、その時は誤解を受けたとしてもコレットなら分かってくれる。
…コレットならヴィクトールを信じてくれると、信じているから。

「そうですな…。」
結局、オスカーもロザリアを信じていたのだろう。
彼女ならわかってくれる、と。
そして、そういう女性でなければ、オスカーも心惹かれたりはしない。


「お嬢様!」
ちょうどレストルームから出てきたエレインに、一人の女性が駆け寄った。
おそらくエレインを必死で探していたのだろう。
青ざめて息を乱した女性はエレインの両手を自分の両手でグッと握りしめ、見えない彼女に向かって何度も何度も頭を下げ続けている。
ロザリアはしばらくその様子を見守った後、女性にゆっくりと話しかけた。
本当に女性がエレインの連れなのか、きちんと確認するつもりなのだろう。
初めは興奮しきっていた女性も、ロザリアの優雅な物腰に次第に落ち着いてきたのか、ようやく仔細を語り始めた。
女性の話にエレインが頷いたところで、ロザリアは二人をオスカーとヴィクトールの席へと連れてきた。

「ありがとうございます。 おかげでお嬢様が危ない目に合わずにすみました。」
女性はオスカーにも何度も何度も頭を下げた。
少し先の角で女性が手洗いに立った隙に、なぜかはぐれてしまったのだという。

「オスカー様のおかげで、美味しい紅茶もお話も楽しむことができました。
 御親切は一生忘れません。
 どうかロザリア様とお幸せに。」

見えないからこそ、オスカーとロザリアの間の特別な空気をなんとなく感じ取ったに違いない。
あっけにとられる二人を前に、邪気のない透明な笑顔を浮かべるエレイン。
ヴィクトール一人がくつくつと笑いをかみ殺していると、頬を赤くしたロザリアにじろりと睨まれた。
「本当にありがとうございました。」
繰り返し頭を下げながら、エレインは女性に手を引かれるようにして、店を出ていった。 


「わたくしもお茶をいただこうかしら。」
立ったまま、エレインを見送っていた3人の中で、ロザリアが最初に腰を下ろした。
「なんだか喉が渇きましたの。
 まあ、本当に素敵なお茶がそろっていますのね。
 こちらのオリジナルブレンドがとても気になりますわ。」
ロザリアはメニューを広げ、とても楽しそうに文字を追っている。
顔を見合わせたヴィクトールとオスカーも腰を下ろすと、なぜか3人でテーブルを囲むことになってしまった。

「ロザリア。 礼を言うぜ。 いくら俺でも女性の事情までは立ち入れないからな。」
ウェイトレスにオーダーを告げた後、沈黙の中でオスカーはロザリアを見つめた。
いつものからかいめいた口調は影を潜め、アイスブルーの瞳はとても真摯な輝きを秘めている。
ロザリアの頬がほんのりと染まった。

「…いいえ、あなたのためではございませんもの。
 お礼など結構ですわ。」
必要以上にそっけないロザリアの態度は照れに違いない。
あと少し。
なかなか素直になれない二人が、ヴィクトールにはとても微笑ましく思えてしまう。


「それに、お礼なら、ヴィクトールにおっしゃってくださいな。
 わたくしがここへ来れたのは、ヴィクトールのおかげなんですもの。」
急に自分の名前を出されて、ヴィクトールは驚いた。
確かにここまで連れてきたのは自分だが、あの時、店に入ったのはロザリアの意思だ。
ヴィクトールは去ろうとしていたのだから。
否定しようと身を乗り出しかけたヴィクトールをロザリアの声が押しとどめた。

「今までのわたくしなら、女性と一緒にいるあなたを見たら、きっとまた遊んでいると思い込んでいましたわ。
 キレイな女性なら所構わず声をかけて、口説くのがオスカーでしたもの。
 女王候補のころからずっと、あなたがいろんな女性と一緒にいるのを見てきましたし…。
 すぐにこの店から立ち去っていたはずですわ。
 でも…。」
そこで言葉を切ったロザリアは、ちらりとヴィクトールを見た。

「もしも、あなたが以前と変わっていて、この頃、わたくしの感じている通りだったら…。
 女性と一緒にいるのには、なにか理由があるのではないかと思いましたの。
 それに、いつものあなたなら、カフェのあんな目立つ場所には座らないでしょう?
 そう思ったら、彼女の足元に白い杖があるのに気が付いて。」
ロザリアは恥ずかしそうに、長い睫毛を軽く伏せた。

「本当はずっと前から気が付いていたんですわ。
 あなたが優しいのは女性だけじゃないってことも。
 困っている人には老若男女問わず、必ず手を差し伸べる方だってことも。
 でも、それを認めないように、目をつぶっていたのですの…。」
「どうしてなんだ?」
ここで初めて、ロザリアの話を黙って聞いていたオスカーが口をはさんだ。

「だって、認めてしまったら、きっと、わたくし…。」
オスカーの瞳が驚くほど優しく細められている。
その甘いまなざしをロザリアが見ていないことが残念なほどに。



突然、ヴィクトールの胸ポケットの携帯が震えだした。
ハッとロザリアとオスカーの視線がヴィクトールに集まる。
「失礼。」
ヴィクトールは慌てて立ち上がり、携帯をポケットから取り出しながら、店の外へと大股で飛び出した。

「もしもし。」
ディスプレイに表示されているのは、恋人の名。
「ヴィクトール? あの、今、大丈夫ですか?」
控えめに尋ねてくる声に、ヴィクトールは大きく息を吐きだした。
ふわりと立ち上る白い呼気。
寒いはずの身体がふと何かに包まれるように暖かくなる。

「ああ。 今、予定通りセレスティアだ。
 どうかしたのか?」
「あの、思ったよりも早く会合が終わって…。
 今から少しだけでも、会えないかな、って…。
 あ、でも、忙しいなら、いいの。」

控えめなコレットらしく、無理をさせない気づかいのある言葉。
けれど、わざわざ電話してきたのは、きっと彼女の本心が『会いたい』ということなのだろう。
ヴィクトールはちらりと視線をカフェの中へと向けた。
ちょうどここからよく見える位置に、オスカーとロザリアが座っている。

「用件は済ませたところだ。
 …もう俺の出番はなさそうだしな。」

窓越しに見える二人の姿。
楽しそうに笑うオスカーの手には、さっきロザリアが選んだ手袋がはめられている。
彼の緋色の髪に、赤みのある革の色はお似合いだ。
そして、オスカーが何かを言うたびに、ロザリアの頬がほんのり染まり、そんなロザリアをオスカーが愛おしげに見つめている。
二人の間の空気は、明らかに今までよりもずっと暖かで優しいモノに変わっていた。
きっと明日には、オスカーは手袋をはめて出仕していて、ロザリアの体を飾るアクセサリーも一つ、増えていることだろう。


ヴィクトールが見ていると、窓越しにオスカーと目が合った。
ぱちん、とサインのように飛ばされたウインク。
オスカーなりの感謝の意だと悟ったヴィクトールは、ふっと唇の端に笑みを乗せると、携帯に向かって話しかけた。

「すぐに戻る。
 …待っていてくれ。」
「はい。 待っています。」

女王の時はあんなに堂々として見えるのに、電話越しのコレットはまるで頼りない少女に思える。
ヴィクトールが守りたいと思った、素直で純粋な優しいコレットのままの。

変わるもの、変わらないもの。
そのどちらもを愛しいと思えた時、想いは永遠になるのかもしれない。

携帯を胸ポケットに戻す間も惜しむように、ヴィクトールは早足で、聖地へと戻っていく。
空からは白い雪がチラチラと舞い落ちていた。


FIN
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