秀麗な美貌をもち、百戦錬磨の守護聖達を相手に一歩も引かない頭脳と才気。
職業柄、身分の高い女性に会う事も少なくはなかったが、その中でも彼女は群を抜いていた。
聞けば、主星の大貴族の生まれで、生まれた時から次期女王としての教育を受けてきた、生粋のお嬢様らしい。
自分とは生まれも育ちも全く違う、別世界の人。
それがヴィクトールにとってのロザリアの印象だった。
聖地では時々、大きなパーティが開かれる。
それは女王試験中である今も同じで、そんな時、ヴィクトールは警備の仕事を自らかって出ていた。
本来は全くのオフになるのだが、学芸館でじっとしているよりも、何かをしているほうが自分には合っている。
それに、警備には王立軍からも大勢派遣されてくるから、知人に会えることもあるのだ。
まさにうってつけの業務。
そんな事情もあって、今夜のパーティでも、ヴィクトールは警備員の一人として、辺りを警戒しながら、会場を廻っていた。
華やかな音楽やきらびやかな衣装。大勢の人々のざわめき。
警備の仕事は慣れても、このパーティの雰囲気に慣れることは、きっと一生ないだろう。
ひそかにため息をついたヴィクトールは、ちょっとした息抜きのつもりで、会場からバルコニーに出た。
「おっと。」
バルコニーの片隅で、ひっそりと抱き合う男女に、気づかないふりをして、中庭へと降りる。
中央の噴水まで来れば、人影もなく、ヴィクトールはこっそりとタイを緩めると、大きく息を吐いた。
気取ったパーティはやはり気を遣う。
会場から少しでも遠ざかろうと中庭の奥へと足を進めたヴィクトールは、小径の向こうにある人影を認めた。
優美な姿でたたずむ一人の女性。
女王補佐官のロザリアだ。
ボディラインを引き立たせる鮮やかなロイヤルブルーのタイトドレスに身を包み、淡い月明かりの中でさえも、その美しさは際立って輝いている。
ヴィクトールのような朴念仁でも、つい目が引かれてしまうほどの美貌。
酔い覚ましに外に出たのだろうか。
ロザリアは夜の闇を泳ぐように、滑らかな足取りで小道を歩いていく。
お供もつけず、一人きりだ。
ヴィクトールが無意識に、彼女の後を追いかけたのは、一種の職業病だろう。
聖殿の一角とはいえ、この中庭の雰囲気はあまりいいとは思えず、若い女性が一人でうろつくには、いささか危険だ。
パーティの酔客には不埒な輩も多い。
そして、その予感は的中して、すぐにロザリアに一人の男が近づいて来た。
薄明りでもわかるほど、男は酔った状態で、彼女を見て、下卑た笑みを浮かべている。
気取られない距離を保っているせいで、彼らの話声までは聞こえないが、男はロザリアにしつこく絡んでいるようだ。
ヴィクトールはグッと眉を寄せ、成り行きを見守っていた。
招待客は皆それなりの身分の人間のはずだが、酔っぱらって羽目を外した状態では、なにをするかわからない。
いざとなれば、飛び出していくつもりだった。
ロザリアは涼しい顔で、男などまるで眼中にないようだ。
無表情にも見える補佐官らしい笑みを浮かべ、男の横を通り過ぎようとする。
けれど、男は無遠慮にロザリアの腕を掴むと、強引にその体を引き寄せた。
少し目を見開いたロザリアに無理に顔を近づける男。
これ以上は見過ごせない。
ヴィクトールが足を踏み出した瞬間。
ロザリアに手を触れていた男の身体が大きく宙を舞った。
そして。
「うっ。」
地面に叩きつけられた男の口から低いうめき声が漏れたかと思うと、ピクリとも動かなくなる。
完全に「落ちた」状態。
ここだけ周囲の喧騒から切り離された様に、さわさわと揺れる葉擦れが辺りに響く。
ロザリアは地面に伸びた男ににっこりと女神のような微笑みを向けると、ふたたび、庭園の奥へと歩き出した。
まるで、何事もなかったかのように。
ヴィクトールは足を踏み出したまま、しばらくかたまっていた。
あっけにとられていたとはいえ、ヴィクトールは戦いの中に身を置いていたのだ。
一連のロザリアの動作を、目が勝手に追ってしまっていた。
あの一瞬で、彼女は自分に触れた男の手を掴むと、空いたほうの手で的確に首を狙い、昏倒させていたのだ。
そして、倒れてくる男の重さを利用して、その体を地面に落とした。
相手に反撃の隙を与えることのない、一撃必殺の手刀。
正直、ヴィクトールでも100%避けられる自信がない。
ましてや、あんな酔っぱらった男など、自分が何をされたのかも気が付いていないに違いない。
…恐るべき技だが、偶然だろうか。
意識を取り戻すように首をぶるぶると振ったヴィクトールは、見失いかけたロザリアの後をそっと追いかけた。
今見たモノが信じられず、どうしてももう一度、確かめたかったのだ。
すると、彼女はすぐにまた別の男に言い寄られている。
酔った男は妙に馴れ馴れしくイヤらしく見えて、ヴィクトールが同じ男であることが恥ずかしくなるほどだ。
しばらくのやり取りの後、やはり男は彼女に手を伸ばした。
途端にくるりと宙を舞う身体。
地面に伸びた男を見下ろして、美しく笑うロザリア。
今度こそ、と目を凝らして見たヴィクトールは確信した。
彼女は相当の実力者である、と。
「はあ。」
知らずにこぼれたため息に気が付いて、ヴィクトールは苦笑した。
あのパーティの夜から、頭がいっぱいいっぱいで、何も手につかない状態が続いている。
今でも脳裏にはっきりと浮かぶ、鮮やかな技。
月明かりの中、大の男がいともたやすく宙を舞ったかと思うと、その動かない体を女神のような微笑で見つめる彼女。
非力な女性であることを忘れるような、圧倒的な体術だ。
思い出すだけで、ヴィクトールの心臓はバクバクと信じられない鼓動を刻み、額に汗がにじんでくる。
背筋が粟立つような感覚は、久しく忘れていた戦場での感覚に似ている。
もう一度、あの技を見たい。
…あの時の彼女を。
けれど、それはすなわち、彼女を危険にさらすという事にも通じていて。
ヴィクトールはどうすることもできずにただ悶々と悩んでいたのだった。
それからしばらく。
ヴィクトールの異変に最初に気が付いたのは、女王候補2人だった。
ぼんやりしていたかと思うと、急に立ち上がってグルグル歩き回ったり。
ため息をついたかと思えば、腹筋を始めたり。
学習時間には支障がないものの、いい年をした男がする行動とは思えない。
正直、ちょっと引いてしまう。
「ヴィクトールさん、明らかにオカシイです!」
「ウン。 絶対ヘン。 なにか隠してるヨ!」
二人揃って、訴えられれば、リモージュも放っておくわけにはいかない。
もともとヴィクトールは教官職にあまり乗り気ではなかったのだ。
仕事のストレスでの奇行ならば、なんとか解消してあげるのが、女王の責務のような気もする。
とにかくまだ女王試験は続くのだ。
なんとか最後まで全うしてもらわなければ…。
「お菓子じゃ機嫌よくなったりしないよね?」
「あんたじゃないんだから。」
ロザリアに呆れられながら、リモージュはヴィクトールの好物だという豆のスープを準備して、彼を謁見の間に呼び出した。
「ねえ、ヴィクトール。 何か困ったことがあるのなら、ぜひ言ってほしいの。」
御前に跪いていたヴィクトールはリモージュの言葉に顔を上げた。
「困っていること…?」
いったい何のことなのか、全く見当がつかない。
聖地の暮らしは快適で、不自由もなければ不満もないのだ。
そもそも戦場を駆け巡り、岩の上で眠るような生活をしていたヴィクトールには、屋根があるだけでもありがたい。
「とてもよくしていただき、感謝しております。」
それ以外に言う事も見当たらず、ヴィクトールはじっと玉座を見上げた。
しばしの沈黙。
少し考えるそぶりを見せたリモージュは、ロザリアと顔を見合わせてから、再び口を開いた。
「あのね、気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、この頃、あなたの様子がオカシイって、女王候補たちが言っているの。
悩み事じゃないなら、なにか他のこと?
私たちに言いにくいなら、守護聖達を呼ぶけれど。」
リモージュは本当に心配している様子で、そわそわと指を動かしている。
女王陛下の優しい心遣いに恐縮すると同時に、ヴィクトールはある視線を感じていた。
女王の隣に立つ補佐官ロザリア。
たおやかで麗しい姿は、まさに女性の持ちうる全ての魅力を有しているように見える。
彼女の視線を認識した途端、ヴィクトールは軽いめまいを覚えた。
締め付けられるように苦しくなる呼吸。
異様なリズムを刻む心臓。
額に滲む冷や汗。
神聖な陛下の御前なのに、飛び上がって逃げ出したくなるような感覚。
これはいったいどうしたことだろう。
『あなたの様子がオカシイって、女王候補たちが言っている』
確かにオカシイ。
…こんな症状は人生初めてだ。
ヴィクトールはグルグル回る頭で、精一杯考えていた。
あのパーティの日から、頭を占めていることに、ヴィクトールだって、本当はとっくに気が付いていたのだ。
ヴィクトールは女王陛下から視線をロザリアへと移した。
突然の動きに、ロザリアは少し驚いたような顔をしたが、すぐに優しく微笑んでくれる。
完璧な美しい微笑。
けれど、ヴィクトールは歯噛みするような思いがした。
それじゃない。
自分が見たいのは、その顔ではないのだ。
「陛下はこの聖殿で一番強いのは誰だとお考えですか?」
いきなりの質問にリモージュは目をぱちくりとさせた後、「うーん」と顎に手を当てて、天を仰いだ。
「オスカー・・・かな? 剣術もすごいし。
でも意外とオリヴィエもケンカは強そうなのよね。
バトルロワイヤル形式なら、オリヴィエが勝っちゃうかも。
リュミエールも力は一番だし…。 クラヴィスも謎の術とか使いそうだし…。」
そこで、言葉を止めたリモージュはちらりとヴィクトールを見た。
ここは『ヴィクトールに決まってるじゃない!』と、答えておくべきなのだろうか。
もしかして彼のメンタルの根幹が『強さ』だとしたら…。
聖地の面々に対して、一番でないことにショックを受けていて、それで悩んでおかしくなっていたりするのかもしれない。
けれど、下手に褒めれば、それはそれでまた余計なダメージになる可能性もある。
でもやっぱり褒められればうれしいだろうし…。
いや、見え見えすぎるお世辞というのも…。
「うーん。」
頭のグルグルしてきたリモージュは、黙り込んだ。
考えるのはあまり得意ではないし、ましてや他人のメンタルを気にしたことなどないのだ。
ほとほと困ったところで、リモージュはふと、傍らのロザリアを見た。
ロザリアは相変わらずの優しい微笑みを受けべていて、リモージュに助け舟を出してくれそうな気配はない。
気配はない…けれど、リモージュはある事に気が付いた。
それは、ロザリアをガン見するヴィクトールだ。
話に参加することもなく、傍らに控えているだけのロザリアに、ヴィクトールはなぜか熱い視線を向けている。
なにかを懇願するような、縋るような瞳。
それでいて、ためらいや戸惑いや…切ないような光さえ感じる。
わずかに眉をひそめたリモージュは、すぐにピンときた。
メンタルには疎いけれど、こういうことには途端に聡くなるのが、この年頃。
ヴィクトールの奇行の理由に一人納得したところで、内心湧き上がってくる笑みを必死にこらえようとしていると。
突然、ヴィクトールが膝をついたまま、深く頭を下げた。
「陛下! お願いがございます!」
「はい?」
思わず変な声が出たリモージュを気にすることなく、ヴィクトールはずずいと膝を進めた。
その真剣な表情に、ついリモージュは後ずさりしてしまう。
まさか『結婚したい』とか言いだしたらどうしよう。
そんなことまで考えていると。
「どうか!
ロザリア様と手合わせをさせていただきたい!」
「え?!」
ヴィクトールからのありえない申し出に、リモージュはポカンと口を開け、絶句してしまった。
リモージュが堂々巡りを繰り返していた時。
ロザリアの顔を見続けていたヴィクトールもまた、ある結論に達していた。
彼女のことを考えた時に感じる体の不調に、ふと思い当たることがあったのだ。
十数年前。
ヴィクトールがまだ一兵卒だった頃、士官学校からの同期に一人の男がいた。
ヴィクトールと常にトップを争う男。
代々続く軍人の家系に生まれた彼は、その強さももちろんのこと、仁義に厚く、男気もあり、教官たちからも一目置かれていた。
普通ならライバル心が生まれてもおかしくないのだが、不思議と彼とは馬が合い、鍛錬も二人でこなすことが多かった。
…単に二人についてこれるものがいなかっただけ、ということもあるが。
彼との手合わせは常に全力を出したし、お互いに心地よい緊張感があったものだ。
他の誰とも味わえない、高揚感と充足感。
次はどういう手で立ち向かうか、相手がどう攻めてくるのか。
シミュレーションする時間ですらも楽しくて。
今の気持ちは、あのころとよく似ている。
ロザリアと彼。
ヴィクトールにとって…冷静になれない相手。
普通の人間なら、ちょっとオカシイな、と思うだろう。
『似ている』は『似ている』であって、イコールではない。
ところが、ここでヴィクトールは自分自身に納得してしまった。
あの夜から、気になって仕方がない、ロザリアという存在。
それはすなわち。
良い好敵手に対する、期待と尊敬に違いない、と。
「どうかお願いします。
ロザリア様と手合わせの機会を!」
懇願するヴィクトールに
「え~っと。
手合わせって、戦うってこと? ヴィクトールとロザリアが?
それって、どういう意味?
まさか、ゲームとかじゃないわよね?」
混乱するリモージュ。
そこに
「あら、わたくしは構いませんわよ。」
ロザリアが実に涼しい声でサラッと答える
「さすがに皆様の前で正式な試合となると、恥ずかしいですけれど…。
簡単な手合わせくらいでしたら、わたくしもお願いしたいですわ。
良い稽古にもなりますし。」
ロザリアはにっこりと女神のような微笑みを浮かべている。
その笑顔にヴィクトールは背筋がぞわっと粟立つのを感じた。
青い美しい瞳の中に、一瞬きらりと光った…肉食獣のような輝き。
たおやかで優雅な女性に違いないのに、ヴィクトールは戦う前からすでに、勝てないような気がしてしまっていた。
それからしばらく。
やはりヴィクトールの奇行は止まらず、聖地中を全速力で駆けまわる姿や湖で滝に打たれる姿などが目撃された。
はじめのうちこそ、女王候補たちも不気味に思っていたけれど、それが日常の風景として認識されるまでに、そう時間はかからず。
それよりもヴィクトールとロザリアが、妙に仲良さげなことが目下の彼女たちの注目の的だ。
「まるで美女と野獣みたい。」
「っていうよりも、王女と騎士…カナ?」
女王候補二人が午後のカフェでひそひそ話をしていると、
「違うわよ~。
アレは女王様と…下僕ね。」
リモージュがひょっこり顔を出す。
その3人の視線の先には、ロザリアとヴィクトールが並んで歩いている。
ぎこちなく歩くヴィクトールの手が、ロザリアの背中から肩へと廻るのが見えて、3人は顔を見合わせた。
これは、まさかのラブラブシーズン到来なのか。
「きゃ~!」
「ヴィクトールさん、ガンバレ!」
「もうちょっとよ!!」
ところが。
知らないうちに遠くから応援をうけていたヴィクトールはあと少しというところで、なぜか突然、前のめりに転がった。
肩におこうとしていた手も当然、空しく宙を切る。
もちろんこれは偶然ではなく…ヴィクトールの気配を感じ取ったロザリアが、素早く足払いをかけたのだ。
電光石火の足技。
まるで後ろにも目があるように、彼女には全くスキがない。
「ヴィクトール。 見え見えすぎますわ。」
「はい。 申し訳ありません。」
シッカリ受け身を取って倒れたせいで、身体はそれほど痛くはない。
痛くはないのだが…なぜだかとてもむずがゆくて、冷たい水でもかぶりたくなるのだ。
倒れたヴィクトールを見下ろすロザリアの瞳はキラキラと輝いている。
「ふふ。 ヴィクトールといると、とても楽しいですわ。
これからもたくさん手合わせをしていきましょうね。」
その女神のような微笑みは、やはりとても美しく…。
ただただ頷くことしかできないヴィクトールなのだった。
ロザリアとの最終対戦成績。
0勝2593敗。
それでも彼はきっと最高に幸せな人生を送ったに違いない。
FIN