部屋の真ん中に置かれたトルソーが着ているのは、オリヴィエがデザインしたウェディングドレス。
たっぷりのアンティークレースを組み合わせたAラインのドレスは、背が高くすらりとした彼女にとてもよく似合っていた。
試着室で、綺麗な瞳をまん丸にして、首にかじりついてきた姿を思い出して、オリヴィエは微笑んだ。
あとは明日、当日のヘアメイクだが、これは弟子に頼んでおいた。
今は平然としていても、いざとなれば手が震えてしまうかもしれない。
手になじんだメイク道具でさえ、満足に使いこなせないとなれば、メイクアップアーチストの第一人者としてお笑い草だ。
オリヴィエはゆっくりとドレスに近づくと、レースの一端を握った。
時計の音だけが静かに響く夕暮れ。
色あせない記憶がオリヴィエの胸に去来する。
西日が部屋を通り過ぎ、星がまたたき始める頃、オリヴィエはようやく部屋を出た。
リビングのソファに座っていると、後ろから人の近づく気配がする。
気付かないふりをして黙って本を読んでいたオリヴィエの目の前に青紫色の髪が流れて来た。
「お父様。お話ししてもいいかしら?」
「ああ、構わないよ。アンジェラ。」
オリヴィエが眼鏡をとって、本を閉じたのを合図に、彼女は隣に腰を下ろした。
言いにくそうに膝をもじもじさせているアンジェラにオリヴィエはくすりと笑うと、ソファの背もたれに大げさに寄り掛かる。
「なんだい?話しに来たって言うから聞こうと思ったのに。なにもないなら、この本の続きを読むけど?」
サイドテーブルに置いた眼鏡に手を伸ばすと、アンジェラは焦ったようにその手を抑えようとする。
「もう、お父様はいつもそうやって、わたしを困らせるんだから!…だって、今日で、最後なんだよ?」
「あー、そんな縁起の悪いこと言わないで。確かに明日からはもうおんなじベッドで寝るようなことはないけどさ。」
「もう!また、そんなコト言って!」
アンジェラがぷうっと頬を膨らませた。
こういうところは名前がいけなかったのか、と、心底思ってしまう。
彼女の希望ではあったけれど、もう少し別のところが似てくれればよかったのに。
名前をもらった金の髪の補佐官は明るくて、元気で、時折ドジで、けれど、誰からも愛されていて、彼女の親友だった。
「アンジェラ。」
オリヴィエが青紫の柔らかな髪に手を伸ばす。
「昔話を聞いてくれるかい?…お星様にいるあんたの母親の話さ。ずっと聞きたがっていただろう?」
アンジェラの肩がびくりと震えた。
それを聞きたくて、ここに来たのに、それでも半分は聞けないだろうと思っていた。
いままで、どれだけせがんでも、オリヴィエはアンジェラの母について話してはくれなかったから。
「うん。教えて。」
オリヴィエは膝の上で閉じていた本をテーブルに置くと、足を組みかえる。
長い話になる、と告げると、アンジェラは立ち上がり、キッチンから紅茶を淹れて戻ってきた。
ダージリンの香りは、いつでも彼女を思い出させる。
一口飲んでカップを置いたオリヴィエは静かに語り始めた。
ロザリアが女王になった日、オリヴィエは空いっぱいを埋める流星雨を窓から眺めていた。
最後に二人きりで会ったのは、3日前。
いつも通り、湖でデートをして、いつも通り別れた。
これが最後のデートになると知っていて、オリヴィエはなにも言わず、ロザリアもなにも言わない。
女王になることは宇宙の意思なのだから、変えることは誰にもできない。
二人ともそれは十分に知っていた。
ただ、この帰り道が永遠であればいいのに、と、お互いにそう感じていた。
それからは女王と守護聖として、執務だけが二人の接点。
時だけが緩やかに流れていく日々に、これが永遠に続くのだと思っていた。
オリヴィエが異変に気付いたのは、数年後のこと。
朝、言いようのない気だるさにこめかみを押さえたオリヴィエは、ベッドから起き上がろうとして、もう一度枕に頭を沈めた。
昨日飲みすぎた覚えもない。
むしろここ何年か自分を見失うほど飲んだことなど一度もなかった。
「ったく。もう年なのかね。」
ずきずきと痛む頭を何度も振って、オリヴィエは強引に立ち上がる。
途端に足元がふわりと浮いたようになって、ずるずるとその場に座り込んでしまった。
まさか。こんなに早く。
オリヴィエの脳裏にカティスの姿が浮かぶ。
守護聖の任期は年齢ではない。そうわかっていたつもりなのに。
頭がおかしくなりそうなほど、ガンガンと早鐘のように打ちつける痛み。
どうしようもない焦燥感で、オリヴィエは膝を抱えた。
結局執務を休んだオリヴィエは、なにをするわけでもなくぼんやりとベッドに座っていた。
お腹が空けば適当に食べ、喉が乾けば適当に飲む。 開いたカーテンから射す日差しが東から西へ、やがて星に変わる。
見上げれば青い月が空に輝いていた。
オリヴィエは窓を開けると、その空気を胸一杯に吸い込む。
優しい風が金の髪をなでるように攫って行った。
「誰かいるの?」
木々のこすれるかすかな音にオリヴィエは眉を寄せた。
時折ネコが迷い込むことはあったけれど、闇夜に気配を感じさせるほど、ネコたちの身は鈍重ではない。
オリヴィエの声に気配が近づく。
一瞬曇った月明かりから、青い影がきらめいた。
「オリヴィエ…。」
月の下で青い長い髪が揺れる。見つめる青い瞳にオリヴィエは捕らえられたように動けなくなった。
走り出したロザリアの足元に白いストールが落ちる。
胸に感じるぬくもりと、薔薇の香りにオリヴィエはロザリアを抱きしめた。
「わたくしはあなたを…。」
見上げるロザリアの瞳がきらりと光る。
それきり、なにも言わず、ロザリアはオリヴィエの背に回した手に力を込めた。
オリヴィエは彼女の髪にそっと口づけると、震える肩を押し返す。
少しだけ開いた二人の距離に夜の風が吹きぬけた。
「気付いたんだね。女王なんだから当たり前か。」
ロザリアはオリヴィエの胸に額を寄せた。首を横に振っても意味がないことに気付いたのだろう。
その手でぎゅっとオリヴィエの服の裾をつかんでいる。
「なぜ、ここに来たのか、あなたはわかってくださいませんの…?」
それだけ言うのが精一杯というようにロザリアは再びオリヴィエの背に手をまわした。
オリヴィエが腕を掴んでも離れないほどの強い力。
「ダメだよ。私はもうすぐ、あんたの前からいなくなる。あんたを傷つけたくないんだ。わかるだろう?」
「わかりませんわ。」
押し殺したような声でつぶやいたロザリアは自分の頬をオリヴィエの胸に押し当てた。
「なにもなかったことになんて、どうしたらできるというんですの? あなたに愛された思い出もなく、このまま生きていけるとお思いですか?
お願いです。あなたの本当の気持ちを聞かせてほしいのです。」
雲間に月が隠れると、感じるのはお互いの息遣いだけ。
オリヴィエの腕がロザリアを抱きあげた。
「私はズルイ男だね。あんたを傷つけるってわかってるのに。許して。」
ベッドにロザリアを横たえたオリヴィエは静かに唇を重ねた。
ロザリアの瞳にきらりと光ったのは、きっと。
「ロザリア…。愛してる。」
固く閉じた唇がオリヴィエの暖かさに溶けていくと、二人は初めての夜を過ごしたのだった。
それから残りわずかな時を惜しむように、オリヴィエはロザリアの元に通った。
毎晩のように続く逢瀬。
次の夢の守護聖がようやく見つかったと知らせを受けた時だった。
「ロザリア?!どうしたの?!」
補佐官のアンジェリークとの執務中、突然ロザリアが倒れた。
「妊娠?」
医務官が告げた言葉にアンジェリークは目を丸くして、二の句が継げない。
「本当なの?間違いはない?」
「はい。全ての検査が陽性です。すでに8週目を過ぎているかと。」
気遣わしげに眼を伏せた医務官にくれぐれも口外しないように、と何度も口止めした後、アンジェリークはロザリアのベッドのそばに座り込んだ。
「どうして?」
ロザリアの手を握り、アンジェリークはつぶやいた。
いつの間に。
このところ体調がすぐれないことは感じていた。けれど、それはオリヴィエがいなくなるという不安からだと思っていた。
ロザリアの目がうっすらと開く。
「アンジェ?わたくしは…?」
はっと身体を起こそうとしたロザリアにアンジェリークは彼女がすでに気づいていたのだと悟った。
似合わない狼狽の色と、青ざめた唇。
アンジェリークはロザリアをそっと押しとどめると、身体にケットをかけ直した。
「気付いていたのね。…わたしには言ってほしかったな。ロザリアってば、水臭いんだから。」
ロザリアの瞳に影が走る。
気付かれてしまったということと、アンジェリークを悲しませたこと。
どちらも同じくらい辛い。
「ごめんなさいね。誰にも気付かれずに産もうと思っていたの。」
「ロザリアのバカ!」
アンジェリークが椅子を蹴るように立ち上がる。
「わたしに任せて。なんとかする。ロザリアが産みたいっていうなら、絶対そうできるようにするから。」
「アンジェ・・・。」
なぜ、一人でなんて思ったんだろう。こんなにも心強い味方がすぐそばにいてくれる。
ロザリアはアンジェリークの手をそっと握った。
「しばらく休んでいて。今日はもう、ここで眠ってね。あとでまた見に来るから。」
部屋を出たアンジェリークはしばらくうつむいていた。
そして、なにかを決意するようにぐっと両手のこぶしを握ると、背筋を伸ばして、歩き出したのだった。
夜、新月のせいか辺りはほの暗い。
いつも通り、中庭を抜け、ロザリアの寝室に入ったオリヴィエはベッドのふちに座っている人影を見つけた。
頭からケットをかぶっているせいか、影は暗く、表情も読み取れない。
「ロザリア?」
いつもと違う部屋の空気にオリヴィエは声をかけた。
腰かけていた人影が立ち上がり、ケットが床に落ちる。
「やっぱり、あなたなのね。」
キラキラと輝く金の髪。緑の瞳をじっとオリヴィエに向けたまま、固い声でアンジェリークが言った。
オリヴィエは小さくため息をつくと、そのまま部屋の隅に置かれたテーブルに身体を預ける。
今さらバレたとしても、気持ちを変えることも、ましてや離れることもできはしない。
「知ってただろう?私たちがずっと愛し合っていたって。」
もうすぐ離れなければならない。そのことだけが悔しくて、たまらない。
想いが口調にも出てしまった。
「愛してるんだ。ロザリアを。離れるまでの間、見逃してほしい。…どうせ、私はいなくなるんだから。」
なじられること覚悟して告げた、本当の想い。
しばらく黙っていたアンジェリークの瞳から、涙がこぼれて落ちた。
「ロザリアに、赤ちゃんができたの。あなたの赤ちゃんでしょ?」
絶句したオリヴィエにアンジェリークがすがりついた。
胸に受ける拳の痛みが、かろうじて思考能力をとどめてくれる。
「ロザリアに、私の…。」
あの夜から数カ月。
たしかにその機会は幾度もあったのだ。
驚きの後に、自然にわき上がる喜びの気持ちがオリヴィエの意識を鮮明にする。
「ロザリアに会わせて。あんたが隠してるの?」
オリヴィエの気持ちをアンジェリークも感じたのだろう。
やっと安堵の笑みを浮かべた。
「喜んで、くれるのね?よかった。ロザリアは聖殿の奥の間にいるわ。ただ、どうしてもあなたと相談したいことがあって。」
「相談?なに?」
「ロザリアは産みたいって言ってるの。でも、このままじゃきっと、問題が起きるわ。だから。」
そう言われて、オリヴィエも思い当った。
ロザリアはただの少女ではない。この宇宙の、女王。
もし知られたら、子供の存在は闇に葬られることになるかもしれない。
「わたしの言うとおりにしてほしいの。ロザリアのために。」
アンジェリークの強い瞳にオリヴィエは頷いた。
「5か月を過ぎましたし、そろそろ安定期ですね。」
医師の言葉にロザリアとアンジェリークは目を合わせて微笑んだ。
妊娠に気付いた医師に協力を頼み、なんとか誰にも知られずにここまで来た。
あと、半年。
アンジェリークはオリヴィエを呼ぶと、尋ねた。
「新しい守護聖への引き継ぎはもう終わった?」
「ああ。いつでも大丈夫だよ。」
ロザリアの安定期まで、引き継ぎを伸ばすこと。
まずアンジェリークに言われたとおり、オリヴィエは時間をかけて来たばかりの少年に守護聖の仕事を教えた。
わりと真面目な少年で、吸収も早く、オリヴィエは自分との違いに苦笑するばかりだった。
「じゃあ、聖地を出て、先にここへ行っていて。」
渡されたメモには、主星のとある場所の住所が書かれていた。
「すぐに行くから。待っていてね。」
次の日、オリヴィエは黙って聖地を出た。
カティスも見送りを望まなかったから、一人で旅立つと言ったオリヴィエの言葉を疑問に思う者もいない。
最後にオリヴィエは庭にあった薔薇を鉢に移した。
ロザリアが好きだと言った薔薇。
トランクと薔薇の鉢植えを持って、オリヴィエは聖地を去った。
ロザリアが来たのは主星の時間で1カ月後。
「よく来たね。」
抱きしめられたロザリアは恥ずかしそうにはにかむと、オリヴィエを見つめた。
「こうして、一緒にいられるなんて、信じられませんわ。全てアンジェのおかげですわね。」
少し大きくなったお腹にオリヴィエは手を当てた。
まだなにも感じないけれど、ここに確かに生きているのだ。
「聖地の時間で1ヶ月。アンジェがつくってくれた時間ですの。その間、二人で過ごせますのね。」
「二人じゃないでしょ。三人。」
オリヴィエがお腹を指差すと、ロザリアはくすぐったそうに笑う。
一か月。それがアンジェリークと話しあって、ぎりぎり休暇の取れる日数だった。
その間、主星ではどれくらいの時が過ぎるのだろう。
ロザリアが無事に出産をし、そして3人で過ごせるのは、一体どれくらいなんだろう。
何度計算しても正確には分からなかった。時間の流れは少しづつ歪みと修正を繰り返している。
早く流れたり、遅くなったり。
この1ヶ月という時が早い流れでないことを祈るしかなかった。
二人の暮らしは夢のように流れた。
穏やかでこれ以上の幸せはないと、そう思えるほどの時間。
「ね、今、笑ったんじゃない?」
「まあ、オリヴィエったら。まだ、笑ったりはしませんわ。」
「でもさ、ホラ、見て。」
小さな手でオリヴィエの指を握る。
オリヴィエと同じダークブルーの瞳は青紫の睫毛に縁どられていた。
「本当に笑っているみたい。」
「わかるんだよ。パパとママが仲良くしてるの。」
オリヴィエがロザリアにキスをすると、小さな瞳が細くなる。
あと少し、このままで。
その願いはすぐに終わった。
「迎えに来たの。」
アンジェリークが来た時、オリヴィエは思わず目を閉じた。
どこからが夢で、どこからが現実なのか。
夢だとしたら、今、アンジェリークがいる、そのことが夢であればいいのに。
アンジェリークは申し訳なさそうな顔でオリヴィエの横を通り過ぎると、ロザリアの前に立った。
「ごめんね。一緒に帰ってくれる…?」」
ソファに座って、子供をあやしていたロザリアはアンジェリークを見ると、静かに微笑んだ。
「わかっているわ。あなたも大変だったでしょう?帰ったら、たまった仕事を片づけなくてはね。」
ロザリアは子供をアンジェリークの手に抱かせた。
柔らかなそのぬくもりに、アンジェリークの瞳から涙がこぼれると、小さな手が頬をなでる。
「少し待っていて。」
ロザリアは微笑んで、子供の頬に触れる。
母の手を子供は知っているのだろうか。その顔は笑っているように見えた。
「この子、アンジェラって、名付けたのよ。あなたみたいにみんなに愛される女の子になってほしいって思ったから。
わたくしからこの子にあげることができる、たった一つのプレゼントですもの。最高のモノにしたかったんですわ。
・・・いやだわ、どうして泣くの? 名誉なことだと思ってくれなくては。」
「うん、わかった。ありがとう。わたし、すっごくうれしい。」
アンジェリークが頬ずりをすると、アンジェラはくすぐったそうに笑った。
オリヴィエは寝室でロザリアが来るのを待っていた。
随分前から、荷物はまとめてあったのだ。
この日が来ることを忘れていたわけではないけれど、心が、それを受け入れられない。
「オリヴィエ。アンジェラをお願いしますわ。ずっと、ずっと、あなたたちを、見ています…。」
「ロザリア。」
何度もお互いの名前を呼んだ。
繰り返す口付けと抱擁に想いのすべてを込めて。
時が二人を隔てても。死が二人を分かつとも。
変わらない想いを誓って。
「だからね。あんたの母親はホントにあの星のどこかにいるのさ。私たちとは違う時の流れで、今も、私たちを見てる。」
長い話を終えて、オリヴィエは大きく息を吐いた。
アンジェラは流れる涙をぬぐうこともせずに、オリヴィエの首に抱きつく。
「お父様。ごめんなさい。」
オリヴィエはアンジェラの頭をそっとなでると言った。
「いいんだよ。あんたがこの家を出るときに話そうと思っていたんだから。」
アンジェラの腕がさらにきつくオリヴィエを抱くと、オリヴィエはその背中をさすった。
「あんたの母親がどれほどあんたを愛していたのか、私たちにとって、どれほどあんたが大切な存在なのか、わかってほしかったんだよ。」
「つらい思い出を話してくれて、ありがとう。」
「バカだね。辛くなんてないよ。この宇宙のどこかに彼女は生きている。離れていたら、愛は終ってしまうのかい?そんなことはないだろう?」
「お父様・・・。」
蒼紫の綺麗な髪。アンジェラはロザリアにとてもよく似ている。
ロザリアと離れた後、アンジェラがいたから、生きてこられたのだ。
「あんたが選んだ男はすごくいいやつだと思うよ。だからね、幸せにおなり。私の願いはそれだけさ。」
星がまたたくのが見える。
きっと明日は晴れるはずだ。
アンジェラが部屋に戻った後も、オリヴィエはリビングにいた。
「ロザリア。アンジェラが明日、結婚するんだよ。私はあんたの願いをかなえることができたのかな?」
生まれたばかりのアンジェラとロザリアの写真。
自分はずいぶん変わってしまった。
彼女は今もそのままの姿で、宇宙の平和を守っているのだろう。
オリヴィエは写真立てを伏せると、ようやく眠りについたのだった。
角の家のおばさんが、走る青紫の髪の女性に声をかけた。
「おや、アンジェラ。もう、戻ってきたのかい?」
女性はその声に足を止め、声をかけたおばさんをまじまじと見つめている。
「あら。あなたは…。ええ、戻って来ましたのよ。」
くすくすと笑いながら答える姿に、おばさんは丸い目をさらに丸くすると、腰に手を当てて大げさにため息をついた。
「本当かい?お父さんががっかりするよ。こないだ結婚式を挙げたばっかりだっていうのに、何だって…。ねえ、ちょっとお待ちよ。」
もっと詳しく聞こうと身を乗り出したおばさんに手を振って、青紫の髪は駆けて行ってしまった。
そのまま、オリヴィエの家のドアをノックする。
「はあい。誰?」
目に飛び込んでくる青紫の髪。オリヴィエはその髪にポンと手を置いた。
「アンジェラ?喧嘩でもしたの?」
答えることもなく、黙って見あげたのは、青い青い瞳。
「オリヴィエ。あの薔薇、随分増えましたのね。」
引き寄せられるようにオリヴィエはロザリアを抱きしめた。
ロザリアの手が背中に回ると、オリヴィエの腕の中でなつかしい薔薇の香りが漂う。
お互いのぬくもりを確かめあう時間はどれほど長くてもまだ足りないほどだった。
ようやく身体を離すと、オリヴィエの指がロザリアの頬を包み込む。あの時と変わらない青い瞳。
「お帰り。ロザリア。」
ロザリアの瞳に涙がにじんだ。
「ただいま、戻りましたわ。」
オリヴィエの唇がロザリアに触れる。
今、彼女に言いたいことはたった一つ。
「もう離さない。これからは一緒にいよう。」
ずっと、言いたくて、でも許されなかった言葉でオリヴィエはようやく永遠を誓った。
FIN