初めは一人、その後二人。そして、とうとう三人。
足音で誰なのかはすぐにわかる。
そろそろ雷が落ちるだろうということも。
「走るなと言っているであろう!」
やっぱり、と、オリヴィエはソファで笑いをかみ殺した。
たしかに彼ら年少組の足音はうるさい。
でも、それ以上に、今の怒鳴り声のほうがよっぽどひどいではないか。
まるで雷でも落ちたみたいに、聖殿中の空気が震えあがっている。
けれど、効果は抜群だ。
たちまちに足音は消え、しんと静かな聖殿に戻った。
そしてすぐ。
オリヴィエの部屋のドアがなった。
「こんにちはー。あの、オリヴィエ様。ロザリアがどこにいるか、知りませんか?」
おずおずと顔をのぞかせたのは、ランディ。
最初の足音は彼のモノに間違いない。
「ばーか。ちょっと聞いたくらいで、コイツが教えてくれるわけねーだろ。」
がしっと、ランディの足を蹴飛ばして、強引に部屋の中へ押し込んだのはゼフェル。
「ダメだよ~。ケンカしちゃ。 あの、オリヴィエ様、僕達、とっても重要な用事があるんです。ロザリアの居場所、知りませんか?」
ケンカ腰の二人を睨みつけながら、それでもちゃっかり中に入ってくるのがマルセル。
走りまわっていた三人組だ。
「さあねえ。」
オリヴィエはソファに寝転がったまま、気のない様子で返事をした。
「なに、あんた達、ロザリアのこと探してるの?」
「はい! 今度の土の曜日のお茶会のことで…。」
「バカ、そこまで言わなくていーんだよ。」
「バカってなんだよ! マルセルに謝れ!」
いちいち突っ込み合わないと話が進まないのだろうか。
オリヴィエは心の中でため息をつきながら、手にしていた雑誌のページをめくった。
「わいわいやるなら余所でやっておいで。私は休憩してるんだよ。」
「サボりだろ!」
「いい加減にしろ、ゼフェル。いくらオリヴィエ様だからって、年上なんだぞ。」
尊重してるのかバカにしてるのか、イマイチわからないが、ランディの言葉に突っ込みを入れるほど、ヒマ人ではない。
「なんで探してんの? そんだけ大声で騒ぎまくってんだから、さぞかし大事な用なんだろうね。」
皮肉たっぷりに言ってみても、お子様たちには通じなかったようだ。
よくぞ聞いてくれました、と、逆に身を乗り出されてしまった。
「土の曜日のお茶会に、僕の庭で採れたベリーの実を使って欲しくて。」
マルセルが元気いっぱいに答えると、
「でも、俺、ベリーのタルトは酸味が強すぎて苦手なんです。」
「別にオレはどーでもいいんだけどよ。」
ランディとゼフェルが仲良く睨みあっている。
「ホントにどーでもいい用事だね…。あのね、ロザリアは補佐官で、あんた達の保母さんでも、おかーさんでもないの。
わかったら、大人しく、自分達の部屋に散りな。」
オリヴィエはしっしっと、追い払うように手を振った。
全くこいつらもそうだが、守護聖たちは完全に補佐官を世話係とでも思っているのか。
実にくだらない用事を言ってくることが多い。
『新しい本を図書館に入れてほしい』なんていうのは、かわいいもの。
『もっと俺好みの女官を入れてほしい』とか『隣の部屋の人間が腹立たしいから、部屋を変えてほしい』だの、ありえない注文までしてくる。
もともと気まじめなロザリアは、その一つ一つに対応しているのだ。
放っておけばいいのに、これではいくら身体があってもキリがないだろう。
実際、彼女はいつも忙しい。
「どこ行っちゃったんだろう~。ロザリア。」
「…陛下のところにでもいるんじゃない?」
「そこはもう探したんです。さっきまでいたけど、今はもういないって。」
「ジュリアスのところは?」
「さっき、怒鳴られたけど、誰もいなさそうだったぜ。」
「他の守護聖のところは? クラヴィスのとこは見た? 最近、ジュリアスの怒りゲージが振り切れそうだって気にしてたよ。」
オリヴィエは相変わらず、寝転がって雑誌をめくっている。
「そっか。クラヴィス様のところ、まだ伺ってなかったね。…行ってみる?」
「ええー。気が進まないな~。」
「どうせ、もうすぐここに来るんじゃねーの。お茶とか一緒にしてんだろ?待ってようぜ。」
3人寄れば姦しいとは、女の子のことを指す言葉だと思っていたが、年頃なら男も同じらしい。
それに、ここで待つだなんて冗談じゃない。いい加減、この騒々しさを我慢するのも限界だ。
「ふうん。あんた達、ヒマなんだねえ。…私と遊ぶ? 綺麗にしてあげようか?」
読んでいた雑誌をテーブルに放り投げたオリヴィエがむくりと起き上った。
ニヤリ、と満面の笑みを浮かべれば、三人組がびくっと震えあがる。
「誰から可愛くして欲しいの~?」
ネイルされた指でマルセルの顎先をすっと撫でると、マルセルは飛び上がって、ドアのところまで走っていった。
「ぼ、僕はイイですぅ。」
「ふーん、じゃ、ランディ?」
「お、俺もいいです!」
じりじりと下がっていく二人を、ゼフェルがバカにしたように見ている。
「ゼフェルでもいいよ。ま。あんまり可愛くならなそうだけど。」
「なんだと!」
「やってみる?」
「ちっ。」
ドアに追い詰められた三人は、わっと一斉に逃げ出した。
ようやく戻る静けさ。
けれど、ふう、とオリヴィエがため息をつくと、また、すぐにドアが開いた。
「あの、それで、ロザリアは…。」
「ここにはいないって言ってるでしょ! 今度来たら、ふりふりのドレス着せて、聖殿中を晒しものにしてやるからね!」
口紅を握り、じろっと睨みつけてやる。
「すいません!!」
バタバタと遠ざかる足音。
きっと彼らは泥棒にはなれないに違いない。
今度こそ、来ないだろう。
足音を忍ばせたオリヴィエは奥の間のドアを薄く開けて中を覗いた。
二人掛けのソファに横たわる、青い影。
さっきまでと同じ姿勢で、ロザリアが眠っていた。
長い青紫の睫毛が、呼吸をするたびに揺れている。
ちょっときつい印象の青い瞳が閉じた彼女は、まるで天使のようにあどけない。
「今、補佐官はお休み中なんだからさ。どーでもいいことで呼ばないでほしいよね。」
オリヴィエは彼女のそばに近づくと、そっと頬に触れてみた。
くすぐったかったのか、彼女の桜色の唇がわずかにほころぶ。
もう少し休んでいて欲しかったのに。
あ、と思った時にはすでに遅く、ロザリアが目を開けた。
「わたくしったら、こんなところで転寝なんてしている時間はありませんのに。早く執務に戻らなくては。」
目を覚ました彼女は、すっかりいつもの補佐官に戻っていて。
「もうちょっと休んでいったら? 確か大した仕事はないって言ってなかったっけ?」と言ってみても、
「無理ですわ。」
きっぱりと否定され、オリヴィエは少し残念に思ってしまった。
「わたくしは補佐官の仕事に誇りを持っていますのよ? どんな些細な仕事でも、きちんとやりたいんですの。」
ロザリアらしい答えに思わず笑うと、彼女は不満そうに唇をとがらせている。
「寝てるときくらいは違ってもいいんじゃない? 私といる時も。」
補佐官としてみんなのために働くロザリアはとても素敵だ。
瞳をキラキラさせて、のんびりやの女王や仕事嫌いの守護聖たちを叱り飛ばしている姿も爽快だ。
だけど、自分の傍にいるときくらいは、そのままの彼女でいてほしい。
補佐官ではない、そのままのロザリアで。
オリヴィエがにっこりとほほ笑むと、ロザリアの頬が染まった。
「補佐官じゃないとしたら、あなたといる時のわたくしは何かしら?」
「そうだねえ。」
もったいぶってなかなか答えないオリヴィエをロザリアがじっと見つめている。
このまま彼女の期待する答えをあげようか、それとも、少し意地悪く答えようか。
けれど駆け引きを楽しむよりも、彼女の喜ぶ顔を見たいと思ってしまった。
「私の可愛い恋人、でしょ?」
素早く唇を盗めば、瞳を見開いたロザリアがいて。
「もう、オリヴィエったら!」
拳を握った彼女に、ぽかぽかと胸を叩かれた。
「ね、いっそ、今日はもう補佐官はやめにしない? たまにはお休みも必要だよ。」
「…執務がたくさん残っていますもの。そうはまいりませんわ。」
多分そう言うだろうと思っていたから、残念なそぶりはしたけれど、本当にがっかりしたわけではなかった。
ロザリアの気まじめなところも、好きだから。
何事も、惚れたほうが負け。
けれど勢いよく立ちあがったと思ったのに、なぜかロザリアはなかなか部屋を出て行こうとはしなかった。
部屋の中央で立ち止まり、オリヴィエを気にしている。
「どうかした?」
「あの…。」
頬を赤らめて、もじもじしてるロザリア。
オリヴィエは腰をかがめ、彼女の耳元に唇を寄せた。
「もちろん、守護聖でない時の私は、あんたの恋人だよ。」
ロザリアの青い瞳が嬉しそうに輝くと、オリヴィエの服の裾をきゅっとその手が握りしめている。
「やっぱり、もう少し、補佐官はお休みにしてもいいかしら? あなたはどう思いまして?」
「その質問はずるいでしょ。私の答えなんて決まってるじゃないか。」
オリヴィエが抱きしめようと、手を伸ばした時。
ばたん、とドアが開いた。
「いたー!!」
「やっぱり隠してやがったのかよ。」
「すいません、オリヴィエ様。ゼフェルが絶対ここだって…。」
飛び込んできた三人にロザリアが目を丸くした。
「な、なんですの? あなたがたは。 執務はどうなさったの?」
「それどころじゃないよ。僕達、ずっとロザリアを探してたんだ。」
「まあ、なにかしら?」
マルセルの言葉にロザリアはすっかり補佐官の顔に戻っている。
「あのさ、今度の土の曜日のお茶会のお菓子なんだけど、俺、あんまりすっぱいのはちょっと…。」
「たまにはよ、甘くないモンも入れてくれよ。」
「僕のベリーがね。」
「わかりましたわ。 補佐官室でゆっくりお話を聞かせてくださいませ。」
そう言うと、ロザリアは三人を連れて、今度こそ部屋を出て行ってしまった。
さっきまでの甘いムードなど、まるで忘れてしまったみたいに。
「あ~あ。」
せっかくこれから、いいところだったのに。
こんなことなら、鍵をかけておけばよかったと後悔したが、もう遅い。
一人残されたオリヴィエは、再びソファにごろりと横になると、読みかけていた雑誌を広げたのだった。
FIN