真っ直ぐに前を向く青い瞳。
ただ歩いているだけなのに、ロザリアは優雅で美しい。
「目の保養になるねえ。」
キレイなものが大好きなオリヴィエは、にんまりと笑みを浮かべて、彼女が近づいてくるのを待った。
心地良い昼下がり。
常春の飛空都市は風も陽射しも穏やかで、オープンテラスでお茶をするのに最適だ。
恋人同士の甘い語らいにはもってこいだろう。
オリヴィエを見つけたロザリアに手を振ると、彼女は嬉しそうに顔をほころばせた。
蕾の薔薇がほんの少し花弁を開いたほどの変化だけれど、ロザリア的には大きな変化だ。
彼女がこの飛空都市に来た当初なんて、笑顔どころか、一日怒った顔しか見たことがないほどだったのだから。
ロザリアがまっすぐに向かってくるのに合わせて、立ち上がったオリヴィエは、彼女のために椅子を引いた。
「ありがとうございます」
ごく自然に腰を下ろし、オリヴィエを見上げてお嬢様然とした笑みを浮かべるロザリア。
他人がみれば、甘やかしていると思うかもしれないけれど、オリヴィエはあえて、そういう行動をしている。
彼女の美しい所作を見るのが好きだし、彼女にはいつまでも、そういう礼節を持つ女性でいてほしいと思うからだ。
「お待たせしてしまいました?」
オリヴィエの前にあるカップが半分ほどになっているのを見て、ロザリアは申し訳なさそうにしている。
「ちょうど執務がキリのいいところに来たから、先に出てきたんだよ。
天気もいいし、中で鬱鬱ゴロゴロしてるなんてもったいないじゃない?」
「まあ、オリヴィエ様らしいですわ。」
くすりと笑う姿も品がよく、オリヴィエもつられてにっこりと笑ってしまう。
なにげなくメニューを手に取り、彼女に手渡すと、オリヴィエは彼女の視線がある一点に集中しているのに気が付いた。
『本日かぎりのスペシャルスイーツ』
厚みのあるパンケーキにたっぷりの生クリーム。
2色のアイスとまるまるとした大ぶりのイチゴがパンケーキの上やまわりを飾っている。
赤いイチゴソースと卵色のカスタードソースも色鮮やかで、見た目も美しい。
オリヴィエは笑いをかみ殺した。
お嬢様育ちのロザリアは、意外にも、ほとんどわがままを言わない。
高飛車な喋り方や態度のせいで、傲慢だと思われがちだが、それは大きな間違いだ。
淑女の嗜み、とでも言えばいいのか。
絶対に譲れない、というギリギリのラインまでは、案外、周りに合わせている。
そもそも、本当に嫌なヤツだったら、あの天然アンジェリークがあれほど懐くわけもないし、オリヴィエだって…。
「あ、オネエさん。 このスイーツも一つね。」
呼び止めたウェイトレスにドリンクと一緒にパンケーキもオーダーする。
普段、美容のため、と、あまり甘いものを食べないオリヴィエだからか、意外なオーダーに、ロザリアは目を丸くしている。
「ちょっと疲れちゃったからね。 糖分で頭に栄養補給したくなったのさ。
一人じゃ全部は食べきれないから、あんたも一緒に食べてよね。」
軽くウインクをすると、ロザリアは嬉しさを隠そうともせずに、素直に頷いた。
「まあ…!」
運ばれてきたスイーツは、写真よりもずっと豪華で美味しそうだった。
パンケーキ自体はそれほど大きくないけれど、フレッシュなイチゴは大きなものがまるまる7つ。
さらに刻んだ大小のイチゴが上にも周囲にもちりばめられている。
オリヴィエはフォークを手に取ると、大きなイチゴにぷすりと刺した。
じゅわっと染み出してくる果汁から漂う甘い香り。
ヘタの方を一口齧ってみると、本当に甘くてフルーティだ。
先の方はもっと甘くておいしいに違いない。
目の前のロザリアは行儀良く、オリヴィエが食べているところを見ている。
『どうぞ』と言わない限り、手を出さないのは、やはりお嬢様らしい礼儀なのだろう。
オリヴィエはくすりと笑うと、食べかけのイチゴを口にくわえた。
「はい、あーん。」
イチゴをくわえたまま、オリヴィエは顔をロザリアの方に突き出した。
反対側から齧って、というアピールに、ロザリアは目を見開いて固まっている。
それから、パチパチとびっくりするほどの速さでまばたきをすると、じっとオリヴィエを見つめ返してきた。
「ほら、 あーん。」
オリヴィエはさらにロザリアの方へと身を乗り出していく。
けれど、もちろん、ロザリアの口は閉じたまま。
ただ顔と耳だけがどんどん赤くなるのが面白い。
まるでこのイチゴみたいだ。
そんなロザリアの可愛らしい表情を堪能してから、オリヴィエはやっとイチゴを全部、口の中に入れてモグモグと咀嚼した。
ジューシーなイチゴは、予想通り美味しい。
「もう、しょうがないねえ。」
わざとおどけてみせて、今度はフォークに刺したイチゴの先に生クリームをフワッとつけてから、ロザリアの口の前に差し出した。
「はい、あーん。」
真っ赤な顔のロザリアは、オリヴィエの顔とイチゴを何度も交互に見ている。
やがて、ある種のあきらめの境地に達したのだろう。
ロザリアはパクリと目の前のイチゴを頬張った。
一気にまるまる一個。
まるで、恥ずかしいことは一度きりで十分だ、と宣言するような勢いだ。
けれど、
「美味しい…ですわ。」
ほっぺたをリスのように膨らませて、にっこりと笑うロザリア。
オリヴィエも笑いながら、「あーん」と口を開けて、イチゴを要求してみたけれど、それは華麗にスルーされて。
その後、二人は仲良くパンケーキを分けながら、楽しい午後のお茶の時間を過ごしたのだった。
それから数日後。
珍しく真面目に執務に取り掛かっていたオリヴィエのところに、ロザリアがやってきた。
「今、お時間は宜しいですか?」
礼儀正しく尋ねるロザリアに、オリヴィエは机の上の書類を押しやる。
育成のお願いは午前中に回っていたし、今日の午後はアンジェリークと勉強会という名のおしゃべり会の予定だったはず。
いったい、なにが?とロザリアを見ると、彼女は妙にソワソワした様子だ。
こんなロザリアは見たことがないし、見たことがないと言えば、彼女の顔もそうだ。
鼻から下をすっぽりと覆うマスク。
使い捨ての紙製だが、この飛空都市で、そんなものを付けている人間を見たことがない。
「どうかしたの? 風邪でも引いた??」
話を振ると、ロザリアははっきりと首を横に振った。
「じゃあ、どうしたの? 風邪じゃなきゃ、アレルギー? なんかあったの?」
何を聞いてもロザリアは首を横に振るばかりだ。
本当に気になって、オリヴィエは椅子から立ち上がると、つかつかとロザリアの側に歩み寄った。
もしも熱でもあったら、否応なしに医務室まで運び込むつもりだったのだ。
ところが、ロザリアの額に手が触れようとした瞬間。
その手首をロザリアに掴まれ、動きを止められた。
そして、びっくりしたオリヴィエがロザリアの方を向くと、ふわっと鼻先を掠める甘い匂い。
「あ」
イチゴだ。
香りを感じたと同時に、柔らかな感触が頬に触れた。
「ふふ。 イチゴの香りのリップですのよ。 アンジェリークが貸してくれたんですの。 びっくりしまして?」
目の前には得意げな顔のロザリア。
「この間のカフェの仕返しですわ。 いつもオリヴィエ様にはからかわれたり、びっくりさせられたりなんですもの。
たまには…きゃああ!!」
オリヴィエの手がロザリアの後頭部に添えられたかと思うと、あっという間に唇が重なる。
イチゴのリップと彼女の唇の甘さ。
両方の甘さが溶け合って、今日のキスは特別に甘い。
唇を隅々まで味わって。
舌でこじ開けた先にある全部を絡めとって。
今までで一番長いキスに、ロザリアの足は震えて、だんだん力が入らなくなってしまう。
倒れかけたロザリアを腕に抱えたまま、オリヴィエはソファに彼女を押し倒した。
のしかかり、さらに唇を蹂躙し続ける。
「ん」
ロザリアが苦し気に息を吐いても、オリヴィエのキスは止まらない。
それどころかますます深くなって、呼吸ができなくなってくる。
まだ不慣れなロザリアはとうとう我慢できずに、オリヴィエの背中をどんどんと叩いてしまった。
「あ、ごめん。 つい夢中になっちゃった。」
はあはあと息を切らすロザリアに、オリヴィエは唇の周りについた甘い液体をぺろりと舐め、悪びれない様子でウインクをした。
どう考えても、今のはロザリアが悪い。
ここが執務室じゃなかったら…体中全部味わって、美味しくいただいてしまっているところだ。
「このリップ、すごく美味しいね。 今度もまたつけてきてよ。」
「…!! 絶対に嫌です!」
キスの呪縛から解けたロザリアが憤然とソファから立ち上がる。
肩をいからせて、目も釣り上がっているから、たぶん、めいっぱい怒っているのだろうけれど…。
あんな赤い顔をして、足もフラフラになって。
潤んだ瞳で睨まれても。
やっぱり可愛いとしか思えない。
バタンと勢いよくドアを閉めて出て行ったロザリアに、オリヴィエはくすくすと笑ってしまった。
そして、床に落ちていたマスクをひょいと拾い上げると、
「どうせなら、マンゴー味がいいよね。」
早速端末を開き、マンゴーの香りのボディクリームを検索するのだった。
FIN