Blue Rose Festival

te-wo



永遠に伸びていく、ひたすらに青い空。
その青にぼんやりと浮かぶ白い雲。
まるで絵本の一ページのように平和そのものの世界。
「はあ、退屈……」
庭園の東屋の裏で芝生にごろりと寝転び、オリヴィエは大きくため息をついた。

女王試験が始まり2週間が経ったが、今のところ、オリヴィエの日常にはなんの変化もない。
二人の女王候補達はあちこちで忙しくしているようで、姿を見かけることもあるが、どうやらまだ夢のサクリアに出番はないらしい。
それは夢のサクリアの特性からしても致し方のないところで納得してはいるが、退屈な物は退屈なのだ。
もっとも、この飛空都市のどこに行ったところで、完全な自由なんて物はない。
守護聖とは宇宙に捕らわれた鳥のような存在だ。
それでも執務室にいるよりは、気持ちも明るくなった。

ぼんやりと流れる雲を眺めていると、規則正しい足音を響かせて、誰かがやって来る気配がする。
東屋の壁からそっと覗いて、オリヴィエは目を丸くした。
すらりとした立ち姿でまっすぐ東屋に近づいてくるのは、女王候補の一人、ロザリアだ。
完璧な女王候補、と、初めての顔合わせで皆に言い放った彼女は、その言葉通りの完璧な育成を続けていて、もう一人の女王候補を大きくリードしている。
貴族出身の優雅な所作や落ち着いた言動なども、一定の守護聖たちにはウケが良いらしい。
その彼女が、こんな時間にこんなところにやって来るとは、もしかしてサボりだろうか。
好奇心がわき上がり、オリヴィエはロザリアを覗き見た。

彼女は小脇に分厚い本を抱えている。
百科事典のように重そうな本は、おそらく図書館のものだ。
図書館の書物は貸し出しが禁止されているわけではないから、それは不思議ではない。
ただ、図書館で読めばいいのに、わざわざこんなところまで、あんなくそ重たい本を持ち出すことは不思議だ。
ロザリアは東屋のベンチに本を置くと、ごそごそとポーチを探っている。
あのドレスのデザインではポケットがつけられないから仕方がないのだろうが、そういえば、彼女はいつも、そのブルーのポーチを持ち歩いている気がする。
何か大切なものでも入っているのか。
興味津々で見ていたが、彼女が取り出したのは、ごく当たり前の手のひらサイズのポケットティッシュ。
ロザリアはそこから数枚引っ張り出し、なんとベンチを拭き始めたのだ。
ちょうど彼女が座る部分だけ、スプレーを降りかけてはティッシュで丁寧に拭いていく。
3枚ほどを使い、拭き上げて、ようやくロザリアは満足したように、ゴミをポーチのビニール袋にしまうと、ベンチに腰を下ろした。

大きな本を膝におき、パラパラとページをめくる。
時折、風がふわりと彼女の巻き髪をなびかせる以外は、時が止まっているように静かな時間だ。
東屋の屋根の隙間から天使の梯子のように差し込む光。
その光を受けて、知的に輝く青い瞳。
彼女自身の美貌と静寂な空気感が重なり、ある種、宗教画を見ているような敬虔な気持ちさえ起きる。
このまま、景色ごと切り取って、飾っておきたくなるような。
心惹かれる美しさだ。

しばらく見惚れていたオリヴィエは、遠くから小さな足音が響いてくるのに気がついた。
この足音は、時々中庭の花を手入れにしに来るマルセルだ。
オリヴィエは名残惜しい思いを抱えながら、そっとその場を離れると、足音の方へと急いだ。
彼女の邪魔をして欲しくはない。
マルセルの姿を見つけると、すかさず、
「ちょっと、マルセルちゃん。私の部屋の薔薇が元気ないんだけど、あんたの緑の力で見てくれない?」
口から出まかせで呼び止めた。

突然現われたオリヴィエと珍しいお願いに驚いたのか、マルセルは目を丸くしたけれど、素直に頷いた。
「え?いいですけど…」
「んふ。素直な良い子はダイスキだよ」
抱きついて、頬に唇を近づける。
「うわー、止めてください!」
そのままもがくマルセルの肩を抱き、強引に自分の執務室へと連行した。

「薔薇ってどれですか?」
きょろきょろと執務室を見渡したマルセルに、オリヴィエは心の中でぺろりと舌を出す。
「あれ? ひょっとして枯れてると思って秘書官が捨てちゃったのかも」
「え、そうなんですか? 残念だなあ。 少し元気がないくらいで捨てちゃうなんて…」
マルセルは悲しげに、眉を寄せている。
花好きにすれば、いたたまれないのだろう。
ちくりと罪悪感の棘が刺さり、オリヴィエは両手をパンと合わせた。
「この部屋、花が無くなって寂しいよねぇ。そうだ、なんかあんたのおすすめわけてくれない?」
「わかりました!すぐ持ってきますね!」
急に目を輝かせたマルセルが、ぱたぱたと執務室を出て行く。
これで一安心。
しばらく中庭のことは忘れて、この部屋を飾ることに集中してくれるだろう。

「あれ?」
思わず声に出して、オリヴィエは自分の不思議な感情に思い当たった。
いくらロザリアの邪魔をさせたくないからといって、ここまでする理由があっただろうか。
後付けすればいろんな理由が考えつくけれど、オリヴィエはそもそも、人のために何かをするというタイプではない。
では、なにかと考えても、ただ、なんとなくそうしたかったから。
それ以外のことが思いつかない。
ま、いいか、と、片付けたところで、マルセルがランディに花を持たせて戻ってきた。
賑やかな二人に花をいっぱいに飾られ、オリヴィエの執務室はその日一日、花の香りでむせかえるほどになっていたのだった。

それから、オリヴィエはたびたびロザリアの姿を目にするようになった。
狭い飛空都市なのだから当たり前だけれど、今までよりも彼女のことを気にしてしまっているのかもしれない。
ロザリアはいつも凜と顔を上げて、まっすぐに背筋を伸ばして歩いている。
完璧な女王候補として、自信満々で高飛車に。
けれど、図書館で見かけたとき、やはり彼女は丁寧に椅子や机を拭いていた。
それだけではない。
階段の手すりにも触らないし、ドアノブですら、一度ハンカチを巻いてから触れている。
それはまるで、彼女が自ら触れる物を選んでいるように見えた。

page top