Blue Rose Festival

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数日後。
ディアからお茶会の招待状を受け取ったオリヴィエは、補佐官室のテラスに足を踏み入れた。
休日の土の曜日に、わざわざ半分仕事のような集まりに参加するのは正直面倒だったが、ディアからの誘いを断るほどの勇気は無いし、気になることもある。
オリヴィエは羽のストールを指先で弄りながら、きょろきょろと辺りを見回した。
招待状には『全員参加』とあったから、ロザリアも来ているはずだ。
思った通り、彼女は少し離れたテーブルでアンジェリークと一緒にお菓子を眺めている。
ディア手作りのお菓子は、イチゴケーキに始まり、紅茶ムースやアップルパイ、山積みのクッキーやプリンなど。
とにかく種類も量も豊富で、大きなテーブル一面に所狭しと並べられている。
趣味を遙かに超えた品揃えに、アンジェリークなどは今にも手を伸ばして食べ始めそうな目だ。
実際、クッキーをつまもうとして、ロザリアに肘打ちされていた。

「皆様、お茶会にようこそ。今日は楽しんでくださいね」
ディアの挨拶で和やかにお茶会が始まると、ロザリアは率先して、皆にお茶を配っている。
いつの間に把握したのか、きちんと守護聖達それぞれに好みの物を配っているのはさすがだ。
「どうぞ」
ロザリアは優雅な所作で、オリヴィエのところにも紅茶を運んできてくれた。
「ありがと」
にっこりとオリヴィエが受け取ると、ロザリアは少しギョッとしたように目を丸くした。
ほとんど話したこともないオリヴィエから、急に笑顔を向けられて、戸惑ったのだろう。
たしかに第一印象は、お互いにあまり良くなかった。
ロザリアは派手な衣装とメイクをしたオリヴィエにあからさまに眉を顰めていたし、オリヴィエは貴族臭をぷんぷんさせた女ジュリアスのようなロザリアに鼻白んでいたのだ。

続けて、砂糖とミルクの乗ったトレーを渡そうとしたロザリアは、一瞬、手を滑らせた。
落ちる、と思った瞬間。
「おっと」
トレーを支えようと伸ばしたオリヴィエの手は、偶然、彼女の手を覆うような形になってしまった。
重なり合う手と手。
はっと二人の目が合う。
少女漫画なら、そこから恋が始まるようなシチュエーションだ。
けれど、ロザリアはこれ以上はないという力で、オリヴィエの手を勢いよく振り払った。
当然、トレーは落下し、テラスの芝に、砂糖とミルクが散らばる。
濃い緑に白い液体が、ガラスのひび割れの模様のように、外へ外へと伸びていった。

「申し訳ありません」
両手を胸の上でぎゅっと握りしめたロザリアの顔は、血の気が引き、真っ青になっている。
物音に引かれて集まってきた守護聖たちに、オリヴィエは
「私が手を滑らせて、落としちゃっただけだから」
軽く肩をすくめて、騒ぎを制すると、こぼれた砂糖壺とミルクピッチャーを拾い上げた。
こぼれてしまった物はそのうち土に吸い取られるだろうし、ディアもそのままでよいと言ってくれた。
「ごめん、ケガは?」
尋ねたオリヴィエに、ロザリアは青い顔のまま、頷く。
けれど、彼女の握りしめられた手は白く、冷たく冷えているようだった。

小さな騒ぎはすぐに収まり、賑やかな話し声があちこちで漏れ始めた。
「全種類食べるわ!」
アンジェリークが言えば、
「僕はアップルパイ!」
マルセルが楽しそうにパイにナイフを入れている。
なんだかんだいいながら、ゼフェルが切り分け担当になっているのは、正確な等分を期待されてのことだろう。
アンジェリークとマルセルの間に挟まれ、イヤがりつつも一緒に楽しんでいるようだ。
お子様達の無邪気な様子を苦笑しながら眺めていたオリヴィエは、ロザリアの姿が消えていることに気がついた。
さっきまで、アンジェリークと一緒にいたのに、いつの間にか、テラス内のどこにもいない。
オリヴィエはそっとテーブルを離れると、邸の中の化粧室へと向かった。

予想通り、ロザリアは洗面台の前に立ち、真剣な表情で手を洗っている。
何度も何度もソープを継ぎ足して、冷たい水にさらされた手は、すでに赤くなっているほどだ。
やっぱり、と思った瞬間、
「あ」
と、声を漏らしてしまい、鏡の中のロザリアと目が合った。
ロザリアは気まずそうに慌てて水を止め、手洗い用のタオルが掛かっているにもかかわらず、青いポーチからハンカチを取り出した。
真っ白なハンカチで丁寧に手を拭き、やっとオリヴィエに笑いかける。
いや、たぶん笑顔を見せようとしているのだろうけれど、オリヴィエには、少し困ったような、諦めたようにしか見えない顔をしている。

そのまま、ロザリアはするりとオリヴィエの脇をすり抜けて行こうとした。
オリヴィエは
「ちょっと……」
待って、と腕を掴みかけて止めた。
代わりに、早足で彼女の前に回り込み、立ちふさがるように両手を開くと、ようやくロザリアは足を止めて、オリヴィエの瞳をにらみ付けてくる。
彼女の方が背が低いのに、まるで見下すような目。
本当に、綺麗なサファイアの青だ。
にらみ付けられたオリヴィエは、ロザリアの瞳を素直にそう思ったけれど、言わずにおいた。

「やけどでもしたの? もしかしてミルクが手にかかった?」
気になっていたことを確認したくて尋ねると、ロザリアはばつが悪そうに、視線を緩めて首を横に振った。
「いいえ。 ケガはしておりませんわ」
「そっか。よかった」
オリヴィエが本心からほっとすると、ロザリアは眉を寄せ、ぐっと唇を噛んだ。
それから、少し、下を向いてなにか考えるそぶりをした後、再びオリヴィエを見つめた。
今度は睨むと言うよりも、本当に困ったような目で。

「本当に、ケガでもなんでもありませんの。 オリヴィエ様にご心配をおかけして申し訳ありません。
 実は、わたくし…」
言いよどむロザリアの鼻先で、オリヴィエは羽根飾りの先端をふわふわと揺らした。
「潔癖症、ってやつ?」
ぴたりと言い当てられ、ロザリアは目を丸くしている。
「人よりちょっと綺麗好きってことだよね。私も汚いよりは綺麗な物の方が好きだよ。
 なんてったって、美しさを司る夢の守護聖だし」
少しからかうように、またふわふわと羽を揺すると、ロザリアはさらにキツく眉を寄せた。

「…わたくしの場合は、綺麗好きという範疇を超えていると思いますわ。
 普通にある物に普通に触れることができないんですもの」
自嘲気味に言うのは、きっと彼女自身、その感情を制御できないからだろう。
触れたくなくて触れないのではなくて、触れられないのだ。
「さっきのアレ、あれさ……私が触ったから?」
この問いかけが、ロザリアに負担になるとはわかっていたけれど、聴かずにはいられなかった。
ロザリアの青い瞳がぎゅっと苦痛を堪える。

「オリヴィエ様が汚いと思っているわけではないんです。ただ、洗わずにはいられなくて」
「ゴメン。これからは気をつけるよ。」
オリヴィエは羽飾りをくるりと回して、はっとした。
「もしかして、こういうのもダメだった?」
羽根先をロザリアにひらひらして見せると、彼女は少し驚いたように目を見開いて、すぐにくすくすと笑い出した。
「いいえ。大丈夫です。むしろ動物は好きですし、触りたいと思いますの」
「そうなんだ。よかった」
口からこぼれた吐息は、思った以上にホッとしたもので、オリヴィエ自身も驚いた。

たしかに。
彼女は他の少女とは違うところがあるのかもしれないけれど、誰にだって、苦手な物や嫌いな物はある。
たまたまそれが少し他の人と違うだけで、否定するつもりはない。
けれど、気にするなとオリヴィエが言ったところで、彼女が気にしなくなるとも思えなかった。


一足先にテラスに戻ったオリヴィエは、まだお皿にケーキを山盛りにしているアンジェリークを見つけた。
ほっぺにクリームをつけたアンジェリークは、天真爛漫で悩みなどなさそうだ。
この二人が同じ女王候補とは、宇宙意思の真意はまったくわからない。
「あんたはもうちょっと気をつけた方がいいと思うよ」
テーブルにあった紙ナプキンでほっぺのクリームをぬぐい取ると、アンジェリークはぺこりと頭を下げた。
ふわっと靡く金の髪からもなんだか甘い匂いがする。

「いつもロザリアにも怒られます。ロザリアはすごく綺麗好きだから」
アンジェリークはあっけらかんとして、ぺろっと舌まで出している。
「あんたがいい加減すぎるんですわ。飲みかけのジュースが部屋に三つもあるってオカシイでしょう?」
いつの間にか戻ってきていたロザリアが、隣に仁王立ちしていて、アンジェリークはケーキを喉に詰まらせた。
「あれは、ココアもオレンジジュースもコーラも、いろいろ飲みたいときがあるから、残しておいただけだもん」
「飲みたくなったら新しく用意するべきですわ。そんな蓋もせずに置きっぱなしだなんて」
「え~、いちいち取りに行くなんて面倒よ。それに捨てたらもったいないし」

虫でも寄ってきそうで、こればかりはロザリアの味方をしたくなったが、
「ま、そのへんは個人の自由ってことで」
オリヴィエが仲裁に入っても、二人の言い争いは止まらない。
でも、どちらもそのふざけあいを楽しんでいるようにも感じるから、コレも一つのコミュニケーションなのだろう。
気がつけば、年少組も近づいてきて、
「オレもペットボトルは大抵そのまま残しとくぜ」
「ですよね?飲みかけで置いときますよね?」
「蓋はするけどな」
「え~」
どうでもいい話をしながら、お菓子を食べ、飲み物も次々と飲み干している。
全種類を制覇するのも時間の問題のようだ。

「ロザリアはケーキ好きじゃないの?これ、すごく美味しいよ?食べてみて」
無邪気なマルセルの声に、オリヴィエはハッとした。
マルセルの手には、イチゴケーキの乗ったお皿。
それをロザリアに差し出して、食べるように勧めている。
なかなか受け取らないロザリアを気にしたのか、マルセルはわざわざフォークでひとかけらを切り取り、ロザリアの口の方へと寄せていた。

「はい、あーん」
にっこりと微笑んでフォークを差し出すマルセル。
対照的に、ロザリアは固まったように動かない。
「ね、ロザリア。食べてみて」
もう一度マルセルが呼びかけても、ロザリアは動かない。
オリヴィエは慌てて、近くのプリンのカップを手に取り、二人に声をかけた。
「ロザリア、あんたプリンが好きなんでしょ?はい、取ってきたよ」
プリンのカップに紙ナプキンを巻き付けて、ロザリアに手渡す。
ホールケーキを分けて食べるのは、彼女にとっては酷なことだが、一つずつカップに入ったプリンなら、まだ食べられるかもしれない。
オリヴィエの考えを理解してくれたのか、ロザリアはやっと表情を緩めた。

そして、マルセルに柔らかくほほえみかけると、
「わたくし、生クリームよりもカスタードクリームの方が好きなんですの。
 イチゴはアンジェリークが大好きですから、ぜひ、あの子に差し上げてくださいませ」
非の打ち所のない受け答えで、マルセルを納得させてしまった。
マルセルは早速、アンジェリークに「あーん」とケーキを食べさせて、二人とも幸せそうだ。

明らかに肩の力が抜けたロザリアから、オリヴィエはプリンを受け取ろうとした。
体裁のためにプリンを渡したが、彼女が食べられるかわからなかったからだ。
ところが、ロザリアは、近くにあったカトラリーケースからスプーンを取ると、ポーチのティッシュで拭き始めた。
拭くと言うよりは磨くと言った方が適切なほど、丁寧に。

「変だとお思いでしょうね」
ロザリアは自嘲気味にスプーンを光にかざして見せる。
きらっと輝くスプーンは、ケースの中のスプーンと見た目はほとんど変わらない。
けれど、彼女にとってはまったく違う物なのだろう。

「ん? 別に変とは思わないよ」
スプーンを拭いても拭かなくても、オリヴィエはどちらでもいいし、ロザリアがそうしたいのならすればいいと思ってしまう。
「スプーンが汚いから素手で食べるって言いだしたら、ちょっと引くけど」
「……オリヴィエ様って変わっていますわね」
「それ、よく言われる」
オリヴィエはマスカラのついた長い睫を見せびらかすようにウインクした。
この睫も派手なネイルも、他人になんと言われようと、オリヴィエにとっては欠かせない物なのだ。
ロザリアはまた、青い瞳を丸くすると、今度はとても嬉しそうに微笑んだ。
それは今までに見たことのある、どこかよそよそしい作り笑顔ではなく、心の底から出た笑みのような気がして、オリヴィエはなぜか誇らしい気がしていた。

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