Blue Rose Festival

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翌朝、目を覚ましたロザリアは、まだ少しぼんやりする頭を懸命に働かせて、昨日のことを思い出そうとした。
オリヴィエの部屋で、あのことをお願いをしようとしたことは覚えている、
けれど、そこからの記憶は曖昧でよく覚えていない。
布団から起き上がると、頬や額に貼り付いた髪を直し、夜着を整える。
ふと、自分の手からいつものソープと違う香りがした。
この香りは、オリヴィエがいつもつけている、華やかな花を集めた香りだ。
一つ思い出すと、するすると糸をたぐり寄せるように、記憶が蘇ってきた。

オリヴィエが抱きかかえて、ここまで連れてきてくれて。
ずっと手を、繋いでいてくれて。
不思議なほど、嫌悪感はなかった。
彼が触れていてくれた右手を、左手でそっと包む。
自分で自分を温めることは難しいけれど、彼の手は、とても、暖かかった。

朝食の席に着いていると、アンジェリークが目をいっぱいに見開いて、駆け寄ってきた。
「ロザリア!大丈夫だったの?倒れたって聞いて、心配してたのよ!
 お見舞いしたかったのに、ジュリアス様が移る病だったら危険だとか言って、近寄らせてもらえなかったんだから~」
アンジェリークはロザリアの額に手を当てかけて、しまった、という顔をした。
そして、そのまま宙に浮いた手を自分の額に当てている。
わかりやすすぎて、
「熱ならありませんわ。心配して下さってありがとう」
ロザリアが目を細めて笑うと、アンジェリークはなぜかぎゅっと目を閉じて、
「くううううううう」
と足をばたつかせながら、奇妙な声で吠えた。

「か、可愛いわ!ロザリア」
抱きつきたいのをぐっと堪えて、アンジェリークはぴょんぴょんとその場で飛び跳ねた。
「なんか、ちょっと、昨日までと違う感じがする」
やっと落ち着いたアンジェリークは、椅子の背もたれを掴み、ロザリアの顔をのぞき込んだ。
ロザリアの反応を確かめるように、昨日までよりちょっぴり近くまで顔を寄せると、宝石のような青い瞳に、アンジェリークの顔が映る。
「近いですわ」
案の定、ロザリアはふいっと顔を背けたけれど、初めて会った頃よりも、その反応はずっと優しい。
それだけでもうなんだか満足して、アンジェリークは
「えへへ」
と笑って見せた。

ロザリアはアンジェリークと一緒に聖殿に向かうと、ホールで別れ、それぞれに育成のお願いに回った。
行く先々で、体調のことを聞かれたのには正直驚いたが、オスカーの執務室でその謎が解けた。
「お嬢ちゃんを抱きかかえて走るアイツの顔は、なかなかに見物だったぜ」
「それはどういうことでしょう?」
怪訝そうに首をかしげたロザリアに、オスカーはふふんと鼻を鳴らす。
「あの極楽鳥のあんなに焦った顔は初めて見たからな。聖殿中の噂だったぜ」
「聖殿中…」
ロザリアは絶句した。
まったく記憶が無いが…そういうことなのだろう。
倒れたロザリアを候補寮まで運ぶ途中、皆の好奇の目を集めてしまったのだ。
恥ずかしいと同時に、オリヴィエに申し訳無い気持ちでいっぱいになった。
オシャレでマイペースな彼にとって、そんな姿は恥ずかしいことに違いない。

ロザリアが黙り込んでいると、
「次は俺の前で倒れてくれて構わないんだぜ。アイツよりも丁重に運んでやる。行く先は俺の部屋で、な」
オスカーはにやりと笑って、からかいの言葉を投げてくる。
聖地一の伊達男とかなんとか言われているらしい(コレはアンジェリークから聞いた)が、オリヴィエのことを極楽鳥というオスカーこそ、よっぽど軽薄ではないかと内心、イラついてしまう。
オスカーをぎらりとにらみ付け、ロザリアはくるりと背を向けた。

育成のお願いが終わったら、オリヴィエに挨拶に行こうと思っていたロザリアだったが、オスカーのせいで、すっかり気勢がそがれてしまった。
恥ずかしくて、顔を合わせづらい。
もしもめんどくさいことに巻き込まれたなんて思っていたらどうしよう。
きゅっと両手を握りしめ、悩んでいるうちに、ロザリアは聖殿の中庭までさまよいこんでいた。
中庭はいつもほとんど人がおらず、ロザリアにとって、癒しの空間にもなっている。
大好きな薔薇が種類を変え、いつでも咲いているのは、常春の飛空都市だからこそだ。
溢れるほどの花の香りもセラピー効果になっているのかもしれない。
奥の東屋で一休みして考えるつもりでいたが、がさがさと薔薇の花壇が揺れていることに気がついて、ロザリアは足を止めた。

「どなたですの?」
鳥か虫の可能性もあったが、一応、声をかけてみる。
先客がいるなら、長居をせずに立ち去るつもりだったのだ。
がさがさと茂みが動いて、ひょっこりと顔を出したのはマルセルだった。
片手にはじょうろ、もう片手には枯れた花を束にして持っていて、執務服のところどころに葉っぱがこびりついている。

「マルセル様?!」
予期せぬ人物の登場に、ロザリアは目を丸くした。
落ち着いて考えれば、花好きのマルセルが中庭にいるのは当たり前のことなのに、その時はひたすら驚いてしまったのだ。
マルセルはイタズラを見つかった子供のように、はにかんで笑うと、ズボンの汚れをぱんぱんと叩いて払った。
もっとも両手に物がある状態で、それは上手くいくはずがなく。
かえって枯れた花からぱらぱらと葉っぱが落ちる羽目になってしまった。

「ロザリアも中庭に来るんだね」
マルセルがにっこりと笑う。
天真爛漫な様子に、ロザリアの警戒心もあっという間に緩んで、
「はい、とても美しい場所ですから、時々訪れていますわ」
そして、こっそりと薔薇の世話をすることもある、とまで、素直に話してしまった。

「へえ、そうなんだ!」
マルセルは、ぱあっと表情を明るくした。
アンジェリークを誘ってきたこともあるけれど、彼女は花を育てることにはあまり興味がなさそうで、少し残念に思っていたのだ。
これまで、ロザリアのきつい印象に負けて、話す機会はほとんど無かった。
けれど、マルセルの中で「花好き=良い人」という、一種の伝説がある。
ロザリアが薔薇を世話すると聞いて、好意の天秤は一気に傾いた。

「この中で、どの薔薇が好きなの?」
今、咲いているだけで10種類くらいはあるだろう。
ぱっと見では、どれも同じだが、詳しい人間なら、その違いは一目瞭然だ。
「わたくしはやっぱりこのティネケが好きですわ。ありがちかもしれませんけれど、清楚な立ち姿が好きなんですの」
「へえ!僕もティネケは大好き。それと、こっちの白雪姫も好きだよ」
「綺麗ですわ」

ロザリアとマルセルは薔薇の名前を確かめながら、一つ一つを見て回った。
マルセルは緑の守護聖だけあって、いろんな花も詳しく、いつの間にか薔薇以外の花壇にも足を伸ばしていた。
色の組み合わせや、木々の配置も、完璧に整えられているわけではないのに、妙に心惹かれるものがある庭だ。
「この中庭は、前の緑の守護聖が作った聖地の中庭と、まったく同じに作られているんだ。僕もいつかはこんな素敵な庭を造りたいと思って勉強しているところ」
一通り散歩して、庭が見渡せる入り口に立ったマルセルがロザリアに笑いかける。
きっとマルセルと前任者とは強い繋がりがあったのだろう。
彼のことを思い浮かべるマルセルの瞳には、憧れと尊敬が見える。
マルセルのこの庭に対する情熱の理由がわかって、ロザリアも微笑みかえした。

「ねえ、ロザリア。よかったら、僕と一緒に薔薇の世話をしてくれないかな」
風に揺れる薔薇を眺めていたマルセルは、いいことを思いついた、というように、ロザリアを仰ぎ見た。
「庭師さんも手伝ってくれるけど、やっぱり薔薇は手がかかるから、なかなか目が届かなくて。
 ロザリアみたいに詳しい人が手伝ってくれると、すごく助かるんだけどな」
マルセルは断られることを想像していない笑顔だ。
できればロザリアも手伝いたい。
けれど、誰かと深く関わりを持つと、傷つくかもしれないという恐怖がはるかに大きい。
ロザリアが黙っていると、マルセルの背後から、ひょいっと人影が現われた。

「俺からも頼むよ。人出が足りなくて困ってるんだ。俺は花のこと、全然わからないしね」
「ランディはいつも力仕事を手伝ってくれるから、すごく助かってるよ」
「俺にはそれくらいしかできないからさ。で、これはここでいいんだっけ?」
「あ、違うよ!こっちじゃなくてあっち!ここにそれを撒いたら、花が全部枯れちゃうよ」
「あはは、また間違えるところだったな」
ランディが運んできた土を、マルセルがばらまいている。
マルセルがその土の重要性をランディに話しているけれど、ランディはあまり興味が無いのか、おそらく耳を素通りしているだろう。

二人は慣れた様子で、付近の土をならし、肥料を足している。
その様子をじっと見ているロザリアに気がついたランディが、突然、ロザリアに頭を下げた。
「ごめん!」
中庭に響き渡って、こだまが返ってくるような大声と、土下座でもしそうな勢いで折り曲げられた上半身。
ランディのあまりの唐突な行動に、ロザリアはただ目を丸くするしかない。
すると、ランディは
「ずっと、謝りたかったんだ。この間の庭園のこと」
あ、とロザリアは両手を口に当てた。
アンジェリークへの態度に腹を立てたランディとマルセルと、ちょっとした諍いになったことを思い出したのだ。
そういえば、あれから、二人とはまっすぐに顔を合わせていなかった。

「僕もゴメン」
合わせて、マルセルも頭を下げた。
「そうだよね、先にそっちを謝らなきゃいけなかったよね。この間は、僕たちの勘違いで、ロザリアにイヤな思いをさせてしまってごめんなさい」
並んで頭を下げる二人を前に、ロザリアはわかりやすくうろたえてしまう。
あのとき、ロザリアがアンジェリークの手を振り払ったのは事実なのだ。
自分では制御できない、精神的な部分だとしても、その事実には変わりない。
だから、それを見ていた二人が、ロザリアを非難するのも仕方が無いとわかっている。
もちろんほんの少し、寂しい気持ちはするけれど、その気持ちにも慣れているつもりだ。

「あの後、オリヴィエ様に、ロザリアの事情を聞いて」
「アンジェリークにも怒られたんだよ」
「俺たちの勝手な思い込みだったって、反省してたんだ」
「…許してくれるかな…?」
二人の謝罪の言葉を聞いて、ロザリアは頷いた。
「もちろんです。お二人だけが悪いのではありませんし。わたくしにも問題があるんです。」

同じように深々と頭を下げたロザリアに、ランディが不思議そうな顔をする。
「問題って、触れる物とか触れない物とかがあったりするってことだよな? それは俺にもあるし」
「うん。僕も花の世話は好きだけど、虫はちょっと苦手だから、ミミズとか触れないし」
「あら、わたくし、ミミズは触れますわ」
「え?! そうなの?! …すごいなあ…」
ふふふ、と笑い合って、緊張感が溶けていく。
結局、ロザリアは明日から、中庭の手入れをすることを約束してしまっていた。

「時間が空いたら来て、様子を見てくれたり、気になるところがあったら、手を入れてもらっていいからね」
女王試験の負担になりすぎない程度で、ロザリアの事情もきちんと考えてくれた申し出を断り切れなかったというのもある。
けれど、それ以上に、この飛空都市で出会った人々が皆、これまでとは違うと思えたからだ。
ロザリアの潔癖症を知っても、なんのためらいもなく接してくれるアンジェリーク。
戸惑いながらも受け入れてくれるマルセルやランディ、他の守護聖や女官達も。
そして、誰よりも寄り添ってくれた、彼。

ロザリアは中庭を出ると、急ぎ足で、夢の執務室に向かった。
日差しはオレンジ色の光を照らし、影が長く伸び始めている。
遠くの彼方には、うっすらと夜のとばりが見え隠れし、白い淡い星が浮かんでいた。
執務の時間はすでに終わっているから、帰宅を急ぐ人たちが会釈をして、ロザリアの横を通り過ぎる。
けれど、ロザリアは確信していたのだ。
はやる気持ちのまま、いつもより速いテンポで叩いたドア。
すぐに中から返事が返ってくる。

「いらっしゃい、そんなに急いでどうしたのさ」
羽根飾りをひらひらとさせたオリヴィエが、にっこりと笑っている。
言いたいことはたくさんある。
昨日のお礼も、マルセルとランディの誤解を解いていてくれたことも。
きっと他にも、いろんな時にロザリアのフォローをしてくれていたのだろうと、今ならわかる。

けれど、なぜか口から出てきた言葉は
「あの、わたくしにもネイルをしていただけますか?」
そんな全然関係のないことで。
案の定、オリヴィエは驚いた顔をしていて、一気にロザリアの頬が赤くなった。
「あ、あの…」
もっとなにか他のことも言わなくては。

すると、ロザリアの焦りを見透かしたように、オリヴィエはクスリと笑い、
「それじゃ、ここに座って。今、準備するからね」
ロザリアにソファに座るように促すと、執務机の引き出しから、ネイルの道具を取り出した。
「カラーはこれでいい?」
オリヴィエが見せたボトルは、パールで煌めくラベンダー。
頷いたロザリアの向かいに腰を下ろしたオリヴィエは、やすりやオイルなどの小道具をテーブルに並べた。
見慣れない道具もあって、ロザリアはついじっとオリヴィエの動きを見つめてしまう。

「はい、じゃあ、始めるよ。手を出して」
少しだけ、オリヴィエの声に緊張が混じっている気がした。
「はい」
同じくらい、ロザリアの声も緊張している。
ロザリアが差し出した手にオリヴィエの手がそっと下から触れる。
指先がほんの少しだけ触れ合う程度。
そのまましばらくじっとして、二人は同時に息を吐いた。

「昨日はありがとうございました」
「どういたしまして」
「あの、大変ではありませんでしたか?」
「ん?あ~、重かったかって事?」
「それだけではありませんけれど……重かったでしょうか?」
「そうだねぇ。あと10kgくらいまでなら、このヒールでも抱えられるかな」
以前よりも滑らかに軽口の応酬が続く。
オリヴィエはロザリアの爪にクリームを塗り、形を整えていった。

ネイルの間中、オリヴィエの手はロザリアの指先に触れていたけれど、少しも嫌悪感はなかった。
それどころか不思議なドキドキで、胸の中が暖かくなったような気がする。
彼の手はまるで魔法使いだ。
ラベンダー色のネイルに、薔薇のシール。ちりばめられたストーン。
今までとは違う、生まれ変わった自分の手。
ロザリアはベッドの上で寝転がりながら、いつまでも自分の爪先に見惚れ続けていた。

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