世界は奇跡に満ちている

epilogue


新女王即位式のあとの披露パーティ。
補佐官の衣装に身を包んだロザリアは、こっそり聖殿を抜け出していた。
聖地は、穏やかな夜風も、冴え渡る月明かりもまるで飛空都市と変わらない。
清浄とした空気のおかげで、夜の闇への恐怖もなく、むしろ進むごとに身が清められる思いがする。
ロザリアがまっすぐ向かったのは、森の湖。
あの日、飛空都市で泣きながら辿った道を、今、ロザリアは一歩一歩踏みしめるように足を進めていた。

全くの静寂。
水の流れる音以外は生き物の気配すら感じない。
湖の畔まで近づいたロザリアは、ドレスの裾を整えると、その場に跪いた。
月明かりに輝く湖面は、ロザリアの姿を静かに映し、浄化するように包み込んでいる。
女神と見間違えるほどの神々しさ。
長い祈りを捧げたあと、ロザリアは立ち上がり、くるりと振り向いた。

「オリヴィエ様、のぞきだなんて趣味が悪いですわよ」
湖に響く声に押し出されるように、ガサガサと木の葉がこすれる音がしてくる。
鬱蒼とした木々の隙間から、ひょっこりと顔を出したのはオリヴィエだ。
彼は少しばつが悪そうな表情のまま、ロザリアの方へと歩み寄ってきた。
「バレてた?」
「バレるも何も・・・そんな目立つ格好で気がつかないとお思いですの?」
「それもそっか」

ひらひらと長い羽根のショールをはためたかせて、オリヴィエは肩をすくめた。
賑やかなパーティの途中、ロザリアがずっと気になっていた。
補佐官になったことを後悔しているとは思っていないけれど、彼女の本心までを見抜いている自信は無い。
それにアンジェリークが女王にふさわしいと理解することと、納得することは違う。
心が頭に追いついていない可能性だってあるのだ。
だから彼女がこっそりと会場を抜け出したとき、すぐに後をつけていた。

「心配してくださってありがとうございます」
ロザリアはにっこりと微笑んだ。
オリヴィエが見惚れるほど、その微笑みは美しく、凜と輝いている。
「どうしても、今、ここでお礼を言いたかったのですわ」
「お礼?」
「ええ。わたくしに二度目の試験のチャンスを与えて下さったことに。あのとき、何が起きたのか、今でもわかりませんけれど、きっかけは確かにココでしたもの。湖の精霊か、それとも・・・」
この宇宙の意思、のようなものだったのかもしれない。
いずれにしても、ロザリアは湖の奇跡で助けられたのだ。
命はもちろん、魂も。


「ねえ、あんたは二度目があって良かったって、ホントに思ってる?だって、結果はさ・・・」
アンジェリークが女王になったことは変わらない。
そのことに後悔はないのか。
「ええ。今度はわたくし自身が補佐官の道を選んだのですもの。後悔はありませんわ」
前回のように納得できないまま、女王の道を取り上げられたのではない。
全て自分の意思で考え、行動した結果だ。
前回とは全く違う。

ロザリアは胸を張り、オリヴィエを見つめた。
キラキラと輝く月明かりの湖面が反射して、ロザリアの周囲をオーラのように取り巻いている。
月明かりをまとう女神か。
けれど、その眩しい光は、月明かり以上に彼女自身の輝きから来るものに違いない。
まぶしさに目を細めたオリヴィエは、そっとロザリアの手を取った。


「もしも三度目があったらどうする?」
「・・・もうこりごりですわ。なんだか倍、年をとったような気がしますもの。でも、もしも三度目があれば・・・」
ロザリアはまっすぐにオリヴィエを見つめた。
ダークブルーの甘い視線と絡み合うと、胸がきゅうと締め付けられて鼓動が早まる。
とても穏やかなオリヴィエの瞳の奥に、たしかな熱情が秘められているのを、ロザリアは感じ取っていた。

「次は、恋に生きてみるのも良いかもしれませんわ」
ロザリアの人生に今までなかったもの。
アンジェリークとルヴァを見ていて、自分も恋をしてみたいと、少しだけそう思ったのだ。

熱を込めてオリヴィエを見上げると、彼の腕が伸びてロザリアを引き寄せる。
「次?次なんかじゃなくて、今から始めようよ」
抱きしめられた彼の腕は、思ったよりもずっと力強く、花の香りに溺れそうだ。
ロザリアはそっと彼の背中に手を回した。
温かい腕の中。
このぬくもりがあれば、二度と奇跡なんて起らなくていい。

「あんたと出会えたことが、私には最高の奇跡なんだ」
オリヴィエの囁く声がロザリアの唇に吸い込まれていくと、湖の湖面が一度、キラリと眩しく輝いたのだった。


FIN