一目惚れ、という言葉をロザリアは信じていなかった。
性格も生い立ちも全くわからない状態で、誰かに恋をするとしたら、それは単なるルックスの好みでしかない。
外見だけに惹かれて、中身を知っていくたびに、一つずつ幻滅していくだなんて、悲しすぎるし、つまらない。
もしも、自分が恋をするとしたら、きっと、その人のことを一つずつ知って、そのたびに好きになるような、そんなゆっくりとした恋だろう。
ロザリアは自分が慎重で、まじめであるとわかっていた。
だからこそ、一目惚れなんて事は、物語の中の絵空事。
決して自分の身には起こりえないこと。
ずっとそう思って生きてきた。
それなのに、謁見の間で彼の姿を一目見た瞬間、ロザリアは『一目惚れ』の本当の意味を知った。
性格やましてや容姿なども一切関係ない。
それはまさに『運命』としか言いようのない、魂が震えるような衝撃。
「ロザリア・デ・カタルヘナでございます」
ドレスのスカートを軽くつまみ、丁寧なカテーシーをしてみせたものの、ロザリアの心臓は破れそうなほど高鳴っていた。
この飛空都市に何をしに来たのかは十分すぎるほどわかっている。
ロザリアにはその道しかありえないことも。
それなのに、どうしても彼から目をそらせない。
「炎の守護聖オスカーだ。お嬢ちゃん達、よろしくな」
気障な所作で微笑むオスカーに、隣のアンジェリークの頬がぽーっと赤く染まる。
ロザリアは足ががくがく震えるような感覚にじっと耐えて、彼の氷青の瞳をにらみ付けていた。
「は~、ロザリア。またそんなコワイ顔して」
眉間をぴん、と綺麗な爪先で弾かれ、ロザリアはむっと目の前のオリヴィエの顔を見つめた。
「別にコワイ顔をしているつもりはありませんわ」
ふん、と顎を上げると、すかさず
「でも、わたしも初めの頃は、ロザリアのその顔見て、絶対に怒ってると思ってたわ」
アンジェリークが横からツッコミを入れてくる。
「だよねぇ。眉間のしわ、ジュリアスレベルにすごいよ」
「え~、ジュリアス様はもっとすごいですよ!絶対爪楊枝が3本は挟めますって」
「マッチ棒でもいけるんじゃない?」
「鉛筆も乗っかったりして~」
アンジェリークとオリヴィエのジョークが盛り上がる中、ロザリアは自分の眉間に指を当てて、熱心にしわを伸ばしていた。
本当にそんなつもりは少しもないのに、なぜか怒っていると言われてしまうのだから困る。
試験が始まって三ヶ月が過ぎ、気心の知れたアンジェリークとオリヴィエとの午後のお茶の時間。
楽しくないはずがないのに、まったく、この顔はどうにかならないものなのか。
「そんなに擦ったら肌に悪いよ。それにあんたはムリしてニコニコしなくていいっていつも言ってるでしょ。人には向き不向きってのがあるんだから。ニコニコ元気はアンジェに任せて、あんたはツンデレでいればいいさ」
「でも、ゼフェル様にも女ジュリアスと言われますのよ」
「あは、ゼフェルってば上手い事言うね。わかる~」
「オリヴィエ様!」
ぷん、と唇を尖らせたロザリアの表情はすっかり和らいで、年相応の少女の顔になっている。
そんなロザリアにオリヴィエが優しく微笑むと、
「あ、ほら、やっぱり来たわ」
アンジェリークが人差し指を唇に当てて、耳を澄ませてみせた。
カツカツと重い長靴の刻む小気味のよい足音。
その音でわかる体躯の良さと自信に満ちた気配。
バタン、と扉が勢いよく開いたかと思うと、その足音の持ち主、オスカーが顔を出した。
「よう、お嬢ちゃん達。今日も賑やかで可愛らしいな」
にやりと口の端を上げる男らしい笑み。
大げさなほど腰を折り、胸に手を当てて礼をする姿は、イヤミったらしいのにカッコいい。
オリヴィエはあからさまに眉を顰めると、しっしっと動物を追い払うように、手の甲を払ってみせた。
「は~、せっかくの両手に花が、無粋な侵入者のせいで台無しじゃないか。それともなにか用事?」
「いや、ただ愛らしい小鳥たちのさえずりについ惹かれてきてしまっただけさ。ああ、俺も紅茶でいいぜ」
「…へえ、紅茶飲むんだ。つい最近まで、コーヒーしか飲まなかったじゃない」
「最近飲み始めたんだ。なかなか美味い」
思わせぶりな軽いウインクを少女達に向けて一つ。
目が合ったロザリアはさっと頬を赤らめると、つんと顔を背けた。
ロザリアのために、と、オスカーの執務室にティーセットが準備されるようになったのは、2週間ほど前だったか。
ダージリンよりもアッサムが好きだというオスカーに、ロザリアも自分のお気に入りの茶葉を送ったりもした。
もちろん、他意は無い。
ただ、守護聖に気に入ってもらえば、女王試験に有利に働く。
ただ、それだけだ。
「ふふふ、オスカー様って、案外、独占欲強いのかな」
アンジェリークがこそこそとロザリアに耳打ちしてくる。
「は?」
「だって、ようするに、ロザリアの声が聞えたから、わざわざ来たってことでしょ? 絶対、ロザリアがオリヴィエ様と一緒にいるのが、気に入らないのよ~」
夢見るような口調のアンジェリークの脳内では、めくるめく恋愛ドラマの世界が繰り広げられているようだ。
まあ、ロザリアとて同年代の女子だから、その気持ちは良くわかるのだが…。
「あんたこそ、ルヴァ様とはどうなっているのよ?」
「え?やだ、ロザリアったら聞きたいの?もう~、どうしてもって言うなら、教えてあげなくもないけどぉ~」
「あら、別にどちらでも…」
「それがね、一昨日の日の曜日なんだけど」
アンジェリークはトレーの上のクッキーを口の中に放り込むと、にこにことデートの話を始めた。
超絶奥手で死ぬほど鈍感なルヴァだが、アンジェリークの猛烈なアプローチで、最近ようやく目覚めてきてくれているらしい。
「でね、その時にルヴァ様がね」
身振り手振りを交え
「あああ~、行けませんよ~アンジェリーク~~って」
器用なモノマネを披露している。
端で聞いていると、若干、馬鹿にしているようにも聞えるのだが、アンジェリークにとっては愛のある表現なのだそうだ。
曰く『好きじゃなきゃできない』らしい。
ロザリアはアンジェリークの一人芝居に適度に相槌を打ちながら、ちらちらとオスカーに視線を向けていた。
ブツブツ言いながらもオスカーのために紅茶を淹れたオリヴィエと話す彼は、少し暗い表情をしているような気がする。
女王試験はつつがなく進み、二人の大陸の成長も著しい。
…そう、試験の終わりは確実に忍び寄ってきているのだ。
「ね、やっぱりルヴァ様って面白くていいわよね」
日の曜日の顛末を一通り話し終えたアンジェリークは、冷めた紅茶を一口すすり、べろりと舌で唇を舐めた。
お茶目な仕草は微笑ましいが
「はしたないですわよ」
ロザリアはまなじりをきりりとつり上げ、アンジェリークにレースの縁取りのついたシルクのハンカチを差し出した。
「ありがと」
「まったくあんたはもうちょっとマナーや礼儀を学んだ方がよろしくてよ」
「はあい」
口の周りをごしごしとぬぐい、よれたハンカチを丁寧にたたんでロザリアに返した。
「そうよね、女王になるかもしれないんだもの。もうちょっとお行儀よくしなきゃね。マナーもだし、ダンスとかも?ねえ、ルヴァ様ってダンスできるのかしら?二人で練習してみるのもいいかも」
アンジェリークは立ち上がり、くるくるとその場で回ってみせる。
ダンスというよりも体操のようなぎこちない動きだが、アンジェリークは楽しそうだ。
「…女王になるつもりなんですの?」
「もちろんよ!」
ぴたっと回転を止めたアンジェリークがロザリアをまっすぐに見つめる。
「最初はね、女王候補に選ばれた理由がわからなくて悩んだりもしたけど、今はせっかく選ばれたんだから、女王になってみたいって思うようになったの」
キラキラと輝く緑の瞳。
その瞳の中に無限の可能性を感じて、ロザリアは無意識に目をそらしてしまった。
女王になるのが当然と思って育ってきたのに、今になって揺れているロザリアとは全く違う。
ロザリアが黙り込んでしまうと、
「お嬢ちゃんは前向きだな。まぶしい光に俺も魅了されてしまいそうだぜ」
オスカーが混ぜ返すように、にやりと口の端を上げ、ウインクを投げてくる。
そのチャラい空気感に、アンジェリークとオリヴィエは同時に眉間にしわを寄せ、肩をすくめた。
「そろそろ失礼いたしますわ。このあと、図書館で調べ物をしたいので」
ロザリアが優雅に席を立つと、しばらくして、オスカーも立ち去った。
連れだって出て行くのを避けたのかもしれないが、二人の間に漂う雰囲気に気がつかないアンジェリークではない。
「はあ、意外とオスカー様ってアレですよね」
紅茶をつぎ足してくれたオリヴィエに軽く会釈をし、アンジェリークは飲み頃の紅茶を一気に飲み干した。
溶け切らなかった砂糖が、うっすらとカップの底にたまっている。
「まあね、ああ見えて、アイツはジュリアスの手下だからさ。がっちがちにお堅いとこがあるんだよね」
「なるほど…。そう言われれば納得です。あの、ジュリアス様と気が合うってことですもんね。かっちかちだあ」
アンジェリークはごろんと大きく背を反らし、天井を仰いだ。
オリヴィエの執務室はオシャレで天井までセンスがいい。
ルヴァの灰色にすすけた天井とは大違いだ。
「ロザリアもロザリアで、なんかいろんなしがらみでがっちがちなんです」
「そっちもねぇ。まあ、だから、あの二人は意外なところで似てるんだよ。似たもの同士ってコト」
「あんなに想いあってるのがダダ漏れなのに。手っ取り早く、既成事実作るとか、オスカー様ももうちょっと頑張ってください~」
ぶーたれるアンジェリークに苦笑しながら、オリヴィエはカップの紅茶を口に含んだ。
苦い。
けれど、甘党のアンジェリークが何も言わずに飲み干したのだから、本当は苦くなんかはないのだろう。
きっと心のどこかの消しようのない苦みが、この中に溶けてしまっているのだ。
まだ、ブツブツとオスカーへの愚痴をこぼすアンジェリークに、オリヴィエは軽く相槌を打ち、冗談で混ぜ返すのだった。