育成して、民の望みを聞いて、考えて、また育成して。
フェリシアの成長はロザリア自身の成長でもあるとの考えは、試験当初から変わっていない。
遊星盤に乗り、上空から大陸の様子を眺めたロザリアはため息をこぼした。
フェリシアは客観的にみても、美しい大陸だ。
なだらかな地形と豊かな自然。
文化の水準の高さがわかる、美しく整った町並み。
まさにロザリアの理想としてきた大陸だ。
ただ、このところ、その成長にははっきりと陰りが見えている。
飛躍的に伸びているエリューシオンとは対照的に、現状維持が続いているのだ。

「ふう」
何度目かもわからないため息を吐き出し、ロザリアはフェリシアの大陸を覆う金の麦の海を眺めた。
実りも上々、作業する人々も笑顔で、馬は野を駆け、牛の鳴き声が山に響く。
フェリシアの停滞の理由は、ロザリア自身が一番よくわかっていた。
全てはロザリアの想いがきちんと定まっていないからだ。
このまま女王をめざし続けることが、本当に自分自身の意思なのか。
ふと、脳裏に浮かぶ涼やかな氷青の瞳に、ロザリアの心臓がどくりと音を立てる。

あの瞳だけをずっと見続けていられたのなら。

突然の息苦しさに、ロザリアはドレスの胸元をぎゅっと握りしめた。
うまく息を吸うことができず、遊星盤の上でそのままうずくまってしまう。
ロザリアの制御を失った遊星盤は、ふらふらと蛇行しながら、大陸のはずれに滑り落ちていったのだった。


どれくらい時間が過ぎたのか、ロザリアが意識を取り戻したとき、空は薄くオレンジ色に染まっていた。
見渡す限りの草原を、風が撫で、さわさわと波立てる。
人の気配はまるでなく、鳥の声さえも遠い。
ただひたすらに、手つかずの自然が残っている。
壮大な景色に、ロザリアはしばらく見惚れた。
幼い頃から、主星の貴族として生きてきたロザリアは、都会の暮らししか知らない。
なんと世界は広く、果てしないのだろう。
自分の子供のように思っていたフェリシアが、今はまるでロザリアを包み込むような、そんな世界の大きさを感じる。

遊星盤はかなり上手に着陸してくれたようで、ロザリアにケガはなかった。
息苦しさも今のところは消えているし、痛みもない。
遊星盤さえ動けば問題ないのだが、いつも研究院から飛び立って、操縦の自由はあるけれど、それ以上の仕組みはわからないのだ。
この状態からどうすれば動くのかさえ、全くわからない。
「よっこいしょ」
持ち上げてみようとしても、意外に重く、引きずるくらいしかできなそうだ。
どうしようか。
幸いなことに、フェリシアの気候は穏やかで、凍死や熱中症の心配はないし、しばらくすれば、候補寮に戻らないロザリアを、ばあやかアンジェリークが気づくだろう。

ロザリアは遊星盤の隣に静かに腰を下ろした。
いつも上空からこの草原を見ていたけれど、改めて同じ目線になると、その印象はまるで違う。
地平線の向こうまで続く同じ景色。
寄せては返す、オレンジの麦の波。
「オスカー様」
ぽろり、と口から言葉が溢れた。
このところ、ずっと姿さえ見ないように、避け続けていた人。
顔を見れば、それだけ、止められなくなってしまうから。
それなのに、なぜ。

「…お嬢ちゃんじゃないか。こんなところでサボりか?」
金の波の中、突然現われた彼の姿に、ロザリアは唖然とした。
願望が見せた夢かとも思ったが、次第に彼の姿は大きくなり、その存在が幻でないことを教えてくれる。
オレンジの光を弾く緋色の髪がさくさくと草原を掻き分けて、ロザリアの方へと歩み寄って来た。
「オスカー様こそ。なぜ、こんなところに?」
反射的に問いかけたロザリアに、オスカーは苦笑しながら、隣に腰を下ろした。
近い距離に、彼の男らしい香りが漂ってきて、ロザリアの心臓は勝手にドキドキと跳ね始める。

「わたくしを探しに来たんですの?」
「いや、たまたまだが…探されるような状況なのか?」
いつもながらの皮肉めいた笑みに、ロザリアはふいっと顔を背けた。
「いいえ!ただ…ちょっと遊星盤が言うことを聞かなくなっただけですわ」
「なるほど。絶賛遭難中というワケか」
「違います!」
オスカーはふっと目を細めると、その場にごろりと横になった。
「少ししたら一緒に戻ろう。お嬢ちゃんもゆっくりするといい」

寝転んだオスカーの前髪が風にふわふわと揺れている。
何度も深く深呼吸を繰り返し、草の匂いを肺いっぱいに吸い込んでいるようだ。
心からくつろいでいるような様子からして、彼がこの場所に来るのが初めてではないのだろう。

「この景色が気に入っているんだ。…俺の故郷の景色によく似ているからな」
ふ、とため息のような笑みにロザリアの胸がきゅうと締め付けられる。
冷たい氷青の色の奥に浮かんだ、僅かな寂しさ。
押さえ込んでいた想いが、心の奥から、溢れて止まらなくなる。

「オスカー様…お慕いしております」

寝転んでいたオスカーは勢いよく起き上がると、ロザリアをまっすぐに見つめた。
言葉よりも雄弁に、ロザリアの想いを伝える強い瞳。
青の奥に赤い炎が灯り、オスカーの理性を燃やし尽くしそうな力がある。
本来、女王候補と守護聖の恋愛はタブーだ。
女王とはその慈愛を全宇宙に注ぐもの。
前回の女王試験の際の悲しい恋の結末は、それとなく皆知っている事実だ。

それでも。
彼が好き。
もう、どうしようもないほど。
女王になる夢よりも、一人の女として、彼のそばに居たい。

「…女王の座を諦めるというのか?」
「はい」
「俺のために、今までの全てを諦めると?」
「はい」
ロザリアにもう迷いはなかった。
おそらく、それはオスカーも同じだったのだろう。
にやりと笑みを浮かべたその顔は、なにもかもをふっきったような、すがすがしさがある。

「いざとなると女は強いというが本当だな。まさかお嬢ちゃんに先を越されるとは思わなかったぜ」
「オスカー様!」
からかうような口調に、つい、ロザリアの眉がつり上がる。
こんな時にまで、いつもの軽口をするなんて、もともとがきまじめなロザリアには信じられない所業だ。
ははは、と声を上げて笑ったオスカーは、ふと、柔らかく目を細め、
「…いつか、君に故郷の草原を見せたい。俺についてきてくれるか?…ロザリア」
震えるロザリアの手を取った。
「ええ、あなたとなら、どこまでもわたくしは…」
それ以上の言葉はもう必要なかった。

熱い抱擁と口づけ。
オレンジ色に輝く草がロザリアの背に触れ、風に甘やかな吐息が紛れて、流れていく。
女王のサクリアを持って生まれたことを、恨んだこともあったけれど、それも全て、彼に出会うためだったのだ、と今は心から感謝したい。
草原が星の光で白く輝くまで、二人は想いを交わし合ったのだった。



ロザリアが申し出た女王試験の辞退は、飛空都市にちょっとした騒動を巻き起こしたものの、予想よりもあっさりと了承された。
ジュリアスからちらりと漏れ聞いたのは、『女王陛下の御心』ということらしい。
「さあ、今日のレッスンを始めますわよ」
「うへえ」
思いっきり顔を顰めたアンジェリークにロザリアはテキストを押しつけた。
「女王の振るまいはもちろん、ダンスまで教えるだなんて、少しハードルが高すぎるのではないのかしら」

アンジェリークの即位が決定したあとも、女王試験はしばらく続けられることになった。
二つの大陸の育成を見届けたいという、アンジェリークとロザリアの希望はもちろん、アンジェリークが女王に立つには早すぎるという理由からだ。
主に教養、マナー。
付け焼き刃でも、即位式までに、一通りのことはできるようにならなければいけない。
ロザリアは自ら講師を買って出て、毎日アンジェリークにレッスンしているのだが…なかなかに道のりは遠そうだ。

「ダンスの時はルヴァ様もお呼びしますわ」
「そうそう、ドレスとメイクも用意してあるしね。ルヴァにとびきり可愛いところ見せられるようにしてあげる」
ロザリアとオリヴィエの同時攻撃に、アンジェリークもシブシブ準備を始める。
とてつもなく覚えの悪いアンジェリークだが、彼女には唯一無二の武器があった。
それは
「ごきげんよう」
スカートを摘まみ、膝を折るカテーシー。
姿勢は微妙に歪んでいるが、とびきりの笑顔が全てを帳消しにしてくれる。
すなわち「ちょっとのミスなら許してもいいかな」というほど、アンジェリークは可愛いのだ。

「結構サマになってきたんじゃない?」
「…まだまだですけれど」
とはいえ、アンジェリークが頑張っているのはロザリアもよくわかっているから、あまり厳しいことは言わないようにしている。
そもそも、こんなにスケジュールがタイトなのは、ロザリアの責任でもあるのだ。

「ダンスのお相手を連れてきたぜ」
ルヴァを引き連れて、オスカーがやってきた。
このあとの過酷な時間を想像してか、すでに若干青ざめているルヴァをオスカーが強引に部屋の中に押し込んでいる。
そして、すっとロザリアに伸ばされた手。
整った顔立ちとは裏腹な男らしく分厚い手のひらに、ロザリアの手はすっぽりと包まれてしまう。
一瞬見つめ合うと、軽やかな音楽が流れだし、オスカーとロザリアはステップを踏み始めた。

「さあ、ルヴァ様も」
ロザリアに促されて、ルヴァは慌てて、アンジェリークの手を取った。
ぎこちないホールドとステップだが、アンジェリークはたちまち笑顔になって、ルヴァにリードを任せている。
ルヴァも決してダンスが上手い方ではないけれど、好きな女の子の前ではみっともないところは見せたくないと思うのか、きちんとリードしているから不思議だ。
「1,2,3…」
リズムをとりながら、アンジェリークにチェックを入れる。
細かな動きはオリヴィエも横から指示を入れてくれるから、ロザリアはお手本としてオスカーと踊るコトがメインだ。
3曲立て続けに踊ると、ルヴァの足がふらついてくる。
一度、オリヴィエと交代して、今度はルヴァが音楽を流す担当になった。

くるりとターンして、オスカーと微笑み会う。
オスカーはダンスの腕も超一流で、微妙な嫉妬心はあるけれど、ロザリアは安心して踊ることができるのだ。
「本当にお似合いだわ~」
休憩していたアンジェリークがうっとりと二人に見惚れている。
美貌に加え、赤と青の見事な対比。
切れのいいダンス以上に、漂う雰囲気が普通の人間とは違う。

「さ、わたしも頑張ろうっと。ルヴァ様、踊っていただけますか?」
「ええ、ええ」
楽しそうに踊ることなら負けないとばかりに、アンジェリークとルヴァも踊り始めるのだった。

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