アンジェリークが女王となり、ロザリアは補佐官に就任した。
飛空都市での日常が、そのまま聖地に移ってきたような毎日。
前女王は宇宙の崩壊を食い止めるために、その力の全てを常に注いでいたけれど、アンジェリークに、そこまでの重責はまだ無い。
女王の間を飛び出してみんなでお茶を楽しんだり、ゲームで遊んだり。
ルヴァとの関係も相変わらずで、二人の恋は聖地の公然の秘密になっている。
こんな当たり前の毎日が、いつまでも続くと思っていた、ある日。
それは本当に突然だった。
炎のサクリアの急速な減少。
守護聖の交代が、迫っていたのだ。
「本当にいいのか?」
数え切れないほど繰り返した問いを、オスカーは再び口にした。
あと僅かで聖地の門を出る。
そうすれば、二度と、この地に戻ることはできなくなるのだ。
補佐官として、ロザリアはとても優秀で、まさに天職とも言える仕事ぶりだった。
それをまたオスカーのために、諦めることになってしまう。
「ええ。あなたについて行くと、あの日、心に決めたのですから」
それにロザリアは本当の意味で一人ではない。
心はいつも、唯一の親友と共にある。
服の下に隠れているペンダントに、ロザリアはそっと手を重ねた。
昨夜、聖地で最後の夜を過ごすため、ロザリアはアンジェリークの私室を尋ねた。
「お泊まり会、久しぶり~!」
女王候補の頃は毎週のように、お互いの部屋を行き来していたが、それぞれに恋人ができてからはしなくなっていた。
「このパジャマ、今日のために下ろしたの」
アンジェリークが嬉しそうにポーズをつけて見せてきたのは、いちご柄のフリフリパジャマだ。
「……あんたってば相変わらずね」
ロザリアが大袈裟にため息をつくと、アンジェリークはニヤニヤと笑う。
「ロザリアは~。ねえ、それ、オスカーの趣味?」
「え?」
「その、いかにもお姫様~みたいなネグリジェ!」
「ええ?!」
ロザリアは今日のために、と特におろしたわけではなく、いつものネグリジェを持参した。
シルクの薄いラベンダーカラーのネグリジェはそれほど露出もなく、ところどころにレースや小さなリボンは付いていても、地味な印象だ。
「そんなわけないでしょう」
「わかるわ~、ロザリアは変にセクシーさをアピールするより、そういう清楚な感じから漏れ出すボンキュボンがえっちなのよね」
「…あんた、ホントになに言ってるの…」
もしかしたら、いや、きっと、二人で過ごす最後の時間かもしれないのに。
口から出るのは、たわいもない話ばかりで。
さっき、一緒にご飯を食べたときに、ルヴァの頬に米粒がついていただとか、オスカーの箸使いが面白かっただとか、今、言わなくてもいいことばかり。
けれど、それがどうしようもなく楽しくて、ロザリアはずっと笑っていた。
泣くよりも笑っていたいと思ったせいかもしれない。
アンジェリークにはロザリアの笑顔を覚えていて欲しかった。
さんざん盛り上がって、ようやくベッドに入ろうかという時、不意にアンジェリークがまじめな顔になって、チェストから小さな箱を取り出した。
「あのね、ロザリア、これ」
小箱に入っていたのは、小さなシルバーのペンダント。
どこにでもつけて行けそうな薔薇モチーフが一つぶら下がっているだけのシンプルなデザインだ。
「キレイですわ。あんたにしてはセンスがいいじゃない」
「あは。実はオリヴィエに相談したの。最初はもっと大きな薔薇が三つ並んでキラキラのダイヤもついた豪華なのを選んだんだけど、『そういうのは年齢とか場所によってはつけられないし、狙われたりする』って言われちゃって」
「さすがですわね」
オリヴィエらしいセンスの良さが滲み出たチョイスに、ロザリアはペンダントをシャンデリアにかざしてみた。
幾重にも重なった花びらはとても繊細で凝っているし、きらりと裏側に埋め込まれたダイヤが美しい。
「で、ここにわたしのサクリアをちょっとだけ込めてみたの」
「どういうことかしら?」
「怒らないで聞いてね。……もしも、ロザリアが下界に降りて、めちゃくちゃ困ったり辛いことがあったら、この石に助けを求めて欲しいの。もちろん、なにもなければ、それでいいし、そんなことがなければいいと思ってるわ。でも、本当に困ったら…念じてみて。そしたら、わたしは絶対に助けに行くから」
「アンジェ…」
ロザリアは素直にアンジェリークの気持ちに感動していた。
自分で選んだオスカーとの未来に、なんの不安もないけれど、この世界のどこかで、ロザリアのことをこんなにも心配してくれている人が居ると思うだけで、支えになる。
「ありがとう」
「ううん。…幸せになってね。ロザリア」
どちらからともなく、お互いを抱きしめる。
女王試験で出会ってから、ほんの2年ほどの短い時間だったけれど、今は誰よりもお互いのことがわかるのだ。
遠く離れても、心はそばに。
「幸せになりますわ」
最後まで、ロザリアは、にっこりと微笑んで見せた。
聖地の門をくぐったところで、ふとオスカーが立ち止まり、振り返る。
蒼く澄んだ空は果てしなく美しい。
守護聖として過ごした年月を思い返しているのだろうか。
「いい思い出ばかりだった。・・・君と出会えたしな」
軽口を叩きながらも、どこか寂しげなオスカーの横顔に、ロザリアは彼の手をぎゅっと握りしめたのだった。
聖地からまずは主星に向かい、そこからシャトルで草原の惑星へ。
「待ち時間が長いな。まさか一日に一本しかシャトルが出ていないとは思わなかった」
シャトルのエアポートのベンチで、オスカーが長いため息を吐いた。
オスカーがあの惑星で過ごしたのは、もうなん百年も前で、その頃、もちろん星間シャトルはなかった。
そう思えば、ずいぶんな進歩なのだろうが、主星に比べれば、まだまだ文明の度合いは低いのだろう。
エアポートで簡単な食事を摂り、ようやくシャトルに乗り込んだのは、もう夕方近く。
シャトルを降りた二人の目の前に広がった景色は、真っ赤な夕焼けに染まる草原だった。
「見事ですわ」
「ああ……変わっていないな」
広がる草原の景色は、確かにフェリシアのあの場所に似ている。
夕日が完全に沈むまで、二人はその場に立ち尽くしていた。
オスカーは領主付きの近衛兵として、働くことになった。
父と同じ職務だったのは偶然だが感慨深い。
直属の騎士団長として領主の隣に立つ父を、幼いオスカーは尊敬と憧れの眼差しで見ていたからだ。
聖地からの手配で、新しい住居やその他諸々も全て揃えられている。
屋敷はあたりでも人目を引くほど立派で豪奢な作りをしていて、近所では随分噂になっていたらしい。
「お仕事はどうですの?」
夕食の時、ロザリアが尋ねると、
「俺たちが暇ということは平和と言うことさ」
オスカーは軽く肩をすくめた。
「それはよろしいですわ」
楽しげなロザリアの様子に、オスカーの瞳が柔らかく細められる。
実際、平和な時代の軍などお飾りのようなものだ。
毎日訓練はするけれど、緊迫感はない。
しかもオスカーの所属している近衛兵は、領主の護衛が主な任務で、強さよりも見栄えが重視されているらしい。
奥方の好みの細面のイケメンばかりで、兵の中にはオスカーとまともに剣を交えられる者さえいないのだ。
部下の中でただ一人、オスカーの稽古を希望して来たので相手をしているが、今のところはランディよりも弱い。
「わたくしも太ってしまいそうですわ」
ロザリアは頬に手を当ててため息をついた。
ただでさえ、二人だけの生活に、邸付きのメイドやコックなどもいて、家事すらやることがない。
もともと、お嬢様育ちのロザリアだから家事は疎いが、やる気はあったのだ。
新婚生活らしく、エプロンも買いそろえたというのに、全く出番がない。
「そうだな。まあ、君はもう少し太ってもいいと思うが」
オスカーがちらりとロザリアの胸元に視線をやると、ロザリアは大げさに顔を顰めた。
「イヤな方!」
ふん、と顔を背けるロザリアの頬はうっすら赤くなっていて、オスカーは声を上げて笑う。
ささやかな日常。
少しの退屈はあるけれど、ロザリアはこの暮らしに満足していた。