一年があっという間に過ぎ、オスカーは近衛の仕事の他、外回りもするようになっていた。
領主の邸を中央にいただく城下町は、かなり賑やかで、行き交う人々も華やかなファッションに身を包んでいる。
整えられた街並みは常に清潔で、夜は街灯が明るく街を照らす。
城下町は主星とも変わらない文化水準を維持していた。


「お母様~」
女の子が馬車から降りてきて、母親にしがみついた。
いかにも上流階級の二人連れで、女の子のドレスは高価なシルクと手織りのレースで飾られ、母親の指には大きなルビーが光っている。
「はあ、お貴族様はお気楽ですね」
オスカーの隣で、部下のダリルがつまらなそうに鼻を鳴らしている。

二人が入っていったのは、豪華な劇場。
「知ってますか、オスカー様、ここのチケット代、何万ってするんですよ」
階段ですら大理石でしつらえられ、入り口を飾る大きなシャンデリアはクリスタル製。
聖地では珍しくもない調度品だが、この草原の惑星の文化水準を考えれば、それらは破格のモノだろう。
オスカーは劇場の横の豪奢なレストランに目を向けた。
立派な彫刻が施されたオーク材の扉の前には黒服の警備員が立ち、一般の客は立ち入り禁止だ。
その反対側のブティックも、その隣の宝石店も。
この城下町はどこも贅を尽くした造りになっている。

ただ、この城下町をぐるりと取り囲む壁の一歩向こうは、まるで別世界の貧民街だ。
少数の富める者と多数の貧しい者。
オスカーが離れていた数百年で、草原の惑星は根本から変わってしまっていた。

「あ~、いい匂いですね。この匂いは肉だ」
ダリルが鼻をクンクンさせている。
整った容姿とそこそこの剣の腕で近衛兵に抜擢されたダリルだが、もともとは塀の向こうの出身らしく、ところどころに育ちが見え隠れしている。
もちろん、そういうところもオスカーは憎めないと気に入っているのだが、城下町出身の者達には面白くないようだ。

「オスカー様、奢って下さい」
あっけらかんとねだる素直さも、好ましい。
「そのうちな」
さらっと交わして、オスカーはまっすぐに伸びる大通りを眺めた。
白く光る石畳はゴミ一つなく美しいが、それは、下層民と呼ばれる塀の向こうの人たちが掃除人をしているからだ。
汚い仕事や過酷な仕事は全て下層民が行い、城下町に住む『貴族』は毎日遊び暮らしている。
それがこの惑星の今の姿。

「近衛兵の方々はここまでで」
壁の門兵に押しとどめられ、オスカーとダリルは敬礼を返した。
門から出入りできるのは、城下町に働きに来る下層民だけで『貴族』待遇の者は壁から外には出ない慣例がある。
好き好んでわざわざ下層に行くものなどいないのだろう。
いつの間に、この壁ができたのか。
オスカーが守護聖になる前は、こんな壁などなく、身分の隔てもなかった。

『この民のためにわれわれがいるのだ』
地平線まで広がる草原を前に、父がそう言ったことを思い出す。
この壁の向こうには、今も変わらず草原が広がっているのに、もしかしたら、この城下町の人間は草原を見たことすらないのかもしれない。
草原の惑星の民なのに。
これで、城下町と下層のどちらが本当の『草原の惑星の民』と言えるのだろう。

「お前は草原を見たことがあるか?」
軍本部に戻る途中、並んで歩くダリルに尋ねると、
「あ、はい。俺は向こうの人間なんで、子供の頃は毎日見てました。草原の向こうに夕日が沈む時、こう、なんていうか、世界が真っ赤に染まるっていうか、あの景色は一回見たら忘れられねーっすよ」
「そうだな。俺もだ」
あの景色を知らない人間が、この惑星を牛耳っているなんて。
オスカーのついた小さなため息を、ダリルがそっと上目遣いで見つめていた。


「おかえりなさい」
ドアが開いた瞬間、ロザリアはにっこりと微笑んで、オスカーからのキスを待った。
「ただいま」
言いながら、オスカーはロザリアの頬に唇を寄せる。
共に暮らすようになってから、欠かさずしている儀式が、見送りと出迎えのキスだ。
使用人達がいるから、頬に送り合うだけだが、ロザリアにとっては一日の始まりと終わりが満たされる気がする。

「お食事になさいますか?それともお風呂?」
「今日は風呂にするか。外回りでかなり歩いたからな」
くん、と自分の袖のあたりを嗅いで、オスカーが顔を顰める。
そんな仕草ですらカッコ良くて、ロザリアは自然と顔がほころんでしまう。
「では、お風呂をどうぞ。ごゆっくりなさってくださいませ」
ロザリアから清潔なバスローブを受け取り、オスカーはバスルームに向かった。
彼女の優しい視線を背中に受けながら、ざわざわとする心を抑えられない。
シャワーのコックを乱暴に開け、熱めの湯を頭からかぶった。

今日で何度目になるか。
外回りのついでに、ダリルと抜け穴を通り、壁の向こうの『下層』へ行った。
予想よりもひどい下層の惨状に、オスカーは行く度に重い鉛を飲み込むような感情を覚えてしまうのだ。
オスカー自身は元守護聖という立場もあり、何不自由なく暮らせる壁の内側の『城下町』サイドの人間に分類されている。
ロザリアという美しい妻もいて、彼女も今の生活に満足しているようだ。
もともと、彼女は主星でも有数の資産家の令嬢で、傅かれて暮らすことが当たり前の人種だ。
だから、世界の醜い部分に疎いところがある。
いや、オスカーだとて、きっと気がつかなかっただろう。
ダリルを通じてこの惑星の裏側を知らなければ、現状に満足して暮らしていたはずだ。

「くそ」
壁に拳を打ち付けても、なにも変わらないことはわかっている。
飢えた人々や捨てられた子供。
不衛生な環境のせいで、城下町の人間に比べて半分くらいしか寿命がないこと。
便利な文明の恩恵は、すべて城下町の人間が独占していて、下層には水道や電気すらない。
はかりしれない不平等。
下層民から漏れる怨嗟。

…この惑星はそんな惑星じゃなかった。
オスカーが守護聖になる前は、決して裕福でもなく、文明が発展していたわけでもないが、平和だった。
完全な平等ではなかったかもしれないが、少なくとも今よりはマシだった。
なにかこの惑星のためにできることはないのか。
なにか自分にもできることがあるのではないか。
そんな焦燥感がオスカーの胸を焦していた。


バスルームに消えたオスカーの背中を見送ったロザリアは、ダイニングへ向かい、シェフが用意したスープを温め始めた。
家事はすべて通いの使用人がしてくれるから、ロザリアがやることと言えば、オスカーの帰宅を待って食事を温め直すくらいだ。
もっとも、それは聖地に居たときから変わっていないのだが、あのときは補佐官としてロザリアも忙しく働いていたから仕方がないと思っていた。
今は時間的には余裕があるけれど、使用人の仕事を奪うことは、彼らの生活を奪うことにもなるから手を出すことはできない。
趣味だけをして暮らすにはロザリアはまだ若く、体力もある。

「…どうしてなのかしら」
スープをかき混ぜながら、ぽつりと呟く。
この惑星に来て、もうすぐ2年。
オスカーと一緒に暮らすようになってからは、合わせて3年にもなるというのに。
ロザリアには妊娠のきざしすら現われない。
オスカーはなにも言わないけれど、彼が子供好きなのは、外出した時に、たまに子供と触れ合う様でわかる。
他人の子供ですら、あんなに優しい瞳をするのに、自分の子供ならどれほど愛を注いでくれるか。
この頃、暗い顔をしていることがあるオスカーにとって、とびきりのニュースになるに間違いない。
ロザリアはぐるぐるとスープをかき混ぜる。
湯気が顔に当たったせいか、頬が熱くなり、目が潤んだ。

二人で囲む食卓は一日で一番楽しみな時間だ。
オスカーから今日の出来事を聞いたり、明日の予定を話し合ったり。
ただ、最近はオスカーの口が重く、以前のように全て話してくれている様子ではない。
来たばかりの頃は、軽口も交えて、いろんなことを話してくれたのに。
それがロザリアには不安だった。

今もオスカーは影のある瞳でスープを啜っている。
なにか悩みがあるのなら話して欲しいと思いながらも、ロザリア自身、彼に子供の悩みを打ち明けられていない後ろめたさで、強くは聞けずにいた。

「今日、お隣の奥様に娘にバイオリンを教えてくれないかとお願いされましたのよ」
「ほう」
「わたくしが演奏しているのを偶然聴いて、ぜひ娘にも、と仰られて。この辺りでは教えている方がいないそうですの。わたくしも教えたことはないとお伝えしたのですけれど」

お隣はたしか、財務関係を取り仕切る役人の一家だったはず。
羽振りのいい、典型的な城下町の人間で、家族皆、余裕がある雰囲気だった。
チリ、とオスカーの胸が焦げる。
今日、下層で見かけたあの少女もお隣の娘と同じ歳くらいだろう。
ボロボロの切れ端のような服を着て、目ばかりがギラギラ光った少女。
バイオリンなど見たこともないに違いない。

「あの、オスカー?」
ハッとしたオスカーをロザリアの青い瞳が怪訝そうに伺っている。
「いいんじゃないか?君のバイオリンの腕を埋もれさせるのはもったいないからな」
「ふふ、お上手ですこと。でも、嬉しいですわ。さっそく、明日、奥様にお返事致しますわね」
ロザリアは頭の中で、どんなレッスンを始めようかと考え、ワクワクしていた。
久しぶりに誰かの役に立てるかもしれない。
もともとが世話好きで生真面目なロザリアは、ぼーっと過ごすよりも、忙しいくらいがちょうどいいのだ。
楽しげなロザリアにオスカーもつい笑みが浮かぶ。
その夜、2人はゆっくりと愛し合ったのだった。


隣家の令嬢に教え始めるとすぐ、ご近所の子供たちが次々とバイオリンを習いたいと尋ねて来た。
バイオリンという響きやロザリアの貴族らしい振る舞いが、城下町の人間にマッチしたらしい。
事実、この惑星でバイオリンを買えるということが、ひとつのステータスのようなものだ。
ワンランク上の習い事として噂になるのも時間の問題だった。

「人に教えるというのは、難しいものですわね」
夕食の時間、ロザリアが話すのは、もっぱら教室の生徒たちの話しになった。
下は7歳から上は15歳までと幅広く、男女がいる。
それぞれの年齢に応じたレッスンのメニューを作り、そこそこなやる気の子供たちにも楽しんで貰えるように、練習法を考えて。
何となく補佐官時代を思い出して、ロザリアは毎日が楽しかった。

「このお菓子もお隣のサマンサが持ってきてくれましたの」
食後のカプチーノに添えられた焼き菓子は、有名店のものらしい。
口に入れるとホロホロと崩れるような食感で、しつこくない甘さだ。
オスカーが二つ平らげたのを見て、ロザリアも口に入れた。
「美味しい。子供の頃、家にいたパティシエのお菓子に似ていますわ」
さらりと口から出た言葉に、オスカーの眉が小さく寄せられる。
その表情の変化にロザリアは気づかずにいたのだった。



常春の聖地では、アンジェリークが執務机の上に突っ伏していた。
机の上には山積みになった書類や資料。
もはやどこに何があるのかもわからない惨状だ。
さっきもお気に入りのペンの行方を探して、書類の山を横にずらしたら、その下から急ぎだったはずの報告書を見つけてしまった。

「ムリー!なんとかしないとムリー!」
「ったって、しょうがないでしょ。ロザリアが行ってから、まだ1ヶ月だよ。新しい補佐官はいらないって言ったのは、あんたでしょうが」
「でも~」
「ああ~、許してあげてください。陛下も頑張っているんです~」
「うふ、ルヴァはやっぱり優しい」

ニコニコ見つめ合うアンジェリークとルヴァに、オリヴィエはガックリと肩を落とした。
あまりに捗らない執務を見かねて、オリヴィエが女王を手伝うようにジュリアスから命を受けたのだが、何を思ったのか、ルヴァがずっとついているのだ。
うにゃうにゃ言っているが、要するに、アンジェリークが心配らしい。
……オリヴィエと二人きりにはできない、ということだろう。
むりやり尻を叩いて、急ぎの執務にサインをさせたが、正直、机の整頓や女王のお茶の準備までは、面倒みきれない。
ロザリアはよくやっていたなぁ、と遠い目になってしまうのも仕方がない。

「……ロザリア、どうしてるかな」
アンジェリークがため息と同時につぶやく。
「幸せにしてるでしょ」
「だよね……」
ずっとロザリアとオスカーはラブラブで、お似合いの二人とはまさにこのことだ、とアンジェリークも納得していたのだ。
だからこそ、ロザリアがオスカーについて補佐官を降りたい、と望んだ時も止めなかった。
ロザリアの幸せを望んだから。
でも。

「執務がこんな大変だと思ってなかったよ~」
つい愚痴りたくなる位は許して欲しい。
「私も一緒に頑張りますからね~。さあ、まずはこちらから……」
いそいそとルヴァが差し出した書類にアンジェリークがサインを入れる。
のんびりゆっくりかもしれないが、なかなかいいコンビだ。

2人に微笑んだオリヴィエの目に、壁に飾られたアンジェリークとロザリアの写真が映る。
ロザリアの最高の笑顔は、オスカーがシャッターを押したからこそ。
きっと幸せに違いない。
幸せでいて欲しい。
オリヴィエは書類の山から、一番急ぎの一枚を取り出すと、ルヴァに押し付けたのだった。

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