ある日曜日。
ロザリアはオスカーと街へ出ていた。
久しぶりのデートと言えるお出かけに、ロザリアの気持ちは舞い上がってしまう。
数ヶ月ほど前から、急に忙しくなったオスカーは、土日でも仕事に出かけることが多くなっていたのだ。
理由はロザリアもよくわかっている、この惑星の政情不安。
子供達にバイオリンを教えるようになってから、美貌と教養を兼ね備えたロザリアは、たびたび母親達のサロンに招待されるようになっていた。
「ロザリアさんは主星の貴族出身なんでしょう?」
「さすが主星の方は洗練されていますわね」
「ぜひ、うちの娘にダンスやマナーを教えて欲しいですわ」
白磁のティーセットに、香りのよい紅茶が注がれ、お抱えのパティシエが焼いたケーキを食べる。
子供達の母親も、ロザリアとほぼ同じ境遇で、退屈をもてあましているのだろう。
お稽古事やサロンに熱心で、まるで主星の社交界と変わらない。
おかげで、ロザリアも、この惑星の現状をぼんやりと知り始めていたところだ。
この惑星には『下層』と称される貧民街のような場所があり、その住人達が小さな反乱を繰り返しているのだという。
「下層民達はロクな教育を受けていないから、下品で乱暴」
「不衛生で汚らしい」
「私達に逆らうなどもってのほか」
サロンで母親達がそう口にするのを、ロザリアは苦々しい思いで聞いていた。
生まれついての格差など、本来あってはならないものだ
ロザリア自身ができることは少なくても、せめて気持ちだけは差別に賛同するようなことをしたくない。
ロザリアが思うに、この草原の惑星は、主星に比べて数百年は文化の遅れがある。
上下水道の普及といったインフラから電化製品まで、おそらく、これから発展していくところなのだろう。
きっと今が変革期なのだ。
小さな革命を繰り返し、いつかそれが大きなうねりとなり、星全体の未来を変える。
文化が成熟すれば、この差別の気持ちが醜いモノだと、自然と理解できるはずだ。
オスカーの忙しさも、そのためならば仕方がない。
夜勤や家に帰らない日が続いても、ロザリアは笑顔でオスカーを出迎えようと決めていた。
春先の暖かな日差しの中、町をぶらぶらして、店のウインドウを眺めているだけでも楽しい。
草原の惑星はほぼ長袖で過ごすような、涼やかな気候だ。
どこからともなく耳を流れる草の音に見えない風を感じる。
色とりどりの帽子が飾られている店先で、ロザリアはふと足を止めた。
「気に入ったのか?」
オスカーが帽子を気にしている様子のロザリアに声をかけてくれる。
淡いブルーのシルクのリボンがついた、純白のボンネット。
上品でシンプルなデザインが素材の良さを引き立てていて、ロザリアの青紫の髪が映えそうだ。
「買ってやろう」
オスカーが店のドアの取っ手を持ち、扉を押そうとした時、通りの先から
「オスカー様じゃないですか!」
聞き慣れた声に呼び止められた。
振り返ると、そこには予想通りのダリルと子供が二人。
ダリルはオスカーと目が合うと、両手で子供を引き、オスカーの方へと小走りに近づいてきた。
「こんにちは!お買い物ですか?」
ニコニコ笑顔で、
「こいつらは俺の弟と妹です。挨拶、ちゃんとしろ~」
ぐりぐりと子供達の頭を上から押しつける。
「こ、こんにちは!」
子供達は、どもりながら挨拶をすると、すぐにさっとダリルの足に隠れ、様子をうかがっていた。
小動物のような可愛らしさに、ロザリアの顔も綻ぶ。
「あれ?もしかして、こちらがオスカー様の奥方様ですか?うわ、めっちゃ美人ですね!!そりゃ、オスカー様が誰にも会わせないはずだ」
うんうんと頷くダリルに、オスカーが顔を顰めている。
「いや、ホントに、女神様みたいですね~」
「じろじろ見るな」
「いいじゃないですか、減るもんじゃないし」
「減りはしないが、汚れる」
「けちですね!目の保養させてくださいよ~」
軽口の応酬に、ロザリアはくすくすと笑ってしまった。
あまり仕事の話をしないオスカーだが、こんな楽しい部下がいるなら安心だ。
「お買い物ですの?」
つい声をかけると、ダリルのブラウンの瞳がキラキラと輝いた。
「はい!こいつらになにか買ってやろうと思いまして。服も本もほしいんだよな?」
ダリルが目を細めて子供達を見ると、二人は共にこくんと頷いた。
「まあ、お洋服なら、少し先のマダム・ロペが可愛いですわ。靴も是非買って差し上げて」
子供達の服はかなり色あせているが、清潔感はある。
けれど、靴の爪先はひどくこすれて、今にもべろりと底がめくれてしまいそうだ。
踵もかなりすり減っているのがわかる。
「あ、靴もですね。たしかにこりゃひどいな」
顎に手を当てて考え込んだダリルが、
「よし、靴も買ってやる!」
「わ、ホントに?」
「嬉しい」
「任せとけ。兄ちゃんは給料が入ったばかりで金持ちなんだぞ。姉ちゃんにもなんか買っていってやろうな」
「うん!」
微笑ましいやりとりだが、周囲からは冷たい視線が降り注いでいる。
ダリルはともかく、子供達は明らかに『下層』の人間だ。
『なぜこんなところに』
『下層へ帰れ』
そんな無言の圧に、ロザリアは気づかないフリをした。
彼らにも買い物をする自由がある。
それを侵す権利は何人にもないはずだ。
「よろしければ、お店までご案内いたしましょうか?」
ロザリアの申し出を、ダリルは丁重に礼をして断った。
「いやいや、せっかくのお二人のデートを邪魔しては申し訳ないんで。まだこいつらともぶらぶらしたいですし」
「アイス食べたいし」
ぴょこっと頭を出した男の子が言うと、女の子もうんうんと頷いている。
「アイス~」
「わかった、わかった。じゃ、また」
ぺこりと頭を下げたダリルが、一瞬、オスカーに鋭い視線を向けた。
どこか非難めいた、悲しげな瞳。
オスカーがその視線を受け止めきれずに避けたことに、ロザリアは気がつかなかった。
「ダリルさんって、なんだかランディに似ていますわ」
「そうか?」
カフェのテラスに並んで座り、外を見ながら、ロイヤルミルクティーを口に含む。
ほんのり甘いミルクと紅茶が混じり合ったところがロザリアは好きなのだ。
「ええ。あなたにとっても懐いているみたい。剣の稽古をつけているのも彼でしょう?」
「ああ。なかなか飲み込みがいい」
「よかったですわ。・・・でも、少し・・・」
「なんだ?」
怖かった、とは言えなかった。
人当たりもよく、オスカーに懐いていて、明るいブラウンの髪と瞳も、どことなくランディに似ていて。
とてもよい部下だと思うのに、瞳の奥になにか重い決意のような、影を感じ取ってしまったのだ。
「いえ、『下層』の方なんですのね」
下層出身なのに近衛兵に選ばれるとは、ダリル自身がかなり優秀なのだろう、と褒めたつもりだったのに、オスカーの表情が一瞬凍ったような気がした。
けれどすぐに
「・・・そうだな。下層出身でもアイツはすごいヤツなんだぜ」
氷青の瞳を細めて頷いたけれど、ロザリアの胸はざわついた。
なんだか、急に彼が遠くなってしまった。
そんな気がしたのだ。
「……オスカー」
「なんだ?」
「いえ、このケーキ、とても美味しいですわ」
オスカーは微笑んで、カプチーノを口に運んでいる。
テラスにまだ若い緑の葉がひらりと一枚、舞い落ちていった。
たとえば、小さなヒビがいつか大きな亀裂を生むように。
このときに生まれた小さな違和感を、すぐに修復していればよかったのかもしれない。
けれど、ロザリアは、今、このときの幸せに満たされてしまっていたのだった。