「ロザリア!」
いきなり飛びついてきたアンジェリークの背中を、ロザリアはよしよしと優しく撫でた。
無邪気で天然な女王陛下は、ロザリアが聖地を去ってからも、少しも変わっていないらしい。
ホッとしたロザリアは、ぎゅっとしがみついてくるアンジェリークの背中をなで続けた。
「・・・わがままで申し訳ないのだけれど、もう一度、聖地においていただけないかしら。下働きでも、なんでもするわ」
草原の惑星でも、ほとんど主婦らしいことはしてこなかったから、正直、家事に自信は無い。
けれど、なんの資格も肩書きも持っていないロザリアが、今できそうなことと言えば、それくらいしか思いつかなかった。
「・・・ねえ、もう、オスカーとは・・・?」
アンジェリークがためらいがちに尋ねてきたことに、ロザリアは自嘲気味に頷いた。
「ええ。もうきっぱりお別れしてきましたわ。恋は3年で冷めると言いますけれど、本当だったようですわね。なんだかお互いに気持ちが冷めてしまって。彼は自分の故郷だから過ごしやすかったようですけれど、やっぱり、あの惑星は文明も遅れていますし、わたくしには向いていなかったんですわ」
すらすらと適当な嘘が出てくる。
それもこれも、オスカーが家を出てから、あちこちに嘘で説明するのがクセになってしまったからだろう。
「そう・・・。あなたたちは運命の恋だと思っていたけど・・・」
残念そうに緑の瞳を陰らせたアンジェリークに、ロザリアの胸がちくりと痛む。
運命の恋。
そう信じていたときがロザリアにもあった。
「あんたこそ、ルヴァとはどうなのよ」
「わたし達は・・・相変わらずかな?ルヴァは本ばっかりだし、わたしはその横でお菓子食べてるし」
えへ、と、リスのように首をかしげる仕草は相変わらず可愛らしい。
聖地の暖かな空気は、たしかにアンジェリークの持っている慈愛の心から来ているのだろう。
アンジェリークはぎゅっとロザリアの両手を握りしめると、
「ね、補佐官に戻って!わたしもロザリアがいなくなってから、すごく寂しかったの。お茶もイマイチ美味しく淹れられないし~。お菓子もスナック菓子ばっかり食べてたから、吹き出物ができちゃって」
子犬のようなうるうるの瞳で訴えかけてくる。
よくみれば、アンジェリークのおでこには、ぽつりと赤い吹き出物があった。
「あんたってば・・・。女王陛下が肌荒れだなんて恥を知りなさい!」
「謁見の時は厚化粧でごまかせるんだけどな~」
「そういう問題じゃありませんわ」
ぐっと目をつり上げたロザリアに、アンジェリークが安心したようににっこりと微笑んだ。
「よかった。ロザリア、全然変わって無くて」
その言葉に込められた優しい響きに、ロザリアはぐっと奥歯を噛みしめて、涙を堪えた。
優しい言葉ひとつに、こんなにも飢えていたのだ。
「補佐官はいやなの?」
「いや、とかではなくて、一度、辞めた身ですもの。簡単に戻れるような仕事でないことはわかっていますわ。もう3年も執務を離れていましたのよ。ムリでしょう」
補佐官は唯一無二の女王を、一番身近で補佐する大切な職務だ。
宇宙の根幹にも関わるような仕事を、『離婚したのでもう一度やります』なんて身勝手にもほどがある。
「うーん、3年って言うけど、それって下界ででしょ?実はこっちではロザリアが出てってから、まだ2ヶ月くらいなんだよね」
「え?」
「だから、まだ後任とかも全然決まってないし、補佐官室もそのままだし、なんなら、まだロザリアが残してった書類も片付いてないし~」
「ええ!すぐに決済できるようにしておいたはずですわ」
「そうなんだけど、まあ、いろいろあって。オリヴィエとかルヴァも手伝ってくれたりしたんだけど、わたしだけじゃね~」
あは、と憎めない笑みを浮かべるアンジェリークは全く悪びれる様子もない。
きっとアンジェリークは頑張った。
オリヴィエとルヴァも頑張ったのだろう。
でも、人には向き不向きがあり、アンジェリークは地味な執務には向いていない。
歴代女王の中でも群を抜いて強いサクリアを持ってはいても、事務能力はからっきしなのだ。
「・・・まだ残っているですって?」
「うん」
「どれくらい?」
「そこまで多くはないわ。うーんと1/3くらい?」
「・・・じゃあ、早速今から片付けましょうか」
「いまから?!」
「二ヶ月分の遅れを取り戻さなくてはね。・・・わたくしも」
にっこりと決意を秘めたロザリアの微笑みに、アンジェリークもホッと胸をなで下ろしていた。
どうやら、ロザリアは補佐官に戻ってくれるらしい。
とりあえず今は、それだけで十分だ。
こんなに痩せて、やつれ果てた顔をしているロザリアを、そばで助けることができそうだから。
ロザリアとオスカーの間に何があったのかは、まだ聞けない。
けれど、誇り高く気丈なロザリアが、逃げるようにアンジェリークに庇護を求めてきたのだ。
親友として、力になりたいと思うのは自然なこと。
それには補佐官への復帰が一番いいと、そう思ったのだ。
「みなさまはなんと仰るかしらね」
少し眉を寄せてため息をついたロザリアに、アンジェリークは「うーん」と少し考えて見せて
「みんなよろこぶと思うわ。もうこれ以上残業させられるのはゴメンだと思うし」
「残業・・・」
「そうなのよ。なかなか終わらないから、ルヴァとデートする時間も無くて。まあ、でも、わたしはまだいい方なの。ジュリアスなんか、10円ハゲができたって噂だし、リュミエールも胃炎が悪化したでしょ。ランディもマルセルも運動不足で太ったって言ってるし、ゼフェルなんか5回も聖地から逃げだそうとしたわ」
ロザリアはがっくりと肩を落とした。
どうやら、これは相当気合いを入れてかからなければならないようだ。
「さあ、始めますわよ」
「うふ、ロザリアにそう言われるとなんかやる気がでちゃう。頑張るね!」
二人は目を合わせて微笑みあうと、山積みの書類の待つ女王の間へ急いだのだった。
あっという間に半年近くが過ぎ、ロザリアも日常を取り戻していた。
オスカーの後に就任した炎の守護聖以外は、皆、女王試験時代からつきあいのある人たちばかりだ。
いろいろ聞きたいこともあるだろうに、なにも言わず、ロザリアが補佐官としてやり直すことを応援してくれていた。
ジュリアスが
「光の守護聖としては、そなたの復帰は喜ばしい」
神妙な顔でそう言ってきたときは、クスッと笑ってしまった。
ハゲはともかく、目の下の黒々としたクマが、彼の疲労を物語っていたからだ。
3年のブランクはロザリアにとっては大きい。
なるべく、いろんな事を自分の手でこなそうと、聖殿の雑務を引き受けていると、
「ね、ロザリア様って、オスカー様に捨てられたって本当なのかしら?」
「浮気されたらしいわよ」
女官達が噂しているところを偶然、耳にしてしまった。
「ロザリア様でもサレ妻になるのね~」
「美人だけど、なにかあったり?」
くすくすと笑う女官達に隠れて、ロザリアはぎゅっと胸に抱えた資料を抱きしめる。
これくらいの陰口で傷つくほど、子供じゃない。
もっと辛い思いをしてきたのだから。
そう思っても、言葉の刃は心を切り刻んで、ロザリアは足をがくがく震わせて息を殺していた。
すると、
「そういうの、俺は好きじゃないな」
ランディのきっぱりした声に、女官達が口をつぐむ。
たたみかけるように、
「せっかく二人とも綺麗なんだから、言葉や心も綺麗でいてほしいよね」
マルセルがにこにこと無邪気に話しかけると、気まずそうに女官は顔を見合わせて、そそくさと走り去っていった。
ランディとマルセルは、ロザリアに気がついた様子はなく、
「・・・捨てたとか、捨てられたとか、そんな言い方、よくないよな」
「うん、二人には二人の事情があるはずだもん」
お互いを納得させるように、語り合っている。
ロザリアはそっとその場を立ち去った。
彼らの優しさに感謝を伝えるには、執務を頑張るしかない、と心に誓いながら。
「さあ、お茶にしましょうか」
「やった!」
早速、書類を机の端におしやり、お菓子の催促を始めるアンジェリークを軽く睨み、ロザリアは奥のキッチンへ向かった。
今日のお茶は春摘みのダージリン。
新芽の淡い緑の香りが、部屋中に漂ってくる。
「わ、美味しそう~」
「ホントだね」
今日は午後からオリヴィエも一緒に執務をしていた。
ロザリアがいない頃、ジュリアスに無理やり押し付けられて、アンジェリークの補佐役をしていたらしい。
『あの時はゼフェルじゃないけど、ホントに逃げ出したくなったよ』
思い出したくないといわんばかりに首を振るオリヴィエに、ロザリアは苦笑した。
オリヴィエの苦労は言われなくても、書類の山を見ただけでわかったからだ。
聖地に来てから、またお菓子作りを再開して、できたものをこうしてお茶の時間に出している。
やることがなくなってしまうと、心のぽっかりと空いたままの穴にすきま風が吹いて、ぼんやりしてしまうのだ。
イヤなことを思い出して、泣きたくなったり、夜中に目が覚めて、飛び起きてしまったり。
なんでもいいから、手を動かしていたほうが落ち着いた。
「はしたなくてよ」
すでにフォークを手にスタンバイしているアンジェリークに顔を顰めて見せると、今度はくんくんと鼻を動かしている。
「この匂いはイチゴタルト!」
「正解、ですわ」
たっぷりのイチゴをしっとり分厚いタルト生地にちりばめたイチゴタルトは、ロザリアの得意レシピだ。
さくさくもいいけれど、アーモンドをたっぷり使って適度に厚みと重量感がある生地が、アンジェリークもお気に入りだ。
「美味しいよー!」
16cmを三人で切り分ける(アンジェリークがかなり大きめだが)と、あっという間に食べ尽くしてしまう。
香りのいい紅茶をごくごくと飲み干して、三人は一息ついた。
「やっぱりロザリアのお手製はたまらないわね。そういえば、アップルパイは?久しぶりに食べたいな」
にこにこと言うアンジェリークに、ロザリアのフォークが止まる。
たしかにアップルパイはロザリアの得意レシピの一つで、アンジェリークにもよく振る舞っていた。
補佐官になったばかりの頃、よくみんなでお茶をして。
その時に「これは美味いな」と、彼が笑ってくれて。
無骨な手でアップルパイを囓る姿が、愛おしくて。
「あ」
ぽろり、と涙がこぼれ落ちて、ロザリアは慌てて手の甲でぬぐった。
吹っ切れたつもりでも、まだオスカーのことを思い出すのはつらい。
ぽろぽろと涙をこぼすロザリアを、アンジェリークとオリヴィエは静かに見つめている。
聖地に来てから、ひたすら頑張るロザリアは、見ていて悲痛に感じるほどだった。
けれど、心の傷を癒やすのは時間しかない。
ロザリアが話す気持ちになるまで、あえて聞くことはしなかったのだ。
「・・・アップルパイを久しぶりに作っていたときでしたの」
今、ロザリアはやっと誰かにこれまでのことを話したい、と思えるようになっていた。
草原の惑星での生活、彼の裏切り、子供の誕生。
決定的な瞬間を見た日の衝撃。
「ただ、お互いに生きる道が違ってしまった。今はそう思いますの」
憎い、と思った事もあったけれど、今、二人の前でオスカーの話をしても、ロザリアの心は凪いでいた。
たしかに、まだ傷は完全には癒えておらず、じくじくと血が滲み、涙がこぼれてしまうけれど。
恋に落ちたことが運命なら、恋が破れたことも、また運命。
オスカーにとってもロザリアにとっても、この恋は人生に必要なものだったに違いない。
やっと、そう思えるようになった。
ロザリアが話し終えた時、アンジェリークは涙をぼたぼたとドレスにこぼし、鼻を真っ赤にしていた。
声も出ないのか、ぐずぐずとしゃくりあげ、唇を噛みしめている。
重い空気の中、
「・・・辛い思いをしたんだね」
柔らかなオリヴィエの言葉に、ロザリアは僅かにうつむいて、微笑んだ。
「辛かった・・・でも、彼を愛したことが無駄だったとは思いませんわ」
「うん、わかるよ。だって、今のあんたはすごくキレイだもの。本当のレディって顔をしてる」
「・・・実際、3年も経ったんですもの。わたくし、もう、オリヴィエと同じ年なんですのよ」
「あ、そういうことか。あんたと同い年ってなんか不思議な感じ」
きゃは、とオリヴィエが笑い、ロザリアも笑い返した。
こんなふうに当たり前に、笑える。
笑えるのは、ここがとても優しい場所だからだ。
アンジェリークはまだ泣いていた。
泣かせてしまったことは本当に申し訳ないと思ったけれど、やっと、心が軽くなった気がする。
ロザリアは、新しく紅茶を入れ直すと、
「来週はアップルパイを焼いてきますわ」
そうアンジェリークに約束したのだった。
それからすぐ。
草原の惑星で大規模なクーデターが起った、と研究院から報告が上がってきた。
「民衆によって壁が壊され、身分の階層が一掃されました」
研究院で動画とともに、説明を受けたロザリアは、その中に見知った顔を見つけ、息をのんだ。
「こちらが革命軍のリーダーのギルバート氏です。後継は息子のダリル氏が有力ですが、娘とその婿もいるそうで、まだはっきりとはしていません。
娘の方が主な戦線で先頭に立っていたという報告もあります。
いずれにせよ、ギルバート氏もまだ50代ですので、代替わりする前に、礎はできると思われます。私見ですが、しばらく、草原の惑星は安定するでしょう」
大画面に映し出された、革命軍の集合写真。
勝利のすぐあとなのか、皆、薄汚れてはいるが、誇らしげな顔をして、瞳を輝かせている。
ギルバートは初めて見る顔だが、息子のダリルは、間違いなく、オスカーの部下だったブラウンの髪と瞳の、あの男だ。
そして、その近くには、同じブラウンの髪と瞳の長身の女性が立っている。
大勢の人の中で、はっきりと顔は見えないが、シルエットはあの日、エプロンを着けていた女性にそっくりだった。
「・・・娘婿という方は?」
珍しく、報告の最中に口を挟んだロザリアに、アンジェリークは驚いた。
けれど、いつも冷静なロザリアの顔が青ざめている事に気がついて、そのまま口をつぐんだ。
草原の惑星は、オスカーとロザリアが暮らした場所でもある。
ロザリアにとって、いい思い出はないだろうが、なにか、感じるものがあるのかもしれないと思ったのだ。
「娘婿の素性ははっきりつかめていません。表にはほとんど出てこない人物のようで・・・。ただ、元軍人ということで、攻撃や制圧に関しては、娘婿の働きが大きいとのことです。そういえば、他の惑星からの移民だという噂もありますが、とにかく、まったく痕跡のない人物で・・・」
「わかりましたわ。ありがとう」
オスカーだ。
ロザリアはすぐに理解した。
彼があの惑星で成し遂げたかったことが、これだったのだ。
壁を壊し、オスカーの知る、平等で美しい草原の惑星に戻すこと。
彼女はそのためのパートナーであり、同志でもあったのだろう。
オスカーはロザリアとの平和な日常よりも、彼女と共に戦う道を選んだのだ。
動画の中、民衆の先頭に立つリーダーのそばで控えていたダリルの姿は、もう、あのちょっとふざけたお調子者ではなかった。
歳月が人を変え、もう、オスカーもロザリアの知る彼の姿ではないのかもしれない。
けれど、いびつな身分制度が取り払われた草原の惑星は、これから、徐々に発展していくだろう。
彼の願う、平和で平等な世界に。