聖地の時はゆっくりと過ぎていく。
花が咲き、枯れ葉が舞い、時には雪がちらつく季節が巡ってゆく。

「今日のお茶はどうする?」
補佐官室にひょっこり顔を出したオリヴィエに、ロザリアはにっこりと微笑みかえした。
「ベイクドチーズケーキを用意していますの。陛下達に半分差し上げて、二人で残りをいただきましょうか?」
「半分? 3/4は渡した方がいいんじゃない?」
「そうかもしれませんわね」

相変わらず、アンジェリークはスイーツが大好きだし、ロザリアもお菓子作りを続けている。
この頃はルヴァの好きな和菓子のレパートリーも増えて、先日はとうとう、羊羹にも成功した。
ほんの少し、変わったことと言えば、オリヴィエとお茶の時間を過ごすことが増えたくらいだろうか。
「じゃ、私はお茶を用意しておくからね」
オリヴィエがヒラヒラと手を振って出て行くと、ロザリアは気合いを入れ直して、書類に向き合うのだった。


アンジェリークの治世も6年を数えようかという頃、一つの知らせがロザリアの元に届いた。
「ある方が、ぜひ、ロザリア様にお知らせしたいことがある、と」
研究員の制服を着た男性が、困惑気味に謁見の間で膝をついていた。
彼自身もどう伝えたらいいのか、迷うように瞳を揺らし、手にした封書を捧げている。
ロザリアには『ある惑星の研究員が至急の謁見を申し出ている』としか聞かされておらず、彼がどういう人間なのかもわからない。
おそらく、アンジェリークは知っているのだろう。
あえて姿を現していないのが、彼女の無言の抗議にも思えた。

「・・・聞きましょう」
封書を手に取り、中身を開いたロザリアは知らずに身体を震わせた。
あまり上手とは言えない文字で書かれていた手紙には、
『オスカー様が危篤です。どうか最期に一度、会っていただけませんか。義兄のたった一つの心残りが貴女なのです』
病院の場所と、『ダリル』の署名。
ロザリアは手紙をぐっと握りしめると、ドレスの裾をたくし上げて駆け出していた。



弱々しくベッドに横たわっていた老人が、はっと目を見開いて、身体を起こし、ロザリアを見た。
白い天井とアイボリーの床。
病院特有の消毒液の匂いと、電子機器のリズム。
ロザリアが去った日から60年あまりを経た草原の惑星の病院は、主星と変わらないほど設備が整っている。
シャトルのエアポートから、ここに来る道中も、ロザリアはその変化に驚きを隠せなかった。

一面の草原だった土地は一部残っているものの、道路は広々と整備され、自動車も当たり前のように走っている。
ずらりと連なる電気の外灯、完備された上下水道。
手洗い場でお湯が出ることにも驚いた。
ロザリアがいた時代には、とても考えられないほどの文明の発展具合。
それが、この目の前の老人の手腕であることも知っている。

シャトルから乗ってきたハイヤーの運転手がさんざん教えてくれた。
『この惑星の英雄はギルバート氏、発展の父がオスカー氏だ』と。
全く表舞台に出ることのない娘婿だったが、人の口に戸は立てられない。
オスカーがこの惑星のために身を粉にして働いたことを、この惑星の民なら皆知っていると言う。

「ロザリア・・・」
老人の氷青の瞳に見つめられ、ロザリアは頷いた。
顔には深いしわが刻まれ、年月を経た肌は苦労を伝えるように浅黒くなっている。
身体も二回りは小さくなっただろうか。
あの隆々としていた体躯からは、肉がそげ落ち、かすかに骨が浮いて見える。
それでも、瞳の輝きは、フェリシアの草原で見つめ合った時のように力強かった。

「君は相変わらず、女神のように美しいな。俺はあちこちにガタがきて、そろそろこの世ともおさらばみたいだ」
しわがれた声の中にも、あの日のオスカーの面影がある。
すっかり色の褪せた緋色の髪を骨張った手でかきあげ、オスカーはふっと、ため息をついた。
唇の端をほんの少し上げる皮肉めいた笑み。
懐かしさで胸が締め付けられた。

「俺の持っている全てのものと引き替えにする、と、あの日、君に誓った。だから・・・君には俺を殺す権利がある」
嘘や偽りの感じられない、真摯な声。
「俺がこの惑星でやりたかったことは全てやりきった。もちろん、まだ、足りないところもあるが、それは俺の意思を次ぐもの達に任せておける。だから」
話が長くなるにつれて、辛くなったのか、苦しげに息を吐き出し、

「死ぬときは君の手で、と、決めていた」

オスカーは枕の下から短剣を取り出すと、ロザリアに手渡した。
それはオスカーが聖地にいた頃から持っていたもので、ジュリアスから拝受されたという、神鳥が柄に刻まれた逸品だ。

「さあ、ひと思いにやってくれ。今の俺なら、君のその細腕でも、とどめが刺せるはずだ」

ロザリアは短剣を握り、オスカーに向き合った。
あのころと同じ氷青の瞳に見つめられると、心までが巻き戻ったような気持ちになる。
裏切られたと知った、あのとき。
ロザリアの中に芽生えた確かな憎悪。
殺してやりたい。
そう思わなかった、と言えば嘘になる。
もしもほんの少しのきっかけがあれば、彼も、自分も、彼女も、傷つけていたかもしれない。
あのとき、なら。

「もう、遅いですわ」
ロザリアは短剣を自分のバッグにしまい、微笑んだ。

「それに、あなたからは・・・たくさんのものをいただきましたわ。・・・人を恋する気持ちや愛しいと思う心。あなたと巡り会わなければ、知り得なかったことばかりでしたわ。
今は・・・今はやっと、全ては運命だったと思えますの。二人でこの惑星に来ることも、あなたがここで、別の生き方を選ぶことも。
今日は補佐官として、この惑星の発展の功労者であるあなたに礼を示すため、女王陛下の代理として参りましたのよ」

凜と顔を上げ、ロザリアはオスカーを見つめ返した。
ここにいるのは、オスカーの妻だったロザリアではなく、この宇宙の補佐官のロザリアなのだ。

「草原の惑星を発展に導いた功績を、聖地より賞します。・・・あなたが尽くしたこの星を、これからはわたくし達が見守り続けますわ」
女王の慈愛が、風になって現われたのか。
動かないはずの病室の空気が、一瞬、暖かくオスカーの頬を撫でた気がした。
目を伏せたオスカーのまなじりが、キラリとかすかに光る。

「・・・ありがとう」
絞り出すように、その一言を告げ、オスカーは枕に頭を埋めた。
長い間の心の重しが外れたせいか、その顔はとても穏やかで、すがすがしく見える。


突然、電子音がピーッと長い音を吐き出し、エマージェンシーコールが鳴り出した。
ドアの外がバタバタとうるさくなって、白衣の人々が慌ただしく出入りし始めた隙に、ロザリアはそっと病室を出た。
彼の最期に立ち会う人間は自分ではない。

廊下を走って病室に駆け込む人々の中に、車いすの老女とそれを押す老人がいた。
二人のブラウンの瞳が、一瞬、ロザリアを捕らえて、泣きそうに歪む。
よく似た面差しの男女はきっと姉弟で、男の顔には、かつての面影が残っていた。
「ありがとうございます・・・」
しわがれた声に、ロザリアはただ会釈だけを返して、そのまま歩き続けた。

「お父さん!」
「おじいちゃん!」
口々に呼びかける声が、廊下を進むロザリアの耳にも聞えてくる。
今頃、彼は、子供や孫、家族に囲まれ、人生の舞台を降りたことだろう。
後世に語られる偉大な人物として、彼はその人生を全うしたのだ。
悲しさも悔しさも、怒りも憎しみも、全ては彼が天へと運んでいった。
今はただ、安らかに、とロザリアは空を仰ぎ、祈リを捧げた。


病院を出ると、聖地とは違う、重く湿った空気がロザリアの肌にまとわりついてきた。
草原の惑星は、どちらかというと湿気が多く、そのおかげで草が枯れることがないのだ。

「さあ、帰りましょうか」
ロザリアはハイヤーにもたれ掛かって立っているオリヴィエに声をかけた。
腕を組み、足を交差して立っている彼は、つまらなさそうに唇を尖らせている。
巻き起こる風で長い金の髪がばさばさと揺れ、そのたびにイヤそうに髪をかき上げていた。

「・・・おつかれ」
どうしても病室には行きたくない。
殴っちゃいそうだから、と、オリヴィエはここから動かなかったのだ。
それなのになぜ、この惑星までついてきてくれたのか。
そのさりげない優しさが、今はわかる。

17のあの日、運命の恋に落ちた。
何もかも捨ててもいいと思えるほど、激しく彼だけを想った。
けれど、今、心にある暖かなものは、全てを受け入れて守りたいという願いだ。

「帰りましょう、オリヴィエ。・・・わたくしたちの場所に」

オリヴィエが長い睫をゆっくりと瞬かせる。
微笑みながら、彼が差し出した美しい手に、ロザリアはそっと自分の手を重ねた。

二人の場所へ、還るために。

The end

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