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「よう、お嬢ちゃんたち。待たせたな」
日の曜日の朝、愛馬に乗ってきたオスカーは、颯爽とした百点満点の騎士だった。
相変わらず、笑顔だけで背景に薔薇が咲いたような錯覚を覚えるのは、さすが全宇宙の女性の恋人と公言するだけのことはある。
「おはよ。乗馬なんて久しぶりだよ」
そして、もう一人。
オスカーの後ろで、栗毛の馬にまたがっているのはオリヴィエだ。
遠乗りをしたい、とオスカーに頼んだのはロザリアだったが、3人というのは、どうやっても難しい。
アンジェリークは馬に乗れないし、ロザリアは得意だが、それではお出かけする意味がない。
そこで、オスカーが誘ったのがオリヴィエだったのだ。
極楽鳥スタイルで馬にまたがっている姿は、何とも言えず微妙だが、馬の落ち着いた様子を見れば、乗り手としての技量は十分らしい。
「さあ、おいで」
オスカーは馬上からアンジェリークに優しく声をかけると、手を伸ばして、鐙に足をかけるように示した。
アンジェリークが彼の手を握り、足をかけた瞬間、体が宙を舞い、すとん、とオスカーの前に横座りになる。
女性を乗せるのに手慣れた様子だ。
「…結構高いですね」
少し驚いているアンジェリークに、オスカーは楽し気に笑うと、
「またがった方が安定するぜ。…そう、俺に背中を預けてリラックスしてくれ」
こくんと頷いたアンジェリークは、おそるおそるといった感じで足を開き、馬の背にまたがる。
即座に、オスカーの腕がアンジェリークの体を背後から包み込んだ。
これが、バックハグ!!
ロザリアは馬に乗った二人の姿に感動していた。
小さく可憐なアンジェリークをオスカーが背中から守るように抱きしめている。
悪い魔女に捕まっていた姫を助け出した騎士。
馬が止まっているのが難点だが、駆け足で走り抜ければ、まさに物語のワンシーンだ。
暗い森の中、二人のまわりだけが、愛のオーラでほんのりと明るく光る…。
神カプの神シーン、最高!
ロザリアは興奮を押し殺し、心のアルバムにふたりの抱擁をしっかりと刻み込んだ。
「あのさ、あんたはどうするの?」
悶えるロザリアの妄想を破ったのは、オリヴィエの声だった。
「私の前に乗るしかないんだけど、それでいいのかい?」
馬上のオリヴィエは、自分の前部分をちょいちょいと指さしている。
上流階級のロザリアには当然、乗馬のたしなみがあるから、一人でも乗れるが…。
もしも、かなりの腕前とバレてしまえば、ロザリアとアンジェリークが一緒に乗る可能性が出てきてしまう。
それでは、バックハグの光景が見られない。
だから、オスカーには一人で乗るのは不安だと言っておいたのだが。
「オリヴィエ様に乗せていただきますわ」
お願いの意味を込めて、スカートの裾を軽くつまみ、膝を折ると、オリヴィエがロザリアを乗せようと手を伸ばしてくれた。
「お気遣いなく」
ロザリアはその手を止め、自ら手綱をつかむと鐙に足をかけ、ひらりと飛び乗った。
とても馬を知らない人間とは思えない仕草に、オリヴィエは目を丸くする。
「さあ、まいりましょう。おいて行かれてしまいますわ」
アンジェリークとオスカーは、先に馬を進めている。
隣で凝視するのは無理でも、近くで二人の様子を見つめていたいのが、ロザリアの推し愛なのだ。
馬はゆっくりと進んでいく。
ロザリアからアンジェリークとオスカーの声は聞えないが、なにやら楽し気に話しているのはわかる。
アンジェリークの『はにかみ顔』や『テレ顔』、ちょっぴりふくれた顔。
ころころ変わるいろんな表情のどれもが可愛くて愛おしい。
つい夢中になって見ていたら、背後から、ふう、と小さなため息が聞こえてきた。
驚いて振り返ると、手綱を握るオリヴィエが妙な視線でロザリアを見つめている。
「あんた、オスカーのことが好きなの?」
いきなりの頓珍漢な質問に、ロザリアは顎が外れるほどの勢いで首をかしげると
「はあ?!」
大きな声で聞き返してしまっていた。
「いや、だって、ずごく真剣な目で見ているし」
「わたくしが見ているのはオスカー様ではありません」
「最近、すごくオスカーの執務室出入りしてるじゃない?」
「それもわたくしのためではございません」
「じゃあ、なんのためだって言うのさ」
「もちろんアンジェリークのためですわ」
「アンジェ?」
「ええ、わたくしの大事なアンジェリークに似合う恋人としてオスカー様が必要なんです。アンジェリークとオスカー様はまさに神カプ。ふたりが繰り広げる萌えシーンが、この飛空都市に来てからのわたくしの生きる支えなのですわ」
「えええ?!」
オリヴィエは絶句した。
相変わらず、ロザリアの言っていることはよくわからない。
神カプ?萌えシーン?
とにかく、アンジェリークとオスカーの恋愛を猛プッシュしているらしいということは理解できたが、それが生きる支えとは、いったいどういう意味なのか。
森の湖に近づくにつれ、木々の美しい緑の香りや、優しい木漏れ日が感じられてくる。
馬のぱかぱかというリズムの良い足音と、遠い鳥のさえずりや爽やかな風が耳を通り過ぎるのが、とても心地よい。
馬上でイチャイチャしている(ようにロザリアには見ている)二人は、やはり映画の恋人同士のようにお似合いだ。
ここに来てよかった。
心の中でロザリアは盛大にガッツポーズをしていた。
湖は静かで、美しい景色が広がっている。
太めの木の幹に馬をつなぎ、4人はほとりにレジャーシートを敷いて腰を下すことにした。
「馬って…結構腰が痛くなりますね」
アンジェリークが腰をさすりながら、ぺろっと舌を出すと
「たしかにな。まあ、慣れれば体の使い方がわかってくるから、そこまで痛みは出なくなるさ」
オスカーは、どこから出してきたのか、座布団のようなものをアンジェリークに手渡している。
さすがの気配りだとロザリアは感心した。
せっかくなのだから、二人きりにさせて、もっともっと親密にさせたい。
ロザリアはオリヴィエを誘い、湖の反対側へと歩き出した。
「この辺ならいいかしら」
湖のほとりをぐるりと回り、ちょうど反対側にいる二人がよく見える位置の草の上にレジャーシートを敷いた。
話している声は聞えなくても、アンジェリークの顔はよく見えるし、このくらいの距離感がロザリア的にも安心する。
スモルニイでもいつも、こうして物陰からアンジェリークを見ていたからだ。
オスカーがアンジェリークの耳元で何かをささやくと、アンジェリークは頬を染め、楽しそうに微笑んでいる。
木漏れ日がキラキラとアンジェリークの金の髪を輝かせ、はじけるような笑顔は、その光よりもまぶしい。
「可愛い…」
思わず感嘆のため息をこぼすと、隣でオリヴィエがくすくすと笑っている。
いつの間に隣に!とロザリアはぎょっとしたが
「言っとくけど、あんたが私をここまで引っ張ってきたんだからね。座るくらいは許してくれるでしょ」
ド正論を突きつけられて、ロザリアはぐっと黙り込んだ。
「あんた、ホントにアンジェリークが好きなんだね」
「…」
「実は、私、あんたはアンジェリークのこと嫌いだと思ってたんだよね」
「え?!なぜ?!」
アンジェリークにも似たようなことを言われたことを思い出して、つい聞き返してしまう。
「だって、アンジェに対する態度、すごくそっけないし、怒ってる時も多いし。って、まあ、それは誰にでもか」
オリヴィエは黒い羽飾りをひらひらとさせ、ロザリアの頬をくすぐった。
「でも、あれ、照れてたんだ。ね、萌えシーンってどういうの?」
「それは…恋愛映画などでもございますでしょう?壁ドンとか、頭ポンポンとか。きゅんとくるラブシーンですわ」
「あ~。そういうのね。で、あんたはあの二人でそのシーンを見て楽しんでる、と」
「楽しんでいるというのは心外ですわ。二人のことを応援しているだけです。やましい気持ちは少ししかありませんわ」
ツン、と顎を上げて高飛車なロザリアに、オリヴィエは笑いがこらえきれなくなった。
「少しはあるってことか。…あんた、結構おもしろいね」
唇の両端をあげ、にんまりと笑うオリヴィエに、ロザリアは眉を寄せた。
生まれてこの方、『きれい』や『優秀』と言われることはあっても、『おもしろい』という指摘は受けたことがない。
それこそ心外だ。
「わたくしはいたって普通ですわ…あ!」
思わず、声が出た。
向かいの二人がなにか笑いあっていたかと思うと、オスカーが自分のマントを肩から外し、アンジェリークにふわりとかける。
「ああ!彼に上着をかけてもらう!萌えシーンですわ!遠すぎてよく見えないじゃありませんの!」
ほんのりと頬を染めるアンジェリークは、遠目でもとても可愛らしく、オスカーといい雰囲気に見える。
ロザリアは目を見開いて、少しでもよく見ようと身体を前にと乗り出した。
「きゃ?!」
乗り出した際に手をついた草がずるりと土を滑ると、そのまま前のめりに倒れこむ。
危うく湖に転落しかけたところで、ロザリアの身体をぐっと力強い手が支えた。
「ちょっと!なにやってんのさ」
柔らかな金の髪が頬に触れ、華やかな香りがロザリアの鼻をかすめる。
すぐ横にある顔は女らしくメイクで整えられているのに、腰を支える腕はしっかりとした男性の腕だ。
ロザリアは危険の淵から救出された安堵感なのか、一瞬、呼吸が止まりそうにほど心臓がはねるのを感じた。
「も、申し訳ありません」
慌てて居住まいを正し、オリヴィエに頭を下げる。
「ホント、気を付けなよ。あんたって、案外、天然だよね」
オリヴィエは何事もなかったかのように、レジャーシートの上でくつろいでいる。
無理やり連れてこられて不愉快だろうに、そんな雰囲気はみじんもなく、むしろ楽しそうだ。
不思議な人。
視界に入るオリヴィエに対する、このすっきりしない感情はなにか。
変わり者ばかりの守護聖の中でも、オリヴィエは奇抜なスタイルや話し方で、さらにわかりづらい。
正体が見えているのに、するりと逃げられる、そんな感じ。
ロザリアはふるふると頭を振って、無駄な考えを追い払うことにした。
考えても仕方ないことを考えるのは時間の無駄だし、今は何より、大事なことが他にあるのだ。
向こう岸では、オスカーがアンジェリークを優しく見つめている。
遠くからでもわかるスイートでラブリーな雰囲気。
二人が惹かれあっていることは間違いないだろう。
オスカーが転びかけたアンジェリークを抱きとめた、あの時、ロザリアは二人の運命を確信したのだ。
「そう、萌えシーンだからですわ…」
さっき、オリヴィエに抱きとめられた時のドキドキは、それが萌えシーンの再現だから。
恋人同士じゃなくてもドキドキするのが、萌えシーンのパワー。
体感してみて、よく分かった。
ああ、次は壁ドンが見たい…。
「あれ?ロザリアったら寝ちゃったの?」
アンジェリークとオスカーが、並んで湖の周囲を歩いてきた。
オリヴィエが唇の前で人差し指を立て、しーっと二人に知らせると、忍び寄ってきたアンジェリークはしゃがんで、ロザリアの寝息を確かめている。
「うふ、ぐっすり寝てる。朝早くから起きてたから疲れちゃったのね」
「早起きだったの?」
「おやつを作ってくれてたみたいなんです。このクッキーとか」
アンジェリークが指さしたのは、ロザリアが抱えていた手提げだ。
たしかにくんと鼻を動かすと、甘い香りが漂ってくる。
「わたしが甘いもの好きだから、いろんなものを作って食べさせてくれるんです。『試食させてあげるわ』なーんて言って」
高飛車なしゃべり方のロザリアの物まねをしつつ、アンジェリークの目は優しく細められている。
「あんたたち、すっかり仲良しなんだね」
「はい!ロザリアって、時々すごく面白んですよ」
「わかるよ。無自覚なのが、また面白いんだよね」
アンジェリークとオリヴィエは顔を見合わせて、くすくすと笑う。
すると、そばで聞いていたオスカーが
「もう少し寝かせておいてやるか。こっちのお嬢ちゃんは俺と馬で走ってこよう」
「あんたにしては気が利くじゃない」
「がんばるお嬢ちゃんたちには優しい男なのさ」
アンジェリークの手を恭しく取り、愛馬をつないでいる箇所へ戻っていく。
たしかに見た目、二人はなかなかお似合いで、ロザリアが騒ぐのも無理はない。
オリヴィエは動かせない身体で、ほんのちょっと背中を伸ばすために、後ろに手をついた。
飛空都市の気候の良さは折り紙付きで、爽やかに吹く風に、ロザリアの頬の巻き毛が揺れる。
すやすやと眠るロザリアは、とても無邪気で天使のように可愛らしく、いつまでも見ていられそうだ。
生意気な子猫ほど寝顔は可愛いもの。
心地よい森の空気に包まれ、オリヴィエ自身もあくびを繰り返していた。
しばらくして目を覚ましたロザリアは、頭の下になにか柔らかいものが当たっていることに気が付いた。
しかも、すごくいい匂いまでする。
「あ、起きた?」
空から声が降ってきて、はっきりと覚醒した。
マスカラで縁どられたダークブルーの瞳と、艶めいた唇がすぐ目の前にある。
膝枕。
今、ロザリアはオリヴィエの膝枕で眠っていたのだ。
「も、申し訳ありません!」
飛び起きて、土下座で謝ると、オリヴィエは声を上げて笑っている。
「自分が萌えシーンやってみた感想はどう?」
「どうって…」
すごく恥ずかしいうえに、なんの喜びも胸キュンもない。
ちょっとだけドキドキはしたけれど、これはただの羞恥心。
レディにあるまじき、寝顔をさらすという行為自体が恥なのだ。
真っ赤な顔で堪えているロザリアの頭に、オリヴィエは手を置いて、ぽんぽんと軽く叩いた。
「え~と、頭ポンポンって、これでしょ?もう一つ、萌えシーン追加だね」
からかわれている。
楽し気にウインクするオリヴィエに、ロザリアは憮然として、頭を払ったのだった。
アンジェリークとオスカーに合流し、ロザリアが持ってきたスイーツをつまむことにした。
レジャーシートに車座で座り、ちょっとしたピクニック気分が楽しい。
「ぽかぽかで眠くなっちゃうね」
ニコニコしながらアンジェリークがつぶやくと、ロザリアの背中に冷たい汗が流れる。
一足先に昼寝した挙句、それがオリヴィエの膝枕だったなんて、アンジェリークには絶対に言えない。
すでに見られているとは知らず、ロザリアの声はつい上ずっていた。
「あ、後で少し休んだらいかがかしら?」
「じゃあ、オスカー様、膝枕してくれますか?」
「ははは、よろこんでお嬢ちゃんの枕になるぜ」
心臓に悪い会話に、ロザリアはひたすら知らんぷりをしてやり過ごした。
ポットの紅茶を紙コップに注ぎ、広げた紙ナプキンにクッキーを並べる。
アンジェリークがいつもどおり、砂糖を3個入れるのを見て、オスカーとオリヴィエは顔を見合わせていた。
「美味しい!」
早速クッキーをぱくついたアンジェリークがにっこりと笑う。
その天使のような笑顔に、ロザリアの胸はきゅんと掴まれた。
可愛くて愛しい。最高に推せる。
この笑顔のためなら、クッキーなんて100個でも焼ける。
アンジェリークのそばにいられる奇跡を存分にかみしめていると、オリヴィエがニヤニヤしているのが目に入った。
そして、いきなり
「あーん」
オリヴィエが指先でつまんだクッキーを、ロザリアの口の前に差し出してきた。
「は?」
なにか言い返すよりも早く、クッキーはぐいぐいと口元に押し込まれてくる。
アンジェリークに気づかれないように、ぎろりと睨んでも、オリヴィエは素知らぬ顔で、やたらにっこりしたまま、手の力は緩まない。
ロザリアは仕方なく押し込まれたクッキーをかじった。
自分で言うのもなんだが、クッキーはサクサクでとても美味しい。
もぐもぐ咀嚼していると、
「あんたもやってみたら?」
オリヴィエがオスカーにクッキーを手渡している。
すると、オスカーもアンジェリークに
「あーん」
と、クッキーを差し出したのだ。
ロザリアの目がぎらっと瞬き、一瞬も見逃せないとばかりに釘付けになった。
オスカーがアンジェリークに「あーん」をしている。
決定的な瞬間だ。
「え?うふ、ありがとうございます」
オスカーの手のクッキーをおずおずと口にしたアンジェリークは、嬉しそうに両手を口に当てて笑っている。
「オスカー様に食べさせてもらうなんて、すごく特別な感じがしちゃう」
「おっと、俺も特別なクッキーを食べてみたいもんだな」
「あ、もちろんです。…はい、あーん」
今度はアンジェリークがオスカーに「あーん」している。
近い距離間で繰り広げられる夢のような光景に、ロザリアは胸を抑えて、呼吸を整えた。
素晴らしい。
可愛い推しの神萌えシーン。
最高過ぎて、吐血してぶっ倒れそうだ。
感動のあまり、声も出ないでいると、オリヴィエがぱちんとウインクをしてきた。
そのウインクに込められた意味にロザリアはピンとくる。
オリヴィエはロザリアのために、先に「あーん」をして、二人を誘導してくれたのだ、と。
ロザリアは、よくわかった、という意図を込めて、ウインクを返した。
なぜかオリヴィエがくすくす笑ったのが、気に入らなかったが…。
アンジェリークとオスカーが「あーん」をしあうという、神萌えシーンを心のアルバムに刻み込んだロザリアは、そんな些細なことをすぐに忘れてしまったのだった。