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それから、ロザリアの心のアルバムはものすごいスピードで増え始めた。
強力な助っ人のオリヴィエが、アンジェリークとオスカーをうまく誘導してくれるようになったからだ。
下界で流行っているという少女漫画を読んだり、恋愛映画を見たり。
彼なりに『萌えシーン』を研究してくれているらしい。
今日も、ロザリアの私室にやってきたオリヴィエは、パラパラと雑誌のページをめくり、ロザリアが付箋をつけているシーンを見つけた。
「ふーん、こういうのにときめくんだ」
「ええ。このいきなりの距離感にぐっとくるんですのよ」
「女の子って難しいんだねえ。あ、これはわかるかも。ドンってきて、ぎゅっとくるってやつ」
「壁ドンですわね!これは素晴らしく萌えですけれど、なかなか実現するのは難しくて」
「…なるほど。ま、任せときなって」
オリヴィエは余裕の口調で約束すると、翌日、本当に上手く演出してくれた。
いきなりオスカーの執務室に呼び出されたときは何事かと思ったが、オリヴィエがなにげなくアンジェリークに壁ドンし
「可愛いアンジェ。ね、私にしなよ」
そんなセリフを耳元でささやいている。
突然、美形に迫られて頬を赤く染めたアンジェリークは、ドキドキの困り顔で壁の前に立ち止まったままだ。
その戸惑い顔も可愛くて、ロザリアのドキドキ指数はぎゅいーんと急上昇してしまう。
「下界ではこういうのが流行ってるらしいよ。私とオスカー、どっちのほうがドキドキするかな?」
オリヴィエは、オスカーをちらりと見て、挑発している。
同い年でお互いに負けず嫌い。
そんな言葉に乗せられたふりで、たぶん、オスカー自身も楽しんでいるのだろう。
にやりと笑うと、壁際のアンジェリークの横に手をつき、
「全宇宙の女性の恋人は今日で終わりにすると約束しよう。俺にはお嬢ちゃんだけだ。だから…俺にしろよ、な?」
緋色の髪をさらりとかき上げて、氷青の瞳でアンジェリークを見つめる。
歯の浮くようなセリフも、オスカーが言えば、声だけで惚れそうな雰囲気だ。
そばで見ているだけのロザリアですら、うっすらときめくのだから、視線にとらわれたアンジェリークは大変だろう。
オスカーに壁ドンされて、さらに耳まで赤く染まったアンジェリークは、段ボールの中で震える子犬のように可愛らしい。
潤んだ緑の瞳は、うっとりとオスカーに釘付けになり、オスカーもまた、アンジェリークを見つめている。
王の目を盗んで逢瀬を交わす二人。
騎士からの強引な求愛に震える姫…!!!
身分違いと知りながらも、燃え上がる思いは焼き尽くすほどに狂おしく…!!!
二人を主役に据えた、ヒストリカルロマンの世界に、ロザリアはどっぷりと浸っていた。
「ロザリア、今日もありがとう。すごく勉強になったわ」
アンジェリークとすっかり打ち解けた今、金の曜日の午後の勉強会は恒例になっている。
金の曜日のうちに一週間の復習をしておいて、土日でそれぞれに理解を深め、月の曜日からの育成に備える。
そんなルーティンができてから、アンジェリークの育成はめきめき進み始めた。
育成の基礎の理解力も格段に上がっているのだ。
仲良くなれば憧れのような気持ちは消えて、アンジェリークに対する想いにも変化があるかもしれないと考えていたロザリアだったが、そんなことはみじんもなかった。
むしろ、アンジェリークを知れば知るほど、外見だけではない、心の清らかさや純粋さ、あらゆるものへの慈愛の気持ちなど、ロザリアにはまぶしく映ることばかりだ。
今も『最推し』の気持ちは、一ミリも揺らいでいなかった。
「ね、ロザリア、相談…してもいい?」
きゅるんと潤んだ目でアンジェリークが切り出した。
「なにかしら?」
言い出したくせに、アンジェリークはもじもじとして、なかなか話を始めない。
その様子が餌をねだるハムスターのように可愛くて、ロザリアは続きを促さず、うっとりと見つめていた。
すると。
「あのね、わたし、実は、告白しようかな、って思ってるの」
「なんですって?!」
驚きのあまり、立ち上がったロザリアに、アンジェリークはうるうると捨て犬のような目を向けてきた。
「びっくりするよね…。女王試験はどうするんだって、叱られてもしょうがないと思ってるわ。でも、もう我慢できないの。こんなもやもやした気持ちを抱えて、試験を続けるなんて、わたしにはできない…」
アンジェリークの決めたことなら、全力で応援するに決まっている。
気持ち的にはそうだが、心の中のもう一人の冷静なロザリアが、本当に大丈夫なのかと念押ししてきた。
女王は恋をしてはいけない。
もちろん女王試験でも恋をしてはいけない。
そんな暗黙のルールがあることを、ロザリアもアンジェリークもひしひしと感じている。
もしかしたら、女王候補を剥奪されて、飛空都市を追い出されるかもしれない。
でも、とロザリアは考えた。
ロザリアが女王になるのだから、アンジェリークが女王候補剥奪になっても困ることはない。
たとえ、追放されたとしても、女王命令で補佐官として聖地に呼び戻せばいいからだ。
『我慢できないほど好きな人』が守護聖として聖地にいるなら、アンジェリークだって喜んで来てくれるに違いない。
それになにより。
アンジェリークがオスカーに告白しているところが見たい。
それにオスカーがどんなふうに応えるのかを見たい。
抱きしめて、ひょっとしたらキスなんかしちゃうかもしれないし、きっと今まで以上な神萌え激萌え最萌えなシーンの連発だ。
想像しただけで、ぶるぶると震えてしまったロザリアを勘違いしたのか、アンジェリークはしゅんと頭を垂れている。
「ダメ、かな…」
「いいと思いますわ!!!」
かなり食い気味に、ロザリアはアンジェリークの手をぎゅっと掴んだ。
「好きな気持ちは止められませんもの。きっと、ここで出会ったのも二人の運命。恋はすべてを超越するはずですわ」
「運命…。そうよね!こんなわたしが女王候補に選ばれて、こんなところにきたのも、きっと、あの方にお会いするためだったんだわ」
アンジェリークも立ち上がり、二人はぎゅっと手を握り合ったまま、見つめあった。
固い決意を秘めたアンジェリークの瞳は、いつもの可愛らしさに加えて、一つ芯の通った、輝きに満ちている。
可愛い。推せる。
むしろ愛しかない。
もしも追放されても絶対に呼び戻して、アンジェリークの恋を成就させる。
そして、補佐官として女王のそばにいてもらう、とロザリアは硬く決意した。
「今度の金の曜日、告白するわ。もし撃沈したら、慰めてね」
きっぱりと言い切ったアンジェリークに、ロザリアは強い頷きを返した。
一人になって、ロザリアは、今日のアンジェリークを思い返していた。
最推しのアンジェリークの可愛いシーンを思い出して楽しむという、この儀式は毎夜のことだから、特別な意味はないけれど、今日はやっぱりいつもとは違う気持ちになる。
誰かを真摯に思うアンジェリークの姿は、なんて綺麗で崇高だっただろう。
心の在り方で、やっぱりアンジェリークには敵わないと思う。
ロザリアの『好き』は、見返りを求めていないし、自分の気持ちを知ってもらおうとも思わない。
ただひたすらに、自分の好きを追求しているだけだ。
それが『推す』ということ。
けれど、告白をするというのは、相手に伝えるということで、自分の中だけでは完結しない。
否定されるかもしれないし、これまでよりも距離が遠くなるかもしれない。
そんなリスクを抱えても、相手から愛されたいと願うことは、本当に『見返り』なんだろうか。
もっと純粋で尊いもののように思えるけれど、適当な言葉が浮かばない。
とにかく、告白という、最萌えで激萌えで神萌えのシーン。
ロザリアは細心の注意を払って、そのシーンを見守ろうと決めた。
その週の金の曜日まで、ロザリアもアンジェリークもそわそわしていた。
育成にもそれが反映してしまい、珍しく、ロザリアもささいなミスを繰り返している。
いよいよ金の曜日となった今日も朝から、ぼーっとしていて、鋼の執務室のつもりで、隣の夢の執務室を訪れてしまう始末だ。
「どうかしたの?」
ひらひらと羽飾りを振ったオリヴィエが、執務机で頬杖をついている。
お行儀の悪い仕草だが、オリヴィエがやると不思議と艶っぽい。
「どうもしませんわ。…と言いたいところなんですけれど、実はすごいことがあって」
アンジェリークから特に口止めはされていないし、今現在、ロザリアの中で、オリヴィエはかなり信用のできる人物に認定されている。
ロザリアの『推し事』を誰にも言わず、協力までしてくれて。
それだけでなく、アンジェリークの萌え話を嫌がらずに聞いてくれて。
同じ趣味の仲間でもないのに、否定されないだけで、心が軽くなっているのだ。
「くわしくは言えないのですけれど…。わたくしにとってもアンジェリークにとっても、大事なことですわ」
ロザリアの真剣な面持ちに、オリヴィエはそれ以上聞き出すことができなかった。
女王候補二人にとって、大事なこととなれば、守護聖にもひいては宇宙全体の大事でもあるのだが…。
プライドの高いロザリアに、あれこれ聞けば、機嫌を損ねることにもなりかねない。
「ま、せっかく来たんだし、育成だけじゃなくて、お茶でもしようよ」
オリヴィエはさっと席を立つと、ロザリアが返事をする前にお茶の準備を始めた。
少し不満げな顔をしたロザリアだったが、匂い立つダージリンの香りにくすぐられたらしい。
背筋を凛と伸ばしたまま、行儀よく座っている。
「とっておきのお菓子も出しちゃおっと」
オリヴィエは冷蔵庫から、届いたばかりのチョコレートのパッケージを取り出し、ロザリアにふるまった。
おしゃべりを楽しんでいると、あっという間にランチタイムになり、ついでにそのままオリヴィエとランチをとることになった。
いつもながら天気も良いし、カフェで何かつまもう、と話がまとまった時、ドアを叩く音がする。
「オリヴィエ、ちょっといいか?」
ドアが開いて、顔をのぞかせたのはオスカーだ。
ロザリアと目が合うと、一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの人たらしの笑みを浮かべて近づいてきた。
「まさかお嬢ちゃんがここにいるとはな。オリヴィエと二人きりでお茶をするほど親密だとは知らなかったぜ」
にやりと意味ありげに微笑まれて、ロザリアはつんと顎を上げた。
「育成のお願いのついでですわ。ちょうど失礼するところでした」
オスカーが尋ねてきたのだから、カフェでのランチは次回へ持ち越しになるだろう。
それに、ロザリアにはピンとひらめくものがあった。
オスカーがオリヴィエに相談したいこととは、アンジェリークのことではないか、と。
そろそろ告白されそうな雰囲気を感じているのか、それとも、オスカー自ら告白するチャンスととらえているのか。
ロザリア的にはどちらから告白しても、極上の萌えシーンであることには違いないが、好みとしてはオスカーからアンジェリークに愛を懇願するスタイルを見たい。
ロザリアはオリヴィエにちらりと視線を向け、こっそりとサインを送った。
ようするに「オスカーをけしかけろ」という意味なのだが、オリヴィエに伝わったかは微妙だ。
夢の執務室を出たロザリアは、一人でランチを取ることにした。
オスカーがあそこにいるのだから、もしかしたらアンジェリークも一人で、食堂にいるかもしれないと思ったが、見つからない。
大勢の職員たちでそれなりに混雑している中、仕方なく一人で席に座り、いつもなら敬遠する、日替わりランチを頼んだ。
パンとスープ、大盛りのサラダに魚のソテー。
かなりのボリュームだが、今日は忙しくなる予感がするから、しっかりと栄養を取っておかなければいけないと、端から食べ切っていく。
食後の紅茶まで飲み干して、今度は図書館へ向かった。