白ワインとソーダ

Olivie and Rosalia

1

オリヴィエは焦っていた。
時刻はすでに21時を回り、一人暮らしの女性を訪れるには、礼儀を逸してしまっている。
けれど、気が付いてしまった以上、そ知らぬふりをして寝てしまうことはできなかった。
自分で言うのもなんだが、そういうところはわりと神経質なたちなのだ。
おまけに、明日の朝、事が露見した時のことを想像すれば、ぞっと背筋が冷たくなる。

あの青い瞳でじっと見つめられ、これ見よがしに零されるため息。
影の女王。氷の補佐官。
ひそやかにそう噂される美貌の補佐官は、ミスに容赦がない。
先日も、期日に遅れて書類を提出したランディが、皆の前でやりこめられて、半べそをかいていたのを思い出した。
正直、あの時は馬鹿な奴、くらいの感想だったが、事が自分にかかわるとなれば、話は別だ。
皆の前で、「なぜ忘れたのか」「いつ思い出したのか」「今度どう改善するつもりなのか」
夏休みの宿題を忘れた小学生のように追求され、ロザリアの満足のいく答えが出るまで、何度も言いなおしをさせられる。
公開処刑…。
その光景を思い出して、オリヴィエは身を震わせた。

補佐官の屋敷はすぐそこ。
玄関を飛び出て5分後には、もうオリヴィエは補佐官の屋敷の扉をノックしていた。
カーテンの隙間から明るい光がこぼれているから、まだ、ロザリアは起きているはず。
とりあえず、『今日中』という重大タスクをこなせそうで、オリヴィエはホッと胸をなでおろしつつ、扉が開くのを待った。


しばらくして、バタバタとなんだか不穏な足音が扉越しに聞こえてきた。
なんというか、ロザリアらしくない。
普段の彼女は、聖殿の廊下をカツカツと尖ったヒールで足早にかけていくイメージなのだが…。
妙に不揃いなリズムなのだ。

「はあい、どちらさまかしら~?」
ガチャリとなんの用心もなく、いきなり開いたドアに、オリヴィエは絶句してしまった。
いくら聖地とはいえ、この時間に女性の一人暮らしを訪ねてきた人物に対して、いささか軽率ではないだろうか。
しかも、
「あら、オリヴィエ?いったい何の御用かしら?」
綺麗な青い瞳を少し見開いたロザリアは、やたらとにこにこしている。
たっぷりしたコットン素材のシンプルなワンピースは、部屋着にしか見えないし、いつもはきつく結い上げた髪もゆるいハーフアップだ。
完全プライベート。
予想外にそんなところに入り込んでしまった気まずさで、オリヴィエが逡巡していると。
「どうぞお入りになって」
ロザリアは気軽な調子で中へと招き入れてきた。
「え~っと」
手にしていたクリアファイルを渡して、さっさと帰ろうかと思ったオリヴィエだったが、ロザリアの姿はすでに見えない。
きちんと手渡して、中身を確認してもらわなければ、せっかくここまで来た意味がないではないか。
手渡すだけ、と、しかたなく、オリヴィエは彼女の後を追い、屋敷の中へ足を踏み入れた。

補佐官の屋敷はそこまで広くはない。
一人住まい用のワンフロア。
決して貧相ではなく、むしろ一般的には豪華だろうが、聖地の中ではごく普通の造りだ。
オリヴィエは何度か訪れたことのある室内を改めて見まわした。
ディアの時代から、補佐官主催のお茶会が時々開かれていて、その時はテラスとキッチンを皆、自由に行き来している。
だから、見知った空間ではあるのだが、なんだか今日は雰囲気が少し違う気がするのだ。

「適当におかけになってね」
部屋の中央には大きめのソファセットが置かれていて、おそらく彼女も今までそこでくつろいでいたのだろう。
ローテーブルには、ワインのボトルと飲みかけのグラス。
それと簡単なおつまみらしきものが数種並んでいる。
オリヴィエは、二人掛けのソファの中央に腰を下し、テーブルの隅にファイルを置いた。
「まあ、もしかして、わざわざそれを?」
目ざとくオリヴィエの動作に気付いたロザリアは、ファイルとオリヴィエを交互に見て、目を丸くした。
その表情に、オリヴィエはなんだか笑えて来てしまう。
そう言われれば、わざわざ、こんな時間にこんなものをもって押しかけてくるなんて、常軌を逸しているのかもしれない。
なぜ、さっきはあんなに追い詰められていたのだろう。

「そ。今日中って、こんなふうに目を吊り上げられて言われたからね。忘れたら、ひどい目にあわされると思ってさ」
自分の目じりを人差し指で持ち上げて、オリヴィエは肩をすくめてみせた。
冗談ぽく言った効果なのか、ロザリアはさも楽しそうにくすくすと笑っている。
「そんな顔をしていましたかしら?」
「してた、してた。ホント、怖かったって」
「いやですわ」

ロザリアはファイルを取り上げると、中から書類を取り出した。
オリヴィエがチェックした箇所に目を通して、頷いたり、眉を寄せたり。
こうして向かい合って執務の話をするのは初めてではないのに、なんだかオリヴィエはそわそわしてしまっていた。
私邸に二人きり、というシチュエーションはもちろんだが、ロザリアはこんなに表情豊かだっただろうか。
最後まで目を通し終わったロザリアは軽く唇を尖らせて、大きくため息をついた。

「明日の朝礼は長引きそうですわね」
「かもね。これは現地に誰か行くしかなさそうだし」
「…誰か、というのが問題なんですのよ。筆頭2人はムリ。若いメンバーだけでは不安。かといって、オスカーにばかり負担をかけるのも申し訳ないわ」
もっとも、オスカー自身は退屈な聖地よりも出張の方がのびのびできて良いと、いつも言っているが。
「リュミちゃんだって行けると思うよ」
「そうですわね、リュミエールとランディ、いいえ、ゼフェル…。不安しかないですわ」
ロザリアは思いっきりしかめっ面をしている。
そんな顔も初めて見た。

「あはは。たしかにねぇ。でも、案外ゼフェルもやれるんじゃないかな。最近、すごく落ち着いてきたし」
「ええ、それもわかりますけれど」
「若い子には旅をさせろって言うじゃない?」
「あら、それなら、わたくしも旅した方がいいですわね。まだ若いんですもの」

軽い調子でリズムのいいやり取りを続けていると、話題は執務や守護聖のことから、だんだんと広がっていった。
オシャレや流行りのスイーツ。
くそまじめで面白みがないと思っていたロザリアとの会話が以外にも楽しくて、オリヴィエもつい饒舌になってしまう。
ボトルに残っていたワインを2人で酌み交わし、さらにもう一本。

「へえ、主星ではそういうのがフツーなんだ」
「あら、オリヴィエの星は違いましたの?」
皿のおつまみも空になり、二本めのワインもグラスに注いで無くなった。
「おや、飲んじゃったね」
オリヴィエがボトルを軽く振ると、ほんのりと頬を染めたロザリアはころころと笑う。
「しばらく飲むつもりで開けましたのに。でも、とてもいいお酒でしたわ」
「ホント。楽しかったよ」
ちらりと時計を見ると、もう23時を回っている。
思いのほか長居してしまった、と、オリヴィエは慌てて立ち上がった。

「よろしければ、また週末、いらっしゃいませんこと?」
ピクニックでも誘うように気軽な調子で、そんなことを言うロザリアに、オリヴィエはぎょっとした。
無関係ではないとはいえ、親しくもない異性。
簡単に家に招くなんて警戒心がなさすぎる。
確認を込めて、
「…週末?来ていいの?」
と聞き返すと、
「ええ。いつも金の曜日の夜は、新しいボトルを開けることにしていますのよ」
「え、あれ?今日はまだ火の曜日だけど…?」
「きょ、今日は特別でしたの。美味しいチーズが手に入ったものですから!!」
ロザリアは視線を泳がせつつ、空になった皿を指さしている。
たしかに、皿にあったチーズはフレッシュタイプで、オリーブオイルをかけただけのシンプルな風味が最高だった。
「うん、美味しかったよね。新鮮な方がよかったと思うよ」
「でしょう?」

ちょっと得意げに顎を上げた姿に、オリヴィエは女王候補時代のロザリアを想いだした。
あの頃の彼女は正直、鼻持ちならない小娘で、綺麗だけれど棘だらけのアザミのような女の子だった。
それが変われば変わるものなのか。
この年頃の女の子はあっという間に変化するとは知っていたけれど。
「じゃ、今度の金の曜日ね」
さりげなく、誘いを了承すると、ロザリアは嬉しそうに微笑んだ。
その表情もまた、オリヴィエの知らなかったモノで…不覚にもドキッとしてしまったのだった。