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翌朝。
目覚まし時計の音で、もぞもぞと身体を動かしたロザリアは、手を伸ばしてベルを止め、むくりと起き上がった。
どうやら昨夜は少し飲みすぎてしまったらしい。
成人してから覚えたお酒だが、こんなに美味しいものだと思っていなかったというのが本音だ。
ビールのような苦みの強いものは、まだ苦手で、甘口のワインばかりにはなってしまうけれど、気が付けば、ボトルを半分開けてしまっていることもあるほど。
素面では恥ずかしい女子トークもちょっとお酒の助けを借りれば、気軽にできるし、なんというか不思議な開放感がある。
いつもは頑張って押さえつけている本音が、ふわふわと飛び出して、みんなの話も素直に聞けて。
とにかく楽しいことばかりなのだが…。
実は酔ってしまうと、その間の記憶がぽっかりなくなっていることが多かったりもするのだ。
以前も女子会の翌日、アンジェリークから
「昨日の話、内緒だからね!」
と、耳打ちされ、首をひねった。
『昨日の話』の内容がまったく思い出せなくて。
覚えていないことに内緒も何もないとは思ったが、思わせぶりに頷いておいた。
うっすら記憶があるような日もあったり、一部分だけ抜けていたり、その日の酒量で違うらしいというのはわかっている。
なんとなく、ぼやーっとしてきたら要注意。
けれど、今のところ目だった失敗はないし、我ながらすごいことに、記憶はないのに、きちんと飲んだ後の片付けもできている。
だから一人でこっそり飲むぶんにはなんの問題もない、と、目をつぶっていた。
ふと、リビングテーブルを見れば、ファイルが一つ、残されたままになっている。
不思議に思って手に取ってみると、朝礼の議題の資料が挟まっていた。
「おかしいですわね」
ただでさえ、仕事とプライベートの区別がつきにくい聖地で、ロザリアはなるべく私邸に仕事を持ち込まないようにしていた。
どうしても、の時は、書斎のみ。
だから、ここに資料が置いてあるはずはないのだが。
中を見ると、書類には線が引かれていたり、付箋がついていたりする。
「わたくしのものではないですわ」
数か所、わりと綺麗な文字で注釈が描かれていたが、誰の筆跡かわかるほどでもない。
ロザリアは昨夜のことを思い返してみた。
飲み始めるまでの記憶ははっきりしているが、相変わらず、そのあとはうすぼんやりと靄がかかったように途切れてしまっている。
しばらく考えて、ロザリアは諦めた。
きっと飲みながらなにかを思い出して、資料を見ようとしたのだろう。
昨日までに提出された書類は全部、補佐官室に置いてあるから、もしかしたら、持ち帰るときに自分のものと間違えてしまったのかもしれない。
たしかに昨日の帰りは急いでいたし。
そう結論づけて、ファイルを手に、ロザリアは屋敷を出たのだった。
聖殿に出仕すると、すぐに女王の私室に向かう。
朝が苦手な女王は、尻を叩かなければ朝礼に遅刻してしまうからだ。
「陛下!」
いきなり扉を開けると、案の定、女王アンジェリークは身体をびくっと震わせて、髪の毛を梳かしている。
なんとか着替えは終わっているようだが、飾りのリボンが歪んでいて、慌てていたことが丸わかりだ。
「曲がってますわよ」
ロザリアがリボンをぎゅっと直すと、アンジェリークはペロッと舌を出してみせる。
髪をまとめ、ティアラをつけている間に、オレンジジュースを一杯。
とりあえず、それなりの格好だけで引きずっていくのだが、これでもひとたび、玉座に座れば、それなりの威厳を醸し出すから不思議なものだ。
時間ぴったりに謁見の間に滑り込むと、勢ぞろいした守護聖たちを前に、ロザリアは朝礼を始めた。
細かな連絡事項の後、いよいよ今日のメイン議題である問題惑星への守護聖の派遣に移る。
昨日までに資料を読んでおくようにと言明しておいたから、内容は皆わかっているはずだ。
改めてレジュメを配り、議題を述べて、皆の顔を見渡した。
さあ、面倒だけれど、やり遂げなければ。
ロザリアがひそかに気合を入れていると、ふと奇妙な視線を感じた。
その視線の方向へ顔を向けると、夢の守護聖オリヴィエがちらちらと手を振っているではないか。
目が合うと、ばちんとまつ毛が震えるほどのウインクが返ってくる。
思わずロザリアは眉をぐっと寄せ、ふんと顔をそらしてしまった。
いったい、なんの冗談なのか。
今の今まで、どちらかと言えば、無関心だったオリヴィエが、急に愛想よくしてくる理由がわからない。
ロザリアは一度咳ばらいをすると、レジュメの頭から音読を始めた。
一方。
渾身のキラキラウインクを交わされたオリヴィエは、所在なげにストールの裾を摘まんだ。
昨夜はあんなに盛り上がって楽しかったというのに、今日のあのロザリアの態度はなんだろう。
まるっきり何もなかったのような冷たさ。
正直、納得いかない。
ロザリアは朗々とレジュメを読み上げ、
「では、遠征に行っていただく方を選びたいと思いますわ。立候補があればどうぞ」
じろりと青い目で皆を見回している。
けれど立候補、とはいうものの、今回はだいたい絞られているのだ。
オリヴィエがちらりとオスカーを見ると、我関せずといった風情で、小さく肩をすくめている。
堅苦しい聖地よりも出かけている方が性に合っているとはいつも言っているが、先週、他の星から戻ったばかりで、さすがに立候補はしないだろう。
しんとした謁見の間で、誰も一歩を踏み出さない時間が過ぎる。
ロザリアはふうと息を吐き出して、アンジェリークを仰ぎ見た。
「立候補もいらっしゃらないようですので、わたくしが決めても?」
「もっちろん。ロザリアの決定に逆らうはずないじゃな~い」
玉座でニコニコの女王は、きっと何も考えていないに違いない。
「では、僭越ながらわたくしから。…リュミエール、お願いしますわ」
「はい」
楚々とした笑顔でリュミエールが頷いた。
今まであまり遠征したことのないリュミエールだが、不満はなさそうだ。
「そして、サポートとして、ゼフェルをつけましょう。お願いできますわね」
「はあ?!オレか?!」
ゼフェルはびっくりしたようで、レジュメを握りしめてロザリアを睨みつけたが、すぐに
「わーったよ。一緒に行けばいいんだろ」
舌打ちしつつも同意した。
リュミエールとゼフェルという、一見、全く接点のない組み合わせ。
今までなら、リュミエールにはランディかマルセルだったから、指名されたゼフェルが一番驚いているのではないだろうか。
それでも、遠征に同行するというのは、一つ、ステップを上がったともとれる。
そのせいか、心なしかゼフェルも興奮しているようにも見えた。
「では、リュミエールとゼフェルは、別室で遠征についての詳細を詰めてくださいませ。今日はこれで解散にしますわ」
「それじゃあ、終了ね」
立ち上がった女王に付き添うように、ロザリアも一緒に謁見の間を出る。
あとは各自に任せておけば、なんとかしてくれるだろう。
そのあたりは守護聖達を信用している。
「ね、今日の10時のおやつはなにかな?」
軽やかに前を行くアンジェリークの後を追っていたロザリアは、さっきの会議のことが気になっていた。
遠征に適任なのは、間違いなくリュミエールだとは思う。
オスカーは疲れているだろうし、今回の惑星は比較的穏やかで信仰心が篤いから、戦闘の可能性は低い。
神々しいリュミエールの姿は、それだけで人々の心を落ち着かせてくれるだろう。
ただ、なぜ、サポートにゼフェルを指名したのか。
ロザリア自身、その理由がはっきりとしない。
なんとなく、本当になんとなく、ゼフェルにしようとひらめいたのだ。
あの瞬間、誰かと相談したような、そんな場面が思い浮かんだのだが、今、考えてもそんな記憶はまるでなかった。
「チョコケーキとか、こってり系が食べたいな~」
「そうですわね」
ロザリアは湧き上がる疑問にとりあえず蓋をした。
パティシエにチョコケーキを依頼することは、今日一日の女王のやる気にかかわる。
女王の前に急ぎの書類を置き、ロザリアはパティシエの元へと急いだ。