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遠征へ行く2人を無事に送り出し、やっと金の曜日がやってきた。
お酒を覚えてから、毎週末は一人飲みの日と決めている。
ロザリアは冷やしておいたワインを思い浮かべ、おつまみをどうしようかと考えていた。
平日の夕食は通いのメイドが作っておいたくれたものを温めて食べるスタイルだから、つまみは軽いもので十分だ。
常にストックしているチーズや生ハムを使って、アンチョビの瓶も開けようか。
ブラックオリーブも少し残っていたはず。
そんなことを考えていると、執務中でもつい頬が緩んでしまう。
執務終了まであと1時間。
最後のスパートとばかりにペンを走らせていると、扉をノックする音が響いた。
「どうぞ」
この時間にまさか厄介事かと、不安になったのも、つかの間、ひょっこりと顔を出したのはオリヴィエだ。
彼には今、急ぎの執務はないはず、と考えていると。
「今日、カティスのワイン、持ってくからね」
いきなりそんなことを言われて、面食らった。
「今日?」
思わず問い返すと、オリヴィエは少し唇を尖らせた。
「こないだ約束したじゃない?やだ~、もしかして忘れてた?あんたの方から誘ったのに?」
「え?!」
こないだ、とはいつだろう。
ロザリアから誘った、とはどういうことだろう。
そして、ハッと思い出した。
記憶のない火の曜日の夜。見覚えのないファイル。
よくよく考えれば、あの資料に書かれていた文字は、オリヴィエのものだったのではないだろうか。
「もちろん覚えていますわ」
背中に冷や汗を感じつつ、ロザリアはにっこりと微笑んだ。
すっかり忘れていた、もとい、全く覚えていないだなんて、絶対に悟られるわけにはいかない。
それに、『カティスのワイン』の一言に、ぐっと心が掴まれてしまったのもある。
オリヴィエだけでなく、オスカーやあのジュリアスやリュミエールまでが絶賛するカティスのワイン。
飲んでみたい、と猛烈に思ったのだ。
「よかった。じゃ、ちょっとしたら行くね。ご飯は食べてくから、良かったらおつまみくらいあると嬉しいけど。何か持ってった方がいい?」
楽し気なオリヴィエの様子に、ロザリアも少しわくわくしてきた。
いつも一人飲みで、それは別に不満はないけれど、誰かと飲むということに、ちょっとした憧れはある。
アンジェリークには、
『ロザリアは男の人と飲まない方がいいと思うの』
と釘を刺されていたが、オリヴィエなら全く知らない人というわけではない。
しかも自宅なら…。
「ええ!たいしたものはありませんけれど、簡単に準備しておきますわ」
つい、ニコニコで返事をしてしまっていた。
私邸に戻ったロザリアは、用意されていた夕食を温めて食べてから、シャワーを浴び、つまみの準備に取り掛かった。
昼間、考えていたよりも、ちょっと贅沢なフレッシュチーズのカプレーゼ。
野菜スティックには出来合いのバーニャカウダソース。
クラッカーとレーズンバターもロザリアのお気に入りだ。
マッシュポテトはレンチンですぐできるし、サーモンや生ハムはパックから出すだけ。
盛り付けにこだわれば、それなりの見栄えになった。
「あ、ワインクーラーも用意しておきましょう」
せっかくのカティスのワインだから、最適温度で楽しみたい。
気持ちがそわそわしてどうにも落ち着かず、ロザリアはあちこちを掃除したり、テーブルの飾りつけを手直ししたりしていた。
庭に咲いていた薔薇を切り取って生ければ、あまり物のない部屋も少し華やかになった気がする。
待っているうちに、20時を回り、そろそろと思ったところで、ちょうどチャイムが鳴った。
「こんばんは」
執務服ではないオリヴィエを見るのは、女王試験以来かもしれない。
試験中の日の曜日は守護聖との親睦に努める日だったから、全く彼らに興味のなかったロザリアも、何度かデートまがいのことをしたことがあった。
ただ、ロザリアにとっては義務同然だったので、特別な思い出はなにもない。
オリヴィエとのそれも、たしか庭園に行ったかも、という程度の記憶だ。
今日のオリヴィエは、淡いピンクの長袖ロンTに白いフレアパンツという、ラフなスタイル。
着心地重視なのか、派手なアクセサリー類はなく、金のブレスレットとピアスが時折きらりと輝く程度。
メイクも薄目だからか、よりオリヴィエ本来の美貌が強調されていて、ロザリアは少しドキリとしてしまった。
恋愛ごとに疎いとはいえ、綺麗だ、ステキだ、と思う感情は当たり前にある。
もっとも、ルックスだけで言えば守護聖たちは最高レベルだし、なかでもジュリアスはいつ見ても本当に完璧な容姿だ。
オリヴィエは執務服の奇妙さばかりが目立つけれど、こうしてみると、やはり整った顔立ちなのだと改めて思った。
ロザリアは、オリヴィエをリビングへと招き入れた。
補佐官の屋敷は客間がなく、あとは寝室とちょっとした書斎だけなのだ。
異性とふたりきり、という状況に、緊張しないこともないけれど、今更、お互いに意識するような間柄でもない。
オリヴィエはテーブルにセッティングされたおつまみやグラスを見て、
「わ!すっごくセンスあるね。美味しそうだし、なによりもキレイ」
ぱちんとロザリアに大きくウインクをしてくる。
褒められて嬉しくなったロザリアは、オリヴィエからワインのボトルを受け取ると、早速クーラーへと沈めた。
「かんぱ~い」
どちらからともなく声が上がり、軽くグラスを合わせる。
黄金色の液体を口中に纏わせ、鼻を抜ける香りをじっくりと楽しんだ。
喉を通っていく、とろりとした甘さとアルコールの熱。
「…本当に美味しい」
「でしょ?これはカティスが残してくれた中でも、珍しい白でね。ちょっと甘いから食事よりもこうしてアフターで楽しむ方が合ってると思うんだよね。フルーティだから飲みやすいし」
「ええ、わかりますわ。ぶどうの味がしっかり残っていますし、熟成された甘さが…蕩けますわ」
ロザリアはグラスを掲げると、シャンデリアの光を液体に映えさせた。
グラスのカットに反射して、キラキラと輝くワインは、イエローダイヤのように高貴な輝きを纏っている。
美味しいものはキレイだ。
ロザリアは無言でじっくりと一杯目を味わい、手酌で2杯目を注いだ。
「ふふ、よかったらサーブするけど?」
からかうようにオリヴィエに言われて、ロザリアは頬を赤くした。
いつも一人飲みで手酌が当たり前だったから、つい、やってしまったが、注いでもらう方がベターだったのだろうか。
オリヴィエはくすくすと楽しそうに笑って、
「冗談。私も自分のペースで飲みたいから、それぞれ勝手にやろうよ。おつまみもいただくからさ」
ミニトマトのピンチョスを摘まんで、ぱくりと口に放り込む。
「ん、すっごく美味しい。ワインにも合うし、こういうおつまみがあると嬉しくなるね」
簡単なものでもきちんと褒めてくれるオリヴィエに少し驚いた。
聖殿で執務をしているとき、オリヴィエはどちらかと言えば、皮肉屋でマイペース。
はっきり言えば、自己中心的に思えたからだ。
こんなふうにまっすぐに人を褒めたり、料理をパクパク食べるようには見えなかった。
たったワインを一杯飲んだだけなのに、なんだかいつもよりも酔っているような気がする。
早々に2杯目を開け、ロザリアの意識はだんだんと薄らいでいってしまった。
もう3杯目。
あまりにピッチが早いロザリアに、オリヴィエは止めるべきかどうか迷っていた。
美味しいワインだし、楽しんで飲んでくれる分には一向にかまわないのだが、潰れてしまっては大変だ。
彼女のアルコール耐性がどれくらいなのかがわからないだけに困る。
ただ、目の前のロザリアはとくに酔った様子もなく、オリヴィエのたわいもない噂話にも適切な相槌を返してくれている。
顔色にも口調にも変化はないし、少しだけ気になると言えば、すぐにころころと笑い声をあげることだが…。
それもこの時間を楽しんでくれているだけかもしれない。
だんだんと饒舌になるのも、気を許してくれているから。
オリヴィエ自身、先日よりも楽しめているのだ。
まさかロザリアが、こんなにいろんな引き出しを持っているとは思っていなかった。
「オリヴィエの恋バナ、聞きたいですわ」
カティスのワインが空になるころ、ロザリアが突然そんなことを言い出した。
「ええ~?特にたいしたことはないよ」
「そう仰らずに。わたくし、人の恋バナを聞くのが大好きなんですの。アンジェもいつもいろいろ話してくれますし、コレットやレイチェルも。最近はエンジュも集まってますのよ」
「へえ。そうなんだ」
時々、女子会なるものが開かれていることは知っていたが、やっぱり、女王と補佐官でも年頃の女の子らしい。
話のネタは恋バナなのだ。
ワクワクした様子のロザリアのこんな表情は、オリヴィエが今まで知らなかった顔だ。
酒の席というのは、いろいろ問題もあるけれど、本音が出やすいというのは確実だと思う。
一緒に執務をしているだけでは、絶対にわからなかった『恋バナ好き』。
補佐官という硬い鎧を解き放ったロザリアは、見た目のクールさとは違う、普通の女の子だった。
「ホントのこと言うと、真剣に誰かを好きになったことってないかも」
「え?」
「付き合った女の子の数なら、まあ、それなりにいるけどね。私から、って、ほとんどないかな。別れるときもだいたい自然消滅っていうか、連絡するのが面倒になって、そのまま…って感じだし」
「そうなんですのね。アンジェがオリヴィエは遊び人だって言ってましたけれど」
思案顔で頷くロザリアに、オリヴィエは吹き出した。
「ぶっ。あんたたち、そんな話してるわけ?!」
「お許しになって。わたくし達、ほとんど外にも出ないんですもの。噂話をするとしたら、あなたたちのことが多くなるのも仕方ありませんでしょう?」
「まあそうか…。でも、今度、アンジェにはちゃんと否定しといてね」
「否定?それなりの女の子と遊びでたくさん付き合ったと教えておきますわ」
「まとめると結構酷い奴だね、私。事実だからしょうがないけど。ま、たぶん、オスカーの方が男としては真面目だよ」
「ええっ?!」
ロザリアから、思わずといった雰囲気で驚きの声が上がる。
オリヴィエはくすっと笑い、グラスを揺らして、ワインの香りを吸い込んだ。
「オスカーはさ、なんだかんだ言って、すごくロマンチストなんだよ。傍から見てりゃ、とっかえひっかえみたいだけど、付き合ってる時は浮気とかしないし、その子のことをちゃんと本気で思ってるしね。サイクルが早いだけで、一人ひとりには真摯なの」
運命の女性なんてものを信じて探しているオスカーは、オリヴィエには理解できない。
でも、少しだけ、うらやましくもあるのだ。
まっすぐに思いをぶつける恋愛なんて、きっとオリヴィエには起こらないから。
「…早く運命の女性を見つけてほしいですわね。これ以上、聖地の風紀が乱れる前にお願いしたいものですわ」
「頑張るように伝えとくよ」
「頑張りすぎても困るんですけれど…」
本当に困った顔で眉を寄せるロザリアに、オリヴィエは声を立てて笑ってしまった。