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その日からなんとなく、金の曜日の夜は二人で飲むようになっていた。
補佐官と守護聖で執務の共有はしているから、忙しいときはお互い声をかけない。
余裕のありそうな時、オリヴィエがワインを数本持って、ロザリアの屋敷を訪ねると、たいてい、彼女も準備をしてくれていて。
不思議なところで気が合うというか、意識が似ているのかもしれない。
話していても楽しいし、本当に居心地が良いのだ。
「人を好きになるって、どういうものなのかしら?」
悩まし気に、ふう、とため息をついたロザリアに、オリヴィエは肩をすくめた。
今日のワインはスパークリング。
すっきりした味わいなのに、華やかな香りがして、生ハムの塩気にぴったりの逸品だ。
女性人気が高いというだけあって、ロザリアのペースも早く、すでに耳が赤い。
「どういうものか、私もよくわかんないけどね。人に聞くと、つい、その人を目で追っちゃったり、その人のことばっかり考えちゃうってハナシだよ」
「…似たような感情ならありましたわ」
過去を思い返すようなロザリアの表情は、少し悲しげで、オリヴィエの胸がチクリと痛む。
彼女にこんな顔をさせる存在がいたなんて、なんだか…とても不快だ。
「へえ。それは恋じゃないの?」
ことさら軽い口調で聞いてみれば
「恋なのかしら?でも…」
そこからロザリアが語り始めたのは、あまりにも突拍子もない話で。
オリヴィエはさっきの不快感も忘れて、笑い転げてしまった。
「でもねぇ」
とある月の曜日、執務室でイスに深く腰掛けたオリヴィエは、足を机に乗せて天井を仰いだ。
ロザリアとの飲み会は本当に楽しい。
楽しいけれど、なぜだろう。
彼女との距離がそれほど縮まったように思えないのは。
さっき、ロザリアが直々に書類を持ってきてくれた時、
「そういえばさ、この前、あんたが言ってた紅茶のお店、ローズマリーだっけ?よかったら今度買ってこようか?私も飲んでみたいし」
ごく軽い気持ちでそう聞いてみた。
飲み会の時、彼女のお気に入りの紅茶の店を聞いたばかりで、調べてみたら、案外すぐにも行けそうだったのだ。
思い立ったら行動したくなるのがオリヴィエの性。
ついでにロザリアの分も、と思ったのだが。
てっきり、喜んでくれると思ったロザリアは驚いたように青い目を丸くして、黙り込んでしまった。
しばらく目を泳がせて、つぶやいた一言。
「…なぜ、あなたがローズマリーをご存じなんですの…?」
そして、オリヴィエの質問に答えることなく、ロザリアはうつむきながら、ぶつぶつ何かを唱えて出て行ったのだ。
机に乗せた足を組み替えたオリヴィエの頭に、ふと、ひらめいたことがある。
そういえば、前から少しおかしいとは感じていた。
あんなに飲み会では楽しそうなのに、聖殿ではほとんど話しかけてくることもない。
以前に比べれば、朝礼の時、すれ違う時など、目があえば微笑んでくれるし、手を振れば会釈もしてくれる。
けれど、それとて、あいさつ程度で、ランチやお茶には誘うチャンスすらないのだ。
執務とプライベートは分けている、とは言っていたけれど、それにしても冷たすぎるのではないか。
オリヴィエとしては、彼女とはかなり親しくなっていると思っているし、むしろ、話している時間なら女子会のメンバーたちより多いはずだ。
ロザリアだって、初恋の話は、アンジェリークにしか話したことがないと言っていた。
「もしかして…」
ガタン、と音を立てて、椅子を飛び出したオリヴィエは、駆け足で女王の間に向かった。
女王の間には、ちょうどアンジェリークがポツンと座っているだけだった。
「わ!オリヴィエじゃない。…まさか、なにか急ぎの執務とかじゃないよね?!」
嬉しそうに目を輝かせたかと思うと、一転して、じろりと睨んでくる。
どうなの?!と思わないこともなかったが、すでに机に山と積み上げられた書類を見ると、逆に同情したくなった。
「…ロザリアは?」
彼女には聞かれたくない話だから、きょろきょろと部屋の中を見回して探してみたが、見当たらない。
「あ、ロザリアならジュリアスのところよ。なんか、こないだの惑星の動きがどうの、って。長くなりそうだったわ」
アンジェリークはソファに移動して、すっかりくつろいだポーズになっている。
ロザリアが見張っていないと、途端にさぼりだすのがアンジェリークなのだ。
オリヴィエもその向かいに腰を下ろし、そっとアンジェリークの方へ身を乗り出した。
「なあに?秘密の話?」
ワクワクしたそぶりを隠さず、アンジェリークも身を乗り出してくる。
女王候補の頃から、アンジェリークのこういうところは変わらない。
「あのさ、ロザリアって、お酒飲んだりする?」
なにげなく尋ねたつもりなのに、アンジェリークはあからさまに目を泳がせた。
それは、もう、アヤシイほどに。
「え~っと、オリヴィエはロザリアと飲む機会があったの?」
探るような目。
「まあね、こないだ、ロザリアの家に用があって言ったら、ちょうど飲んでて、ご相伴に預かったんだけど」
「ええっ!!…それで、そのときはどうだったの?」
逆に尋ね返されたが、
「別に普通におしゃべりしたりしたんだけど、なーんかさ」
そこで言葉を切り、ちらりとアンジェリークを見ると、微妙な顔つきで何かを考えているらしい。
なにもかもが顔に出るタイプのアンジェリークは、とてもわかりやすい。
ふう、と大げさなため息とともに、考えがまとまったのか、オリヴィエをじっと見つめてきた。
「あのね、ロザリアは飲むと記憶をなくすタイプなのよ」
やっぱり、と心の中で頷いたが、
「へえ、そうなんだ」
冷静に返してみせた。
そのあたりのコントロールはお手の物だ。
「わたし達も何回か飲み会…じゃない、女子会をしてるんだけど、飲むとロザリアってすごくおしゃべりになって、それは楽しいからいいんだけど、話した内容は全然覚えてないのよね~。ある程度飲むと、ホントにきれいさっぱり忘れちゃうみたい」
なるほど。
そういえば、オリヴィエが屋敷に行った時、ロザリアとはすぐに飲み始めることが多かった。
これはひょっとすると、オリヴィエとの会話の内容は、ほとんど記憶にないのかもしれない。
飲み会をしている、ということは覚えているとは思うのだが…。
アンジェリークは首をこてんと傾け、オリヴィエを見つめた。
「…お酒を飲むことは悪くないと思うの。ロザリアって普段からすごくガマンしているようなところがあるけど、飲んだ時は、そういうプレッシャーから解放されたみたいに、よく笑うし、楽しそうだし。でも、ちょっと心配ではあるのよね…。今度、パーティがあるでしょ?」
「ああ、アレね」
女王が統治する主だった惑星の統治者を招待する大規模なパーティ。
晩さん会ではなく、立食のダンスパーティだ。
ただ座って食事をするだけでは交流が狭くなる、と、たしか女王自らが立案したはずだが、聖殿勤めの皆は、女王がマナーに自信がないからだと承知している。
「もちろんお酒も出るし、まあ、たぶん、ロザリアはずっとわたしのそばにいると思うけど、勧められたら断れないじゃない?飲みすぎて、パーフェクト補佐官仮面がとれちゃったらどうしよ?」
「たしかにね。じゃあ、やっぱり晩さん会に…」
「それはダメ!ってか今からじゃ無理!」
アンジェリークは顔面蒼白で首をぶんぶん振っている。
「だから、よかったら、オリヴィエがロザリアを見張っててくれない?そしたら、わたしも、ルヴァとゆっくりダンスできるし!」
思いがけない申し出に、オリヴィエは少し考えた。
飲んだロザリアは、特別困った人間になるというわけではない。
むしろ、パーティであれば、あのくらい楽しそうで、話好きな方がいいのではないだろうか。
氷の補佐官、と言われるよりもずっと。
ただ。
「おしゃべりになるくらいならいいんだけど、ほら、ロザリアってあんまり免疫ないから、ヘンな男とかに誘われてフラフラ~~ってしちゃって、とんでもない事になったら…。プライド高いロザリアだもの。死を選ぶかもしれないわ」
それに関してはオリヴィエも同意見だった。
あんなに楽しそうにおしゃべりしたり、親し気な空気を醸し出したりすれば、勘違いする男もいるだろう。
そうなったら…目も当てられない。
断固として阻止しなければ。
「わかったよ。なんとなく私がロザリアのことを気にしておけばいいんでしょ」
「さっすがオリヴィエ。よかった~、誰かに相談しようか迷ってたの。でもロザリアの秘密をばらすみたいで気が引けてたとこもあったし…。これで安心だわ」
なぜか、ホッとしていることをオリヴィエ自身も感じていた。
ロザリアの秘密を他の誰かに知られたくない。
できれば、彼女を保護するのはオリヴィエでありたい。
その気持ちは、今まであまり感じたことのなかったものだったけれど、不思議と嫌なものではないのだ。
もしも、この世界のどこかに運命の人がいるのなら、出会った瞬間、恋に落ちるのだと思っていた。
一目で他の誰とも違う、何かを感じて、その人のことだけを考えるようになって。
でも、本当にそうなのだろうか。
じわじわと、心を占めるようになった、この感情こそが…。
「今度の金の曜日は、ワインに合うチーズケーキでも持っていこうかな」
喜ぶロザリアの顔を想像して、オリヴィエは、自然と笑みがこぼれるのを抑えきれないのだった。