恋の端こいのつま、舞

2.

マップ通りに進むと、シンポジウムの会場はすぐにわかった。
もっと大きな建物を想像していたが、会場はごく普通の3階建てビルと少し大きめな倉庫で、出入り口は一つしかない。
ロザリアとしては助かるけれど、いったい、なんの学習をしているのか、補佐官として気になってしまった。
お昼休みを狙ってきたものの、ビルには人の出入りがない。
無関係のロザリアが勝手に侵入するのもはばかられて、仕方なく、入り口近くの壁際に立っていると、急にざわざわと人が出てき始めた。

「昼ご飯、どうする?」
「あっち行くか」
黒目黒髪ばかりと思っていたが、意外にも金髪や赤、青と派手な髪色の人間もいる。
みな、Tシャツにズボンの軽装で、アクセサリーなどもかなり自由な感じだ。
正直、あまりガラがいいとは言えない。

「あ」
思わず声を上げかけて、ロザリアは口をつぐんだ。
この前絡んできた三人組が、なにやら話ながら仲良く出てきたからだ。
考えてみれば、その通りなのだが、まさか、全員が同じシンポジウムに参加しているとは思わなかった。
男達はロザリアに気が付かなかったようで、そのまま反対側の小道へとぶらぶらと歩いていく。
スニーカーの踵を踏みつぶして、大声でバカ笑いしている三人組は、あまり関わりたくない部類の人間だと改めて思った。


ぽつぽつと人波が途切れて、しばらく後。
ロザリアが、ここではなかったか、と諦めかけたところで、眼鏡の男が一人、悠々と出てきた。
肩で風を切るような威勢のいい大股歩きで、白地に文字がプリントされただけのシンプルなTシャツとダボっとしたダメージジーンズ。
三日前とほとんど変わらないから、すぐにわかった。

眼鏡の男は出入り口を過ぎて立ち止まり、なにかを思案しているようだ。
さっきの男たち同様、昼食に悩んでいるのかもしれないが、このあたりはアルカディアでも繁華街の部類なので、食べるものに困ることはないだろう。
ため息をついて、歩き出そうとした男に、ロザリアは小走りに駆け寄り、声をかけた。
「あの」
じろりと男の鋭い視線が向けられたが、そこに敵意や悪意はない。
透き通った黒い瞳の中に自分の姿が映し出されたのを見て、ロザリアは、子供のころ飼っていた犬の瞳を思い出した。
人懐こくて、ふさふさの尻尾を振って。
同じ黒い目だと感じたら、とたんに、男への壁が消えた気がする。

「先日はありがとうございました」
それで、男もロザリアの事を思い出したらしい。
「ああ」
短く言って頷き、礼を受け入れたそぶりを見せると、すぐに立ち去ろうとする。
あっさりしすぎというか、びっくりするほどそっけない。
ロザリアは慌てて呼び止めた。

「これをあの時に拾ったんですけれど、あなたのものではありませんこと?」
ハンカチに包んだチャームをバッグから取り出して見せると、男は目を丸くしている。
驚きの中で、少し嬉しそうに目尻が緩んで、とたんに優し気な表情になった。
「俺のだ」
チャームを摘まみ上げ、手繰り寄せた太いウォレットチェーンの先の財布を手に取った。
「失くしたと思った」
チャームについている紐と同じ紐が財布のファスナーの金具についている。
そこからちぎれたのだろう。
すぐには直せないと悟ったのか、彼は小銭入れの中にチャームを入れると
「わざわざすまなかった」
軽く頭を下げた。
物を渡してしまえば、もう、ロザリアからはなんの用もない。
もっと話がしたい気もしたが、話すネタがなにも思いつかなくて、ロザリアが黙り込んでいると。

「…あんた、ここの人なんだよな」
ふいに彼が口を開いた。
「おにぎりを売ってる店、近くにないか?」
じっとロザリアを見つめる瞳はとても真剣で、冗談を言っているようには思えない。
けれど
「おにぎり…? 鬼? 握り?」
聞いたことのない言葉に、ロザリアはただただ困惑した。
彼は当然知っているだろうと思って尋ねてくれたのに、知らないことが申し訳なさすぎる。
ロザリアの戸惑いに彼は眉を寄せ、ふうとため息をついた。
「おにぎりを知らねぇのか。参ったな」
目を丸くした後、心の底からがっかりした様子で、そのまま立ち去ろうとした彼に、ロザリアはハッとひらめいたことがあった。

「それはお米という食べ物でしょうか?」
彼がぴたりと足を止める。
「このアルカディアにはお米はありませんの。でも、もしかしたら、わたくしの知人が持っているかもしれませんわ」
頭に浮かんだのはルヴァのこと。
ヤポーネの文化を気に入り、お茶を手に入れているくらいだ。
それに、たしか、あのおせんべいというお菓子の原料がお米だと聞いたような気がする。
「よろしければ、今度、おにぎりを持ってまいりますけれど」
ロザリアはなぜかそんなことを口走っていた。
「あんたが?」
彼の半信半疑の表情に、ロザリアは大きく頷いてしまっていた。
「ええ、またここへお持ちしますわ」
どうしてそんなことを言ってしまったのかはよくわからないけれど、彼のがっかりした顔がとてもかわいそうに思えて、なんとかしてあげたくなったのだ。

「先日、助けていただいたお礼をさせていただきたいと思っていましたの」
「…そうか。別に礼はいらんが、おにぎりならもらう」
あまり表情は動かない男だが、嬉しそうな気配は感じる。
「俺はリュウだ」
あのチャームのモチーフと同じ名前。
やはりあれは彼にとって、大事なものだったに違いない。
「わたくしはロザリアですわ」
彼の事を一つ知ることができた。
ただの名前ではあったけれど、なんだかとても嬉しくて、ロザリアは踊るように、聖地へと戻ったのだった。


すぐにルヴァの執務室を訪ねて、お米のことを聞いてみた。
「ああ~、家にありますよ。お米を炊いたご飯は、ネギとトーフの味噌汁にぴったりなんです」
「本当ですの? ぜひ、少しわけていただけませんこと?」
「もちろんです。ロザリアがお米に興味を持ってくれて嬉しいですよ~」
ルヴァのうきうきした様子に、ちょっぴり罪悪感を感じなくもなかったが、執務終わりにルヴァの私邸に寄り、お米をゲットすることができた。
おまけにルヴァはお米の炊き方や簡単なレシピ本まで貸してくれたのだ。
『ヤポーネの料理』という本には見たこともない料理が、いくつも書かれていて面白い。

「唐揚げ…フリッターのようなものかしら。卵焼き? あら、こんなふうにくるくるまとめるのね」
同じような料理でもロザリアが今まで食べてきたものとは微妙に違っている。
そこで、ようやく、『おにぎり』がご飯をまとめて、中に具を入れたものだと判明した。
ご飯さえあればなんとかなりそうだから、かなり料理としては初級編だ。
ただ、実のところ、ロザリアはこれまで、あまり料理をしてこなかった。
補佐官になってからというもの、お菓子作りには精を出してきて、パティシエとしてはプロ級ともいえる腕前に成長したが…。
ロザリアの育ちでは、料理はコックがするものなのだ。

「まずはお米を炊くことですわね。このお鍋で大丈夫かしら」
厚手の両手鍋を用意して、レシピ通りに炊いてみる。
ちょっと芯があるような気はするが、食べられないほど酷くはない。
これを丸めて…。
「あら?手にくっつきますわね。なんだかべたつきますし」
最初の一個は形もいびつでベタベタになってしまった。
「味も薄いですわ。もう少し塩気があったほうがよさそうですわね」

二個目はもうすこし塩を手に摺り込んで。
その後、ラップを手に敷いてまとめる方法を編み出し、形とべたつきはなんとか解消できた。
「もう一度、お米からやってみましょう」
3度目の炊飯はかなりうまくできた。
ふっくらツヤツヤで、本の写真通りの炊きあがりのように見える。
「…さすがにおなかが…」
出来た失敗作を食べて、すでに二合分。
かと言って、捨てることはできない。

ホカホカと湯気を立てているご飯を前に、とりあえず、おにぎりにしてしまって明日の朝食べようと覚悟していると。
「はあい、ロザリア。お茶でもどう?」
オリヴィエがケーキの箱を片手に突然訪ねてきた。
オリヴィエがこうしてお菓子や新しい服をもって、ロザリアのところに来るのは珍しいことではない。
ラフな私服姿で、女友達の家を訪ねるような気楽さなのだ。

「たまたまアルカディアに行ったら、新しいパティスリーがオープンしてたんだよ。オレンジのタルトがすごくおいしそうでさ」
ケーキの箱をテーブルに置き、オリヴィエはようやくキッチンの惨状に気が付いたようだ。
「なに? これ? …あ、ルヴァのおやつのお団子?」
丸められた白いご飯を見たオリヴィエが首をかしげながら、一つ手に取る。
「おにぎりというものですわ。お米を丸めて、中に具を入れて食べるサンドイッチのような軽食みたいですの」
レシピ本の情報をオリヴィエに伝えると、
「へえ。ごはんってヤツでしょ? 前、ルヴァの家でごちそうになったことあるよ。ミソのスープとかいうのと一緒に」
わりと仲良しの二人らしく、オリヴィエもご飯を知っていた。

「でも、おにぎり?は初めて見たよ。ね、ひとつ食べてもイイ?」
興味津々と言った様子でおにぎりに手を伸ばしたオリヴィエに、ロザリアは頷いた。
正直、食べてもらえるならありがたいし、ついでに味の感想も聞いてみたいと思ったのだ。
「ん、こういう感じなんだ。たしかにお団子より食事っぽいね」
オリヴィエはもぐもぐと咀嚼して、最後の塊を口に放り込む。
「ちょっと塩気があるのもいいし、この黒いシートも風味があるね」
ルヴァが分けてくれた海苔をオリヴィエも気に入ったらしい。
「でも、ちょっと味が単調かな」
「本当は中に具を入れるんですの。でも、今日はいい物が用意できなくて」
ロザリアの言葉に、オリヴィエはなにかを考えるように目を細めた。
ちらっとおにぎりを見て、しばらくの沈黙。
ちょっと不機嫌そうにも見える表情が、いつも楽しそうなオリヴィエにしては珍しい。

「誰かにあげるつもり?」
突然の質問に、ロザリアが目を泳がせると、オリヴィエは肩をすくめて、
「ツナとかコーンとかウインナーとか。そういうのも意外と合うんじゃない?」
的確なアドバイスをくれる。
女王試験の頃から、オリヴィエはいつもこうだった。
ロザリアにとって、信頼できる兄のような、先輩のような関係。

ロザリアは目を輝かせて、
「いいかもしれませんわね。本ではあまり目にしない食材が具になっていて、困っていたんですの」
オリヴィエのアドバイスに食いついた。
「ヤポーネだもんね。あのルヴァの部屋とかにある不思議グッズの惑星なら、私達には理解できないことも多いんじゃない? ミソスープ、不思議な味だったし」
オリヴィエの言うこともよくわかる。
レシピ本ひとつとってみても、ロザリアには未知の料理ばかりだったのだ。
ヤポーネの文化全般を考えても、とても理解できないのかもしれない。

「…でも、知りたいんですの」
おにぎりだけじゃなく、他のことも。

テーブルに残っていたおにぎりを平らげたオリヴィエは、箱からケーキを取り出した。
キレイな輪切りオレンジが零れ落ちそうなほど積み重なったタルト。
爽やかな柑橘の香りがキッチン一面に漂ってくる。
「まあ、美味しそう」
「ふふ、おなか一杯でも食べるでしょ? スイーツは別腹だし」
「ええ、もちろん。すぐにお茶を淹れますわ」
うきうきとしたロザリアがお茶を淹れ始めるのを、オリヴィエはつまらなそうな顔で見つめていたのだった。