恋の端こいのつま、舞

3.

さらに練習を重ねた3日後。
ロザリアは再びシンポジウムの会場を訪れていた。
少し早く着きすぎてしまったこともあって、しばらく隠れて待っていると、一番最後にリュウが出てくる。
リュウは両手をズボンのポケットに入れたまま、ぎょろりと周囲を一瞥した。
お世辞にも目つきがいいとは言えない彼がそういう行動をとると、ますます近寄りがたいイメージだ。
そのまま、大股で歩き出そうとしたリュウを
「ごきげんよう」
ロザリアが呼び止めた。
「…あんたか」
ハッと顔を向けたリュウの目尻が柔らかく下がる。
もしかして、さっきリュウがきょろきょろしていたのは、ロザリアを探していたのかもしれないと思ってしまいそうになった。
「お約束通り、おにぎりをお持ちしましたわ」
ロザリアが手にしていたランチバスケットを振ると、リュウはふっと息を吐き出して、少しだけ笑ったように見えた。


大通りまで出て少し歩くと、公園に出る。
リュウはこのあたりにあまり詳しくないだろう、とロザリアが先頭に立ち、ベンチがある公園まで連れて行った。
少し後ろを堂々とした威勢で歩くリュウは、やはりアルカディアには馴染まない雰囲気だ。
シンポジウムに来ている大半の人間がそうなのだが、独自の文化というか、個性が強すぎる。
珍しい黒目黒髪に加えて、独特のファッションセンス。
すれ違う人々がリュウを避けるようにするのも仕方がない。

アルカディアで一番大きな公園は、様々な花の咲き乱れる天国のような場所だ。
女王をイメージした噴水からは清らかな水が溢れ、水を目当てにやってくる小鳥たちが囀りを響かせている。
常春の緑は風に瑞々しい香りを与え、身体を温めてくれる暖かな光が降り注ぐ。
心地よい陽気はランチにもちょうどいい。
「リュウさん。こちらでいただくことにしましょう」
ロザリアは木の影のベンチにリュウを誘った。
先にロザリアがベンチの端に座ると、リュウは半分お尻がはみ出るほどの隅っこの位置にどさりと腰を下ろした。
大股に足を広げてはいるものの、距離を置こうとしている意識はわかる。
彼なりの気遣いを、ロザリアは微笑ましく感じた。

「どうぞ」
バスケットを広げておにぎりを手渡すと、リュウは軽く一礼して、ラップをめくった。
大柄なリュウの手には小さく見えるおにぎり。
「いただきます」
両手を合わせてからガブリと齧りつくと、リュウは目尻をさげて、海苔ごとかみちぎった。
「美味い」
ガツガツと二口、三口。
中ほどまで来たところで、リュウはぴたりと動きを止めた。
「…これはなんだ?」
齧られたおにぎりの真ん中にピンク色のなにかが入っている。
「スモークサーモンですわ。ヤポーネのレシピ本に『おにぎりの具は鮭など』と書いてありましたの。鮭とはサーモンのことでしょう?」
自信満々でロザリアが答えると、リュウはおにぎりをじっと見つめ、複雑な表情を浮かべた。
「あの、なにかありまして?」
もしかして不味かったのだろうか。
一応、試食はして、ロザリアとしては美味しいと思える仕上がりなのだが……。

「鮭は確かサーモンだな。……燻製ってだけか。それにしても……」
クッとどうしても堪えきれないといった風情で、リュウが笑った。
目尻の下がる優しい笑い方ではなくて、身体を折り曲げて、くくくくくと声を漏らしている。
なぜ笑われているのか理解できなくて
「不味いなら、そうおっしゃって! 笑うなんて卑怯ですわ!」
つい声を荒げると、リュウは居住まいを正し、
「悪かった。俺の知ってるおにぎりってやつと違ってたんだ。…でも、めちゃくちゃ美味い」
すぐに2個目に手を伸ばした。
「それはエビですわ」
「それはキャビアですわ」
リュウに、具材を伝えるたびに、微妙な表情のアクションが起こる。
レシピ本に載っている食材が揃わないので、オリヴィエのアドバイスに従って、ロザリアが合いそうなものをチョイスしたのだが…。

「ごちそうさまでした」
おにぎり3個を食べ終えると、リュウは手のひらを合わせて、ロザリアに礼をした。
「正直、中身は驚いたが美味かった。久しぶりにコメも食えたしな」
リュウはとても満足そうだ。
「…あのよ、このアルカディアってとこは、パンしか食わねえの?」
「ええ、そうですわね。パスタはありますけれど、コメ自体ありませんから」
「そうなのか…」
心からのため息。
黒縁眼鏡の奥の瞳から光が消えたような気もする。
「じゃあ、唐揚げ、とか、卵焼き、とかもねぇのかよ」
「…聞いたことがありませんわね」
なんだか申し訳なさすぎて、ロザリアも小さくなるしかない。
食文化の違いは、惑星ごとにあるものだが、主食がまるっきり違うとなれば、慣れるまでは大変だろう。
しかも、彼はパンが苦手なようなのだ。
食事の後に、ルヴァからもらった緑茶を差し出すと、リュウは目を丸くした。

「お茶もなんか懐かしい気分だ」
ふうと、息を吐き出して、リュウは空を見上げている。
見た目の通り、リュウは饒舌なタイプではなく、どちらかと言えば、ムスッとした表情が多い。
今も彼がなにを考えているのか、ロザリアには見当もつかなかった。
けれど、隣に座って黙ってお茶を飲んでいる、この時間が、不思議と退屈とは思えないのだ。
ボーっと一緒に空を眺めているだけなのに。

今までロザリアの周囲にいた男性は、どちらかと言えば、スマートなタイプが多かった。
女性を楽しませることに長けている男性たち。
守護聖に限っては微妙な部分もあるが、彼らは同僚だから、異性としてはくくれない。
ロザリアのいた上流階級では人脈が大切で、軽妙な会話が嗜みとして求められる。
探り合いと駆け引きは、まず会話から。
だから、ロザリアもその手の付き合い方には慣れているし、今、補佐官として、十分に生かすこともできている。
なのに、リュウはなにも話さない。
ロザリアがなにをしていて、どこに住んでいて、連絡先は…とか、たいていの人間が聞いてくることすら、尋ねてこない。
よく考えたら、全然、知らない女の手料理を食べるなんて、かなり危険ではないだろうか。
無防備なのか、それとも。
信頼されているなら…少し嬉しいかもしれない。

ボーっとしていたリュウが、公園の時計を見て立ち上がった。
「時間だ。ごちそうになった」
いつのまにか、おにぎりの包み紙はキレイに畳まれて、バスケットに戻されている。
お茶の紙コップは手にしたままだから、持ち帰って、捨てるつもりなのだろう。
「紙コップもこちらにどうぞ。一緒に捨てておきますわ」
「悪いな」
コップを大きく振り、しっかり水気をきって、ロザリアに手渡してくる。
体格や目つきに似合わない、細やかな気遣いに、ロザリアは、なぜか頬が緩んだ。


どうしてなのかわからない。
リュウとランチをした後、補佐官室に戻ったロザリアは、また、ヤポーネの料理本を見ていた。
唐揚げのページを探し、付箋をつけ、必要な材料をメモしていく。
「鶏肉を衣で揚げるだけなんて、簡単そうに思えますけれど」
ただ片栗粉という粉は聞いたことがない。
とりあえず、先日ルヴァに聞いておいた、ヤポーネの食材を扱っているサイトにアクセスして、片栗粉以外の醤油や酒も注文した。
おにぎりを嬉しそうに食べていたリュウの顔。
唐揚げも差し入れたら、また、喜んでくれるかもしれない。
そう思ったら、居ても立ってもいられなくなるのだ。

翌日、届いた食材で、早速、唐揚げにチャレンジしてみた。
「上手く切れませんわね」
初めて触った鶏肉は、ぶよぶよした皮に包丁が入りにくく、切りづらい。
なんとか切り分けたバラバラの大きさの鶏肉を調味液に漬け込み、粉をつけて油で揚げるだけなのだが…。
揚げる、という動作も初めてで、すごく緊張してしまう。
「…不安ですわ」
一応、調理器具は最新のIHだから、鍋の温度を一定に保つ機能もついている。
説明書も読んだから、手順自体は理解できているが、一人でやるのはやっぱり不安なのだ。
油を熱する前に、ウロウロとキッチンを歩き回り、ロザリアはハッとひらめいた。

すぐに、携帯で電話をすると、
「なあに? 珍しいものを食べさせてくれるって、ホント?」
オリヴィエが来てくれた。
「唐揚げ、という料理なんですの」
「ふーん」
レシピ本をちらりと見たオリヴィエは、それがヤポーネの料理と知って、ちょっと不満そうだ。
たしかに、ごちそう、とは言えないのに、ちょっと話を盛って呼びつけてしまったことになるのかもしれない。
「すごく美味しいらしいんですの。ぜひ、揚げたてを食べてくださいませ」


オリヴィエはスツールに軽く腰を下ろし、ロザリアがコンロに火をつけるところからを眺めた。
慣れていないせいか、恐る恐ると言った雰囲気が丸わかりだが、ボウルに粉を入れ、肉に丁寧にまぶしている姿は、一生懸命で可愛らしい。
エプロン姿もよく似合っているし、こうしていると、なんだか新婚さんのようでむずがゆい気になる。
ぴぴっと電子音がして、油が十分な温度になったようだ。
ロザリアは、真剣な表情で、肉を油の中へと落とし始めた。
ぼちゃ、と最初の一個は油が跳ねたが、二個目からは、慎重に落としたせいか、じゅわっという、いい音がしている。

ロザリアは基本的に生真面目で優秀だ。
ちょっと天然というかまじめすぎてズレているところが、女王候補の頃から、なんとなく放っておけなくて、ついつい構ってしまう。
言ってみれば、妹のような。
慕ってくれる後輩を愛でるような気持ち。
ずっとそう思って来たけれど、今、こうして、目の前で、誰かのために料理をしているところを見ていると、何とも言えないモヤッとした微妙な感情が湧き上がってくるのだ。
先日のおにぎりも、この唐揚げも、ヤポーネの料理。
なにか意味があるのではないかと思わざるをえない。

オリヴィエがそんなことを考えていると、揚げ時間が過ぎたのか、ロザリアが穴あきレードルで油の中から肉を掬い上げた。
指でつまめるサイズの肉の塊は、ホカホカとした熱気が出ていて、こんがりと美味しそうに色付いている。
「できましたわ! どうぞ」
紙を敷いたトレーに乗った唐揚げを、オリヴィエはフォークで突き刺した。
ガリっとした衣の食感は、あまりなじみのないもので、ちょっと驚いたが、食べてみて納得した。
「美味しい!」
カリカリした衣の食感と、じゅわっとにじみ出てくる肉汁。
塩気とうまみが同時に味わえる、これまたなじみのない調味料の味。
油のカロリーは気になるが、とにかく美味しい。
ワインよりもビールが進みそうな、おつまみとしてもベストな感じだ。

「ちょっと、これ、クセになるよ。すごいごちそう! ああ~~ビール欲しいわ~」
立て続けに3個。
美容を気にするオリヴィエにしては、珍しい食べっぷりに、ロザリアも驚いた。
それほど?と気になって、自分でも1つ、食べてみる。
「美味しいですわ」
思わず言ってしまうほど、唐揚げはジューシーで美味しかった。
今まで様々な鶏料理を食べてきたけれど、特別なソースや付け合わせもなく、シンプルに美味しいものは初めてかもしれない。
しかも、ロザリアでも作れるほど簡単なのだ。
オリヴィエと二人で揚げた端から食べきって、材料がなくなったところでお開きになった。

「また食べさせてね」
食べすぎちゃった、と唇を尖らせつつ、オリヴィエは満足げに帰って行く。
急に呼びつけたことを少しも怒らずに来てくれたオリヴィエには感謝しかないし、絶賛してくれたことで、自信もついた。
「明日はおにぎりと唐揚げにしましょう」
ロザリアは、いそいそと翌日の仕込みを始めたのだった。