恋の端こいのつま、舞

6.

「はあ? なに言ってんだ、おめー」
じろりと厳しい赤い目で睨まれて、ロザリアは首をすくめた。
ゼフェルにリュウのことを話して、エアバイクを見せてほしい、と頼んでみたのだが。
「んなこと、できるわけねーだろ。おめーが一番わかってんじゃねーのか」
ゼフェルがばかばかしいと言いたげに、机の上に片足をドンとあげると、ヒラヒラと紙が舞い落ちた。
ロザリアはその紙を拾い、
「言ってみただけですわ。ムリなことはわかっていますけれど」
「ったく、おめーらしくもねえ。未開発の技術を見せるなんて、星の発展を歪めるって知ってんだろ」
ゼフェルの言うことはもっともだ。
ロザリアも自分が間違ったことを言っていることは重々わかっている。
けれど、もしも。
どんな形でも、リュウに実物のエアバイクを見せて上げられたら、と思ってしまったのだ。
宇宙のタブーだとは十分わかっていたのに。

「…まあ、地面から空を見上げたら、たまたま見えちまった、とかなら、しょうがねーかもしんねーけどよ」
頭をぼりぼり掻きながら、ゼフェルがつぶやく。
こういうところ、なんだかんだでゼフェルは優しいのだ。
ロザリアがムリを承知で言ったことを、ちょっとでも叶えられないかと考えてくれる。
「いいえ、よろしいですわ。ただ…。もしかしてエアバイクでお出かけすることがあれば、お昼ごろにアルカディアの、この公園辺りを飛んでいただけると嬉しいですわね」
ロザリアが笑いながら端末の地図を見せると、ゼフェルは小さく肩をすくめて
「…今日の昼もひまだからな。ちょっとアルカディアに行くのもいいかもしんねーな」
ぽつりとそう言ったのだった。


「なんかあるのか」
その日のお昼ごろ、ロザリアはまた、おにぎりを持って、アルカディアを訪れていた。
ゼフェルとの約束が気になって、ちらちら空ばかり見ていたことを、リュウに気付かれてしまったらしい。
「用があるなら、ムリして弁当を持ってこないでいい。あんたも仕事してんだろ」
おにぎりを頬張るリュウは無表情だが、ロザリアを気遣ってくれているのだろう。
あれからも、毎日とはいかないが、3日おき程度には、ランチを持ってきているからだ。

「あの時の礼なら十分もらった」
「とくに用なんてありませんわ。この時間はお昼休みですから問題ありませんの。おにぎり作りも楽しいからやっているんですのよ。ヤポーネの料理は奥が深いですし」
最近は食材もかなり揃ってきて、鮭のフレークや明太子といった、珍しいものも手に入れることができた。
今まで食べたことのないもので美味しいものを作って、喜んでもらえて。
料理の腕も上達してきて、本当に楽しいのだ。
「俺はありがたいけどよ」
パンばかりの毎日で、ホームシックになりかけていた、と以前、リュウは言っていた。
だから、少しでも力になりたいと…。

「あ!」
突然、リュウが立ち上がった。
「エアバイク?!」
ロザリアも釣られて顔を上げると、空中に見たことのある銀色の機体が浮かんでいる。
ゼフェルのエアバイク。
あんなことを言いつつ、やっぱり来てくれたのだと思って、つい顔がほころんでしまった
エアバイクはアルカディアの上空をゆっくりと進んできたかと思うと、やや高度を下げて、ロザリア達の付近を旋回している。
機体がはっきりと見える位置まで降りてきたところで、ロザリアは違和感に気が付いた。
エアバイクを運転している人物が、ゼフェルよりも一回りは大きい。
すらりとした完璧なスタイルの黒のライダースーツに、流れる金の髪。
ノーヘルなのは問題だが、映画のワンシーンのように、カッコいいのは間違いない。

なぜオリヴィエが?と、ロザリアがいぶかしく思っていると、エアバイクはそのまま公園に着陸した。
「はあい、ロザリア」
気軽な調子で手を振るオリヴィエに、ロザリアは慌てて駆け寄った。
小声で
「なぜ、あなたが? ゼフェルはどうしたのかしら?」
詰め寄ると
「ゼフェルのヤツ、なんか用事ができちゃったんだって。だから、私が代わりに運転してきてあげたんだよ。どうしてもこの時間にここに来なきゃいけないって困ってたからさ」
オリヴィエはフェロモンたっぷりのウインクをして、ロザリアに笑って見せる。
「でも、これは見せてはいけないものなんですのよ?」
焦るロザリアに、オリヴィエはいかにも今、気が付いたかのように、少し離れて後ろに立っているリュウに目をやった。
じっと腕を組み、こちらの様子を油断なく伺う姿。
黒い瞳と視線がぶつかって、音もなく火花が散った。

「もしかして、あいつのこと?」
オリヴィエのダークブルーの瞳がすうと細められる。
一瞬、オリヴィエにまとわりついた冷えた空気にドキリとしたが、すぐにオリヴィエは髪をかき上げると、くすりと笑った。
「大丈夫。近づいてきたら、すぐに飛んでくからさ。細かいとこまで見えなきゃいいでしょ」
「まあ、そうですけれど…」
ロザリアがあからさまにほっとした様子を見せたせいか、
「でもさ、あんた、私のこと、なんて、アイツに説明するつもり?」
オリヴィエはからかうように言ってくる。
「え?」
「ホラ、なーんか、すごい目でこっち見てるよ」
「あら、リュウはいつもあんな顔なんですの。怒ってるように見えますけれど、あれで普通なんですのよ」
「ふーん。そう。…普通じゃないっぽく見えるけどね。敵認定してんじゃないの」
「え?」
「ま、いっか。じゃ、用事は済んだし、行くね」
オリヴィエはポンポンとロザリアの頭を撫でると、ぶうんとエアバイクのエンジンを吹かした。
あっという間に機体が空へ消えると、リュウがゆっくり近づいてくる。

「あんたの知り合いか?」
「ええ。…仕事仲間ですわ」
「派手な奴だったな」
リュウは、うさんくさいものを見るように目を眇めて、エアバイクが消えて行った方向を眺めている。
表情が変わらなさ過ぎて、なにを考えているのかわからないけれど。
「あれが本物のエアバイクなんだな。理論なんかは勉強してわかってつもりだったんだけどよ、実物を見ると、本当に作れるんだなって思った」
黒縁眼鏡の奥の瞳が柔らかく細められて、目尻が下がる。
ロザリアの好きな笑い方。
「見せてくれてサンキュな」
「な! べ、別に、わたくしはなにもしていませんわよ」
「ああ、ま、そんならそれでいい」
憧れの機体を見せてあげられてよかった。
黒い髪を風になびかせて、目を輝かせているリュウに、ロザリアも嬉しくなるのだった。


聖地に戻ったオリヴィエは、エアバイクをゼフェルの私邸に戻すと、執務室に帰った。
すると、そこには女王アンジェリークがいて、勝手にお茶を飲んでいる。
隠してあったレアなチョコレートも、すでに数個がお腹の中らしい。
「おかえりなさい」
ニコニコと出迎えたアンジェリークの前のソファにどさりと腰を下ろし、オリヴィエは足を投げ出した。
「まったく…女王陛下の仰せの通りにしてきたよ」
「で、オリヴィエはどう思ったの? 結構、お似合いな気もするわよね?」
「かもねえ。ま、お嬢様ってのは、ああいうちょい悪風な男に惹かれがちだから」
肩をすくめてとぼけて見せたものの、この目の前の女王陛下にそんな嘘は通じないこともわかっている。
そもそも、ロザリアからのお願いを叶えようと準備をしていたゼフェルに無理難題を突き付けて、出かけられないようにしたのも女王だ。
そして、その代役をオリヴィエに回してきたことに、裏がないはずがない。

「オリヴィエから見てどう?」
「どうって…なによ」
「ロザリアを託せるかってことよ」
オリヴィエは改めて、男の姿を思い浮かべてみた。
顔の造形は整っていて、身長もあって体格も良い。
ちょっと癖のある長めの黒髪も、無造作に見えて、きちんと整えられていたし、ごつめの黒縁眼鏡の奥の瞳も、目つきは悪いが澄んでいた。
アルカディアのシンポジウムに来て学ぶ意欲があるなら、将来性も高いはずで、偏差値で言えばかなりの上位。

「そうだね、まあ、そこそこな優良物件かもね」
「は~、オリヴィエから見ても、いいオトコってことなのね…。うーん、わたしとしてはロザリアが補佐官をやめちゃったりするのは、かなーり嫌なんだけどな」
「補佐官をやめる?」
アンジェリークの口から飛び出した意外な言葉にオリヴィエはドキリとした。
「そりゃそうなるでしょ? もしも二人がラブラブになったら、男の方が聖地に来るわけには行かないし、ロザリアが補佐官をやめて下界に降りることになるんじゃない?」
その通りだ。
女王や守護聖と違って、補佐官には退任の自由がある。
前例はともかく、女王さえ認めれば、下界に降りることはできる。

「って言うけどさ、あんたがロザリアを手離せるの? 執務だって困るでしょ」
「でも、親友ならロザリアの幸せを第一に考えるのが当然だもの。わたし、ロザリアが決めたなら、認めるわ」
本気か、と聴きかけて、オリヴィエは黙り込んだ。
女王試験という困難を乗り越えて育んだアンジェリークとロザリアの友情は、物理的な距離よりも精神的な繋がりを優先するだろう。
ロザリアが本気であの男についていくというなら、アンジェリークは涙を呑んで送り出すに違いない。
お互いに、自分よりも相手を大切に思っているからこそ。

「オリヴィエはずっとロザリアのこと、妹みたいに可愛くて大事、みたいに言ってたから、幸せになれるなら、喜んで送り出してあげるってことよね。あ~、わたしはちょっと覚悟がいりそうだわ…」
ふうと、わざとらしいほど大きなため息をついて、アンジェリークはお茶を飲み干すと、珍しく、足取り重そうに部屋を出て行った。
足音からして、隣のルヴァの部屋に向かったのだろう。
ちょっとルヴァには気の毒だが、女王を慰められる人物は彼しかいない。

残されたオリヴィエは、自分用にお茶を淹れ、ソファに身体を沈めた。
香りのよいダージリン。
瑞々しい春の若葉の香りはロザリアが好きなファーストフラッシュだ。
ロザリアが、あの男について行って、聖地を出て行くなんて。
そんなこと、考えたこともなかった。
守護聖と補佐官という、居心地のいい関係は永遠に続くような気がしていた。
愛だの恋だでは無いけれど、お互いに信頼があって大切で。
でもそれは、閉ざされた籠の中でだけ許された気楽さ、だったのかもしれない。
本当に大事なら。失くしたくないなら。
オリヴィエの長い長い溜息が、夢の執務室の中に、いつまでもふわふわと漂っていた。


その夜、オリヴィエはふらりとアルカディアに降りた。
目的地まで一直線。
守護聖の情報網を使えば、あの男がいる宿を突き止めるのは簡単なことだ。
それ以外のこと、たとえば、あの男がなにをしていて、どんな生活をしているのか、さえ。
オリヴィエは堂々と正面から、リュウをホテルのフロントで呼び出してもらった。
「あんたは……」
ロビーまで下りてきて、オリヴィエを見つけたリュウは、かなり驚いたようだ。
それはそうだろう。
あの時にちらりと顔を見ただけで、話したこともない。
けれど、リュウはオリヴィエがなにをしに来たのか、薄々察しているようで、素直に後ろに着いてきた。
夜の公園は噴水が月明りでキラキラと輝き、昼間とは違う幻想的な光景だ。
暖かな夜風が柔く、頬を通り過ぎていく。

「あのね、ちょっと聞いときたいんだけど、あんた、ロザリアとのこと、なんか考えてんの?」
オリヴィエがズバリと聞くと、リュウは全く表情を変えず、ただ小さく息を吐いた。
「考えてない」
「考えてない? 全然?」
「ああ」
「ホントに? 好き……とかじゃないの?」
「たとえそうだとしても、あんたに言う理由は無い」
ロザリアも言っていたが、本当にこの男は怒っているのかどうなのかもよく分からない。
オリヴィエは髪をかきあげ、じっと眼鏡の奥の黒い瞳を見つめ返した。
ほぼ同じくらいの目線の高さで、無言で睨み合うこと、数秒。

「住む世界が違う、だろ。あんたの言いたいことは」
意外にも先に口を開いたのはリュウで、しかも、彼はオリヴィエの言いたいことをなにもかもわかっているようだった。
「ヤポーネじゃ、わたくし、なんて言う奴はいねぇし、アイツにはこの綺麗なとこが合ってる」
オリヴィエはヤポーネを知らないけれど、リュウを見ていれば、だいたいの文化度は推測できる。
物質的な繁栄はともかく、精神的な成熟度はまだまだ。
黒髪黒目が99%のヤポーネで、ロザリアが幸せになれるとは思えない。

「なぁ、あんた」
「なに?」
「なくなってから大事だったって気づいたって遅いぞ」
ズバリ考えていたことを指摘されたオリヴィエが言い返す間もなく、リュウはくるりと踵を返すと、そのまま、元来た道を帰っていく。
黒髪は闇に溶けて、すぐに見えなくなった。

もしも、リュウがロザリアを連れ出そうと言うのなら、力ずくでも止めても構わないと思っていた。
けれど、にらみあったとき、かなり不利だと直感したのも事実だ。
素手で殴り合いになれば、双方とも無事では済まないレベル。
オリヴィエも腕に自信はあるけれど、負ける可能性もあった。
それでも、ロザリアのために引かないつもりで……でもそれは本当にロザリアのために、だっただろうか。
大義名分をつけて、自分の本心に蓋をして、裏からリュウに身を引かせようとした。
まるで卑怯者のやり方だ。
アルカディアの夜空には満天の星が輝いているけれど、この美しい空だって、決して永遠では無い。
広がる星空を眺めていたオリヴィエは、ここ最近のモヤモヤした気持ちが、すっと晴れていくのを感じていた。



時々のランチと日曜のデートを繰り返すうちに、日は流れていく。
おにぎりづくりもすっかり板についた頃、
「来週の土の曜日で研修は終わりだ。月の曜日には、ここを発つことになってる」
リュウが、たらこおにぎりをぱくつきながら、天気の話でもするようにサラッと言った。
リュウがアルカディアを去る日がやってきたのだ。
事前に知っていたこととはいえ、リュウの口から聞かされると、改めて事実なのだと思い知らされる。
リュウが当たり前に無表情なことも、なんだかとても寂しい。
けれど、
「だからよ、よかったら、次は魚釣りじゃなくて、あんたの好きなとこを案内してくれねえか?」
眼鏡の奥の真っ黒な瞳がほんの少し揺れているように見えて、
「もちろんですわ。せっかくですし、パンも美味しいと思っていただけるようなお店も選びますわよ」
ロザリアは軽い調子で微笑んだ。
本当はもっと言いたいことがあるような気がしたけれど、ロザリア自身もよく分からない。
でも、重苦しい雰囲気にだけはしたくないと思ったのだ。
「パンか…。ま、たまに食うなら悪くねえ」
3個のおにぎりをお腹に収めて、リュウは肩をすくめていた。