恋の端こいのつま、舞

7.

日の曜日。
ロザリアは新しいブルーのワンピースを下して、いつもの待ち合わせ場所に立っていた。
今日が最後のデートになると思うと、なんだか心臓がぎゅうっとつかまれたように痛い。
ロザリアはその痛みを振り払うように、今日のスケジュールを頭の中で思い浮かべた。
自然の園は魚釣りで何度もいったから、あえて、それ以外の場所。
ロザリアも行ってみたかった、パルク・ディマンシュで遊んで、お腹がすいたら、リストランテ・トーロへ。
あそこのパンシチューは絶品だから、きっとリュウも満足してくれるはずだ。
午後からはアクアリウムに行って、暗くなったらメテオール・プレイスでゲームを楽しんで。
行きたいところはたくさんある。

そわそわしつつ待っていると、また、あの3人組が近づいてきた。
本当にいったい、なんなのか。
リュウとなにか因縁があるようではあるけれど…。
わざと目を合わせないように明後日の方向を向いていると、ふいに目の前が暗くなる。
「え?」
途切れていく意識の中で、ロザリアはリュウの姿を思い浮かべていた。


目が覚めると、そこは潰れたカフェの店内のようだった。
こじんまりとした広さに、備え付けのL字型のカウンターテーブルが一台。
隅には葉っぱが全て落ちた観葉植物が寂しげに揺れている。
椅子とテーブル類はまとめて壁際に乱雑に積まれていて、棚には黄ばんだカップが並んでいた。
カーテンもひどく色あせていて破れもあり、とにかく埃っぽくてかび臭い。
ざわつく人々の喧騒が聞えてくるから、街中ではあるのだろうけれど、逆に誰も来ない都会のエアポケットのような場所だ。

「お、目が覚めた? おねーさん」
狐顔の男が、にへらと笑いかけてくる。
ロザリアは自分の両手首が縛られていることに気が付いて愕然とした。
今のところ、何かされたような気配はないが、この男たちの目的はなんなのだろう。
思い切り睨みつけたロザリアに、
「おねーさんに乱暴するつもりはないからさ。そこでリュウがやられるのをおとなしく見ててよ」
狐顔の男が言うと、他の二人、坊主頭と角刈りもニヤニヤと頷く。
「リュウが?」
「そ、おねーさんを攫ったって手紙残しといたから、もうすぐここに来るよ」
「なぜそんなことを?!」
「アイツには恨みがあったんだよ。正確には、アイツじゃなくて、アイツのツレだけどな」
凶悪な顔には強い怒りがにじんでいる。
やはり、なにか彼らの間には因縁があるのだろう。
ヤポーネは民族間の争いもなく、比較的平和だと聞いていたが……。
3人組は明らかにリュウを害しようとしている。

ロザリアがつかまったせいで、リュウがけがをさせられるかもしれない。
何度も絡まれていたのに、注意不足だった自分自身が情けなくて唇をかみしめていると、重いガラス扉をこじ開けてリュウが飛び込んできた。
ドアの隙間からまばゆい光が差し込んで、リュウをヒーローのように照らしている。
予想どおり、ドアの向こうの通りは、そこそこ人が歩いていた。
壁一枚向こうでは、ごく当たり前の日常があるらしい。

「リュウ!戻って!」
叫ぶロザリアを坊主頭の男が軽く足で小突く。
よろめいても、
「早く、逃げて!」
叫び続けるロザリアの首に角刈りがナイフを突きつけた。
「黙ってろ」
ヒヤリと冷たい感触に、ロザリアの喉が詰まる。

リュウは険しい顔で狐顔の男を睨みつけたが、ロザリアと目があうと、少しホッとしたように、眼鏡のブリッジを持ち上げた。
ロザリアが怪我をしてないとわかったらしい。
じりっと狐顔の男が息のかかるほどの距離まで、リュウに近づき、
「お前、ブルードラゴンのリュウだろ。…すぐには気が付かなかったぜ」
にやりと笑みを浮かべた。
リュウの眉がピクリと動くと、
「セイジには世話になったからな。ヤツはおっ死んで、ブルードラゴンはなくなっちまったが、伝説はまだ生きてんだ」
坊主頭がぐっとこぶしを握り、リュウの前にちらつかせる。
いかついこぶしにもリュウは動じることなく、冷めた目を狐顔の男に向けていた。

「なにが望みだ」
「伝説のアンタを俺らがやったってことになれば、ハクが付くだろ? ってことで、アンタにはここでボコボコになってもらって、その画をとらせてもらう」
「おとなしくボコられるだけでいいんだ。楽だろ?」
「アンタさえ言うこと聞けば、このおねーさんもキレイなままで帰れるんだぜ」
ロザリアの喉に当てられたナイフの刃がキラリと光る。
「セイジには散々痛い目にあわされたんだよなぁ」
ヒートアップして距離を詰めてくる男たちに、リュウは大きくため息をついた。

そして、
「そんなことか。俺はかまわないぞ」
いつもかけている黒縁眼鏡を外し、カウンターテーブルの上に置くと、ぶらりと両手を下げ、男たちの前に立った。
構えることもなく、ただ立っているだけなのに、リュウからは圧倒的な威圧感が漂ってくる。
一瞬、男たちはたじろいだが、狐顔の男が
「うぉー!」
叫びながらボディにパンチを繰り出した。
ぼすっ。
身体になにかがめり込む鈍い音。
リュウが全く抵抗せずに受け入れたせいか、狐顔と角刈りは次々とパンチや蹴りを入れ始めた。
腕、背中、足。
顔面にヒットした一撃に、唇が切れて血が滲み、目の周りが腫れてくる。
「う」
しばらく立ったまま、暴力を受け続けていたが、さすがのリュウもダメージが溜まってきたのか、足がふらつきだした。
身長差で身体ばかりを狙われ、息が苦しそうだ。
「おら、沈んじまえ」
がん、と背中を思い切り蹴飛ばされ、リュウが膝をつく。
リュウはそのまま手足を丸めて顔面を腕でガードするような形で横向きに寝転がってしまった。
容赦なく、男たちが蹴りを入れていくと、骨の軋むような音が続いて、リュウが呻く。
一発、一発、蹴られたところに汚れがついて、白いTシャツが茶色くなっていった。

「おやめなさい!」
ロザリアが叫ぶと、坊主頭が首に当てたナイフの刃を立ててくる。
ちくりと痛みが走るが、黙って見ていることなど出来なかった。
「もうやめて!! リュウがあなたたちに何をしたと言うんですの?!」
狐顔がにやりと笑い、リュウの肩を蹴る。
「やめて、だってさあ」
「こんなもんじゃないよな」
「そうそう、オレはセイジに歯を折られたんだぜ」
「河原で水に漬けられたりよ」
「めちゃくちゃやりやがって」
角刈りがリュウのシャツの胸ぐらをつかみ、平手打ちを繰り返すと、無抵抗のリュウの首が左右に触れ、頬が赤くなってくる。
殴っている方の手まで赤くなっているから、相当の力がこもっているのだろう。
友達のために、このまま殴られ続けるつもりなのか。
ロザリアを助けた時のリュウの力なら、やり返すことなど簡単なはずなのに。
「リュウ…」
リュウと目が合うと、彼は『何もするな』と言いたげに、ロザリアに首を振った。
もちろん、ロザリアを人質にとられていることもあるのだろうが、リュウからもっと、強い信念を感じて、ロザリアは黙るしかなかった。

二人がかりで殴られ、数十分が経っただろうか。
とうとう、リュウがピクリとも動かなくなった。
「長引かせやがって」
男二人も全力で殴り続けるのに疲れて、肩で息をしている。
動かなくなったリュウを仰向けにごろりと転がし、狐男が端末を取り出した。
傷だらけのリュウの写真を数枚撮り、自分たちも一枚に収まるように代わる代わる撮影している。
リュウを中心にして、中指を立てた三人。
ロザリアはぐっと歯を食いしばり、その侮辱に耐えた。
「こんなもんか」
「ブルードラゴンのリュウって言っても、たいしたことなかったな」
「手ごたえ無かったぜ」
無抵抗のリュウを小突き、坊主頭がロザリアからナイフを引いた。

すると、
「きれいなおねーさんとちょっと遊ぶのも悪くないよなぁ」
角刈りがじろりとロザリアの上から下までを舐めるように見て、舌なめずりをしている。
下卑た視線は明らかに性的な匂いを発していて、ロザリアは後ずさった。
まだ手を縛られて、自由を奪われている状態。
襲い掛かられたら、ひとたまりもない。

「…女には手を出さない約束だ」
気を失っていると思われていたリュウが、むくりと起き上がる。
痣だらけの顔に、ぎらりと凶悪な光を帯びる黒い瞳。
あれだけ殴られ蹴られ、戦う気力さえ、根こそぎ奪ったと思ったのに、リュウの目は全く死んでいない。
むしろ手負いの獣のような恐ろしさだ。
坊主頭がぶるっと身体を震わせると、狐顔がちっと舌打ちをした。
「行くぞ」
もともと狐顔には、ロザリアをどうこうするつもりはなかったらしい。
ロザリアが補佐官だとは知らないだろうが、もしもアルカディアで犯罪を犯せば、二度と地元に帰れなくなることはわかっていたようだ。
あっさりと引いて、逆に角刈りの頭を叩いている。
「二度とデカい面すんなよ。ま、この画が出まわったら、おしまいだろうけどな」
嫌味なバカ笑いを残して、男たちは去って行った。


しんと静まり返った室内に、外の喧騒が聞えてくる。
多くの足音と人々の話し声。
この状況が嘘のような、楽し気な声だ。
リュウは片膝を立て、床に座り込むと
「いてて…。あいつら、マジでやりやがったな…」
切れた口端の血を手の甲で拭った。
「大丈夫ですの?」
おそるおそるロザリアが声をかけると、リュウは目尻を下げて
「たいしたことねえよ。慣れてる」
よろけつつも立ち上がり、眼鏡をかけなおすと、ロザリアの手の戒めを解いてくれた。
「…傷ができちまったな」
「これくらいたいしたことありませんわ。ネコに引掻かれた時の方がずっと痛かったですもの」
ツンと顎をあげて手をヒラヒラと振って見せると、リュウの目が昏く翳る。
本当にこういう出来事がリュウにとっては日常的なのだと感じた。

店を出ると、まだまぶしい太陽がキラキラと輝いている。
短い影が道路に伸び、ランチのいい匂いがあちこちから流れてきていた。
とても長い時間に感じたが、実はそれほどでもなかったらしい。
見回せば、そこは最初にあの男たちにからまれた路地裏のあたりで、シンポジウムの会場からもそれほど遠くない場所だった。
彼らにとっては、それなりに土地勘のあるところだったのだろう。
やや身体を引きずっているリュウを、ロザリアはいつもランチを食べていた公園へと連れて行った。
ベンチに座らせ、濡らしたハンカチで顔を拭おうとすると、
「自分でやる」
と、リュウに取られてしまった。
血をふき取ると、意外とダメージが少なくて驚いた。
唇は切れて、目の周りは腫れているけれど、表面的な怪我しかないように見える。
「慣れてるって言っただろ」
殴られ方もわかっているということか。
ロザリアは隣に腰を下ろすと、ぎゅっとスカートを握りしめた。

「悪かったな。あんたを巻き込んで」
「…わたくしもぼーっとしていましたから。本気だったら、あんな人たちに負けたりはしませんわよ。護身術も習っておりますもの」
ロザリアが言い返すと、リュウは眼鏡の奥の目を細めて
「そうか、あんたに手を出すときは気を付けるよ」
優し気に目尻を下げた。
噴水の水が眼鏡のレンズに飛んで、小さな虹を作る。
リュウの癖のある黒髪をが優しい風に揺れた。

「俺、ちょっと前まで、結構、無茶なことをやってたんだ。幼馴染のセイジと『ブルードラゴン』なんて名乗って、あちこちと揉めてさ。毎日ケンカばっかりしてた。最初のうちは、強い奴とやって、勝って、二人で無敵だなんて、街でもちょっとビビられて、いい気になってた。でもよ、毎日毎日、知らねえヤツが絡んできて、殴って、殴られて、殴り返したら、また殴られて。なんかもう、そういうのが嫌んなっちまったんだ」
ふう、とリュウが小さくため息をつく。

「やられっぱなしで情けねえって思っただろ?」
「いいえ。暴力からは暴力しか生まれませんもの。その連鎖を止めるほうが、ずっとずっと勇気のいることですわ。わたくしは、リュウの行動を誇りに思います」
ロザリアはきっぱりと言い切って、リュウの目を見つめた。
暴力をふるえば、暴力で返されるのは、世界の真理だ。
けれど、今回に限って言えば、もともとロザリアを助けるためにしてくれたことなのだ。
おそらく、あれがなければ、リュウがあの男たちと関わることはなかったに違いない。
こんな目に合って、もしも恨まれるとしたらロザリアの方だ。

「…ありがとよ。そんなふうに言ってくれたのは、あんたが初めてだ」
黒い瞳の奥がきらりと光る。
「結局、俺はケンカよりもバイクのほうが楽しくなってて、セイジとも遊ばなくなってたんだ。でも、ある時、アイツが俺のバイクを勝手に乗って、スリップ事故を起こして…死んじまった」
なんでもないことのように、無表情で、ただ、透き通った黒い瞳に昏い影が落ちて。
悲しいとも、寂しいとも、きっとリュウは言わないのだろう。
ロザリアの鼻の奥がツンと痛くなった。
「スリップしねぇエアバイクがあれば、セイジは死ななかったかもしれねえ。だから、俺は絶対にエアバイクを作ってやるって決めたんだ」
そのために、リュウはこのアルカディアまでやってきた。
シンポジウムが終わって、ヤポーネに帰って、必ず、エアバイクを完成させるだろう。
それができる人だ。

「なあ、この顔でもよかったら、今から、今日の予定をやり直せねえか?」
リュウのお願いに、ロザリアは笑って頷いた。
「ええ、ちょっと男前過ぎますけれど、よろしくてよ。では、食事にしましょうか?」
「そうだな。…できれば、傷に染みないもんで頼む」
「わかりましたわ。美味しいサンドウィッチなんていかがかしら?」
「パンか。ま、染みなそうだ」
予定していたリストランテ・トーロでサンドイッチを食べ、アクアリウムに向かうことにした。
「水族館か。初めてかもしれねえ」
「本当ですの?」
「魚は見るもんじゃねえからな」
そう言いながらも、リュウは熱心に魚を見ている。
水槽のブルーに照らされたリュウの横顔は、傷だらけで、行き交う人がぎょっと目を見開くけれど、ロザリアは誇らしかった。


アクアリウムを出ると、既に太陽が身を隠している。
ブラブラと静かな小路を歩くと、めっきり人通りも少なくなっていて、夕暮れの風がざわざわと木々を揺らす音が、やけに耳についた。
ぽつりぽつりと灯り始める街灯。
薄い月明りが二人の影を長く伸ばしていた。
「もう、時間だな」
「そうですわね」
刻一刻と別れの時は近づいてくる。
リュウが聖地と下界の時の流れの差を知っているとは思えない。
けれど、ロザリアは知っている。
彼がヤポーネに帰ってしまったら、そこから、もう、二人の時が重なることはないのだ。

「なあ、ちょっといいか」
ピタリと足を止めたリュウが振り向く。
まっすぐに向けられた黒い瞳に、ロザリアはぬい止められたように、動けなくなった。
「あんたを……抱きしめてもいいか」
ここが明るくなくて良かった。
月明りだけで、はっきりと顔が見えなくてよかった。
ロザリアは返事をするよりも前に、リュウの胸に飛び込んでいた。
ロザリアがぎゅっとリュウの背中に手を回すと、彼もそっとロザリアの背中を抱き寄せる。
リュウの背中は大きすぎて、ロザリアが包み込むことはできなかったけれど、目の前に広がる、がっしりとした胸板から、早い鼓動が聞えてきた。

「…緊張しまくって、ざまあねえな」
自嘲気味につぶやくリュウの腕は優しい。
まるで、ちょっとでも力をこめたら、ロザリアが壊れてしまうとでも言うように。
だから、ロザリアがぎゅっとしがみついた。
「…あなた、ちょっと汗臭いですわ」
「アンタはいい匂いだな。花みたいに、いい匂いだ」
きっと、今、リュウはあの目尻を下げる優しい笑い方で、ロザリアを見ているのだろう。
ロザリアの好きな笑い方。
透き通った黒い瞳も、癖のある髪も、全部が。
ロザリアはこみあげてくる想いをぐっと堪えて、リュウの身体の熱をしっかりと心に刻み込んでいた。

どれだけゆっくりと歩いても、いつかは終わってしまう。
のろのろ歩くロザリアをリュウもせかすことなく、並んで歩いてくれた。
閉門間際ギリギリに、セレスティアの正門につくと、リュウはズボンのチェーンを手繰り寄せ、財布をポケットから取り出した。
そのまま、財布のファスナーから竜のチャームを引きちぎり、ロザリアの手に握らせる。
「あんたを守ってくれるように…やるよ」
じいちゃんの形見の竜のお守り。
リュウにとって、とても大切なものなのに。
「あんたに持っててほしいんだ」
ぎゅっと握りしめるリュウの手は、ゴツゴツして、大きくて、とても熱い。
持っていてほしいとは、どういうことなのだろう。
リュウは本当に圧倒的に言葉が少なくて、なにを考えているのかよくわからない。
それでも、彼の大切なものを、ロザリアに与えてくれるのだ。
そこになにがしかの……想いがあると信じたい。

「ありがとうございます。大切にしますわ」
掌に竜のチャームを握り、ロザリアは丁寧な淑女の礼をした。
膝を折り、つま先を突き、スカートの裾を摘まんで。
その優雅な所作を、リュウは黙って見つめている。
「じゃあな……ロザリア」
最後に一度だけ呼ばれた名前。
驚くほどあっさりと、リュウは去っていった。
さっきまでの熱も、何もかも全部、まるでなかったことのように、いつもの無表情で、一度も振り返ることなく。
それが彼らしいのかもしれないけれど。
ロザリアはリュウの背中が見えなくなるまで、じっとその後ろ姿を見送ったのだった。