2.生家に

それから2日後。
エリューシオンの民が中の島にたどり着き、アンジェリーク・リモージュが第256代女王に決まった。
夜空を数多の星が流れていく、荘厳な風景。
新しい女王の力による宇宙の移動が始まったのだ。
ロザリアはそれを落ち着いた気持ちで眺めていた。
不思議と、悔しいとか哀しいとか、そんなマイナスな気持ちは浮かんでこない。
愛に満ちたアンジェリークが見守る宇宙は、きっと平和で幸せな世界になるだろう。
…彼もその一員として、ロザリアの暮らす世界を守ってくれるのだから、なにも心配することはない。


新しい宇宙への移動が無事に終わり、ロザリアはアンジェリークとともに、下界に降りていた。
これから聖地で暮らすアンジェリークにとっては、家族に会える最後の機会。
前女王の特別な計らいで実現した、貴重な数時間だ。
星の小道でアンジェリークと別れたロザリアは、迎えの車にばあやと乗り込むと、生家へ向かった。
家族と過ごす時間、と言われても、ピンとこないのも仕方がない。
女王になるアンジェリークはともかく、ロザリアは、どうせ戴冠式などの諸々が終了すれば、ここへ戻ってくるのだ。
別れの挨拶もなにもない。
ただ、一人、先に聖地に向かっても、負けた女王候補など、今更腫れもの扱いで邪魔だろうと、周囲に気をまわした結果にすぎなかった。

「ロザリア…おかえりなさい」
母の出迎えに、ロザリアは優雅な淑女の礼を返した。
貴族の親子関係というのは、実に微妙なものだ。
生まれてすぐから、ばあやに育てられ、両親とは食事の時や、なにかのパーティなどで過ごす程度。
特にロザリアは幼いころから女王候補として、習い事や家庭教師が多くついていて、家族の時間は少なかった。

テラスのテーブルに、3人で腰を下ろすと、メイドたちがお茶の準備を始める。
香りのよいダージリンは、ロザリアの好きな銘柄だが、ふと、父と母は何が好きだっただろうと考えた。
母は紅茶だった気がするが、父は。ディナーでワインを飲んでいることくらいしか思いつかない。
けれど、
「いい香りだ」
「ええ、ファーストはやはり香りが立ちますわね」
両親の会話を聞いて、父も紅茶が好きなのだと、初めて知った気がした。

養生された芝生の庭に、ゆったりと犬が寝そべっている。
以前は父の猟の趣味のために別荘で飼われていたゴールデンレトリーバーだが、年老いて、本家でのんびり過ごすようになったのだ。
木々の隙間から聞えてくる鳥の声。
カタルヘナ家の敷地は膨大で、庭はちょっとした公園レベルに広い。

「…疲れていないか?」
父の声に、
「はい。…ご期待に添えず、申し訳ありませんでした」
ロザリアは立ち上がり、深々と頭を下げた。
飛空都市へ向かう時、ロザリア自身、必ず女王になると思っていたし、両親にもそう伝えていた。
今思えば、なんと高慢で無知だったことだろう。
「…お前ががんばったことは聞いている。恥じる必要はない」
それきり、父は黙って、お茶を飲んでいる。
頑張りだけで評価されるほど、この世界が甘くないことは、ロザリアもよく知っている。
このあと、ロザリアが社交界でどんな扱いを受けるのかも。

「補佐官になるというのは、本当なの?」
「え?」
母の問いに、ロザリアは眉を寄せた。
一体、誰がそんなことを。
「昨日、聖地から使者の方がいらして、新女王が、貴女をぜひ補佐官に、と希望していると仰っていましたわ。もちろん、貴女の意思を第一にしてくださるそうだけれど」
ロザリアは内心、舌打ちしていた。
親友となったアンジェリークは、エリューシオンが中の島に近づくにつれ、何度もロザリアにそう懇願してきた。
『ロザリアと一緒に宇宙を守っていきたいの。わたし一人じゃ絶対にムリだもん』
ロザリアの気持ちを慮ったのか、冗談交じりではあったけれど、真剣な気持ちは伝わってきた。
もちろん、ロザリアもそれを考えなかったわけではない。
けれど、ロザリアにとって、女王になることが一番の使命で、その次はカタルヘナ家を守ること。
ロザリア自身の気持ちなど、考える余地はなかったのだ。

「わたくしにはカタルヘナ家の血筋を守るという使命がございます」
静かに告げたロザリアに、父は渋い顔をした。
「…いとこのブルーノを養子に取ることになった。カタルヘナ家の跡継ぎにする」
「どういうことですの?!」
ロザリアがつい声を荒げると、父は飲みかけの紅茶もそのままに、さっと席を立って、屋敷の中へ戻ってしまった。
当主の決定は絶対だが、とても了承できるものではない。
直系の娘を差し置いて跡継ぎを立てるなど、カタルヘナ家の長い歴史でも一度もなかったことだ。

おろおろとうろたえる母に、ロザリアは詰め寄った。
「お父様のお言葉は事実なのですか?」
しばらく、目を泳がせていた母がこくりと頷く。
ロザリアはめまいを感じて、椅子に深く座り込んでいた。
「なぜ…ですの。女王になれない娘など、もう不要だと、そういうことなんですの?」
負けた娘は、どこか遠くの修道院にでも押し込めるつもりなのだろうか。
それとも、初めから無かったものとして、カタルヘナ家からも抹消するつもりなのだろうか。
足元がグラグラと揺れる感覚に、ロザリアが絶望していると。
「それは違いますわよ」
普段から貴族女性のたしなみとして、あまり自分の意見を言わない母が、きっぱりと言い切った。

「お父様は貴女のことを思って、そうなさったのです。貴女は幼いころからとても優秀で、女王になるための努力を惜しまない子供でしたわ。だからこそ、この先、つまらない貴族社会に縛られて、貴女の能力を埋もれさせてしまうことがもったいない、と。補佐官としてでも、別の世界へ羽ばたいて、幸せになってほしいと……どうか私達の願いをわかって…」

母の目にうっすらと浮かぶ涙に、ロザリアは衝撃を受けていた。
全て言葉にしなくても、両親の気持ちは伝わってくる。
このまま、ここに戻れば、ロザリアはカタルヘナ家の血を継ぐためだけに意の染まぬ結婚をして、妻としての人生を生きるしかない。
この貴族社会では、女性は男性の付属物として扱われてしまう。
ただでさえ、女王試験に負けたという不名誉を抱えていては、なおさら、この社交界で生きていくのはつらいだろう。
両親はたとえ二度と会えなくても、ロザリアの可能性を潰したくないと考えてくれたのだ。

「お父様…」
愛されていると実感したことは無かった。
…愛されていないと思っていた。
けれど、それは全て、ロザリアが気が付いていなかっただけで、そこに存在していたのだ。
「わたくし、補佐官になりますわ」
そして、この宇宙を、ここに住まう人々を守っていく。

聖地に向かうロザリアを、両親は微笑んで見送ってくれた。
以前なら、抱きしめることも泣くこともない、冷たい両親だと思っていたけれど。
振り返った瞬間、身体を震わせている母を抱きしめる父を見て、ロザリアの頬にも涙が伝っていったのだった。


ロザリアは、戴冠式のドレスを着せられているアンジェリークに会いに行った。
アンジェリークは多くの侍女が取り巻く中、緊張した面持ちでちょこんと座っている。
ドレスもティアラもアンジェリークは初めてなのだろう。
いつもの元気さはすっかり身を潜めて、まるで借りてきた猫だ。
アンジェリークはロザリアに気がつくと、縋り付くように緑の瞳をうるうるさせている。
『助けてー』と声が聞えるようで、ロザリアは支度が済んだ侍女達を下がらせ、二人きりになった。

「もー、大変。女王のドレス重いし、頭の飾りで首がもげそう」
ぶーぶー不満を言うアンジェリークに、
「わたくし、あんたの補佐官になってあげることにしたわ」
ロザリアは巻き毛を背中に払いつつ、ツンと顎を上げ、サラリと告げた。
アンジェリークはビックリした顔で、重いドレスによろめきながらも
「ホントに?! 嬉しいー!!」
ロザリアに抱きついてきた。
ふわふわの金の髪がロザリアの鼻先を掠め、ロザリアはアンジェリークの手が震えていることに気づく。
本当に緊張しているのだろう。
良く考えれば、当たり前なのに。
自分のことばかりで女王に選ばれたアンジェリークの気持ちを少しも考えていなかったことを申し訳なく思った。

「わたしだけじゃ、宇宙壊れちゃうところだったわ。ロザリアがいてくれなきゃ、絶対に無理だもの」
「そうね、わたくしもそう思いますわよ。あんたは、ホントになーんにもできないんですもの」
「なんて言われたっていいもん。本当にありがとう、ロザリア。ずっと一緒にいてね」
「…仕方ありませんわね」
ぎゅっと交わした抱擁は、約束の指切り。
アンジェリークの満面の笑顔に、ロザリアも笑みを返したのだった。

戴冠式で、アンジェリークが動くたびに、重そうなドレスがガサガサと床にこすれて、ロザリアは思わず眉をひそめた。
所作からなにから、てんでなっていない。
アンジェリークに礼儀作法を一から教えるとなれば、かなりやりがいがある仕事なのは間違いないだろう。
これからはアンジェリークの隣がロザリアの居るべき場所。
心からそう思えた。