7.突然のデートは波

土の曜日、ロザリアは露店の定位置で、チャーリーの仕事を眺めていた。
テーブルには香りのよい紅茶があり、紙ナプキンには数枚のクッキー。
ロザリアが来た瞬間、あっという間にチャーリーが用意してくれたものだ。
「お茶まで…」
驚いたロザリアに、
「ティーバッグですんませんけどな。そのうち、ここにキッチン付きの屋台を出しますよって」
チャーリーは笑いながら、冗談なのか本気なのかわからないことを言う。
「たこ焼き屋とかおもろそうや」
「たこ焼き…?」
「あちゃー、知らへんか~。めっちゃ美味いのにな~。そや、今度、仕入れときますわ」
鼻歌交じりで手帳に何かを書きつけている。
ロザリアは知らずに笑みが浮かぶのを感じていた。

女王試験はつつがなく進んでいるが、まだまだ先は長く、ロザリアの仕事量も多い。
日頃はずっと気持ちも張りつめていて、息をつく間もないが、ここにいる時はなんだか安らぐのだ。
執務のことも、彼のことも、なにも考えずにいていい時間。
お客さんとチャーリーとの軽妙なやり取りを聴いているだけで楽しい。
夕方のオレンジの光が長い影を作り始めると、チャーリーは少しずつ片づけを始める。
一度、ロザリアも手伝おうとしたが、チャーリーには彼なりのこだわりがあるらしく、手を出すのは、かえってよくないとわかった。

今日もあらかた片付けたところで、子供たちが数人、店先に走ってきた。
お菓子類や子供向けを最後まで残しておくのは、このためらしい。
「順番やで~。どれでも100円や」
子供たちとチャーリーはわいわいしゃべりながら、お菓子を選んでいる。
「それはちょっと辛いやつや」
「わけるんやったら、これがええかもな」
ようやく一人一つでお菓子が決まると、子供たちはそれぞれを手に持って、あっという間に駆けだしていった。
「お子様達は元気やな~」
チャーリーがやれやれと言いたげに肩をまわす。
「チャーリーは子供好きなんですのね」
「好きっちゅーか、なんか懐かれるんですわ。このしゃべりのせいかもしれませんな」
「面白いですものね」
「ロザリア様まで~」
大げさに天を仰いだチャーリーにロザリアがくすくす笑う。
すると、チャーリーはふと思いついたように、ロザリアを見つめた。

「ロザリア様、明日って暇ですか?」
「明日? とくになにもありませんけど」
日の曜日、アンジェリークはたいていルヴァとデートだし、ロザリアは部屋の掃除をしたり、本を読んだりして、一人で過ごすのが普通だ。
女王候補の頃の方が、まだ出かけたりしていただろう。
楽しかったオリヴィエとのデートを思い出して、胸がチクリと痛んだ。

「あー、実は、今日、陛下がお店にいらしたときに、俺が聖地の中を全然見てへん、って話になりまして。明日にでも誰かに案内してもろたら、って言ってくださったんですわ。せやけど、俺、案内してもらえそうな知り合いもおらへんし、かといって、聖地を回るチャンスなんてそうそうないやろし、どないしょーと思っとたわけで。そんで、まあ、もし、ロザリア様さえよかったら一緒にどうかな、なんて」
「わたくしもまだ聖地に来てからそれほど日が経っていませんの。たいしたところはご案内できないと思いますけれど、チャーリーさえよかったら」
「なんや、よかったらばっかりですけど、俺はロザリア様が案内してくれたら、めっちゃ嬉しいです」
「では案内させていただきますわ」

ロザリアは早速、頭の中でいくつかの場所を思い浮かべていた。
美術館や宝物殿をまわり、カフェでランチ、それから…。
久しぶりの外出に知らずに心が浮きたってしまう。
「ほな、明日!」
スキップしながら、リアカーを引いていくチャーリーを、ロザリアは笑顔で見送った。


翌日。
いつもの庭園で待ち合わせをして、ロザリアとチャーリーは聖地をめぐって歩いた。
馬車を使うことも考えたが、時間に制限がないこともあって、のんびり景色を見ながら散策することにしたのだ。
常春の聖地は気温も湿度も散歩にちょうど良く、爽やかな風のおかげで汗をかくこともない。
輝くような緑の木々と道端で揺れる名もない花たち。
聖地の美しさにチャーリーもあたりをきょろきょろと見まわしては、驚きに目を見張っている。
予定通り、美術館と宝物殿を簡単に回り、カフェでランチを摂った。
商売抜きの状態でも、相変わらずチャーリーは話し上手で、ロザリアもずっと笑顔になってしまう。

「次はとてもきれいな場所ですわ」
カフェを出て、ロザリアは先に立って歩き出した。
ロザリアが聖地で一番美しいと思う森の湖で、午後の時間をゆっくり過ごすつもりだ。
少し歩くと、森の奥へと続く小道が現れる。
透き通る緑のトンネルは、不思議な生き物が出てきそうな、まるで童話のワンシーンのような美しさだ。
遠くから聞える鳥のさえずりや、どこからともなく漂う花の香り。
日頃、主星の都会ど真ん中で過ごしているチャーリーにとっては、ただ歩いているだけで、魂が浄化されるような気持ちになる。
湖のほとりにたどり着いて、チャーリーは大きく深呼吸をした。
肺から体中の血管が清められていくようで、頭まですっきりしてくる。

「いや~、ホンマにエエとこですな」
「そうでしょう? ここに来ると心が綺麗になるような気がしますのよ」
ロザリアも補佐官という立場から少し解放されているのか、いつもよりも笑顔が多い。
補佐官服よりもゆったりとしたワンピースがそうさせるのか、足取りも軽く、饒舌だ。
チャーリーはワンピースの裾からちらちら覗くロザリアのふくらはぎに、つい目が吸い寄せられていた。
補佐官ドレスは丈が長く、首元もぴっちりと詰まっているが、私服のワンピースは膝下丈で、スクエアネックの襟元からは鎖骨がのぞいているのだ。
長い青紫の髪もハーフアップで綺麗に巻かれているし、歩きやすさ重視の靴も新鮮。
端的に言えば、めちゃくちゃ可愛くて、目のやり場に困る。

「あちらが滝になっているんですの。見る場所によっては、いつも虹が出ているんですのよ」
さくさくと草を踏みしめて、視界が開けたところで、ロザリアは急に足を止めた。
常に虹のかかる湖のほとり。
ちょうどその場所に、一組の男女がいたからだ。
少し距離があるせいで、オリヴィエとレイチェルのほうは、まだロザリアとチャーリーには気が付いていないらしい。
2人は虹でも見ているのか、なにやら楽し気にかなり近い距離感で話している。
立ち止まって固まっているロザリアの視線の先に気が付いたチャーリーは、何も言えずに、同じようにオリヴィエとレイチェルを見ているしかなかった。

やっとロザリア達に気が付いたレイチェルが、ちょいちょいとオリヴィエの袖を引く。
ロザリアにはとても考えらえれないような不躾さだが、それもレイチェルならではだろう。
滝を見つめていたオリヴィエの視線が、ロザリアに留まって、一瞬、影が落ちた。
「あれ? 珍しいお二人さんだネ」
先に声をかけてきたのはレイチェルで、大きく手を振って、2人に合図を送ってくる。
ロザリアはグッと手を握りこんで、補佐官らしい笑みを作ると、滝の方へ近づいた。
「ごきげんよう。今日は日の曜日ですものね。守護聖との親密度を高める大事な日ですわ」
「ハイ! だから今日はオリヴィエ様とデートなんデス」
レイチェルは朗らかに笑って、オリヴィエの腕に掴まる。
オリヴィエもそれを咎めず受け入れていて、かなり親し気な雰囲気だ。

かすかに揺れた青い瞳に気がついたチャーリーは、
「なあ、レイチェル。あっちにでっかい鳥みたいなのがおったんや。ちょっと見に行かへん?」
軽い調子で誘いをかけてみた。
悲しそうなロザリアを少しでも慰めたいという気持ちもあったが、チャーリー自身、この場にいない方がいいと判断したのは、オリヴィエの目線の鋭さだ。
抜き身の刀を喉元に当てられているようなオリヴィエのオーラは、チャーリーに向けられているのだろう。
ロザリアもレイチェルも、それを感じ取れるようなタイプではない。
以前の庭園でのやり取りを思い出せば、ロザリアを残していきたくはないが、ここは聖地で、補佐官と守護聖という関係がある以上、おかしなことはしないはずだ。
知的好奇心旺盛なレイチェルは、すぐにめずらしい鳥に興味を持ったようで、文句を言いながらもチャーリーに連れられて行く。
同時期に来た女王候補と協力者は、なんとなく仲間意識があるようで、友達のような関係なのだ。

「鳥って、どこにいたのヨ?」
「あっちのほうや」
「全然見えなーい」
わいわいとした2人の姿が森の奥に消えると、虹のかかる湖のほとりにロザリアとオリヴィエが残される。
キラキラと輝く水面に小さな虹と、透き通る滝。
清かな水の音以外は何も聞こえない。
ロザリアは久々に近いオリヴィエとの距離に緊張していた。
緑の香りに紛れて彼の華やかな香りが漂ってくると、つい、いろんなことを思い出して、胸が苦しくなる。


「2人になるの、久しぶりだね」
オリヴィエの呟きにロザリアが顔を上げると、ダークブルーの瞳が柔らかく向けられていた。
マスカラの塗られた長いまつ毛と、ブラウン系のアイシャドウにパールピンクのリップ。
日の曜日だというのに、オリヴィエはしっかりとメイクをしていて、簡略化されてはいるものの、執務服を着ている。
オシャレなオリヴィエなのに、休日まで執務服とは違和感しかない。

「そのワンピース、やっぱり似合ってるよ」
今日、ロザリアが着ているワンピースは、女王候補の頃、オリヴィエが褒めてくれたものだ。
補佐官になってから、私服は全く買っていないせいもあって、これを選んだだけなのだが。
また褒められれば、やっぱりうれしくて、ロザリアの頬が熱を持った。
「もしかして…チャーリーとデート?」
ふいに投げられたオリヴィエの声色は平坦だ。
「いいえ! デートだなんて…。陛下がチャーリーに聖地を案内してほしいとおっしゃったから、わたくしが案内しているんですわ」
「そっか。陛下のお願いだったんだ。…ちょっと安心したよ」
くすっとオリヴィエの唇が笑みを作ったのを見たロザリアは、ずきりと胸が痛むのを感じた。
チャーリーとデートではないとわかって安心した、なんて思わせぶりなことを言うのか。
オリヴィエの気持ちがわからない。

「オリヴィエこそ、レイチェルとデートですの?」
「ん? これは執務の一環でしょ。女王候補との親密度を高めるのも守護聖の重要な役割、だっけ? だから執務服なんだし」
「そう…なんですのね」
「前の試験の時はさ、なるべく素のままの私を見てほしいと思ってたから、私服だったりしたんだけど、今回はね。そういうつもりもないから」
オリヴィエはじっとロザリアを見つめている。
その瞳の中に、あるはずのない、何かを感じてしまうのはロザリアの願望なのだろうか。
けれど、いつだって、期待しては無駄に終わってきたのだ。
あの夜の後だって、彼はなにも変わらなかったし、補佐官になったことを喜んでもくれなかった。

「レイチェルも育成は進んでいるのに、守護聖の支持は今一つですものね。あなたは人気のない女王候補がお好きなのかしら。天邪鬼だって以前、ご自分で仰っていましたし」
嫌味な言い方をした、とすぐに気が付いた。
案の定、オリヴィエは少し哀し気にまつ毛を揺らしている。
「いいな、って思ったコのほうを応援してるだけなんだけどね。レイチェルはすごく素直でまっすぐだから、わかりやすいよ。私の格好にも物おじしないでグイグイくるから面白いし」
「レイチェルが…」
好きになったんですの?
その言葉をやっとの思いで飲み込むと、ロザリアは唇をかみしめた。
無言のまま、涼やかな風に吹かれていると、ふいにオリヴィエから、ふっとため息が落ちる。

「ねえ、飛空都市にも湖があったの覚えてる?」
「ええ」
オリヴィエと何度もデートした場所を忘れるはずがない。
ここによく似たとても気持ちのいい場所で、何時間もおしゃべりをして過ごしたものだ。
「あそこの伝説、結構、役に立ってたの知ってた? 実は私も何回も利用させてもらってたんだよ」
「お祈りすると会いたい人に会える、っていう?」
「そ。ふふ、伝説とか神頼みとか、全然信じてなかったんだけどさ。さすが女王陛下の力が満ちてるところは効き目が違ったよね」
「そうですの…」

女王候補の頃、ロザリアもよくあの滝にお祈りをした。
育成や執務室でのお話とはまた違う、ちょっとした2人きりの時間が持てることが嬉しくて。
オリヴィエが来てくれると、ドキドキして、女王陛下に感謝した。
そういえば、ロザリアが滝にお祈りしに行くと、時々、先にオリヴィエがいることがあったけれど、もしかして、あれは、オリヴィエが祈ってくれていたのだろうか。
…ロザリアに会いたいと願って。

「今日も、ここにきて、あの伝説のことを思い出してたんだ。会いたい人の顔を思い浮かべてさ」
オリヴィエのダークブルーの瞳に湖の湖面の輝きが映り、キラキラと輝いて見える。
「ねえ、どうして、あんたはここへ来たの?」
どうして、と聞かれれば、チャーリーに聖地らしい綺麗な場所を見せたかったからだ。
けれど、たしかにまっすぐこの滝まで来たのは、なぜだろう。
なにかの不思議な力があったのかもしれない。
「…わたくしに会いたいと思ってくださった…?」
思わずこぼれた言葉にオリヴィエが嬉しそうに微笑んだ。
視線が絡み合って、お互いの瞳の中に熱を感じる一瞬。
まるで女王候補時代に時が戻ったような気がした。


「鳥なんていないじゃん!」
「さっきはマジでおったんやって! 真っ赤な羽で目がでっかくて」
「ホントに~?」
ガサガサと木をかき分けて、レイチェルとチャーリーがふいに姿を現した。
道なき道を通って来たのか、レイチェルの髪には葉っぱが付いていて、チャーリーの靴も草まみれだ。
「ゴメン、オリヴィエ様。商人さんにだまされましたヨ」
「だますやなんて~。ホンマに見たんです、信じてください、オリヴィエ様~」
2人が口々にオリヴィエにまくしたててきて、急に騒がしい空気になった。

「赤い鳥なんておかしいと思ったんだヨ」
「ほんまやって」
言い合う2人の間に
「はいはい、聖地なら赤い鳥や黒い鳥がいても全然おかしくないから。そのへんにもいるんじゃない? 何なら二人でどこまででも探してきたら?」
明らかにめんどくさそうな顔でオリヴィエが割って入る。
すると、レイチェルは
「いいよ、いいよ! 鳥はまた今度アンジェと探してみるから。あ、ティムカ様もわりと動物好きだし、マルセル様も誘ったら来るかも」
いいことを思いついた、とばかりに手を叩いて大きく頷いた。
「とりあえず、今日はオリヴィエ様とのデートの続きをしマス! …まだ全部聞いてないですし」
さっとオリヴィエの腕に捕まり、なにやらこそこそと耳打ちしている。

仲良さげな様子を見ているのが嫌で、ロザリアもチャーリーに向き直った。
「赤い鳥はわたくしも見たことがありませんわ。次に見つけた時は教えてくださいませね」
「もちろんでっせ! 青い鳥が幸せなら、赤い鳥は恋を運んでくれるかもしれませんな~。恋が叶う赤い鳥! なんやいい感じに儲かりそうやないですか」
「ふふ、チャーリーったら、商魂たくましいですわね」
軽口につい笑ってしまうと、チャーリーは嬉しそうな顔をしている。
「どうかなさいまして?」
「赤い鳥がおって良かったですわ。やっぱり女の子は恋の話が好きなんですんな。ロザリア様の恋バナ、聞きたいわ~」
「まあ、なにもないと申し上げましたわ」
「ほな、これから、俺と作ってみるっていうのはどうですやろ?」
「ふふ、またそんなこと。考えておきますと申し上げましたでしょう」
「そろそろ決めてくれてもいいやないですか~。俺、待ちくたびれてまうわ~」
冗談なのか本気なのか、今ひとつわからないけれど、チャーリーがロザリアを励まそうとしてくれているのは、よくわかった。
本当にチャーリーのような人を好きになれたら、幸せになれるのかもしれない。
湖の奥へ消えて行ったオリヴィエとレイチェルのことは考えないようにして、ロザリアはチャーリーと次の場所へむかったのだった。