新女王の試験はまだ半ば。
ロザリアの執務は相変わらず忙しく、朝から晩まで聖地のあちこちを走り回りっていた。
土の曜日は定期審査やお茶会で潰れてしまうし、日の曜日も女王候補たちのデートを指南しなければならない。
実質的にほぼ休みがゼロの状態がずっと続いていた。
「ふう」
週末、さすがに疲れを感じて、ロザリアは補佐官室のソファに身を沈めた。
今日ももう定時を過ぎ、ロザリア付きの女官たちは全員帰宅している。
金の曜日の夜は、さすがの聖地も少し賑わいがあり、若い職員たちはデートなどを楽しんでいるらしい。
基本的に聖地には残業という概念はないから、ロザリアだって帰りたければ帰ってもいいのだ。
ただ、やることは山ほどあるし、そもそも生真面目で、手抜きができない性質。
加えて、特に帰ってもやることがないとくれば、執務をしていた方が有効だと思ってしまう。
「…今日はこれくらいにしておこうかしら」
結局、ロザリアがキリのいいところと思えるまでやり終えた時間は、20時過ぎ。
聖殿にはもう誰もいない。
さっと片づけをして、補佐官室を出たロザリアは、ドアの下に小さな箱が置いてあるのに気が付いた。
見覚えのある真っ白な箱にピンクのリボン。
手に取って、軽く振ってみると、カタカタと音がして、ふんわり甘い香りがする。
本来なら不審物はすぐに警備に回さなければならないが、その甘い香りをロザリアは良く知っていた。
するりとリボンを外し、中を見ると、やはり、そこにはチョコレートが並んでいる。
「これは…」
もちろん送り主の名前はないが、このチョコレートはたしかに、以前チャーリーの店で買ったものと同じ。
ロザリアがとても美味しかったとチャーリーに話した…あのチョコレートだ。
「チャーリーったら」
きっとこれは彼らしいジョークの一つに違いない。
サプライズのプレゼントでロザリアを驚かせようとしているのだ。
「びっくり箱とかではなくてよかったですわ」
一人きりの聖殿でそんなものを発見してしまったら、気を失っていたかもしれない。
ロザリアはプレゼントをバッグにしまうと、なんとなくうきうきした気持ちで私邸へ帰ったのだった。
翌日、執務を終わらせたロザリアは、いつも通り庭園に向かった。
チャーリーの店には賑やかな人だかりができていて、楽し気なやり取りが、入り口付近まで聞えてくる。
あれだけの人数を、的確にさばくチャーリーの商売の腕は本当に素晴らしい。
ロザリアは定位置にちょこんと座り、人気がなくなるまで、チャーリーの客さばきを眺めていた。
「今日はほんまに盛況やったわ」
やっと最後の客が帰ると、チャーリーは首を左右に回して、肩のコリをほぐしている。
ロザリアが着く前からあの調子だったとすると、かなり大変だったのは確かだろう。
お金をいれている籠もいつもよりずっしりと中身が詰まっているようだ。
「商売繁盛でなによりですわね」
「そやな~、やっぱり女神様がついててくれてるからちゃいますか」
軽くウインクしてニカッと笑うチャーリーに、ロザリアの顔にも笑みが浮かぶ。
「あ、そういえば、チョコレート、とても美味しかったですわ」
昨日のサプライズへのお礼を言うと、チャーリーはさらに破顔した。
「そうですやろ~。あのお店、主星でもピカイチに美味いチョコレートの専門店なんですわ。俺が食うてもホンマに美味いと思いますんや」
「ええ、知っていますわ。毎日日替わりで数量限定のチョコが出るとか」
「さすが、ロザリア様。ようご存じですな!」
「…以前に聞いたことがありますの」
女王候補の頃、あの店のチョコレートを何度かオリヴィエが用意してくれていたことがあった。
ちょっとした話のついでにロザリアがぽろっとこぼした、
「チョコレートは頭の疲労回復にも良いですし、特にあのお店は大好きなんですの。でも、生家では歯に悪いと、あまり食べさせてもらえなかったんですのよ」
その言葉を、オリヴィエが覚えていて、わざわざ、取り寄せてくれたのだ。
「この日替わりが美味しいって評判だったから、あんたにも食べさせたくて」
綺麗な箱に並んだチョコレートを2人で毎回一つずつ食べた、楽しいお茶の時間の思い出。
一番綺麗な薔薇の形をしたチョコレートを、オリヴィエはいつもロザリアに譲ってくれた。
「次もまた仕入れときますさかい。ごひいきにしたってください」
「ええ。もちろんですわ」
チャーリーは今日のおススメとして、バタークリームサンドを奥から出してきてくれた。
最近、主星ではバターサンドが流行していて、この店は特に大人気で行列必至らしい。
「陛下はまた、ポテトチップスとたけのこ、やったかな。あと、さきいかと歌舞伎揚げと…」
「わかりましたわ。一日ひとつにしなくてはね」
相変わらずのお菓子のセンスに、ロザリアが苦笑いすると、チャーリーは
「お疲れの補佐官様に、疲れのとれるキャンディつけときますわ」
そう言って、バターサンドとキャンディを一緒に包んでくれたのだった。
寝る前、机の上に置いたチョコレートの箱を見て、ロザリアはため息をついた。
懐かしい店のラッピングは、嫌でもあの楽しかった時間を思い出してしまう。
相変わらず、オリヴィエとは会話らしい会話をすることができない。
少し前は、何か話したそうにロザリアを見ていたオリヴィエも、この頃は諦めたように、事務的な態度しかとらなくなった。
それはそうだろう。
わざわざ書類を届けてくれた時も、朝礼の後に話しかけられた時も、ロザリアは彼の顔を見ることもなく、儀礼的に対応しただけだ。
先にオリヴィエを遠ざけたのはロザリアの方なのに、レイチェルと話す姿を見るだけで、胸が苦しくてたまらない。
『かわいそうな女王候補』としてのオリヴィエの優しさが、ロザリアからレイチェルに移っていったように、このチョコレートも今頃はレイチェルが食べているのだろうか。
二人で笑いながら、分け合って。
あの頃はそれがどんなに幸せな事か、気が付いてもいなかった。
チョコレートの箱を開くと、甘い香りが漂ってくる。
薔薇のチョコレートは同じように、艶っぽく輝いていた。
執務終わりの夕方、聖殿を出たロザリアは、ぶらりと森の方へと歩き出していた。
珍しく定時でキリのついた今日、なにか気分転換をしたいと思ってはみたものの、とっさにはなにも思いつかない。
美味しいものを食べたり、ゆっくり好きな本を読んだりすることも考えたが、まっすぐ家に帰るのもつまらない気がする。
かといって、遊び相手がいるわけでもなく、一人で下界へ降りる勇気もないのが現実。
ふと思いついたのが、森の湖だった。
いい景色を見て、いい空気を吸えば、気持ちもリフレッシュできるだろう。
さくさくと森の小道を踏みしめていくと、湖の景色が広がる。
昼間の明るい日差しの湖面とはまた違う、夕昏時の少し物寂しいオレンジ色。
涼しい風が頬を撫でると、執務の連続で緊張していた身体が、すっとほぐれていく。
水音に導かれるように湖に近づくと、滝のすぐそばにすらりとした人影が立っていた。
「来てくれたんだ」
一瞬、逆光ではっきりと見えなかったけれど、その声だけで心が震える。
「やっぱり滝の効果はすごいね。…今度、お酒でもお供えしとこうかな」
ひらひらとストールをはためかせて、オリヴィエは、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
ロザリアは困惑しながらも、その姿に目が離せなくなって、前へと進んでしまっていた。
「あんたのことを考えてたんだ」
「わたくし?」
「そ。なんで、補佐官になったら急に私を避けるようになったのかな、とか」
「避けるなんて…」
否定しつつも口ごもってしまうのは、それが真実だからだ。
「ま、いいよ。いろいろあったし。それに、あの時のことは、もう忘れるって約束したし」
さらっとつぶやかれた言葉は、ぐさりとロザリアの胸をえぐった。
忘れてほしいと頼んだのはロザリア自身なのに、改めて口に出されると、寂しいばかりで。
ぎゅっと唇をかみしめて、目をそらした。
「また、あんたはそんな顔して」
「…そんな顔?」
ロザリアは自分の手を頬に当ててみたけれど、もちろん、なにもわからない。
ごく普通に、感情を表に出さないようにしているだけなのに。
「ああ、もう…。そんな顔されたら、ほっとけなくなるでしょ」
オリヴィエの手がロザリアの手に重なる。
手を通しても伝わる彼の温かさに、ロザリアの頬は勝手に熱を帯びてきた。
けれど、
「かわいそう、なのですわよね」
ふいと、顔をそむけて、また、心にもないことを言ってしまう。
自己嫌悪に陥っていると、オリヴィエの手がふと離れて行った。
「そっか。あの時の話、聞えてたんだ。たしかにね、最初は一人ぼっちのあんたがかわいそうだと思って、声をかけたんだ。みんながアンジェリークばっかりだったから、ちょっと面白くないってのもあったし。でもそれはホントに最初のきっかけってだけ」
やはりそうなのか。
憐れみと好奇心。
ふざけた格好をしていても、実は心配りのできるオリヴィエだから、ロザリアのような『じゃない方』を気にしてくれたというだけのこと。
うつむいたままのロザリアの耳に、オリヴィエのため息が聞えてくる。
「実はあんたがもし、ここに来たら、言おうと思ってたことがあったんだ。でも、今日はやめとくよ」
「え?」
聞き返したロザリアにオリヴィエは困ったように笑う。
「今、それを言っても、あんたには届かない。ま、それもこれも私の責任なんだけどさ。…どうも、私はあんたが絡むと、途端にダメになるみたいだね。バカみたいに慌てたり、焦ったり。らしくないことばっかりしちゃって」
途中からは半ば独り言のように、がっくりと肩を落としている。
こんなオリヴィエは珍しくて、ロザリアもどうしたらいいのかわからない。
そして、ふーっと大きく息を吐き出したオリヴィエは、艶やかに笑った。
「よく考えたらさ。あんたが忘れたいっていうんなら、今までのことはホントに忘れちゃって、また最初からやり直せばいいんだよね」
まるで明日の天気の話でもするように、軽い口調で
「…何回だってやりなおすよ。あんたは補佐官になってくれて、ここにいるんだし」
ふふっと楽し気なウインクを残して、オリヴィエは夕暮れの中に消えてしまった。
まるで、夢のようなひと時に、ロザリアは彼の姿が消えていくのをただ見ていることしかできない。
それにしても、オリヴィエの言葉はどういう意味なのだろう。
最初からやり直す? 補佐官になってくれて?
女王試験の頃からオリヴィエは不思議な人で、ロザリアが理解できないことを言うことがあった。
ロザリアが小首をかしげていると、オリヴィエは決まって
「ふふ、ロザリアはホントにかわいいんだから」
とても嬉しそうに羽飾りをヒラヒラさせて、ロザリアの頬をくすぐった。
他の誰かにこんな言い方をされたら、ロザリアのプライドが許さないのに、オリヴィエのその言葉には、嫌味なところが少しもなくて。
むしろなんだか心がくすぐったくなるような気がした。
…結局、今もあの頃も、オリヴィエの考えていることは少しもわからない。
あの夜、なぜ抱いてくれたのかも。
ロザリアはあたりが星空に包まれるまで、湖のほとりでぼんやりしていた。
きっと今の聖地の方が綺麗なはずなのに、飛空都市で見た星空の美しさばかりを思い出してしまう。
「…今夜は新月でしたのね」
新月の月は、姿は見えないけれど、変わらず、そこに在るのだと彼は言った。
あの時は目に見えない新月を、素直に信じることができたのに、なぜ、今は…本当に在るのか疑ってしまうのだろう。
見えないものは信じられない。
月も、彼の気持ちも。
「だって…裏切られてしまいますもの…」
必ず女王になると信じていた。
でも、女王にはなれなかった。
女王試験に負けた事実は、ロザリアの心に大きな傷を残している。
信じることが怖い。
執務だって、やりすぎなくらいやらなければ、補佐官として聖地にいる意味がないと思ってしまうのだ。
ロザリアは見えない新月を探して、じっと夜空を見上げていた。