9.ドアをノックするの

翌日から、思いもよらない事が起こり始めた。
「はあい、ロザリア。今日は二人でお茶しない?」
お茶の時間、いきなり補佐官室にやってきたオリヴィエに、ロザリアは目を丸くした。
これまではノックをしてからだったし、その時にオリヴィエの気配がすれば、必ず居留守を使っていたのだ。
それが、今日はノックもなく扉が開いて、ばっちりと目が合ってしまった。
これでは、もう、逃れようもない。

「お、オリヴィエ…」
「ん? 今日はお菓子も持ってきたんだよ。あんた、こういうの好きかな~って」
オリヴィエが袋から取り出したのは、マドレーヌだ。
「お茶、淹れてくれる?」
ソファにどっかりと腰を下ろしたオリヴィエは、長いまつ毛がはためくようなウインクを一つ。
ロザリアは慌てて立ち上がると、奥の小部屋でお茶の準備を始めた。
ドキドキと高鳴る鼓動がうるさくて、なのに、彼の楽しそうな鼻歌はしっかり聞こえてきて。
震える手をなんどか叩いて、自分自身を落ち着かせようとした。

「ん~、いい香り。これは、シトラスの香り?」
大きく息を吸いこんで、オリヴィエが尋ねてくる。
「はい。柑橘系の葉を混ぜてあるんですの」
「へえ、あんたはどっちかっていうと、フレーバーティは苦手じゃなかったっけ?」
以前、そんな話をしたような気もするけれど、オリヴィエは本当に些細なこともよく覚えているらしい。
「これくらいの香りづけなら大丈夫ですわ。香料じゃなく、天然の葉ですし」
「ふうん。たしかにすっきりしてて美味しいね」
オリヴィエは上機嫌で、紅茶をすすっている。
まるで女王候補の頃に戻ったような時間。

オリヴィエは持参したマドレーヌの小袋を開き、ロザリアに差し出してきた。
「ホラ、あーん」
「え?!」
思いがけないオリヴィエの行動に、ロザリアは目を丸くして固まってしまう。
「このマドレーヌ、すごく美味しいんだよ」
グイっと口元に近づけられたマドレーヌからはほのかにコアントローの香りがしてくる。
偶然だが、今日の紅茶によく合う香りだ。
ロザリアはなんだかわけがわからないまま、差し出されたマドレーヌにぱくりと齧りついた。
「ふふ、美味しい?」
柔らかく細められたダークブルーの瞳に、ロザリアの胸が高鳴る。
「お、美味しいですわ」
戸惑いながらも素直に言うと、オリヴィエはロザリアが齧ったマドレーヌの残りをぱくりと食べてしまった。
「うん、やっぱり美味しいよね」
ぽかんと目を丸くしたロザリアに、オリヴィエは、きゃははと楽し気に笑う。
ロザリアはどうしたらいいのかわからなくて、一口、紅茶を飲んで誤魔化した。
気の利いたことの一つも言えない自分が、ちょっとだけ恨めしい。

二人きりのお茶は、気まずくなるとばかり思っていたけれど、
「それでさ、ちょっと前なんだけど、ルヴァが陛下とケンカした時のこと、覚えてる?」
どうでもいいような世間話が始まると、まるで、女王候補時代に気持ちまで巻き戻ってしまうようで。
久しぶりに過ごした時間は、とても楽しいひと時になったのだった。


それから、オリヴィエはお茶の時間になると、ロザリアのところにちょくちょく、やってくるようになった。
オリヴィエの持ってきたお菓子を、ロザリアのお茶で食べる。
20分ほどのささやかな時間だが、ロザリアは毎日待ち遠しかった。

「ねえ、なんでオリヴィエがいるの?」
たまたまやってきたアンジェリークが苦々し気に唇を尖らせると、オリヴィエは
「陛下こそなんで来たのさ。ルヴァに構って貰えないの?」
グサリとアンジェリークの痛いところを突く。
「本の続きが気になるみたいだから、わたしがおいてきたの!」
「ふーん。しょうがないから、陛下にも、このサブレあげるよ」
「え、美味しそう~」
いつも通りの騒がしさに、ロザリアがお茶を追加に奥へ消えると。

「ね、ほんとになんでいるの? ロザリアとは上手くいってなさそうだったじゃない?」
コソコソとアンジェリークが囁いてくる。
「上手くいくように、もう一回頑張ってるとこ。邪魔しないでよね」
「ええ~~、そうなんだ」
「なに? なんか迷惑そうじゃない」
「迷惑ってことは無いんだけど。あんまりオリヴィエがウダウダしてるから、わたしとしてはもう、商人さんでもいいかな? なんて思ってたとこなのよね」
「はあ?! ちょっとぉ~」
かなり声が大きかったのか、ロザリアが奥から顔をのぞかせる。
ロザリアのいぶかし気な視線に、オリヴィエはにっこりと笑みを返して安心させると、アンジェリークに向き直った。

「商人さんでもいい、って、どういうことよ」
「ん~、そういう意味だけど。だって、ロザリアには幸せになってほしいもの。モダモダしてるようなダメ男に大事な大事なロザリアは任せられないってことよ」
「うわ、きっつ」
思わず天を仰いだオリヴィエだったが、すぐにルージュの引かれた美しい唇をにっとあげて、アンジェリークに笑って見せる。
「大丈夫。もうモダモダ期間は終了したからね。安心してみてて」
「ホントかな~。ルヴァも言ってたわよ。案外、オリヴィエは肝心なとこでアレだって」
「ルヴァに言われるようじゃ、私もオシマイだね」
「え、ルヴァはわたしにちゃんと告白してくれたし! どっかの誰かさんみたいにウダウダしてませんよーだ」
「…反省してるって」

冗談交じりに責めるようなセリフを口にしつつ、アンジェリークはホッとしていた。
聖地に来てからずっと、ロザリアは落ち込んでいたけれど、実はオリヴィエも暗かったのだ。
ルヴァも気にしていたし、アンジェリークも困っていた。
朝礼や会議で揉めた時、オリヴィエが上手く混ぜっ返して空気を変えてくれることがあるのだが、ロザリアが絡むと、ぴたりとそれがなくなって、ギスギスしたまま長引くことが続いていたからだ。
二人がおかしいことに気付いた守護聖に、なんどか尋ねられもした。
そもそもアンジェリーク自身が、この状況にイライラしてきたのもある。
今、オリヴィエの表情はとても晴れやかで、きっと、どこかふっきれたのだろう。
やっと安心して任せられそうだ。

「ちょっと、二人でなんのお話かしら?」
ロザリアが紅茶を入れて戻ってきたころ、アンジェリークとオリヴィエは
「さ~あ」
「なんでもなーい」
まるで共犯者のように微笑みあったのだった。


土の曜日、ロザリアは庭園に向かった。
先週は、ロザリアの主催で女王候補たちを招いてお茶会を開いたために、店に来る時間が取れなかったのだ。
ここのところ、オリヴィエがお茶の時間にきているせいで、心がざわざわと落ち着かない。
定位置に座り、チャーリーが用意してくれたお茶を一口。
今日も聖地はいい天気で、頬に触れる風は心地よい。
やってくる子供たちに挨拶をしたり、散歩中に寄り道するわんこを撫でたりしていると、日が傾いてくる。
最後の客を見送ると、チャーリーがロザリアに声をかけた。

「ロザリア様、これ、また手に入りましたんで、どうぞ」
いそいそと差し出したのは、あのチョコレートの箱だ。
ロザリアは目を輝かせて受け取ると、
「つい、先日もいただいたばかりですのに、こちらは支払いをさせてくださいませ」
財布を手にチャーリーに尋ねた。
するとチャーリーは不思議そうに首を傾げ、
「え、だいぶ久しぶりでっしゃろ。それに前もお代は頂きましたよって」
オリヴィエとちょっとした悶着があった日のことだから、チャーリーもよく覚えている。
お金を払いに戻って来たロザリアに、嫌な話を聞かせてしまった。

「え、あの、補佐官室の前に…」
言いかけて、ロザリアは気が付いた。
いくら協力者とはいえ、無断で聖殿に入ることなどできるだろうか。
しかも、あの日は土の曜日でもなかった。
「いえ、なんでもありませんの。でも、これからも購入したいものですから、お支払いはさせてほしいですわ」
「うーん、ほな、このチョコのお代はいただきますわ。こっちをおまけにしますよって」
チャーリーはささっとチョコレートの箱と一緒に、綺麗な薔薇柄のメモパッドを袋に入れた。
さっき、ロザリアが見ていたのに気が付いていたのだろう。
こういうところがチャーリーの商売人らしい目ざとさだと感心する。
「ふふ、嬉しいですわ」
にっこりと礼を言うと、チャーリーは照れくさそうに頭を掻いたのだった。