定時に執務を終えたロザリアは、家路を駆けていた。
最近まではオリヴィエと一緒にたどっていた帰り道も、今は一人。
迎えに行こうか?という、彼からの申し出を断ったのは、そこまでは申し訳ないという気持ちからだったが、やはり少し寂しい。
走ればほんの数分で、すぐに目新しい補佐官用の屋敷に到着だ。
引っ越したばかりだから、まだ自宅という気持ちにはなれないけれど、あの中で待っていてくれる人のことを考えると、自然と足が速くなる。
家に着いたらすぐ、一緒に準備をして、今日の出来事をお互いに話ながら、夕食を摂る。
その後は、新婚らしく、夜更けまでアレコレをして過ごすのだ。
結婚する前もほぼ同様の生活だったけれど、大きく違うのは、家事のほとんどを彼がしてくれていること。
まさに『専業主夫』だ。
今までのメイド達はすべて、新しい夢の守護聖に残して、ロザリアとオリヴィエは二人で生活している。
二人だけの生活は、大変な事もあるけれど、楽しいことも多い。
長く一緒に暮らしてきたのに、ささいな違いを改めて発見して、修正してみたり。
たぶん、世の中の夫婦とは違う部分もあるけれど、二人が幸せなら、それでいいと思う。
『専業主夫に慣れたら、違うこともやってみるからさ。』
主婦業について、オリヴィエに尋ねたら、彼はあっけらかんとそう言って、最近はアクセサリー作りを再開しているらしい。
「まだ秘密」と微笑む彼のデスクをちらりと覗いたら、いくつかのデザイン画が散らばっていて。
そのどれもが指輪だったから、少し…いや、かなり期待してしまっていた。
まだ何も着けていない左手の薬指。
ロザリアはそこに軽く触れながら、ぴかぴかに磨かれた大きな鉄製の門扉を開け、一応、ベルを鳴らした。
返事があってもなくても、ドアを開けて、まずは彼のいるリビングに向かうのが常だ。
「ただいま」と「おかえり」は、とても新鮮な響きで、いまだに少し照れてしまう。
今日はドアを開けると、すぐそこに、オリヴィエの姿があった。
「ただいまですわ。」
ロザリアが少し口ごもりながら言うと、オリヴィエは
「おかえり、ダーリン。」
と、にっこりと笑う。
他人が見ていたら、目をそらしたくなるような甘い甘い空気の中、見つめ合う二人はお互いしか目に入っていないようだ。
そして、いつも通りのお帰りのキスを、と、目を閉じかけたロザリアは、ある事に気がついた。
目の前のオリヴィエは愛用のピンクのエプロンを着けている。
エプロンは着けているけれど…その下が。
どう見ても肌色で、いや、むしろ素肌で、ようするに何か着ているように見えなかったのだ。
思わずぽかんと口を開けたロザリアに、オリヴィエはとても楽しそうに、ふふっと笑ってみせる。
「あ、気がついちゃった?
ちょーっとタイミングがずれちゃったかな。
だって、あんたがそんなキスをねだるような顔するから。」
「え?! いやですわ、わたくしったらそんな?!」
目を閉じかけていたことは確かだけれど、そんなにあからさまにねだっていただろうか。
恥ずかしくて、顔が火照ってきてしまう。
頬に手を当てて、うつむくロザリアを愛しげに見つめたオリヴィエは、
「おかえり、ダーリン。
ご飯にする? お風呂にする? それとも…わ・た・し?」
エプロンの裾をちらりとめくり、長い睫で艶っぽいウインクをした。
そのエプロンの下はやっぱり何も着ていない。
オリヴィエの整ったボディラインと綺麗な肌が、エプロンの端からちらちらと覗いて、目のやり場に困るほどだ。
人はあまりに混乱すると、何も言えなくなるというのは本当らしい。
ロザリアは目を丸くして、固まった。
とにかく頭の中がオーバーヒートして、まるでショートしてしまったみたいだ。
「うふふ。 新婚と言えば、この台詞でしょ?
一回、やってみたかったんだよね。」
オリヴィエは実に楽しそうな笑顔のまま、固まったロザリアの顔をのぞき込んでいる。
「アレ? どうしちゃった? 刺激が強すぎた?」
そう言いながら、オリヴィエはからかうように、エプロンの裾をまた、ちらりとめくると、今度はすらりとした足をひらひらと泳がせて見せた。
女性らしい優雅な曲線と、男性らしい筋肉を併せ持った、理想の足。
流し目の強烈な色気にも当てられて、ロザリアが、つい、
「え、あの、ご、ご飯にしようかしら?!」
何も考えずにそう言うと。
「もう、困った子だね。」
そのまま、一歩を踏み出したオリヴィエは、ロザリアをぎゅっと腕の中に閉じ込めた。
そして、彼女の顎を人差し指で持ち上げると、軽く唇を重ね合わせる。
「おかえりのキス。」
ロザリアが何も言わないうちに、オリヴィエはもう一度、今度は深く唇を重ねた。
ふと息をした隙に舌先を滑り込ませ、ロザリアの舌を捕らえて絡ませる。
「ん。」
絡ませた舌から、こぼれた唾液が、つうっと顎を伝う。
夢中になって、応えてくる彼女の舌を弄びながら、キスなんて、もう何千回もしているのに、どうしてこんなに気持ちが良いのか。
ますます止められなくて、奥の奥まで貪ってしまう、この気持ちはなんなのか。
愛なんて言葉じゃ美しすぎて、この感情を説明できない。
長すぎるお帰りのキスが終わり、足下のふらついたロザリアをオリヴィエの腕が支えた。
エプロン一枚の彼の素肌は、少し汗ばんでいて、いつもの花のような香りに混ざって、男らしい匂いがする。
そして、お腹のあたりに触れる、熱くて硬い感触。
はっきりとそれを意識したロザリアは、自分の身体の中にもじわっと熱が点るのを感じた。
「ね、もう一回聞くけど。
ご飯にする? お風呂にする?
それとも…わ・た・し?」
細められたダークブルーの瞳の奥が、熱を帯びて揺らめく。
押しつけられた塊もびくりと波打ち、ロザリアの答えを待っている。
「…最後の、で。」
ロザリアは頭を彼の肩下に押しつけると、背中に手を回した。
彼の素肌が直接手のひらに触れて、それだけで気持ちがいい。
「なに? ちゃんと言ってくれないとわからないって。」
「…ですから、ご飯じゃなくて、お風呂でもない、の。」
「ん~? なんだっけ?」
わざとらしくとぼけるオリヴィエが憎らしくなるけれど、そんな彼がやっぱり好きでたまらない。
「…あなたがいいんですの。」
恥ずかしさを振り切って言えば、ふふ、と彼の楽しげな笑い声が上から降ってくる。
「それじゃ、ご希望通り、私をあげる。」
ふわりとロザリアを抱き上げたオリヴィエは、良い匂いのするキッチンを通り過ぎ、まっすぐに寝室へと向かったのだった。
FIN