胸の深いカッティングと編み上げのベルトがセクシーな上半身と、たっぷりとしたフレアのマキシスカートの組み合わせが、オトナの女性を思わせるデザイン。
目の覚めるようなパープルは、思わず人を振り返らせるような鮮やかな色だ。
いつもロザリアが着ている服とは、全く違う。
昔、ロザリアを世話してくれていたばあやが見たら、「ふしだらな」と、しまい込まれて袖を通すことはなかっただろう。
もしかしたら、明日が最後のデートになるかもしれない。
ワンピースの裾を軽くつまみ、ロザリアはため息をついた。
女王候補の頃から、ずっとオリヴィエに恋をしている。
飛空都市で最初に話をした守護聖がオリヴィエで、それから、ずっと、ロザリアの心の中央は彼に占められてきた。
一見、派手で軽薄そうなのに、実は周囲を気遣う、オトナの男性。
おちゃらけていたかと思うと急に痛いところを突いてきたり、皮肉屋かと思えば優しかったり。
そんな姿に翻弄されて、ロザリアは彼の本心を全く読み取ることができない。
それとなくロザリアの想いを伝えたこともあった。
たとえば、森の湖で。
「オリヴィエはだれか好きな方がいらっしゃるんですの?」
もしかしたらの希望を抱いて尋ねた時も、
「嫌いって思う人はいないかもね。 みんな、それなりにいいところも悪いところもあるからさ。」
彼らしい持論でさらりとかわされてしまった。
それから、彼の私邸で。
「わたくしのことをどう思っていらっしゃいますの?」
それこそ死にそうな勢いで尋ねた時も、彼は
「もちろん大好きだよ。 ロザリアはホントに可愛いね。」
ごくあたり前のようにそう言って・・・頭を撫でただけだった。
もしかしたら、好きでいてくれているのかもしれない。
もしかしたら・・・。
今まではっきりさせることなく、ずるずるオリヴィエと曖昧な関係を続けてきたのには、そんな淡い期待があってのことだ。
けれど、そんな関係にだんだんと心がすり減ってきてしまったのも事実で。
自分から諦めることもできず、無関心にもなれない。
そして、最近、彼の様子がどことなく今までと違ってきているような気がするのだ。
ロザリアを遠ざけようとする壁を、態度の端々に感じてしまう。
どうせこのままではいられないのなら、オリヴィエの本心が知りたい。
最終的にロザリアが選んだ結論は、彼に告白することだった。
翌朝、ロザリアはパープルのワンピースに着替えると、新しい口紅の封を開けた。
くるっと回して出てきたカラーは、鮮やかなピンク。
いつもなら絶対に選ばない色目だけれど、今日のワンピースにはよく似合う。
たっぷりと唇に乗せ、鏡の前で笑顔を作った。
久しぶりに二人で出かけた森の湖は、珍しく、誰の姿も見えない。
常春の地では、緑の木々は常に青々とした葉を揺らし、美しい花が途切れることはない。
静寂の空に、柔らかく耳をそよぐ滝の音。
穏やかな空気に、ロザリアは張り詰めていた緊張を、そっと吐きだしていた。
「いい天気だね。」
オリヴィエはキラキラと輝く日差しを手で避けるように日よけを作りつつ、朗らかに笑っている。
休日だから、オリヴィエももちろん私服で、執務服ほど無駄な装飾はない。
どちらかと言えば、すっきりとした雰囲気が、彼の美貌をより際立たせているような気がした。
「日焼け止めをしっかり塗ってきて正解だったよ。 あんたは? ちゃんと塗ってきた?」
心配そうにロザリアの顔をのぞき込もうとするオリヴィエに、ロザリアは小さくうなずいた。
「ええ。 オリヴィエからきつく言われていますもの。 きちんと予防していますわ。」
「それはよかった。 あんたみたいに白いコは肌を痛めやすいからね。」
満足げなオリヴィエの人差し指が、ふわりとロザリアの頬に触れる。
彼にしてみれば、たんにメイクの調子を確かめているだけ。
だから、平気で触れることができるのだ。
・・・ロザリアの鼓動などお構いなしに。
「今日の服、いつもと雰囲気が違うね。」
湖の畔をゆっくり歩きながら、聖殿の噂話などをして過ごした後、オリヴィエは不意にそう言った。
じっとロザリアを見つめるダークブルーの瞳。
探るような色は、ロザリアのなにかしらの意図を感じ取っているのかもしれない。
「わたくしだって、オシャレを楽しみたい時がありますのよ。」
「そうなの? 今まで、あんまりそういうことを言わなかったじゃない。
いつもだいたいおんなじようなワンピースばっかりだったし。」
「おんなじような・・・って、そんなことありませんわ。」
「そんなことあるって。 スカートの丈だって、たいたい一緒だし、色だって青とか白とかだし。」
「そ、それははしたなくない程度の・・・。」
「ホラ。 おんなじじゃない。」
ははは、と、オリヴィエは軽く笑って、足を止めた。
「ねえ、今日のあんたは、いつもと違う。
なにをしようとしてるのか、私に教えてくれないの?」
優しい瞳。 優しい声。
オリヴィエはいつも優しくて、ロザリアを大切にしてくれた。
だから、こんなに泣きたくなるのだ。
あふれそうになる涙をぐっと奥にしまい込み、ロザリアはオリヴィエに向き直った。
「オリヴィエ。 わたくしはあなたのことが好きですわ。
同僚としてではなく、守護聖としてでもなく、一人の男性として、オリヴィエのことが好きなんですの。」
彼の顔をまっすぐに見て、一言も漏らさずに。
練習の時に頭に思い浮かべていた言葉通りには言えなかったけれど、ロザリアの精一杯を込めて、伝えることができた。
木々が葉を揺らす音が、さわさわと耳を流れる。
もう少しくらいなら騒がしくても良かったのに。
静かすぎる世界では、聞きたくない音まで、はっきりと聞こえてきてしまう。
彼がついた、小さなため息まで。
「ありがとう。 すごく嬉しいよ。
でも、私はあんたを幸せに出来ない。 …ごめんね。」
不思議と涙は出なかった。
どうして?とか、わたくしのどこが悪いのですか?とか、他に好きな方がいらっしゃるのですか?とか、聞きたいことはたくさん頭に浮かんで来たけれど、結局、言葉は出なくて。
俯いたままのロザリアの頭に、オリヴィエの手がふわりと乗る。
もう一度、
「ごめんね。」
女王試験で思うように育成が進まなかった時、補佐官の執務でミスをしてしまった時。
いつもオリヴィエはこうして、ロザリアの頭を撫ででくれた。
見た目は派手でキラキラの手だけれど、とても優しくて、暖かいことをロザリアは知っている。
こんな時でも、優しい彼がやっぱり好きだから。
ロザリアは顔を上げた。
「わたくしこそごめんなさい。
そういえば、明日までにやっておきたい書類があったんですの。
申しわけありませんけれど、今日はお先に失礼させていただきますわ。」
ちゃんと笑えていたと思う。
こんなバカみたいな嘘にオリヴィエが気がつかないはずはないけれど、彼は「ん。」と小さく頷いただけで、引き留めたりはしなかった。
長いフレアスカートのたっぷりした布を優雅につまみ、美しい淑女の礼をする。
つまらない意地。
でも、ロザリアは最後までそれを突き通したかった。
パープルのスカートを風にはためかせて、背筋を凜と伸ばして、美しく。
ロザリアはゆっくりと森の湖を後にした。
ワンピースと口紅は、すぐにクローゼットの奥にしまい込んだ。
いつもの服に着替え、鏡を覗き、ごしごしと口紅をこすり取る。
彼への想いも一緒にはがれ落ちてしまえばいいのに。
そんなことを思いながら、少しだけ泣いた。
次の日も、今までと同じように、オリヴィエの執務室を訪れた。
オリヴィエも今まで通り、出迎えてくれた。
大きく育ってしまった恋心は、すぐに消えて無くなることはないだろう。
でも、きっと、当たり前の日常を過ごしていく中で、いつの間にか小さくなっていくはずだ。
いつかは、きっと。
週の変わった月の曜日、夢の執務室に向かったロザリアは、ドアを開けた瞬間、手にしていた書類をばらまいていた。
部屋の中はなにもなく、がらんとした箱のような状態で、カーテンすら外されている。
きらびやかなシャンデリアも馴染みのソファもない。
聖地のすべての場所から、オリヴィエの痕跡が消えてなくなっていた。
「口止めされていたの。」
詰め寄ったロザリアに、アンジェリークはぽつりぽつりと話し始めた。
「誰にも見送られないで、こっそりと出て行きたいから、って。
新しい守護聖への引き継ぎは、ルヴァに任せてあるっていうし。
いつココを去るか、わたし達にも正確な日時は教えてくれなかったのよ。」
ロザリア以外、みんな知っていた。 ・・・知るしかなかったのだ。
サクリアはお互いに感応し合うから。
サクリアを持っていないロザリアだけが、気づいていなかった。
少し前から、オリヴィエのサクリアが衰えてきていて、遠からず聖地を去ることになるだろう、と。
「ごめんなさい。
オリヴィエがどうしても貴女には知られたくない、ってそう言ったの。
補佐官として生きることが貴女の幸せだって。」
アンジェリークの言葉はまだ続いていたけれど、ロザリアは最後まで聞かずに、女王の間を飛び出した。
幸せってなんだろう。
幸せを決めるのは誰だろう。
ロザリア自身の幸せを決めるのは、少なくとも、彼じゃない。
私邸に戻ったロザリアは、クローゼットから、パープルのワンピースとピンクの口紅を取り出した。
補佐官服を脱ぎ捨て、深いカッティングの胸の谷間を強調するように、ベルトの編み上げをぎゅっと結びあげる。
髪をほどき、口紅を強めに引くと、鏡の中には一人の見慣れない女がいた。
「幸せにして欲しいなんて思いませんわ。」
わかっているのはただ一つ。
彼がいなければ、ロザリアは幸せになれない。
スーツケースひとつに入るだけの荷物を詰めたロザリアは、鍵をかけずに私邸を後にした。
もう戻ることのない聖地を、一度も振り返ることなく。
ただ風だけがロザリアの決意を応援するように、フレアのスカートの裾を激しくはためかせていた。
FIN