セカンド・ヒロイン

1.

「ごめんね。 わたし…。」
「もういいですわ。 今度からは気をつけるのよ。」
「うん。 わかってる。」
涙を浮かべてうなだれるアンジェリークに、ロザリアはふうと大きな息を吐いて、肩を落とした。
本当のところ泣きたいのはロザリアの方だ。
アンジェリークのせいで、貴重な週末のほとんどが無駄なものになってしまったのだから。
…ため息の一つくらいは許してほしい。
ところが。

「あ、ロザリアがアンジェリークを泣かせてる!」
「なんだって?」

聖殿の中庭に飛び込んできた二つの影。
緑の守護聖マルセルと風の守護聖ランディだ。
そういえば、この中庭は、マルセルお気に入りの場所だった、と、ロザリアは今になって思い出していた。
緑の守護聖らしく、植物や動物が好きなマルセルは、綺麗に整えられたこの庭をとても気に入っていて、自ら花を植えたり育てたりしていると聞いている。
おそらく昼休みのこの時間、仲良しのランディと花壇の様子を見に来ることも多いのだろう。
人気のなさそうな場所を選んだことが仇になったわけだが、もう遅い。

マルセルはさっとアンジェリークのそばに走りよると、慰めるように彼女の背中に手を当てた。
心配そうにアンジェリークを覗き込み、
「大丈夫? また、ロザリアに意地悪されたの?」
少女と見まがうばかりの可憐な口から、優し気な口調とは裏腹な辛辣な言葉が飛び出してくる。
彼の菫色の瞳はアンジェリークを優しく見つめ…その後、ロザリアを忌々しいモノのように一瞥した。
美形なだけに、その冷たい視線はブリザードのど真ん中に放り出されたように、ロザリアを凍り付かせた。
続けて、ランディが
「ロザリアに苛められたくらいで泣かなくていいよ。 俺たちはアンジェリークの味方だからさ。」
頬を赤らめながら、アンジェリークに向かっていろんな慰めの言葉をかけている。

あきらかな三対一の構図。
二人から一生懸命慰められたアンジェリークが
「ごめんなさい。」と、ロザリアに頭を下げ、その場から立ち去ろうとした。
目にはたくさんの涙。
ふわふわした子犬がじっと見つめてくるような…庇護欲をそそる表情。
もしも彼女の背中にしっぽがあれば、きっとフルフルと震えて丸まって見えることだろう。

「ねぇ、僕の部屋でケーキでも食べようよ。」
「そうだね。 俺も付きあうよ。」
「ありがとうございます…。 わたし…。」
「いいから。 元気だして、ね、アンジェリーク。」
二人は両側から彼女を支え守るように後に従っていく。
まるでお姫様と二人の騎士だ。
ものすごく…絵になる。
去っていく3人の後姿を見ながら、ロザリアは内心、いいものを見た、と頷いていた。


彼らの姿が全く見えなくなってから、ロザリアは手にしていたノートを開いた。
全体的に茶色に染まった2冊のノートは、水分を吸ってページがよれよれに膨らんでいる。
もちろん水性インクで書かれた文字は滲んでしまって解読不能だ。
本当に盛大にぶちまけたものだ、とロザリアはため息をつく。
ノートに書かれていたのは、フェリシアとエリューシオンの今までの育成の過程とその結果だった。
二つの大陸の相違点や類似点。
送ったサクリアに対する反応。
ロザリアがコツコツと書き溜めてきたレポートを、この週末にまとめ上げ、アンジェリークに渡したのだ。
きっとアンジェリークの育成にも役立つだろうと考えて。
ところが、昨夜、ノートを読んでいたアンジェリークは途中で睡魔に襲われ、ノートの上に紅茶をこぼしてしまったらしい。

さっきの昼休み。
「あのね、ロザリア。ちょっといい?」
話しにくそうなアンジェリークの様子から皆には聞かれたくない話なのかと気を回して、この中庭まで連れてきた。
すると、いきなり、このノートを渡され、「ごめんなさい!」と頭を膝にくっつけそうな勢いで謝られて。
「わたし、頑張って読もうと思ったの。 でも、ちょっと疲れていて…。」
懸命に言い訳しながら、何度も何度も謝るアンジェリークは本当に可愛い。
頭を下げるたびに金の髪がフワフワと揺れ、潤んだ緑の瞳は光を浴びてキラキラと輝いていて。
彼女の背中には本当に天使の翼が生えているようだ。
抱きしめてぎゅっとして、何でも許してあげたくなる。

そんなことを考えて、ロザリアが何も言わずにいると、アンジェリークは
「怒ってるわよね。 せっかく作ってくれたのに…。」
目を潤ませて、ロザリアを上目づかいでじっと見てくる。
本気で申し訳ないと思っている様子に、ロザリアはただ無言で、首を横に振った。
アンジェリークに悪意がないことはよくわかっている。
良くも悪くも無邪気で天然で、表裏のないアンジェリーク。
ただ本当に眠たくて、うっかりしたのだろう。

実際、ロザリアは全く怒っていなかった。
たしかにこの週末をかけて作ったノートだが、内容はすでに、ロザリアの頭の中にきちんと整理された状態で残っている。
生のデータはレポートにあるから、特に困ることもない。
どちらかといえば、これからのアンジェリークに必要だったはずで、ノートが無くなってもロザリアには何の痛手もない。
だから。
「もう、いいわ。」と言ったのだ。
それなのに、なぜか、あの通り。
ちょっと理不尽ではないだろうか。

マルセルとランディの非難がましい目を思いだすと、さすがのロザリアも少し堪える。
それでも、ふと揺れた風に自身の髪が目に入ると、途端にそれも仕方がないかと思えてきた。
おとぎ話で言うならば、アンジェリークがシンデレラで…きっとロザリアは意地悪な継姉だ。
天使のようなアンジェリークに比べれば、むしろ魔女かもしれない。
ようするに悪役。
ひらひらとはためくスカートのすそにも、ロザリアは舌打ちしたい気持ちになった。

青紫の髪、青い瞳、とくれば、自然と服もブルー系にしたくなる。
青はクールなイメージだ。
そして、類まれな美貌と評される顔の作りも、女性にしては高めの身長も、すらりとした体躯も。
なにもかもが冷たい印象を人に与えてしまうのだ。
外見のイメージというのは恐ろしい。
この飛空都市で、守護聖という特別な立場の人間ですら、そのイメージからは逃れられないのだろう。
アンジェリークとロザリアは、初めから立ち位置が違っていた。
つまり、『好ましい少女』と『感じの悪い娘』。
さっきのマルセルとランディがいい例だ。

「ふう・・・。」
慣れているのだ。 そんな扱いには。
けれど、やはり、少しだけ悲しいと思う時もある。
ロザリアははしたないと思いながらも、芝生の上に寝転んだ。
軽く目を閉じ、溜まっていた澱を吐き出すように、大きく息を吐きだす。
ふっと意識が軽くなったのは、日頃の疲れのせいだろうか。
ロザリアはあっさりと、睡魔につかまっていた。


ロザリアが眠ってすぐ。
中庭の最奥の木陰でむくりと何かが動く。
「なんかねぇ…。」
オリヴィエは上半身を起こすと、身体に乗せてあった羽のマフラーをふわりと巻き直した。
実はロザリアとアンジェリークが来るずっと前から、オリヴィエはここで一休みしていた。
そもそも人気のない中庭。
中でも一番奥のこの木の下は、ちょうど木の影で人目につかないうえ、常に涼しくて昼寝にはもってこいの場所なのだ。
以前、どうにもならない二日酔いに悩まされた時に偶然この場所を発見したオリヴィエは、以来、ちょくちょくと利用していた。
だから。
「ごめんなさい!」
アンジェリークの謝罪から始まった一連の流れをオリヴィエはずっと聞いていたのだ。

思うに、原因を作ったのはアンジェリークで、ロザリアには責められるべきところは何もない。
むしろ、ロザリアが怒りださないことが意外だった。
オリヴィエのロザリアへのイメージは『高飛車で傲慢で偉そうな小娘』だったから。

延々と続くアンジェリークの謝罪と言い訳。
ロザリアはそれをじっと聞いている。
不思議なもので、謝られている側の反応が薄いと、謝っている側がエキサイトしてくるのだろう。
次第にアンジェリークの声が大きくなり、勝手に涙声になってきて。
泣く立場が逆だろう、とオリヴィエが思っていたところに乱入したのが、マルセルとランディだ。
彼らは、一方的にロザリアを責めて、まるで悪者扱いを始めた。
もっとも瞬間的に見れば、泣いているほうを庇いたくなるのもわかる。
それにロザリアも何か言い返せばいいのに、なぜかじっと黙ったままだ。
飛び出して、彼らを諭したくなる気持ちを、オリヴィエはぐっと抑えていた。

立ち上がり、芝生に視線を向けたオリヴィエは、そこにロザリアがいることに気づいた。
忍び足で近づいてみると、彼女はすやすやと眠っている。
「ちょっと…。 無防備じゃない?」
ロザリアはオリヴィエの気配にも全く気が付かないようだ。
きつい印象の目を閉じているロザリアの顔はあどけなくて、年相応の少女に見える。
胸の下で指を組み、足先までがきちんと伸びていて。
眠っている時まできちんとした姿勢でいるロザリアが、なんだかおもしろくて、オリヴィエは彼女の隣に腰を下ろした。


目が覚めて、ロザリアは驚いた。
どれくらい眠っていたのか。 
つい辺りをきょろきょろと見回して、人影がないかを確認してしまう。
完璧な女王候補を自負する自分がこんなところで居眠り。
誰かに見られていたら…顔から火がでそうだ。
とりあえず、人気がないことにほっとしたロザリアは、自分のお腹付近にかけられた、ある物体を認めた。
ふわふわの黒い羽根。
やわらかくてあったかい…けれど、この羽の持ち主は。
ロザリアは真っ赤になって立ち上がると、羽をひっつかんで歩き出した。

走るのは淑女としてはしたない。
そう思いながら、ずんずんと足音がしそうな勢いで、ロザリアは夢の執務室のドアを開け放った。
気が急いて、前のめりに倒れ込みそうになるのを必死で踏みとどまり、キッと前を向く。
すると、
「あれ? ロザリア?」
執務机に座っていたオリヴィエと目が合って、初めてノックもせずに乱入したことに思い当る。
カッと顔が赤くなるのを自覚しながら、ロザリアは優美な淑女の礼をとった。

「ごきげんよう。オリヴィエ様。 …こちらはオリヴィエ様の物でしょうか?」
見間違えようもない派手な羽根飾り。
オリヴィエはクスリと笑いをこぼすと、
「そうだよ。 思いがけないところでお姫様がお休み中だったからさ。
 風邪を引くといけないと思って、貸してあげたってわけ。」
パチンと思わせぶりなウインク。
ロザリアは瞬きもせずにオリヴィエを凝視した後、綺麗な微笑を浮かべた。
整った美貌から生まれたそれは、ちょっと引くほどの凄味がある。
「ご迷惑をおかけしました。
 以後はこのようなことのないように努めたいと思います。」
マニュアル通りの丁寧な言葉とともに、恭しく差し出された羽飾り。
受け取ったオリヴィエはロザリアとしっかりと目を合わせた。

普通の女の子なら、じっと見られれば目を逸らしたり、恥ずかしがったりするだろう。
実際、アンジェリークに試した時は効果があった。
先日、この部屋でお話をした時、じっと見つめたオリヴィエに、アンジェリークは可愛らしく、はにかむように頬を染めていたのだ。
ところが、目の前のロザリアは、オリヴィエの視線にひるむ様子もなく、じっと見つめ返してくる。
逸らしたら負け、とでも言うようで、そこには色気もまるでない。
けれど、どこまでもまっすぐで曇りのない青い瞳。
…とても綺麗だと思ってしまった。

「まあ、時々なら昼寝もいいんじゃない?
 ただね、あそこは良くないよ。 日が当たり過ぎるから、お肌に悪いでしょ。
 あの後ろの大きな木の下。 そこがベストポジション。
 日陰で涼しくて、しかも誰にも見つからないんだよ。」
「…よくご存じですのね。」
オリヴィエを見返す目が、不審に変わる。
微妙に後ずさりまでされたが、とりすました笑顔よりもずっと素のままらしくて…楽しい。
けれど、オリヴィエはそんな感情はおくびにも出さず、
「ん~。 まあ、試してごらんよ。 寝心地は保証するからさ。」
さらりと言うと、ロザリアはそれ以上追及しては来なかった。
おそらく彼女の中でオリヴィエからの情報は『どうでもイイこと』に分類されたのだろう。
さっとスイッチが切り替わるように、ロザリアはいつもの顔にもどっていた。

「失礼しました。」
丁寧な礼をして、オリヴィエの執務室を辞したロザリアは、ドアを見つめながら首をかしげた。
正直、今のオリヴィエは気味が悪かった。
ロザリアをじろじろ見て、薄ら笑いまで浮かべて。
バカにされているのかとも思ったが、そういう空気でもなかったような気もする。

「オカシイのは格好だけじゃないのかもしれませんわね。」
口に出してみると、なんだかその見解が正しく思えてきた。
オリヴィエのヒラヒラキラキラした格好はロザリアから見れば、完全に常軌を逸している。
そういう彼の行動をいちいち真面目にとらえるべきではないのだ。
…確かにふわふわの羽は暖かくて、おかげで風邪もひかずに済んだようだけれど。
所詮は気まぐれ。
そう結論付けたロザリアは、次の予定を片付けるべく、さっさと歩き出したのだった。


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