セカンド・ヒロイン
3.
その今度、は、ほどなくしてやって来た。
週が明けてから、ちょくちょくオリヴィエがロザリアに構うようになったからだ。
ロザリアの顔を見れば近づいてきて、「はあい、お茶でも飲まない?」と聞かれ
「結構ですわ。」と答えれば
「結構、なんだ。 じゃあ私の部屋においでよ。」
「その結構ではありませんわ!」
「結構ってOKってことでしょ? どうせもう今日の分の育成は終わってるみたいじゃない。 ちょっとだけだからさ。」
半ば強引に執務室に連れ込まれてしまうのだ。
一度、「嫌です。」と言ってみたのだが。
「イヤ? …ホントに?」
そう言ってじーっと瞳を覗き込まれて。…根負けした。
今日もロザリアが図書館から出るのを待ち構えていたように、オリヴィエが近づいてきた。
「はあい。 ちょうどよかった。 お茶でも飲まない?」
オリヴィエはひらひらと黒い羽飾りをはためかせている。
ロザリアはぴたりと立ち止まると、オリヴィエににっこり微笑んだ。
「ごきげんよう。 オリヴィエ様。
残念ですけれど、今日はアンジェと約束してるんですの。」
「ふうん。 それはホントに残念。」
心からがっかりした様子で肩を落としたオリヴィエに、ロザリアはハタと気が付いた。
「あの、よろしければ、オリヴィエ様がアンジェとお茶をしていただいても構いませんわ。
わたくしは用事ができたことにしていただいて。」
オリヴィエにとってはアンジェリークと親しくなるチャンスだ。
譲ってあげたら、きっとオリヴィエは喜ぶだろう。
ところが。
「なんで?」
意外なことにオリヴィエは喜ぶどころか微妙に不機嫌な顔になっている。
ロザリアは首をかしげた。
「日の曜日、せっかくお誘いにいらしたのに、アンジェは留守でしたでしょう?
ですから…。」
「日の曜日? …私は最初からあんたを誘うつもりで行ったんだけど。」
「え? ではあの花は?」
「あんたのために用意したもんだよ。 気に入らなかった?」
ロザリアは咄嗟に声も出ず、目を丸くした。
ピンクやオレンジの可愛らしいブーケ。
あれがロザリアのために用意してくれたものだったとは…思ってもみなかった。
「え、あの、わたくしに?」
「そうだけど。 まさか勘違いしてた?」
オリヴィエは目を細めて、からかうような笑みを浮かべている。
その通りだ、とも言えなくて、ロザリアは黙り込んだ。
「だからさ、今からのお茶もアンジェとじゃなくて、あんたとしたいんだけど。」
「わたくしと…。 それは困りますわ。」
きっぱりと言い切るロザリアに今度はオリヴィエが絶句する。
困る、とは迷惑という事で、つまりそれは。
…オリヴィエを嫌いということだろうか。
ところがそんなオリヴィエの葛藤をよそに、ロザリアは至極真面目な表情でこう言った。
「オリヴィエ様はアンジェリークを好きにならなければいけないのですわ。
ええ、オリヴィエ様だけではなくて、守護聖様は全員、アンジェリークを好きにならなければいけないのです。」
「は? なんで? 私がアンジェリークを?」
今度のなんで?は、さっきよりもはるかに声が上ずってしまった。
ついロザリアを凝視したオリヴィエに、ロザリアはまるで聞き分けのない子供をたしなめるような口調で続けた。
…ため息交じりに小首をかしげて。
「オリヴィエ様はシンデレラのお話を御存じですか?」
「もちろん知ってるけど。」
「では、話が早いですわ。
シンデレラって、美しく生まれついた女の子が王子様に見初められて幸せになる、というだけの、何のひねりもないお話ですわよね。」
「まあ、そうだよね。」
当たり前の相槌を打つと、ロザリアは満足げに頷く。
「普通に考えたら、美人は得ね、だけで終わってしまいそうなお話が、こんなにも素敵なのはなぜだと思われまして?」
「え…? かぼちゃの馬車、とか魔法使いとか?ガラスの靴?」
オリヴィエは女の子が喜びそうな要素をあげてみた。
けれど、ロザリアは心底残念そうに首を振る。
「ファンタジー要素も物語の色どりとして欠かせませんけれど。
わたくしは、シンデレラが皆に愛されるのは、初めに継母や継姉に苛められていたからだと思いますの。」
「は?」
意味が分からない。
「ようするに、苛められていて可哀想だったシンデレラが幸せになったから、みんながよかったね、と祝福できるのですわ。
シンデレラが幸せな生まれで幸せな育ちをしていて、その上に王子と結婚していたら、つまらないお話でしょう?
だーれも共感しませんわ。 むしろ嫌われ者になっていますわよ。」
「まあ、そうかもね。」
ロザリアの言うことは一理ある。
苛められても頑張っていたからこそ、魔法使いが来てくれたことも納得できるし、王子に見初められても祝福できるのだ。
心も綺麗なシンデレラは幸せになるのが当たり前。
どこかでそう思っているのかもしれない。
これが意地悪な継姉が王子と結婚する話だったら…とんだブラックで、おとぎ話にはならない。
「で、それがあんたとどういう関係があるわけ?」
オリヴィエには全く分からない。
「ですから、この女王試験はシンデレラのお話と同じなんですわ。
アンジェが女王になるには、わたくしという意地悪な継母的立場の人間が必要なのです。
意地悪されたり、見下されたりしても、へこたれず試験に挑んでいく可愛いアンジェの健気に頑張る姿に、みんなが心惹かれるのですわ。
応援して、励まして。 時には魔法使いのように手助けをして。
そして最後には女王の座を勝ち取ったアンジェの即位を心から歓迎するんですの。
これで、めでたしめでたし、ですわ。」
ロザリアの説明にはよどみがない。
けれど。
「それって、アンジェが女王になることが決まってるってこと?」
当然の疑問がオリヴィエの口をつく。
「ええ。 どう見たってアンジェが女王になるのが当然だと思いますわ。
悔しいけれど…。 わたくしはアンジェが相応しいと、そう思いますの。」
ふと、ロザリアの睫毛が寂しそうに伏せられた。
完璧な女王候補を自負していた彼女が、ここまで完全に負けを受け入れるには、かなりの葛藤があっただろう。
それでも、くっと唇を噛みしめて、ロザリアはほほ笑んだ。
「物語の登場人物にはそれぞれに役割がありますわ。
普通の女の子が女王になる、このシンデレラストーリーにも、ヒロインと意地悪な継姉が必要なんです。
そして、優秀で完璧な女王候補であるわたくしでなければ、この役割は務まりませんわ。
宇宙から認められた苛め役ですもの。 とても名誉なことだと思っていますの。」
…ロザリアの言う通りかもしれない。
危なっかしいアンジェリークだが、時々ハッとするほどの輝きを見せることがある。
それが女王の輝きなのだとしたら。
間近で見ているロザリアが一番よくわかっているのだろう。
アンジェリークがヒロインのシンデレラストーリー。
その物語の中で、ロザリアは継姉役。
何もかも受け入れて、それでも強くあろうとするロザリアの表情は、潔く美しく。
その姿に、オリヴィエは見惚れていた。
「ですから、オリヴィエ様もわたくしなんかに構っていてはいけないのですわ。
守護聖様は魔法使いであり、王子様であり、アンジェの味方でいなくては。」
言っていることが、かなり無茶苦茶だとオリヴィエは思った。
けれど、彼女なりのこの試験に対する折り合いのつけ方なのだということもよくわかる。
夢と現実と。 この世界にはどうしても叶わないことがあって。
その狭間で揺れる彼女の気持ちは、オリヴィエ自身もかつて経験したことだから。
「なるほどね。 あんたの言いたいことはよくわかったよ。
でもさ、守護聖は9人もいるんだよ?
魔法使いも王子もそんなにたくさんいなくたっていいんじゃない?」
オリヴィエは楽しいことをたくらむように、ロザリアにウインクをした。
すると、さっと彼女の頬が染まり、オリヴィエは内心満足感を覚える。
悟ったようなことを言っていても、ロザリアはまだ初心な少女なのだ。
「…それはそうかもしれませんわね。」
ロザリアは右手の拳を顎に当て、考えるようにうつむいた。
実際、ここのところ、エリューシオンには贈り物が毎晩注がれている。
そのおかげで二つの大陸の差はどんどん縮まっているのだ。
…あまり早く逆転されても、物語としての楽しさがそがれてしまうだろう。
ギリギリまで引っ張って、悔しがるロザリアを踏み台にしてこそ、舞台も盛り上がるというものだ。
「だったらさ、私くらいは、魔法使いでも王子でもない、通行人Aでもいいんじゃない?
今更、あの仲間に入るのは、ちょっと遠慮したいし。」
オリヴィエの視線の先をたどったロザリアは、そこにアンジェリークの姿を認めた。
きっと、なかなかお茶に現れないロザリアを探しに来たのだろう。
両隣にルヴァとゼフェルが張り付いているのが、なんともいえないが。
「通行人Aが不満なら、その他の役は全部やってもイイよ。
ネズミの御者とかパーティのお客さんとか、あ、ホラ、靴を届けに来るお城の家来とか。」
「まあ、ネズミの役でよろしいんですの?」
ロザリアがくすっと笑う。
「ぜーんぜん構わないよ。 ホントのとこ、私に王子は荷が重いし。
魔法使いもいいけど、いい魔法よりは悪い魔法の方が得意なんだよね。」
「ええ、わかりますわ。 悪い魔法使いの方がお似合いでしょうね。」
「ちょっとぉ。」
軽口の掛け合いが妙に楽しい。
楽し気にリラックスしているロザリアと過ごす時間は、オリヴィエにとっても楽しいものになっていた。
「まあ、アンジェったら。」
突然、ロザリアが声をあげた。
見れば、ルヴァが差し出した何かをゼフェルが取り上げて、それをアンジェが一緒に追いかけて…。
そんな、まるでコントのような場面が繰り広げられている。
無邪気なお姫様はとても楽しそうで、飛び跳ねるその背中には白い翼が似合うだろう。
でも、と、オリヴィエは横目でロザリアをちらりと眺めた。
楽しそうなアンジェを見る青い瞳はどこまでも優しく…それでいて、どこか憧れと寂しさを秘めている。
ロザリアは女王にはなれないかもしれない。
アンジェリークが女王になる物語の意地悪な継姉の役かもしれない。
それでも・・・つくづく自分はひねくれている、とオリヴィエは思わざるを得なかった。
「ねぇ、シンデレラの最後って、どうなるの? 結婚した後、意地悪な継姉達ってどうにかなるの?」
「たしか、わたくしの観たバレエでは、改心した継姉たちはお城で幸せに暮らしていたような気がしますけれど…。
でも、足を切られたり、目玉をくりぬかれたりするお話もあるみたいですわ。
脇役の最後ですから、曖昧でもよいのでしょうね。」
大事なのはヒロインだ、と、ロザリアは言いたいのだろう。
…しかし、目玉をくりぬかれるエンディングを知っていて、継姉でいいというロザリアは不思議だ。
「あ、ロザリア!」
ようやく気が付いたアンジェリークが、ルヴァとゼフェルを残して、こちらに走り寄って来た。
「あ、オリヴィエ様とご一緒なの? お茶の約束、どうする?」
「もちろんあんたの方が先約だもの。 あんたとするに決まってるわ。
あんたこそ、あの方々はよろしいの?」
「うん。 ロザリアのところまで送ってくださるっていうから、ご一緒してきただけなの。
ゼフェル様がコワイから、ルヴァ様も、って。」
てへ、と舌を出して笑うアンジェリークに、ロザリアもくすっと笑う。
そして、少し離れたところにいたゼフェルとルヴァにつかつかと歩み寄ったかと思うと、あっさりと言い放った。
「アンジェはわたくしとお茶の約束をしていますの。
騒がしいのは迷惑ですから、お戻りいただけませんか。」
言葉は丁寧なのに、カチンとくる口調。
案の定、ゼフェルが突っかかって来るのを、ルヴァが押しとどめている。
懸命にゼフェルをなだめるルヴァを、腰に手を当てて顎を上げ、冷ややかに見つめるロザリア。
不思議なことにロザリアが居丈高にふるまうほど、傍らのアンジェリークが可愛らしい存在に見えてくる。
オリヴィエもきっと、さっきのロザリアの話を聞いていなければ、『感じの悪い娘だ』と思ったことだろう。
…いったい、どこまでが演技で、どこまでが素なのか。
どちらの可能性もありそうで、面白い。
「さ〜あ、お邪魔虫は行こうかね。 あんたたちも女の子の邪魔すると、嫌われるよ。」
オリヴィエはまだごちゃごちゃしている二人に声をかけ、強引にその場から連れ出した。
「ったく、あの女は生意気だぜ!」
「まあまあ、ロザリアは頑張りも人一倍ですから。」
なだめるようなそぶりで、その実、ロザリアをよくは思っていない様子がルヴァからも伝わってくる。
結局、ルヴァの部屋に落ち着いてから、オリヴィエは二人にそれとなく聞いてみた。
女王にふさわしいのはどちらか。
女の子として好ましいのはどちらか。
もちろん答えは予想通りで。
それからさりげなく、他の守護聖達にも探りを入れてみたが、彼らの答えもやっぱり同じだった。
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