セカンド・ヒロイン
4.
当たり前のように試験は続いていく。
相変わらず、ロザリアはマイペースで育成を進めていて、特定の守護聖と深くかかわることはしなかった。
デートもしない。 部屋でのお話もしない。
執務室を訪ねるのは、育成のお願いだけ。
ただ唯一、向こうから誘ってくるオリヴィエとだけは、お茶や日の曜日のデートを繰り返していた。
「オリヴィエ様は変わっていますわ。」
「まあ、よく言われるね。 変わった格好してるって。 ここは頭のかたいオシャレ心のないやつばっかりだからさ。」
「そうではなくて。…なぜ、わたくしに構うんですの?」
「なぜ、って。 そりゃ、下心があるからに決まってんでしょ。」
「下心?」
ポカンとした顔のロザリアに、オリヴィエは身を寄せ、彼女の耳に息を吹きかけながら囁いた。
「あんたにあんなことやこんなことをしてみたい、ってコト。」
「ええッ?!」
ロザリアは目を丸くして、さっと身体を離した。
まるで犬に狙われた子猫のように毛を逆立てている。
「なーんて、冗談。」
「じょ、冗談ですって?! からかうのもたいがいになさって!」
真っ赤になって地団太を踏むロザリアに、オリヴィエは「キャハハ☆」と笑ってみせた。
初心なロザリアはこの手の冗談に過敏に反応しすぎるから…面白い。
ロザリアは毒舌ではあるけれど、意地悪ではないし、嘘や誇張もない。
わがままやことも言わないし、むしろ自らを厳しく律しているせいで、控えめなほどなにも要求してこない。
彼女を傲慢だと嫌う守護聖達は、まるでわかっていないのだ。
硬い殻を持つものほど、中身はとても柔らかいという事。
だから、三回に一度は断られても、オリヴィエはロザリアを誘う事を止めなかった。
「…またですの?」
ため息交じりでそう言いながらも、ロザリアの瞳は怒っていないことに気が付いていたから。
いつも通りのデートをした日の曜日の夜、オリヴィエはフェリシアにこっそりとサクリアを贈った。
贈り物という行為は試験で正当に認められていることだ。
実際、アンジェリークの大陸であるエリューシオンは、ほとんど贈り物だけでできた土地だと言ってもいい。
それにくらべれば、本当に些細な量。
ところが翌朝、ロザリアがものすごい怒鳴り込んできた。
「…あのようなことは困ります。 二度としないでくださいませ!」
オリヴィエは肩をすくめて笑った。
「そんなに気にしなくたっていいじゃない? 建物一戸ぶんくらいさ。 サービス、サービス。」
「困ります。」
「硬いこと言いすぎ。 愛情表現ってことでいいからさ。」
「…困るんですわ。」
真っ直ぐにオリヴィエを射る青い瞳には、本当に非難よりも困惑が強かった。
なぜ困るのか。 そもそも困るとはどういう意味なのか。
確かめる前に、ロザリアは
「もう二度としないでくださいませ。」
重ねてそう告げると、身をひるがえして去っていってしまった。
追いかけて問いただすこともできたけれど、オリヴィエはそうしなかった。
理由がどうあれ、彼女が望まないことをするつもりはない。
オリヴィエにできることは、ただ。
「見てるだけか…。」
自嘲の呟きは、執務室のぶ厚い絨毯に吸い込まれて消えていた。
一方、オリヴィエの執務室を出た後、すぐに王立研究院を訪ねたロザリアは、望みの予測を見て、ため息をついていた。
オリヴィエの贈り物のおかげで、今日の育成は一歩先に進むことができる。
彼もそれを知っていて、手助けしてくれたのだろう。
あれからオリヴィエは通行人Aを忠実に守ってくれていて、定期審査でもどちらを支持することもない。
アンジェリーク派の守護聖達とも仲が悪いわけでもなく、本当に一歩引いて見ている感じだ。
もともと彼は女王試験に積極的ではなかったから、それを誰も不思議に思っていないらしい。
ただ、毎日のように、ロザリアをお茶や日の曜日のデートに誘ってくる。
断り続けていたら、ディアに守護聖と親しくすることの必要性について呼び出しを受けて、説教までされる羽目になってしまった。
試験を円滑に進めたい気持ちから、それからはなるべく誘いを受けるようにしているのだが。
オリヴィエと過ごす時間が楽しいと感じれば感じるほど、怖くなる。
彼の小さな振る舞いに一喜一憂して。 …もっと話したいと思って。
でも。
「いずれ退場しなければいけないのですわ。」
この女王試験という物語の終わりは、アンジェリークが女王になることだ。
すなわち、ロザリアは敗れて、この世界からは去らなければならないということ。
その後、幸せに暮らせるのか、目玉をくりぬかれるかは、わからない。
けれど、退場するという事実は変わることはないのだ。
だからこそ、誰とも親しくなりたくなかった。…なりたくなかったのに。
望みの予測をじっと見て、
「これですと、炎の力が必要ですわね。」
とりあえずは育成に集中しようと、ロザリアは頭を切り替えた。
今、出来ることは、最善を尽くした育成をすることだけなのだから。
本来なら次の季節がそろそろ訪れる、ある日。
オリヴィエは久しぶりにオスカーをと差し向かいで杯を交わしていた。
飛空都市に来てから、オスカーは急に忙しくなったように、惑星間の調整で走り回ることが多くなっていたのだ。
そのせいで、ゆっくり腰を落ち着けて飲める機会も格段に減っていた。
「美味いな。」
「ホント。 ここに次に行くときはもうちょっとたくさんもらってきてよ。」
「バカを言うな。 聖地への献上品だぞ。 少しおこぼれにあずかれただけでも感謝しろ。」
「ったく、そういうトコだけお堅いんだから。」
極上の酒は心地よい酔いを連れてくる。
お互いに少しづつガードが緩んだところで、話題は目下最大の関心事、女王候補たちに移っていった。
「お前は金の髪のお嬢ちゃんには興味がないようだな。」
「ん? あんただってそうでしょ?」
「俺は両方守備範囲外、だ。 まあ、どちらかといえば、青い瞳のお嬢ちゃんの方が先が楽しみではあるがな。
俺好みのイイ女になりそうだ。」
「うわ、イヤらしいね。」
「男なら当然だろう? それともお前は彼女たちをそういう目で見ていないと?」
氷青の瞳がからかうように細められた。
オスカーならではの直球な物言いも普段は楽しめるが、その問いかけは、正直今はあまりうれしくない。
オリヴィエは肩をすくめた。
「さあ? どうだろうね。 ただ、みーんながみんな味方してる方にはあんまり興味がわかないんだよね。
私って天邪鬼な性格だからさ。」
「ふっ。 まあ、そういうことにしておくか。」
オスカーがちびりとグラスを舐める。
芳醇な森の香りとさびた風味が、どこかノスタルジイを感じさせるワインだ。
オリヴィエもこくりとワインを口に含んだ。
女王候補としての彼女をどう思うか、には、もう結論が出ている。
では、一人の女の子としての彼女は…それにだって本当は、もうとっくに結論は出ているのかもしれない。
「あんたも通行人かな。」
「なに? どういう意味だ? この俺が通行人だって?」
「なんでもないよ。」
今はまだ、物語の途中なのだ。
アンジェリークをヒロインとする、女王誕生のシンデレラストーリー。
オリヴィエは通行人Aとその他として、それを見守っていくしかない。
今はまだ。
「ね、ロザリア!」
一日の終わりに、アンジェリークは毎日、ロザリアの部屋を訪れるようになっていた。
いつの間にか二人はライバルである以上に、親友と呼べる間柄に変わっている。
当初、ロザリアはアンジェリークと親しくなるつもりはなかった。
所詮はライバル。
勝つか負けるかの関係で、負けたほうは追い出されるのだ。
けれど、無邪気で可愛いアンジェリークは、ロザリアがどれほど意地悪に接しても、にこにこ笑ってついてきた。
それこそシンデレラのように、ロザリアの凝り固まった心を溶かすような微笑みで。
彼女を女王と認めたのは、時折かいま見える白い翼の存在だけではない。
慈愛の心。
アンジェリークこそがその女王の心を持っている、とロザリアの中のサクリアが教えてくれたのだ。
そこに至るまでの長い葛藤は…やっと無駄ではなかったと思えるようになった。
「ばあやさんの淹れてくれるお茶、ホントに美味しいね!」
「ええ。 そうでしょう?」
猫舌のアンジェリークに、ちゃんとぬるめを出してくれるばあやは、本当に気配りの行き届いた使用人だ。
お茶とお菓子でたわいもないおしゃべりをする。
たいていはアンジェリークのおしゃべりにロザリアがツッコミを入れるというモノだが、それはそれで楽しいお茶会なのだ。
「今日ね、ジュリアス様に褒められちゃた! 『そなたはよく頑張っているようだ』、だって!」
「それはよかったわね。」
「でもね、最近のエリューシオンの発展は、わたしの育成の成果、ってわけじゃないもの。
皆様が望みの予測を見て、贈り物をしてくださるからだわ。
わたしが頑張ってるなんて、言えない…。」
しゅんとしてしまったアンジェリークに、ロザリアはカップを置いて、彼女の両手を握りしめた。
「なにを言っているの?
贈り物だってちゃんと試験に認められた有効な手段ですのよ?
あんたを応援してくださる皆様のお気持ちなのだから、育成と何の変りもありませんわ。
気にする必要なんてなくてよ。」
「でも…。」
「エリューシオンにとっては、育成も贈り物も関係ない、発展のための大切な力ですのよ。
不要であるはずがないでしょう?」
アンジェリークにロザリアを論破できるはずもなく、
「そうなのかな・・・?」
なんとなく納得させられてしまう。
「あんたが女王にふさわしいと、皆様が認めてくださっているという事ですわ。
自信を持ちなさい。 わたくしのライバルとして恥ずかしくないように。」
「うん。 やっぱりロザリアはすごいのね。
ねえ、もしもロザリアが女王になったら…。 きゃ!」
アンジェリークが急に立ち上がった拍子にカップが倒れて、紅茶が流れ出した。
見る見るうちに真っ白なテーブルクロスに紅茶が染みていく。
高価なカップが割れなかったのが幸いだ。
「まあ! ばあや、すぐに布巾を。」
「はい、お嬢様。」
バタバタとしながらも的確に掃除を進めていくばあやとロザリアに、
「ごめんなさい…。」
アンジェリークがうなだれる。
「まったく、あんたはそそっかしいんだから。 この間だって…。」
「はあい・・・。」
その後も、二人のおしゃべりは寝る直前まで続いたのだった。
とうとうこの日がやって来た。
ロザリアはいつも通りにアンジェリークを叩き起こし、定期審査の場へと連れ出した。
昨日の晩、何度も確認した通り、きっと今日はロザリアにとって人生で一番つらい時間になるはずだ。
すうっと息を吸い込んで、ロザリアは皆の前に並んだ。
「エリューシオンの建物は48、フェリシアは45。 アンジェリークの勝利だな。」
満足げなジュリアスの声。
とたんに、
「完璧な女王候補っつっても大したことねえな。」
「ゼフェル、やめなよ!」
口に出したのはゼフェルだが、皆がそう思っているのがロザリアにも伝わってくる。
『あんなにアンジェリークを馬鹿にしていたくせに』
『あんなに偉そうだったくせに』
『名家の生まれだと自慢してたくせに』
こんな心の声が聞こえてくるようで、ロザリアはぎゅっとスカートを握りしめ、それでも前を向いていた。
隣のアンジェリークが不安そうにロザリアの手を握ろうとしてくる。
その手をロザリアはきっぱりと押し戻した。
「この程度の発展しかないとは。 ロザリア。
そなたはこの数週間、どのような育成を行っていたのだ。」
厳しいジュリアスの叱責が飛ぶ。
どのような、とは答えづらいことを聞く。
ジュリアスだって知っているはずだ。
ロザリアはこれまでと変わらず、王立研究院へ行ったりフェリシアへ降りたりしながら、民の望みを聞き、自ら考えながら育成を行ってきた。
パスハを除けば、ほとんどだれにも相談することなく、一人で。
ジュリアスもルヴァも、アンジェリークに手助けすることはあっても、ロザリアへはアドバイスの一つもくれなかった。
ロザリアの役割を考えれば、それは自然なことだから、彼らを恨むつもりはない。
けれど、たとえこの女王試験におけるロザリアの役割が何であれ、フェリシアを愛おしいと思う気持ちに嘘はなかったから、常に最善を尽くしてきたつもりだ。
「わたくしは間違っていたとは思いません。
建物の数では負けておりますけれど、フェリシアはわたくしの思い描く通りの発展を遂げております。
それに関して、恥じるところはございません。」
ロザリアは背筋を伸ばし、ジュリアスを見据えた。
この場にいる全員が敵でも、負けるわけにはいかない。
張りつめた空気の中、ふと、ロザリアは背後からの暖かい視線を感じた。
ちょうどオリヴィエのいる辺りだ。
針の筵のようなこの場所で、その視線は強くロザリアを励ましてくれた。
「エリューシオンの発展はもちろん素晴らしいと思います。
皆様のお心もよくわかっております。
けれど、わたくしは諦めませんわ。 女王にふさわしいのは、このわたくしだと自負しております。
…他にも何かございますか。」
なければ終わりだ、というように、目に力を込めて、ぐるりと辺りを見回す。
無気力そうに目を合わせないクラヴィス、キッと見つめ返してくるランディ、哀しそうに目をふせるリュミエール。
にやにやと面白そうにしているオスカー、困った顔をしているマルセル。
イライラしている様子を隠そうともしないゼフェル、その隣で一生懸命ゼフェルを抑えているルヴァ。
そして、彼だけがほほ笑んでくれている。
「なにもございませんでしたら、わたくしは失礼させていただきます。」
ロザリアは膝を折ると、スカートを摘まみ、優雅な淑女の礼をとった。
真っ直ぐに背筋を伸ばしたまま、振り返ることなく退出していくロザリアを、その場にいた全員が声をかけることもできずに見送る。
シンと静まり返る室内は息がつまりそうなほどだ。
ロザリアが残した、鮮やかな悪の印象の余韻。
それに感動を覚えていたのは、きっとオリヴィエだけだろう。
その時。
「あ、あの。 皆様のおかげです。 ありがとうございます。」
アンジェリークの一言で、凍り付いていた空気が溶けていく。
「アンジェリーク、今日の勝利はあなたの力ですよ。 それは間違いありませんからね。」
「で、でも…。」
「いいんだよ! もっと自信を持って、俺たちはアンジェの味方さ。」
「僕も!」
「あ、ありがとうございます・・・・。」
皆に囲まれて、申し訳なさそうに体を縮めるアンジェリークに、オリヴィエは密かに柳眉を開いた。
アンジェリークは悪くない。
素直に、思うままに行動しているだけ。
ロザリアとの親密さを見れば、彼女に計算がないことはわかる。
なにもしなくても愛される存在、と。
自分の思うとおりに行動すればするほど、理解されない存在、と。
それが天から与えられた彼女の役なのだとしたら…せめて自分だけは。
彼女の味方でいてもイイだろう。
「終わりだよね? じゃあ、お先〜。」
ヒラヒラと羽のストールをはためかせて、オリヴィエは踵を返した。
走り出したい衝動をぐっとこらえるように、踵を鳴らしながら外へ出ると、誰も周りにいないことを確認する。
彼女はどこへ行ったのだろう。
「ったく。 仕方ないね。」
呆れたような呟きとは別の感情が見える表情を浮かべて、オリヴィエは今度こそ走り出していた。
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