セカンド・ヒロイン

5.

早足で聖殿を出たロザリアは、誘われるようにまっすぐ、森の湖に向かっていた。
恋人たちの湖との別名もある場所だが、普段の人気は少なく、一歩奥へ入ればほとんど人目には付かない。
候補寮に帰れば、ばあやに気づかれてしまうし、アンジェリークも来るかもしれない。
一人になれそうな場所は、ここしか思いつかなかった。

湖のほとりに座り込み、水面に移る自分の顔を眺める。
相変わらずキツイ青い瞳。
全体的に、さらに青ざめて見えるのは湖の色なのか、それとも、気持ちの問題なのか。
いずれにしても守られるようなタイプではない。

「…彼女たちもこんな思いをしたのかしら。」
シンデレラの継母や継姉たちは周囲の目を気にしなかったのだろうか。
いくら自宅の中での出来事とはいえ、買い物や観劇に末娘だけを連れて行かなければ、社交界では、あっという間に噂になる。
ましてや後添いともなれば、人の目は厳しい。
使用人たちの口にも戸は立てられないから、世間で、継子いじめを知らない者はいなかったはずだ。
その手の噂は皆大好きだから、あからさまな嫌がらせはなかったとしても、彼女たちは出先で陰口をたたかれていただろう。
それに気づかなかったのか。気が付いていても気にしなかったのか。
「そうね、ひとりじゃなかったんですものね。」
きっと三人でいたから、周囲の目を跳ね返せたのだ。
たった一人の自分とは違う。


「ロザリア! ここにいたの?」
大きく呼ぶ声にロザリアは思わず立ち上がっていた。
聞き間違いようもないオリヴィエの声。
振り返ったロザリアの瞳に、息を弾ませて走り寄るオリヴィエの姿がどんどん大きく映ってくる。
彼らしくもなく、髪を乱して。
あんなヒールの靴で、信じられないほど早い。
あ、と気が付いた瞬間、ロザリアの身体はオリヴィエの腕の中に捕らえられていた。

「…寮にも帰ってないし、どこに行ったのかと思ったよ。」
ギュッとオリヴィエの腕に力がこもる。
耳元で聞こえる彼の息は乱れていて、身体も熱い。 心持ち汗ばんでいるようにも感じる。
きっとロザリアをあちこちに探し回ってくれたのだろう。
ロザリアはその腕に、華やかなオリヴィエの中に隠れていた力強さを意識した。
少しだけ。 
今だけでいいから…倒れそうになる足を支えてほしい。
ロザリアはギュッとオリヴィエのマフラーにしがみついていた。

「…。」
ギュッとマフラーを握る掌。 小さく震える肩。
決して顔を見られないように俯いて。声も出さないで。
きっと彼女はこうやって、いつも一人で泣いていたんだろう。
オリヴィエはそっと彼女の頭を抱き寄せ、背中を支えた。
時折、滝の水音に混じり、押さえきれない嗚咽がオリヴィエの耳に届く。
だんだんとそれが小さくなり、やがて体の震えも止まった。

「ごめんなさい…。」
俯いたまま、ぽつりとつぶやくロザリアに、オリヴィエはゆっくりとあやすように頭を撫でた。
ぬくもりを分け与えるように、とても自然に。
しばらくそのままオリヴィエの手を許していた彼女だったが、突然思いだしたかのように息を飲んだ。
そして。

「子供扱いは止めてくださいませ!」
俯いていたロザリアが顔を上げて、オリヴィエを睨み付ける。
プライドの高い彼女には許せない屈辱だったのだろう。
謝らなくては、と、思ったものの、オリヴィエの口から飛び出したのは
「くくくくく…。」
抑えきれない笑い声。
唖然とするロザリアを腕にしたまま、オリヴィエはついに爆笑してしまった。

「ご、ゴメン。
 あのさ、あんたの顔、すごいことになってるよ。」
「え?!」
泣いたのだから無理もないけれど、ロザリアの青い瞳の瞼は腫れていて、周囲はパンダのように丸く赤くなっている。
鼻のてっぺんも頬も、涙の痕をこすったせいか、肌がささくれて、まるで小さな子供のようだ。
赤ちゃん、に近いかもしれない。

「あ〜、これじゃとても帰れないね。 しょうがないから、私の家でメイクしてあげる。 ね。」
オリヴィエは名残惜しいと思いながらも、彼女を抱いていた腕を解いた。
このまま閉じ込めて、試験のことも何もかも忘れさせてしまえるような方法だって、いくらでもある。
初心な彼女なら簡単だろう。
けれど、それでは意味がない。
彼女の願う道、進むべき道のために、できることは。
オリヴィエはしっかりと彼女の腕を掴んだ。

「ホラ、行こう。 私の家ならすぐそこだから。 あ、ちょっと待って、コレ、巻いて。」
オリヴィエは羽のマフラーをロザリアの首に巻き付けると、顔半分が隠れる程度に広げた。
「ん。 これなら目立たないかな。」
「…かえってアヤシイのではありませんの?」
腫れた青い瞳が黒い羽から覗いている姿は確かに微妙だ。
「大丈夫だって。 ホントにすぐそこだし。 あんたがアヤシイことなんて、みんな知ってるから。」
「なんですって!?」
「アヤシイと面白いと、どっちがいいの?」
「そ、それは…。」

たしかに泣いたばかりの顔を晒して歩くよりは、まだこの方がマシ、かもしれない。
ロザリアは無言で、羽を目の下まで引っ張り上げた。
「ん、素直でよろしい。」
オリヴィエは満足げに頷くと、ロザリアを引き寄せる。
とたんに縮まった距離感に焦りつつも、ロザリアは歩き出した。
オリヴィエの羽からは優しい香りがする。
それが関係あるかどうかはわからないけれど、オリヴィエの屋敷につく頃には、湖へ来た時抱えていた、いろんなものは全て消えていて。
代わりにオリヴィエからもらった暖かさが、体にも心にも残っていた。



それからはまた、本当にあっという間に日々が過ぎていく。
一度流れを引き寄せたアンジェリークは、守護聖達の助けもあり、見る見るうちに育成を進めていった。
エリューシオンの発展を横目に、フェリシアはゆっくりと自分の道を進んでいる。
それはまるでアンジェリークとロザリアを見ているようで。
事実、どちらが女王になるかは、もはや誰の目にも明らかだった。

「少し育成するのですね。 覚えておきますよ。 私に任せてください。」
「お願いいたしますわ。 リュミエールさま。」
ロザリアはスカートを摘まみ、淑女の礼をとった。
今日の力はこれで使い果たしたから、あとは図書館にでも寄って、本を読もう。
そう考えながら、顔をあげると、リュミエールと目が合った。
不思議な水色の瞳の中に、ロザリアは何か言いたげな気配を感じ取る。

「なにかございますか?」
問いかけると、リュミエールは、
「いえ、貴女はアンジェリークとどのようなお付き合いをされているのかと気になったのです。」
控えめながらもしっかりとした口調で尋ねてきた。
リュミエールがアンジェリーク派なのはよく知っているが、これまではロザリアに直接あたってくるようなことはなかったのだ。
さすが優しさを司る守護聖だと感心していただけに、意外な質問につい、ロザリアの声が尖ってしまう。
「アンジェリークが何か?」
「いえ、 アンジェリークは、貴女のことをとても好きだといつも言っています。
 仲が良いことは私もわかっているのですが…。
 先日、彼女が貴女をお茶に誘って、断られているところを見てしまったのです。」
「あぁ…。」

ロザリアは3日前のことを思いだした。
ちょうどお茶の時間の直前に聖殿の廊下でアンジェリークと出くわした時のこと。
「お茶しよ!」と誘われたけれど、他の予定が入っていて断ったこと。
アンジェリークが「え〜、つまんない〜。」と、ロザリアのスカートのすそを引っ張ったこと。
そして、その行動に対して、「いい加減になさい!」と、彼女の手を叩き落としたこと。

リュミエールがどこを見ていたのかは知らないが、二人の間であの程度のことは日常茶飯事だ。
アンジェリークははっきり言わないとわからない(はっきり言ってもわからないこともある)鈍感なタイプだし、ロザリアも優しい言葉はかけられない。
けれど、お互いのことはよくわかっているから。
…じゃれ合いでしかないのに。
ロザリアのすることは全てアンジェリークへの悪意に見えるらしい。

「申し訳ありません。 特にアンジェリークと諍いなどはございませんわ。」
さっきよりもさらに深く膝を折る礼をとって、そう告げる。
すると、リュミエールはわずかに美しい眉をひそめた。
「もう少し、アンジェリークに優しくしてあげてくださいね。
 彼女はもうすぐ女王になることで、とても不安を感じているようですから。」
「はい。 わかりました。」
リュミエールは言いたいことを言えた安ど感からか、優しい笑みを取り戻していて、ロザリアの退出の礼にも会釈を返してくれた。 
もちろんとても儀礼的なものではあったけれど。

ドアを出て、ロザリアの口からはため息が零れた。
試験が終わりに近づいているのは、ロザリアも同じなのに、皆の関心はアンジェリークのことばかり。
今更それに傷つくことはないけれど、今のようにあからさまに無関心を貫かれることは結構堪えるものだ。
もう彼らにとって、ロザリアは『どうでもいい者』なのだろう。
事実、お姫様のゴールが見えてきた今、意地悪な継姉は物語から退場するのを待つばかり。
幸せになるお姫様と違い、継姉の最後は。

「どうなるのかしらね?」
生家に戻り、カタルヘナの嫡子として、義務と責任を全うして生きているのだろう。
女王試験に負けて戻ってきた、という不名誉を抱えて。
それはロザリアにとって、目玉をくりぬかれるのと同じくらい辛いことに違いない。
けれど、悩んでも仕方のないことだともわかっている。
この物語を意識した時から、結末は予想していた。
だからこそ、ロザリアは育成を頑張ってきたのだ。
この手に何も残らなくても、フェリシアはこの宇宙に存在し続ける。
彼女が自身の考えで自身の力で、作り上げた世界。
ロザリアの分身のような大陸。
フェリシアがあったから、ロザリアはここで過ごせてきたのだ。

「最後まで、力を尽くしますわ。」
ロザリアは抱えていた資料をぐっと抱き寄せた。
分厚い本にはいくつもの付箋や手づくりのしおりが挟まれていて、いかにその資料が使い込まれたものであるか一目でわかる。
ここで過ごした大切な証の本たち。
そして…。
ガーベラの押し花のあしらわれたしおりも、ここで得た大切なものの証。
これら全部をロザリアは主星に持ち帰るつもりだった。

「あ、これ。 オリヴィエ様にお返ししなくては。」
資料の中に紛れていたのは、オリヴィエが貸してくれたファッション誌だ。
相変わらず彼はロザリアをあちこちに誘い出してくれたり、こうして息抜きをさせてくれている。
けれど、パラパラとめくってはみたが、ロザリアには特に興味の持てる内容はなかった。
それでも、彼の心遣いが嬉しくて、一通りは読んでみていたのだ。

「オリヴィエ様…。」
彼のお気に入りだと教えられた化粧品のブランド。
主星でも売っていると聞いたから、試験が終わったら買いに行こうと決めていた。
見せられないのは残念だけれど。メイクの仕方もネイルの仕方も、彼から教わった通りにして。
あと数日でも、ここで過ごした日々はきっと忘れられない時間になるだろう。
だから、その一つ一つ。一分一秒でも。
図書館の方向へと向いていたつま先を彼の部屋へとむけて、ロザリアは歩き出していた。


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