明滅

憂い誘ひて情を呼ぶ 眺む月夜のお節介

Day after forever・かや様

 デートをすっぽかされた、と泣いて帰ってきた少女を放っておけなくて、夜のセレスティアに連れ出した。
 予想以上に賑わっていた場内を見るなり後悔したが、今更戻れない。今帰ったら、きっと彼女は一人で自室にこもってしまう。
 何年ぶりかな、こんなところに来るのは。
 「まずは何か買って、観覧車に乗るか。夕飯、食べてないんだろう?」
 こっくり頷くのを了承と取って。
 行き場をなくした小さな手をそっと握った。

 会話が続かないかもしれない、という不安は杞憂だった。
 航行中の出来事。今まで降り立った惑星で見てきたものや、出会った人々のこと。故郷のこと。彼女が尊敬する女王陛下や補佐官殿のこと。
 今まで一緒に暮らしていながら、こうして二人で話す機会など、滅多になかったように思う。
 明るく弾む会話につられてか、ずっと泣きべそをかいていたエトワールもやっと笑顔を見せてくれた。

 今日のデートを、どんなにか心待ちにしていたことだろう。
 彼女は数日前から、船内の大鏡の前で何度も笑顔の練習をしていた。昨日もオリヴィエ様をお招きして、テラスで長時間相談に乗っていただいたらしい。
 アドバイス通りに少し背伸びした服も髪型も、全て今日一日のため。
 「コンラッドさん…?」
 首を捻るように見上げてくる。頬には涙の跡が残っていた。掛けるべき一言を探す前に、自然に手が伸びた。
 ぽんぽん。
 綺麗に整えた髪が崩れないように。言葉のかわりになるように。
 「私、子供じゃないですよ」
 不機嫌そうな声とは裏腹に、表情は柔らかい。
 「俺から見ればまだまだ子供さ」
 半分だけ本当のことを言った。もう半分は嘘だ。
 少し褪せたラストノートの香りが、彼女に大人の雰囲気を纏わせていた。娘のような年頃の少女なのに、繋いだままの手をふと意識してしまう。
 らしくない。年甲斐もなく慌てる自分に苦笑した。
 あんなに泣くほど苦しんだのに、この子は未だあの方を――あの方だけを想っている。


 月もすっかり傾いて、パルク・ディマンシュの閉園時間になった。
 泣きはらした目はまだ赤いけれど、軽い足取りも無邪気な笑顔も、すっかりいつものエトワールだった。
 「今日はありがとうございました。遅くまで付き合せちゃって…ごめんなさい」
 精一杯大人を装ったその一言に、つい悪戯心が沸いて。
 「俺のエスコートには満足していただけたかな、お嬢さん」
 「は、はい……え、あの、コンラッドさん、」
 触れるか触れないかのキスを額に預けて、俺は彼女を抱きしめた。
 父親が娘を抱くように優しく、ゆるく。

 「……我慢、してたのに」

 抱きしめた身体が微かに震えた。
 ――ああ、ようやくか。
 俺は気取っている場合ではないのを悟って、腕に力を込めた。
 「もう、我慢しなくていい」
 「ほ、ほんとは、今日……様と、一緒に、来るはずだった、のに…っ」
 「一日待って疲れただろう。寂しかったな。よく我慢したな」
 「さび、しかった…わ、私…ずっと待ってたのに、」
 「こんなにいい子との約束を反故にするなんて、とんでもないな」
 「すごく…悔しかった…」
 気丈に笑っていた声が、揺れた。目元を擦ろうと上げかけた腕を制して、細い背中を撫でた。
 想う相手と辿れなかったデートコースをわざわざ回って、もう一度泣かせた。後悔はしていなかった。
 涙が尽きるまで泣けばいい。こんな気持ちを残しておいたって、何の得にもならないのだから。
 「ご、ごめ、なさい、私…、涙が、とま、らなくて」
 「大丈夫。大丈夫だ」
 もっと泣け。それでいいんだ。
 懸命に使命に取り組む日々の中でようやく見つけた、ささやかな幸せだったはず。不実な男がよそ見をしている間だけ、この俺が守ってやる。
 泣き疲れた彼女の身体から力が抜けるまで、俺は繰り返し囁き続けた。
 大丈夫、大丈夫…と。



 苦いデートから一夜明けて、エトワールは少し遅めに起きてきた。
 「おはようございます!」
 夜更かしの余韻など欠片も感じさせない挨拶に、思わず笑みが零れる。
 「おはよう。良く眠れたか?」
 「はい、ぐっすりでした。たくさん遊んでたくさん泣いたからかな。コンラッドさん、本当にありがとうございました」
 「いやいや、役に立てたなら何よりさ」
 食堂に残っていた船員たちも、元気を取り戻した彼女に安心したようだった。口々に声を掛けながら、各々のトレイからフルーツを一切れずつ置いていく。
 デザートのグラスから溢れそうなフルーツの山。すかさず伸びるタンタンの手をぴしゃりと叩いて、彼女はにっこり笑った。
 「心配かけちゃって、ごめんなさい。ごちそうさまです!今日も一日頑張ろうっと」


 微笑ましい風景に朝から癒され、俺は安心ついでに上機嫌で食堂を後にした。やはり、彼女の笑顔はアウローラ号に欠かせない。
 船室に戻ると、補佐官のレイチェル様からちょうど通信が届いたところだった。

 『早くからゴメンなさい。昨日のコトだけど…一昨日の夜にちょっとトラブルがあったみたいなの。
 それで、朝イチで彼が出向く羽目になっちゃって。急だったからワタシもさっきまで知らなかったんだ。
 あの子、すごく落ち込んでたよね。彼…もう帰ってきてるけど、そっちに行かせちゃって大丈夫?』

 もちろん、否やはない。来なければこちらから催促するところだ。
 お待ちしておりますと返信を送ったその直後、船外に通じる扉が乱暴に叩かれる音がした。鍵は今朝早くに開けてあった。
 俺は船室の外に出て、廊下の壁に凭れた。非難を込めた目で見つめる先を、「不実な男」が全力疾走していく。


 「エンジュ!!」


 足を引っ掛けてやりたいのを堪えて、遠ざかっていく背中に声を掛けた。
 「次はありませんよ。二度とうちの子を泣かせないでいただきたい」
 一瞬だけ振り向いた顔は汗だくで、髪が頬に貼り付いていた。気のせいか、はたまた光の加減か…ばつが悪そうにこちらを見る目の端が、光っている。
 ――ここまでずっと走ってきたのか。
 その誠意に免じて、今回だけは許してさし上げよう。
 俺は船室に引き返し、船内放送のスイッチを入れた。
 『乗組員は今すぐデッキに集合。その際、食堂前は通行禁止とする。繰り返す。エトワールを除く乗組員は全員、今すぐデッキに集合――』


Fin

Page Top