先ほどまでの喧騒が嘘のような静かな星空。
ロザリアを邸まで送り届けたルヴァは一人、家路を歩いていた。
別れ際にロザリアが言った言葉の意味を、何度も考えては首を振る。
そしてさっきから脳裏をよぎる、思い出さなくてはいけない大切なこと。
目の前に開けた星空に、ルヴァはふと足を止めて、草の上に座り込んだ。
涼しげな夜風とともに流れる草をじっと目で追うと、ルヴァは一つ、ため息を漏らした。
ロザリアが、彼が好きだと知っていた。
女王候補のころから、ずっと。補佐官になった今も、きっと。
ロザリアが目で彼を追っていることに気付いたのはルヴァにとっては必然。
ルヴァもロザリアを見ていたから。
「今日は珍しい抹茶が手にはいりましたのよ?」
お茶の時間にやって来たロザリアの後ろ姿をルヴァは本を読むふりをして盗み見た。
ロザリアの白い手が、ルヴァの前に湯呑を置くと、ロザリアは向かいに座る。
座った拍子にロザリアの胸元で見慣れないペンダントが揺れた。
思わずペンダントを見つめたルヴァの視線に気づいたロザリアがペンダントを手に取る。
「これですの?オスカーからいただきましたの。・・・恋がかなうペンダントなんですって。」
ルヴァは曖昧な微笑みを浮かべて、お茶をすすった。
いつになく苦い味がのどを通る。
ロザリアが寂しそうな表情で湯呑を持ち上げたことに、ルヴァは全く気づかなかった。
夕方、ルヴァは図書館へ向かう途中に、中庭でロザリアを見かけた。
その向かいに立っていたのは赤い髪の守護聖。
「パルク・ディマンシュへ?」
「ええ。ご一緒していただけないかしら?一度行っておきたいんですの。」
そう言って、約束を交わした二人は別々の方向へ歩いていく。
ルヴァは柱の影に隠れてしまった自分に苦笑して、本を抱きしめた。
やはり、ロザリアには彼のような人がふさわしい。
二人がデートをしている日、ルヴァは私邸で本を読んでいた。
知らないうちに時計の針ばかりを気にしていて、ほとんど内容が頭に入らなかった。
その次の月の曜日、いつものようにお茶の時間に現れたロザリアはルヴァにチケットを差し出した。
「今度の日の曜日にパルク・ディマンシュへ行きませんこと?にぎやかな場所はあまりお好きではないかもしれないけれど、きっとルヴァも楽しめると思いますの。」
受け取ったチケットには賑やかなイラストが描かれている。
久しぶりの誘いに舞い上がる気分も、先日の二人を思い出すと、ルヴァは素直に喜べなかった。
「でも、あなたは・・・。」
もうオスカーと行ってきたのではないのですか?
言いかけて、目の前のロザリアの笑顔に負けてしまう。
何も言わないルヴァを肯定と受け取ったのか、ロザリアは笑顔のまま時間を告げると、お茶を飲んで出て行った。
ルヴァの手の中に残ったのは、1枚のチケット。
ルヴァは大事そうにチケットを本の中にはさむと、日の曜日を待った。
「ソフトクリーム、ですか?」
「ええ、わたくしもこの間、初めて食べましたの。ぜひ、ルヴァにも食べていただきたくて。」
ロザリアが両手に持ってきたのは、バニラのソフトクリーム。
いくら常春のセレスティアといえども、いつまでも持っていては溶けてくるのも当たり前で。
差し出された一つをぼんやり持っていたルヴァは、ソフトクリームをなめるロザリアの横顔を眺めていた。
オスカーと食べたんでしょう?
心の中にわいてきた言葉をルヴァは呑み込む。
先日できたばかりのパルク・ディマンシュ。
もちろんルヴァにとっては初めての場所だ。
ロザリアに誘われなければ、一生来ることもなかっただろう。
「まあ、ルヴァ。早く食べないと溶けてしまいますわよ?」
ロザリアの呆れたような声にルヴァは慌ててコーンのふちの溶けかけたところをなめた。
冷たくて、甘くて、ルヴァはなんとなく、まるで恋の味のようだと思った。
「えー、あなたはいつここにいらしたのですか?」
「先々週かしら?できてすぐに来てみましたの。子供のころにも遊園地なんて来たことがなかったものですから。」
「そうなんですか~。新しい場所ですからね。気になるもの当然ですよね。」
本当はいつ来たのか、誰と来たのかも知っていた。
あなたは、彼が好きなんですね、と軽く言えたらいいのに。
楽しそうなロザリアを前にルヴァは無言でクリームを食べ進めた。
ルヴァが自分の口の周りについてしまったクリームをハンカチで拭きとっていると、ロザリアの瞳がルヴァを見つめていた。
「あの、ルヴァ。わたくしが誰と来たのか、気になりませんの?」
「はあ?」
まさに思っていたことを言いあてられて、ルヴァはどぎまぎと口ごもってしまう。
それを見たロザリアは少し睫毛を伏せて、微笑んだ。
「いいえ、なんでもありませんわ。」
溶けたクリームがコーンを伝わって手に落ちる。
ルヴァはロザリアから目をそらすと、懸命にクリームを食べた。
やがてクリームを食べ終った二人は乗り物に乗るために列に並んだのだった。
夜と昼の間のわずかな時間が来て、ロザリアはルヴァを観覧車に誘った。
眩しかった西日が次第に闇色に染まっていく。
「なんだか照れ臭いですねぇ。」
膝が触れ合いそうな距離に二人きりで向かい合っているという事実にルヴァは動揺してしまった。
次第に上がっていくゴンドラの中に夕方の風がわずかに差し込んで、ロザリアの髪のひと房を揺らす。
夕陽がすっかり隠れてしまうと、ゴンドラのなかはわずかな明かりだけになった。
「あの、ルヴァ。あなたにお話ししたいことがありますの。」
黄色い明かりがロザリアの瞳で静かに灯っている。
「はい、なんですか?」
「実は、わたくし・・・・。」
ロザリアの言葉が途切れる。
緊張したその横顔に心臓がどうにかなりそうで、ルヴァは突然立ち上がった。
「きゃ!」
揺れたゴンドラに驚いて、ロザリアが手すりにしがみつく。
ルヴァは「すみません。」と一言言うと、また、元のように座った。
少しの沈黙が二人を包む。
空気に耐えかねたルヴァが勢い良く話し始めた。
「ロザリア。私はね、あなたをとてもよく知っています。そうですね。あなたが女王候補だったころからですから、ずいぶんになりますかね。」
ルヴァは少し息を吸い込むと、一気に言った。
「好きな人がいるんでしょう?わかっていますよ。ええ、隠さなくてもいいんです。だからどうだというわけではなくて。」
「私に応援させてください。私はそういったことには疎いので、たいしたことはできませんがね。」
ルヴァの背中に冷たい汗が下りる。
自分でもそれが何なのかわかっていても、ルヴァは話を止められなかった。
「私はあなたの一番の理解者だと思っていますから。なんでも、相談してくださいね~。」
ロザリアの瞳は大きく見開かれたまま、ルヴァを見つめている。
やがて、ゴンドラが地上に降りようとするとき、ロザリアが言った。
「ありがとう。ルヴァ。わたくしの理解者でいてくださいますのね。」
係員がドアを開けると、ロザリアが先に降りる。
手すりを持った手が少し震えている様な気がして、ルヴァはロザリアが高いところが苦手だったのかと、そう思った。
その日から、ルヴァは何となくロザリアを避けるようになってしまった。
相談に乗ると言いながら、本当はロザリアの口から彼の名を聞くことが耐えられなかったのだ。
お茶の時間、ノックが聞こえて、ルヴァは身を固くした。
息をつめてじっとしていると、やがて足音はあきらめたように遠ざかっていく。
そのまま、読んでいた本に没頭しようとしても、意識が集中できない。
ルヴァはため息交じりに立ち上がると、そっと部屋を出た。
中庭の隅のベンチに座って本を読んでいると、突然目の前のページに影が落ちる。
「ルヴァ。こんなところでサボりか?」
一番会いたくないのがロザリアだとしたら、きっと彼は二番目に会いたくない人間だ。
ルヴァが一瞬ためらって顔を上げると、オスカーはにやりと口端を上げた。
「随分浮かない顔じゃないか。パルク・ディマンシュはどうだった?」
オスカーの口調はからかいなのか、真剣なのか、今一つルヴァには読みとれない。
けれど、その言葉にルヴァは本を握りしめる。
「あなたが私を誘うように言ったんですか?」
いつになく強いルヴァの言葉にオスカーは驚いたように両手を上げた。
「いや。ロザリアがそう言ったんでな。ルヴァとパルク・ディマンシュへ行く、と。・・・どうしたんだ。なにもなかったのか?」
オスカーから視線を外したルヴァは風でめくれたページを元に戻すと言った。
「あなたはロザリアが私と出かけたことを快く思っていないのですか?それならば心配は無用ですよ。私と彼女はなんでもないんです。
ただの・・・守護聖と補佐官なんですから。」
ページを押さえていた手を離すと、再び風は本をなでるようにページをめくり始める。
オスカーはルヴァの手から本を取り上げると言った。
「ルヴァ。この本は俺があずかっておく。」
オスカーは軽々と片手で本を持ち上げると、肩に乗せた。
「本ばかりじゃなくて、周りをよく見てみるんだな。花がいつまでも同じ方だけを向いているとは限らないんだぜ。俺が言えるのはそれだけだ。」
オスカーが去った後、ルヴァは首をまわして辺りを眺めてみた。
中庭は常に咲き誇る花に満ちている。
大きな白い薔薇が一輪だけ背を伸ばすように咲いていた。
凛と他を寄せ付けずに咲く薔薇はまるでロザリアのようで、見ているだけでルヴァの胸が痛くなる。
しばらく薔薇を見つめていたルヴァは人の気配に立ち上がると、執務室の方へと足を向けた。
中庭から聖殿に入る途中、渡り廊下で目に飛び込んだきた、二人の姿。
ルヴァはその場に立ち尽くすと、まるで一枚の絵画のような二人の姿を眺めた。
オスカーを見上げたロザリアの瞳は哀しげで、何かを一生懸命に話す姿は補佐官としてではなく、一人の少女のようだ。
言葉が途切れてうつむいたロザリアの肩にオスカーが手を置いた。
唇に手をあてたままのロザリアにオスカーが話しかける。
しばらくオスカーの話を聞いていたロザリアが頷くと、二人は聖殿の中へと戻って行った。
後に残るのはわずかな気配とこの胸の痛み。
ルヴァは足早に執務室に戻ると、新たな本を引っ張り出して、机の上に置いた。
1冊取られたところで読みたいものは無尽蔵にある。
ルヴァはいつのまにか本の世界へと沈んで行った。
ルヴァが聖殿を出たのはすでに夕闇が訪れてから数時間が過ぎたころだった。
私邸までを夜の風に包まれながらゆっくりと歩いて行くと、門の前の人影が目に入る。
白いワンピースを着たロザリアが足元を見つめながら立っていた。
ルヴァは急に向きを変えることもできずにその場から動けなくなる。
気配に気づいたロザリアは顔を上げると、ルヴァに走り寄ってきた。
「遅くまでお疲れ様ですわ。」
にっこりほほ笑んだロザリアにルヴァは首をかしげながら答える。
「ええ。・・・あなたはどうしてこんなところに?なにか私に用事でしょうかね~?」
ロザリアの頬がぱっと赤く染まったのが夜目にもわかる。
少し考えた後、ロザリアはバッグから何かをとりだした。
「あの、もう一度、わたくしとパルク・ディマンシュへ行っていただけませんか?」
ロザリアはルヴァの手にチケットを押し付けた。
その手の冷たさに驚いてルヴァがロザリアを見つめると、ロザリアはすぐに手を離した。
「10時に正門で待っていますから。」
暗い中を走り去っていくロザリアを追いかけることもせずに、ルヴァは手の中のチケットを握りしめた。
なぜ、再び誘ってくれたのだろう。
ルヴァは不思議に思いながらも日の曜日まで、ロザリアに会うことはなかった。
今日、日の曜日に約束の時間に現れたロザリアはいつかのペンダントをしていた。
この間と同じように乗り物に乗ったり、軽食を食べたりしていると瞬く間に時間が過ぎて行く。
気がつくと傾き始めていた日を背にして、ロザリアが言った。
「観覧車に乗っていただけませんか?」
前に立って歩き始めたロザリアの後をルヴァは追いかけた。
二人きりのゴンドラがゆっくりと上昇して行く。
夕陽がロザリアの髪をまばゆくスポットライトのように照らし出していた。
ロザリアは外を見たまま何も話そうとしない。
静かな空間に押しつぶされそうな気がして、ルヴァは何度も座りなおした。
ロザリアの胸元のペンダントがきらりと輝いて、ルヴァは目を覆う。
いつの間にかゴンドラは頂上に登っていた。
「すみませんね。私とではつまらないんじゃないですか~?」
不思議そうに首をかしげたロザリアの顔は西日に輝いてルヴァにはよく見えない。
「楽しい話もできませんし。オスカーと来た方があなたも楽しいと思いますよ~。」
ゴンドラが下降を始める。
いったん落ち始めた太陽は急スピードでその姿を隠し始めた。
いままで眩しくロザリアを彩っていた光も途端に力を失って、ルヴァの瞳にロザリアの姿を映し出す。
「本当に、そう思いますの?」
ロザリアの手がギュッとペンダントを握りしめた。
「本当に、あなたといるよりもオスカーといる方が楽しいと思っていらっしゃいますの?」
つぶやくようなロザリアの言葉にルヴァはとっさに返事ができなかった。
ロザリアの瞳がルヴァをじっと見つめている。
ルヴァはどう答えていいか分らずに、ロザリアから目をそらすと、遠くに見える草原へと目を向けた。
そして、そのままゴンドラは静かにステップへと降りた。
観覧車から下りたロザリアはどんどんとルヴァを置いて歩き出した。
随分先で立ち止ったロザリアは首の後ろに手をやると、ゴミ箱に何かを捨てている。
少し早足になって、ルヴァはゴミ箱の中を覗き込んだ。
中にあったのは、あのペンダント。
ルヴァは急いでそれを拾い上げると、ロザリアの名前を呼んだ。
その声に振り向いたロザリアに、ルヴァは走りよる。
「ロザリア。大切なものではないのですか?」
目の前に掲げられたペンダントを見て、ロザリアは哀しそうに微笑んだ。
「もう、わたくしには必要ありませんの。捨ててくださって結構ですわ。」
そう言って、ロザリアはまた前へと歩き出す。
ルヴァは手の中のペンダントを捨てることもできずに、ポケットの中へと入れた。
「ルヴァ、あれに乗りませんこと?」
ロザリアが指差した先はジェットコースター。
「えええ~~~。私はああいった物は苦手で・・・。」
言い終わらないうちにロザリアはジェットコースター乗り込んだ。しかたなくその隣にルヴァが座る。
勢いよく走りだしたコースターに、ロザリアが大声で叫んだ。
ずっとうつむいたままだったルヴァがちらりとロザリアを見ると、なんだか泣いているように見えて、ルヴァはまた、下を向いた。
コースターから下りても、まだ目が回っているルヴァをロザリアは次々と乗り物に乗せた。
死にそうになって付いてくるルヴァを見て、ロザリアが楽しそうに笑う。
その笑顔が嬉しくて、ルヴァはロザリアの言うままに乗り物に乗った。
楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。
家の前まで送り届けたルヴァは、ロザリアを名残惜しげに見つめた。
その視線に気づいたロザリアがにっこりと微笑みを返す。
ルヴァはなにか大切なことが、ひらめきそうで、また消えて行ってしまう不思議な感じに襲われた。
門燈の明かりが、考え込んだルヴァを照らす。
そんなルヴァをロザリアは静かに見つめた。
「ルヴァ。あなたはわたくしの理解者だとおっしゃったけれど、それは間違いですわ。」
突然ロザリアが言った。
「だって、あなたはわたくしの気持ちを少しもわかって下さらない。」
さよならも告げずに、ロザリアは家の中に走り込む。
一人残されたルヴァは、ただ、茫然とその場に立ちつくした。
ドアのしまる音がして、部屋に一つ、灯りがともる。
ルヴァはしばらくその灯りをぼんやりと眺めていた。
そして、今、一人で草むらに座り込んだまま、ルヴァはやっと、さっきわからなかったことを思い出した。
以前、ルヴァがロザリアを見ると、いつもロザリアの視線の先には彼がいた。
けれど、いつからだろう。
ルヴァがロザリアを見ると、必ずロザリアが微笑み返してくれるようになった。
それがどういう意味なのか、ようやく気がついたのだ。
「まだ、間にあうでしょうか・・・?」
どうしても今すぐにロザリアに伝えたい。
私は理解者なんかじゃない。
ただ、あなたを想うことしかできなかった愚かな男だ、と。
ポケットの中にあるのは恋が叶うペンダント。
ルヴァはそのペンダントを握りしめると、元来た道へと戻り始めたのだった。
Fin