ったく、あのガキ!
レオナードはエンジュを部屋に送り届けた後、舌打ちしながら私邸へと続く道を歩いていた。
その頭に浮かぶのは昼間のパルク・ディマンシュでの出来事。
園内を歩いている二人の前にいたカップルが、歩きながらところ構わずキスをしていたのを見てしまった二人は、どちらからともなく黙り込んでしまう。
ふと隣を見ると、ポっと頬を染め目を逸らしながらも時折チラチラとその二人を見ているエンジュが目に入った。その横顔を見たレオナードは思わずその桜色の頬に触れそうになってしまい、照れ隠しからついからかってしまったのだ。
「お前、ホントはうらやましいんじゃねェの?」
「な、何がですかっ?」
「前のカップルだ。自分もあんな風にキスされたいって顔してんぜェ?」
「なっ!そんな事ありませんっ!」
あいつ、物凄い剣幕で怒りやがって…。
顔を真っ赤にして目まで潤ませてンなコト言っても説得力ねェっつうの。
けどよ、ま、ムリにキスなんかしたら騒ぎ出しそうだから引いてやったのに…。
ふん、と鼻で笑ったレオナードの頭の中にまたエンジュの顔が浮かんで来る。
その後エンジュと観覧車に乗ったレオナードは、動き出した観覧車の中でエンジュの挙動がおかしい事に気付いた。
んあ?こいつ、何ソワソワしてんだ?
「おい、どうした?エンジュ」
「な、何でもありません」
レオナードが窓から外を見ていたエンジュの肩を叩いてそう問いかけると、エンジュはビクっと肩を震わせ慌てふためいた様子で飛び退くようにレオナードから離れた。
何だ、こいつ?
俺が襲い掛かるとでも思ってんのかァ?
ったく、これだからお子ちゃまの相手は疲れるんだよ…。
ハァとため息をひとつ吐くと、面倒臭そうに口を開く。
「お前、ここが密室だから俺が何かすると思ってんだろォ?」
「そ、そんな事思ってません!」
「安心しろ。お前みたいな子供を襲っても面白くも何ともねェからな~んもしねェよ」
あの時のあいつの顔。
あっと言う間に茹蛸みてェに顔を真っ赤にして。
そのくせ驚いたように目ン玉ひん剥いて俺を睨みつけたかと思うと、今にも泣きそうな顔になっちまった。
マズいな、イジメ過ぎたか…。
だが後悔した次の瞬間、あいつはいつものあいつに戻って俺に言ったんだよな。
「ふ~んだ。私だってお断りですよーだ」
ほっぺたを膨らませ、口を尖らせたあいつはその後一度も俺を見ようとはしなかった。
毎週のようにあいつと出かけて、その度に1回はケンカして…。
でもすぐにケロっとした顔でケラケラ笑ってたあいつが今日はその後1度も笑わなかった。
取り敢えずあいつの機嫌を取ろうとソフトクリームを買ってやったり、入りたくもねェホラーハウスに付き合ったりしてみたが、結局機嫌が直る事はなかった。
時々あいつが俺の顔を見上げてたが、俺があいつに視線を落とすとすぐに前を向いて黙ったまま歩くだけ。何だか無性に腹が立って来た俺は、あいつの手を掴んで強引に船へ送り届けちまった。
あいつは部屋に着いてもやっぱりブスっとしたままで。
つい口をついて出ちまった言葉。
「もう誘わねェから安心しろよ」
あいつの顔はもう見られなかった。
さっき観覧車の中で見た泣きそうな顔よりもっと泣きそうな顔になってるのがわかっちまったから。
俺も大人気なかったかもなァ。
こんなにお前が好きなのに…。
今までここまで大切に思った女なんかいなかったのに…。
どうしてこうなっちまうんだ?
お前の態度にまるでガキみたいにオタオタ血迷って。
ホントにバカだぜ。
お前は知らないだろォ?俺はお前がいるから全てを捨ててここに来たってコトを…。
あいつに対してじゃなく、自分に対してイラつき、何度もお前の部屋に戻ろうと思った。
でも出来なかった。
うまくお前に謝れる自信がなかったから。
今夜は眠れそうもないからバーボンでも飲むか。
そんな事を考えながら邸への道を歩いていた時。
タッタッタ…。
聞き覚えのある足音が小さく聞こえる。
ははっ、あいつのコトで頭がいっぱいになってついに幻聴まで聞こえ始めやがったぜ。
俺は自分をあざ笑った。
だがその足音は少しずつ着実に近づいて来て、それがホンモノだとわかる。
エンジュか?
何を期待してるんだ?俺は…。
まるで金縛りにでもあったように俺の足は止まってしまった。
確かめたい。
それなのに後ろを振り返る事が出来ない。
すると立ち尽くしていた俺の背中に物凄い勢いで何かがぶつかってきた。
ドンッ!
「レオナード様っ!ごめんなさいっ!」
背中に衝撃を受けた俺は一瞬息が出来なくなる。
だが衝撃の直後自分に回された細い腕の柔らかな感触が嬉しくて、知らず知らずのうちに顔が綻んんでいた。
背中にエンジュの体温を感じたまま俺は問いかける。
「そんなに息を切らして…お前ずっと走って俺を追いかけて来たのか?」
「はいっ…だって…ハァハァ…このままじゃいやだったから…」
レオナードに抱きついたまま肩で息をしながら謝るエンジュの腕を優しく解いて体を回転させると、エンジュをそっと抱き返し、レオナードは屈んだ。
そして泣きそうな顔で自分を見つめるエンジュにキスをひとつ贈る。
多分エンジュにとって初めてのキス。
泣きそうな顔をしていたエンジュはビックリしたような顔でただ俺を見上げているだけだった。
それがあまりにも愛おしく思えて俺はもう一度短くくちづけていた。
「なんだァ?文句のひとつでも言うかと思ったがやけに大人しいじゃねェか」
「本当は…ずっとキスされたいって思ってたんです…」
俺の顔が見られないらしく、俯きながらそう言ったエンジュの爆弾発言に俺は驚いた。
「そォなのかァ?それならそう言えば――」
「だっていつも子供扱いしてたじゃないですか!だからそんな事言ったら笑われちゃうかも、って思って言えなかったんです」
少し怒ったようなエンジュの顔がいつもよりやけに大人びて見える。
「あの時、ホントは前にいたカップルがうらやましかった。それで、もしかして観覧車でキスしてくれるかもって思ったけどしてくれなかったから、だから…」
「それでブスっとした顔してたのォ?あんな風に俺を恐がってるような態度取られたら、ホントはキスして欲しと思ってるなんてわかるワケねェだろォ?」
「だって…もしかしてキスされるのかもって思ったら急に恥ずかしくなってきて、ドキドキして、ワケわかんなくなっちゃって…」
次第に困ったような顔になりながら、ほんのり頬を染めるエンジュを俺は抱きしめた。
「ハハハッ、やっぱりお前はまだまだ子供だな」
その言葉にエンジュは俺の腕の中から口を尖らせた顔を上げて俺を見る。
「…と言いたいところだがとんだ勘違いだったみてェだな。今のお前の顔、もう子供なんかじゃねェ。女の顔してるぜ。これからはもっと素直になれ。それでキスして欲しい時にはちゃんと言えよ」
「もうっ、レオナード様ったら」
恥ずかしがって胸に顔を埋めるエンジュをさらに強く抱きながら、俺は幸福感に思わず目を細めた。
「お前のコト、子供、子供って言ってたが、子供は俺様の方だったのかもなァ」
「え?」
「お前の気持ちをわかってやれなかったうえに、大人気ないコト言っちまった」
「ううん、私がいけなかったんです」
「悪かった、エンジュ」
「謝らないでください」
そう言って俺を見上げるエンジュに俺は微笑む。
そしてそっと目を閉じたお前にもう一度くちづけた。
Fin