窓の外に降る雪

「もうすぐクリスマスですわね。」 
カレンダーを見たロザリアがつぶやいた。
あと2日で補佐官になって最初のクリスマスがやってくる。
生家でのクリスマスは大広間の大きなツリーと日付が変わるまで開かれたパーティ。
そして目が覚めたときにツリーの下に置かれたたくさんのプレゼント。
たくさんの楽しい思い出が脳裏をよぎった。

「どうしようか? クリスマスはお休みにしちゃう?」
とんでもないことを言い出した女王にちらりと一瞥をくれると、ことさら厳しい声を出す。
「仕事がきちんと片付いていれば、もちろん構いませんわ。さあ、手が止まっていますわよ。」
ふえ~ん、と情けない声を出した女王の前で未決の書類をトントンとたたいた。
冬を演出するために聖地の気温はかなり低めに設定されている。ロザリアは肩にかけたストールをもう一度巻きなおすと、女王の肩にもストールを巻いた。

「冷えますわよ。」
いじけていた女王がぱっと笑顔になると、ここぞとばかりに甘えた声を出した。
「ね、わたし、イブの夜は彼とゆ~~~っくり過ごしたいの。だから、ね。休みにしよ?」
きっと休みにするまで言い続けることは予想できたが、最初くらいはきっぱり否定したい。
ロザリアは 「無理ですわ。」 とだけ言うと、書類を持って女王の間を出た。


『イブの夜は彼と過ごしたいの』
アンジェリークがうらやましい。
もうすぐクリスマスなのに、ロザリアの予定はイブも当日も翌日ですら入っていない。
誰からも声を掛けられていないのだから仕方がない、と頭ではわかっているものの、休みのクリスマスに一日家にいるのはつらすぎる。
アンジェリークだけ休みにしようかしら、と、ロザリアはその方法を考えていた。
当日になってお腹が痛いとでも言わせようか、それとも頭が痛いとでも?
つい考えごとに集中してしまって、前方がおろそかになっていたようだ。
曲がり角で、ごつっと何かにぶつかって、見事に転んでしまった。


手に持っていた書類の束があたりに飛び散って、ヒールの高い靴が転がる。
硬い石の床に思いっきり右肩をぶつけたようで、書類を拾い集めることもできない。
「ちょっと、大丈夫?」
ぶつかったオリヴィエは、思いのほかひどいロザリアの様子に驚いて声を上げた。
返事をしようとして、動かした肩のあまりの激痛に、ロザリアは声を出せずに顔をゆがめてしまう。
うつむいてしまったロザリアを気遣うように、オリヴィエは膝を立てて覗き込んだ。

「痛いの? 医務室に行こうか?」
心配をかけたくないと思っても、予想以上の痛みに額に汗がにじむ。
オリヴィエは背に腕をまわしてロザリアを立たせると、しゃがみこんで脱げた靴を履かせた。
「もうしわけありませんわ…。」
肩を押さえたまま言ったロザリアの後ろから支えるようにして、医務室へ向かった。


「脱臼?!」
アンジェリークの瞳がこぼれおちそうなほど開かれると、玉座から飛び降りてロザリアの腕に巻かれたテーピングをなでた。
「痛そ~。しばらくかかるの?」
「全治1週間ですって。しばらくはこの状態ですの。執務が思うようにできませんわ。」
ため息をついたロザリアにアンジェリークはエへへ、と笑うと、
「もう、お休みにしちゃった! だって、明日はイブだもの。仕事になんかならないわ!」
本当ならとっ捕まえて玉座にぐるぐる巻きに縛り付けたいところだけれど、今回はロザリアの不注意なのだ。
「仕方がありませんわ・・・。」
さっきよりも深いため息をついたロザリアに、アンジェリークがぴょんと、とび跳ねて手をたたいた。

右腕が使えないというのは考える以上に不便だ。
お気に入りのカップで紅茶を飲もうとしたロザリアは、サイドボードから危うく落としそうになったカップをあわてて受け止めた。
「私達がやります。」
声をかけてくれた女官に紅茶を淹れてもらうと、ロザリアは執務机の椅子に座った。
今日は聖殿にいるからいいけれど、明日からはお休みで女官たちに頼るわけにはいかない。
私邸の使用人も執務が休みの時は休みということになっているので、明日からは自分で何とかしなければいけないのだ。

ロザリアは自分の左手で右腕をそっとなでた。
さっきオリヴィエに触れられた腕も、肩も、支えられるように手を添えられた背中も、全てが熱をもったようだ。
あのとき素早くよけていれば、これほどのケガにはならなかったのかもしれない。
けれど、一瞬鼻先をかすめたオリヴィエの香りに、よけるタイミングを失ってしまった。
心配そうに向けられた瞳を思い出すと、少しだけ嬉しい気持ちになる。
オリヴィエの心を少しでも独占できたような気持ちがしたから。



翌日、いつもよりも1時間も遅く眼を覚ましたロザリアは、とりあえず着替えようとして、クローゼットの前で止まってしまった。
見れば、自分の服はかなりタイトなデザインが多く、右腕が使えない状態では着ることが難しそうなものばかりだった。
今日からは通いのメイドも来ないから、手伝ってもらうわけにはいかない。
ロザリアはため息をつくと前開きの薄いワンピースをはおるように着ると時間をかけてボタンをとめた。
下のほうはかなりやりづらく、途中でやめて上からガウンを引っかけることにした。
どうせ今日は一日誰と会うこともない。

ノーメイクで髪も巻かず、ロザリアはキッチンへと降りて行った。
なんとかして紅茶だけは飲みたい、と缶を開けて、ポットに葉を入れると、しゅっしゅっと湯がわくまで、ぼんやりとコンロの前に立っていた。
今日は人生最低のクリスマスイブ。
ケトルの音に我に返ると、ポットに湯を移そうと左手でケトルを持ち上げたが、思うように動かせない。
少しづつ湯を移すと、必要以上に神経を使って、すっかり疲れてしまった。
出来上がった紅茶をコンロの前のスツールで口に含んだ。
片手では運ぶのもおぼつかないのだ。
ロザリアは大きく息をつくと、リビングまでカップとソーサーを持って、なんとか移動した。

紅茶を一杯飲んだだけで、もう何もする気になれなかった。
とりあえず忙しさに中断していた本を読もうと寝室まで取りに行き、聞きなれた音楽をかけた。
バイオリンの音が静かに流れ始めると、ロザリアはソファに楽に座って、本を読み始めた。


「なんだ、いるんじゃない。」
突然頭の上から降ってきた声に驚いて顔を上げるとオリヴィエが立っていた。
「何回ノックしても返事がないから入ってきちゃったよ。ホールでも何回も呼んだんだけど、気付かなかった?」
オリヴィエはコートを脱いでハンガーに掛けるとロザリアの前に座った。
「ケガひどいみたいで心配してたんだ。なんか突然休みになっちゃうし、困ってるんじゃないかって。」
いつもの執務服姿でないラフなブルーのシャツと黒のスラックスを着たオリヴィエはなぜだかずっとセクシーに見えた。
少し開いたシャツのボタンからのぞく肌に目のやり場に困ってしまう。
うつむいたロザリアを見て、
「痛むの? ごめんね。私のせいで。」と心配そうに尋ねてきた。

「いいえ、大丈夫ですわ。ご心配をおかけして申し訳ありません。わたくしがぶつかったんですもの。オリヴィエこそおケガはなくて?」
以前はもっと普通に話ができたのに、好きだと思った時からまともに目も合わせられない。
それきり黙ってしまったロザリアを見て、オリヴィエは荷物から紙袋を取り出すと、テーブルの上に置いた。
「朝食まだだろうと思って買ってきたんだけど、食べる?」
がさがさと袋から出てきたのは、ふわふわのマフィン。
なにも食べていなかったこともあってロザリアは素直にそれを受け取った。
紅茶のカップをソーサーからテーブルに移すと、空いたソーサーにマフィンを乗せて一口ずつ口に運んだ。


「今日は一日付き添ってあげるよ。右手が使えないんじゃ不便でしょ?」
驚いてオリヴィエを見つめた青い瞳は嬉しさと困惑が混じっている。
「でも今日はイブなんですのよ?・・・どなたかとお約束があるのではなくて?」
聞きたくないけれどせっかくの日をオリヴィエから奪うようなことはしたくない。
けれど、オリヴィエはニッと笑うと、両手を上にあげた。
「残念ながら、誰とも約束がなくてさ。ヒマしてるってわけ。・・・あんたこそ約束があったんじゃないの?」
ロザリアは首を振ると、「わたくしも残念ながら誰からも誘われませんでしたの。」と正直に告げた。

話しながら足の位置を変えたロザリアのワンピースの裾から綺麗な足がのぞいた。
ボタンを途中でやめたせいでスリットのように見える。
「じゃ、いいね。これでも責任感じてるんだ。看病させてよ。」
言いながらオリヴィエはロザリアの足に自分のかけてきたストールをかけると、見上げたロザリアの瞳を優しく見つめ返した。
断れるはずがない。
ロザリアは今までで最高のクリスマスイブに、サンタクロースにキスしたい気持ちになった。


「してほしいことがあったら何でも言ってよね。」
そう言って、オリヴィエは隣の一人掛けのソファのひじ掛けに足を乗せるようにして横座りになった。
ロザリアは読みかけの本を手に取ろうとして、自分を見つめるブルーグレーの瞳にどうしようもなくドキドキしてくる。
このままでは心臓が持たないかもしれない。
退屈だと思っているのではないかしら?なにをしたらいいかしら?
頭の中がパンクしそうになってくる。

「ね、髪を結んであげようか?」
返事よりも早く立ち上がったオリヴィエは自分の荷物から手早く道具を出すと、ロザリアの後ろに回って髪をとかし始めた。
オリヴィエの手が首筋に触れるたびに体温が上がる。
アップにしようと束ねた髪からのぞいたうなじが、ほんのり色づいてくるのを隠すように、オリヴィエはサイドを編み込んだだけのダウンスタイルに変えた。

「こういうの初めてでしょ?ほら、絶対似合うと思ったよ。」
満足そうな声が聞こえて鏡を見るといつもより少し可愛らしい姿があった。
「ありがとう。」
可愛いといわれて素直にうれしくて声が弾んでしまう。
オリヴィエを見るとまた優しいブルーグレーの瞳にぶつかって、勝手に心臓がドキドキと音を立ててくる。
ロザリアはどうしようもなく赤い顔をして、ただ本を見ていた。


またオリヴィエが買いに行ってくれた昼食を取ることになり、新しく紅茶を入れることにした。
キッチンの勝手がわからないオリヴィエに付いて二人でお湯を沸かす。
並んで立っていると、まるで一緒に住んでいるような気がして、ロザリアは顔を赤らめた。
「あんたはあっちで座ってて。」
オリヴィエに追い出されるようにしてリビングに戻る。
「はい、私の淹れたお茶、久しぶりでしょ?」
女王候補のころ毎日のように飲んでいたのに、最近はほとんど訪れていなかったことを思い出した。
少し甘い香りのするお茶はあのころの優しい時間を思い出させる。

「あの、オリヴィエ。」
「なあに?」
やっぱり、何も言えない。
ロザリアは 「なんでもありませんわ。」と言うと、また本を眺め始めた。
少しも頭に入っていないことは分かっている。
ときどきオリヴィエを見ると、オリヴィエも雑誌を読んだり、何かを書いたり気ままに時間を過ごしているようだ。
ただ、そばにいてくれるだけで暖かい気持ちになれる。
もし、一緒でなかったら、きっと今頃あらぬ推察で落ち込んでいたに違いない。
知らないうちに眠りこんでいたロザリアにオリヴィエは毛布をかけた。
右腕にクッションをはさむと、起こさないようにオリヴィエは静かにロザリアの寝顔を見ていた。


リビングのツリーのライトが点滅して、ロザリアの顔を赤や青に変えた。
目を覚まして辺りを見回すと、すでに夕闇が訪れていて、ツリーのライトが騒々しく辺りに色を撒き散らしている。
誰の姿も見えない。
もしかして、夢だったのかと思い始めたときに、
「あ、目が覚めたんだね。ちょうど起こそうと思ってたんだよ。」 という声がした。
オリヴィエの手には小さなケーキ。

「小さいけど、二人分だからいいよね? イブだからあんたが寝てる間に買ってきといたよ。」
イチゴが二つ乗った小さなケーキはサンタの人形とメリークリスマスのチョコプレートの乗ったかわいらしい感じのケーキだった。
ありきたりだけど、と取りだしたチキンとサラダ、そしてシャンパンがテーブルに置かれていた。
「こんなことまでしていただいて、申し訳ありませんわ。もう充分にしていただきましたもの。お帰りになっていただいて構いませんのよ。」
本当はどなたかと約束がおありなのでしょう?
言葉にはしなくてもロザリアの瞳がオリヴィエにそう言っていた。


ロザリアの言葉に返事もせずにオリヴィエは隣に座った。
その近すぎる距離にロザリアは思わずオリヴィエを見つめてしまう。
優しいブルーグレーの瞳がツリーの光を映した。
「ねえ、私ってそんなにいい人に見える?」
え? と見つめ返したロザリアは、その瞳に魅入られたように動けなくなってしまった。
「何とも思ってない女の子とイブを過ごしてしまうほど、私っていい人に見える?」
オリヴィエの右手がそっとロザリアの頬に添えられた。

「あんただから、一緒にいるんだよ・・・。」
添えられた手が耳を通って髪をといた後、肩に置かれて止まる。
「クリスマスプレゼント、もらっていいかな?」
オリヴィエはロザリアをそっと抱き寄せると、その唇にキスを落とした。


「見て。雪が降ってるよ。」
オリヴィエは大きな窓から見える景色にちらつく雪を指差した。
走り寄って隣に立ったロザリアの瞳が輝いて窓に吸い寄せられる。
『絶対ホワイトクリスマス!!』 とはしゃいでいたアンジェリークを思い出した。
「アンジェからのクリスマスプレゼントですわね。」
窓のそばに立つロザリアの後ろからオリヴィエはその体を優しく包み込んだ。

「ケガが治ったら、もうひとつ欲しいプレゼントがあるんだけど。」
澄んだ青い瞳が向けられて「なんですの?」 と首をかしげる。
「まだ、ナイショ。」
オリヴィエはロザリアの左肩をそっと抱き寄せると、もう一度、キスを繰り返した。
窓の外に降る雪が優しい音を立てて、ゆっくりと二人を閉じ込めていった。


Fin


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