「なんでクリスマスなんてあるのかな~。」
アンジェリークがため息交じりで言った言葉を小耳にはさむと、テーブルの向かいに座ったロザリアは同じように頬杖をついた。
「本当ですわね。」
向かい合う二人は同時に大きなため息をつく。
クリスマスが恋人同士の日だなんて、本当に一体だれが決めたんだろう。
ここにこうして向かい合わせで座っている可愛い二人の女の子には、信じられないことに恋人がいなかった。
「ねえ、ロザリア。クリスマスまでまだ2週間あるよね?」
「そうですわね。」
「こうなったらさ、頑張って彼氏作ろうよ!」
がしっと立ち上がってこぶしを作ったアンジェリークはロザリアの両手をつかんでぶんぶんと振りまわした。
「どっちが先に彼氏を作れるか、競争よ! 負けたほうがクリスマスに仕事をする、でどう?」
とても女王の言葉とは思えない。
ロザリアは目を丸くしたが、もともと負けず嫌いの性格がむくむくと頭をもたげてくる。
『勝負』となれば、負けられない。
「よろしくてよ。彼氏であるという証拠にお互いの前でキスをする、というのはどうかしら?」
「いいわよ! わたし、頑張っちゃうんだから!」
二人は目を合わせると、にっこりと笑った。
「これは二人の秘密だからね。」「もちろんですわ。」
二人はハイタッチをして別々に部屋から出て行く。
クリスマスまで2週間。二人の頭はそれぞれの想い人でいっぱいになっていた。
補佐官室に戻ったロザリアは、うろうろとクマのように部屋の中を歩き回った。
意味もなく踏まれた絨毯がまるで悲鳴を上げそうな速度になっている。
勢いで勝負に乗ってはみたものの、限られた時間の中でほとんど勝算はないような気がする。
ずっとずっと想い続けても何の進展もないあの方と、とても2週間でどうにかなれるとは思えない。
けれど、勝負となれば話は別。
ただ見ているだけだった想いに白黒をつけるいいチャンスかもしれない、とロザリアは気合を入れ直して、部屋を出た。
早くなる鼓動に合わせたように早足になって、ロザリアはドアをノックした。
「どうぞ~、開いていますよ~。」
変わらないのんびりした声がロザリアを出迎えてくれる。
大きな机に山積みなった本の間からルヴァの顔がのぞいた。
「おや、どうしたんですか? そんなに赤い顔をして。熱でもあるんじゃないですか~?」
心配そうに立ち上がって近付いてくるルヴァをロザリアはじっと見つめた。
自分を映すまっすぐな青い瞳にルヴァはドキリと立ち止まる。
「ルヴァ。」
「はい、なんでしょうか~。」
内心の動揺を隠して、ルヴァは平素と同じ返答を返した。
この辺りは年の功と言えなくもない。
間延びした声に毒気を抜かれたのかロザリアはいからせていた肩をふっと下げて、ソファに座った。
それを見たルヴァはとっておきと本人が言う玉露を準備するためにいそいそと奥へ消える。
しばらくして心を落ち着かせる玉露の香りとともにルヴァが向かいへ腰を下ろした。
「ルヴァ、あなたはクリスマスをご存じ?」
「はあ、一応は。え~、もともとはイエスキリストの生誕祭が・・・・。」
「いいえ、それはいいんですの。そうではなくて、あの、世の中でクリスマスがどういう日と言われているか、ご存じかしら?」
ロザリアの紅潮した頬と、ルヴァを見つめる、いつもよりまっすぐな瞳。
「え~と、先ほども言った通り、生誕祭が由縁で、サンタクロースが・・・。」
ロザリアが明らかにがっかりした様子でルヴァの言葉をとめた。
「お茶、とてもおいしかったですわ。・・・あなたほど博識な方が本当にご存じないのかしら?」
ロザリアは一瞬だけ少しさみしそうに瞳を伏せると、すぐにいつもの笑顔になってルヴァにいとまを告げた。
「あんな風に聞かれて、答えられるわけがないじゃないですか。」
ロザリアが去った後に閉まったドアに向かってつぶやいた。
キラキラした瞳に答えを言ってしまったら最後、ロザリアが誰と過ごすつもりなのか聞かなくてはいけなくなる。
嫌でも、彼女が想う人物の名を聞かなければならないということなのだ。
聞きたくない理由はわかっていても、どうすることもできない。
自分のような何のとりえもない、恰好よくもない平凡な男が薔薇のような彼女と並べるはずがない。
ルヴァは湯呑を片付けながら、なぜ、クリスマスは恋人同士の日なのか、近づくその日を恨めしく思っていた。
補佐官室に戻ったロザリアは先ほどのルヴァの態度を思い出していた。
答えたくないように見えた。
そう思えてロザリアの胸がギュッと痛みだした。
もし、恋人同士で過ごす日だ、と答えてくれたら、一緒にすごしませんか?と言えたのに。
自分からの誘いを意図的に避けたのでは、と勘繰ってしまう。
やっぱりルヴァにとって、自分はなんでもない存在なんだろうか?
賭けよりも何よりもその推測はロザリアを哀しくさせた。
「ルヴァ。」
いつの間にか暗くなっていた部屋に突然灯りがついた。
積み重なった本の隙間から青いシルエットがのぞく。
「今は冬時間なんですのよ。もう暗くなりましたわ。読書もほどほどになさいませ。」
すこしきつい口調の声がルヴァを心配するためだと気付いたのはいつだろう。
全てにおいて完璧を目指す彼女は眩しいけれど目が離せない強烈な光を持っている。
「すみませんね~。どうも本を読んでいると時間を忘れてしまって。」
ルヴァは立ち上がると窓のカーテンを引いて、机のライトをつけた。
白色灯の光が急に目を刺す。
「では、お気をつけて。」
「あ、待ってください~。」
立ち去ろうとするロザリアにルヴァは声をかけた。
なにか言うことがあったわけではないのに、何となく呼び止めてしまったのだ。
言葉が続かないルヴァをロザリアはじっと待っていてくれている。
「あ、あの、あなたはクリスマスがどんな日か知っているんですか? いえ、先ほどの答えをあなたは知っているようでしたので、その・・・。」
ロザリアは瞳をきらりと喜びの色に変えると、恥ずかしそうに言った。
「クリスマスは恋人同士の日と言われていますのよ。二人きりで過ごす特別な日なんですの。」
ルヴァは誘ってくれるかしら。
では、私と一緒に過ごしましょう、なんて言われたらきっと嬉しくて倒れてしまうに違いない。
ロザリアはドキドキと波打つ心を押さえながらルヴァの言葉を待った。
「ああ、そうなんですね~。私には関係のない日だから、意識していませんでいたよ。全く私はぼんやりですね~。」
知を司るなんて信じられませんね~と同意を求めてロザリアを見ると、ロザリアは白い顔をもっと青くして立っていた。
「ロザリア?」
ぼんやりしている姿は珍しい。控えめに声をかけると彼女はいつも通りの微笑みを返した。
「関係ないお話をしてしまってごめんなさい。」
そのあまりにもつくられた微笑みにルヴァは胸がギュッと痛くなった。
あわてて続きを読もうとして、本に目を向けるとルヴァの視界が急に暖かい手のひらでふさがれた。
甘い薔薇の香りがルヴァの鼻先をかすめて漂う。
「本はそれほど素晴らしいものですの? あなたの知りたいことはこの本の中だけにあるんですの?」
ただ胸がつぶれそうでなにも言えないルヴァをどう思ったのか、ロザリアは手を離すと、走るように逃げて行った。
本当に知りたいことはいつだってすぐ隣にある。ルヴァは読みかけの本にしおりをすることもなくそのまま閉じた。
もう、おしまいだわ。
ルヴァはどう思っただろう。
あのとき、ルヴァの心が本に向いていることを急に許せなくなってしまった。
勝負はあきらめて、クリスマスはおとなしく一人きりで仕事ねと、肩を落とす。
ロザリアは補佐官室に飾られた小さなツリーの星を取ると、引き出しにしまった。
クリスマスなんて、来なければいいのに。
ツリーのライトは途切れずに点滅を繰り返して、ロザリアを笑っているように思った。
「は~あ」
同時に出たため息に二人は笑いだした。
「明日だね。クリスマス。」
「経過はどうですの?」
アンジェリークは聞くまでもないだろう、と盛大なため息で返した。
「わたくしもダメでしたわ・・・。」
「こんなにかわいい女の子が余ってるっていうのに、聖地の男どもときたらなんなのかしらね・・・。」
アンジェリークの言葉の最後がまるでつぶやくように小さくなった。
この2週間、とっても頑張ったのに結局彼は一度もクリスマスを過ごそうとは言わなかった。
アンジェリークはロザリアにそう言うと、「クリスマスの仕事、どうする?」と聞いた。
「いつも通りでよろしいのではなくて。」
「そうだね~。クリスマスだからって休んだりしたら、1ヶ月トイレ掃除をさせよう!」
「あら、オスカーにトイレ掃除をさせるんですの?」
そうだよ~とにやりと笑うアンジェリークと一緒にほかにも掃除をしそうな守護聖を思い浮かべた。
「今晩が楽しみですわね。」
「イブだからって浮かれてるやつはとっちめてやるんだから~。」
いつの間にか開けたシャンパンのせいでアンジェリークの目が据わっている。
ロザリアはつまみがわりのお菓子を出すと、自分もグラスを空けた。
女王の間から聞こえてきた罵声に守護聖たちはぎくりとして通り過ぎた。
女だけの酒ほど怖いものはない。
イブを楽しんで、明日は休もうと画策していた数人は襟を正して夜の街に消えて行った。
『トイレ掃除』という言葉が頭にチラついていたのは言うまでもない。
女王の間の前でうろうろと歩くランディを見て、ルヴァは声をかけた。
つい落ち着かなくて、ロザリアを探して自分もうろうろしていたのだ。
「どうしたんですか~? 陛下は中にいらっしゃいますよ~。」
言わずとも漏れてくるアンジェリークの声で気づいているだろう。
相変わらずクリスマスという日について延々と語る声が聞こえる。
時々ロザリアの楽しそうな笑い声も加わって、二人だけのイブを思いのほか満喫しているようだ。
「あ、ルヴァ様。俺、アンジェを、いえ、陛下をお誘いに来たんですけど、なんだか楽しそうだし、どうしようかな~なんて。」
あはは、と頭をかいたランディに微笑んだルヴァは、突然ドアをノックした。
その音にピタリと中の話し声が止まって、こそこそと囁き合う様子が感じられる。
やがてカツカツとヒールの音が聞こえて、ドアが少しだけ開いた。
少しのアルコールのせいか白い肌をほんのり染めたロザリアが顔を出して、ランディの姿を認めると、アンジェリークを呼びにすぐに中へと戻る。
「る、ルヴァ様、俺・・・。」
緊張してガチガチになっているランディの声が震えているように思えた。
「大丈夫ですよ。」
ランディと一緒にいるルヴァに気付いて、ロザリアの目が大きく見開かれた。
恥ずかしそうにロザリアに隠れたアンジェリークの前にランディが一歩、進みでる。
「陛下、いや、アンジェリーク、俺と今から出かけないか?」
ランディのきっぱりした誘いがルヴァの胸に響いた。
あんな風にロザリアを誘えたらどんなにいいだろう。
アンジェリークの嬉しそうな顔と、頷きあったロザリアの顔と、まるで映画のようなその状況をルヴァはただ視界に入れていた。
「明日はよろしくね!」
興奮した顔でロザリアにそう告げると、ロザリアは苦笑して言った。
「あら、まだ、約束を果たしてはおりませんわよ。…キスして見せて下さいな。」
面白そうに笑うロザリアの言葉に二人はぎょっとして顔を見合わせた。
アンジェリークがこそこそとランディに耳打ちすると、えっと目を見開いたランディとロザリアの視線がぶつかった。
ランディが勢い良くアンジェリークの頬に唇を寄せると、ロザリアは手を叩いて笑う。
花のような笑顔にルヴァは、また胸がぎゅーと痛くなる気がした。
部屋から出て行ったランディがルヴァを手招きして廊下に呼んだ。
「ルヴァ様。手を出してください。」
「手?」
ランディがルヴァの手を握ると、手の周りに暖かなサクリアの力があふれてくる。
「俺のサクリアが少しでもお役に立つといいんですけど。」
じっと手を見つめるルヴァを残して、二人はイブの夜へ消えて行った。
女王の間ではロザリアが一人でグラスを片付けている。
ルヴァは踏みしめるようにそのそばに近づいた。
「ロザリア。」
振り向いたロザリアはまだ二人にあてられたように、キラキラとした瞳で言った。
「ようございましたわ。アンジェリークのあんな嬉しそうな顔、初めて見ましたもの。」
ルヴァはじっと自分の手をにぎりしめた。
『勇気』のサクリアがそこから体に伝わるように。
「あなたはどうするんですか?・・・これから。」
「アンジェもいないことですし、家に帰りますわ。・・・・ルヴァは?」
ルヴァはもう一度ぐっと手に力を込めた。
釣りあうかどうかなんて、そんなことを気にするのは、もうやめにしたい。
自分の気持ちははじめから決まっている。
「もしよければ、これから私と過ごしてくれませんか? あの、今ここにたまたまいたから、とか、予定がない者同士で、とか、いえ、そんなことではなく、その~。」
ルヴァはロザリアの青い瞳がまたたくのを見た。
「あなたが、好きなんですよ。ずっと前から。」
ロザリアの瞳が驚きで大きく開くと、両手で口を押さえた。
こぼれ出しそうになる涙をそっと抑えるようにつぶやく。
「信じられませんわ。」
「あ~、その~、私は気持ちを伝えるのが下手で、その、わかりにくいかもしれませんが、その~。」
ルヴァはロザリアの手を取って、大きく深呼吸すると、そっと頬に口づけた。
「本当に、好きなんです。わかっていただけましたかね~?」
真っ赤になって頬を抑えたロザリアをルヴァは逃げ出さないようにそっと腕に閉じ込めた。
こうして彼女に触れることができた、クリスマスという日を心から感謝しながら。
小さな補佐官室のツリーに星をつけながらロザリアが言った。
「ルヴァ。明日、お仕事を手伝っていただきたいんですの。よろしいかしら?」
おかしそうに言うロザリアの言葉にルヴァは首をかしげる。
「ええ~、構いませんけど、陛下はどうされるんですか?」
ロザリアはクスッと笑うと
「明日はアンジェはお休みなんですのよ。・・・ルヴァにも責任があるんですもの。お手伝いして頂きますわ。」と言う。
「なぜ陛下はお休みなんですか~?」
「それは、秘密なんですの。とにかくお手伝いをお願いしますわね。」
だって、これは二人の秘密の約束ですもの。ルヴァにだって教えられませんわ。
ルヴァが首をひねりながらも頷いたのを見て、ロザリアはにっこりと薔薇のように笑った。
Fin