ベッドの中、冷えた足


「とにかく寒すぎますわ。」
滅多に聞けないロザリアの大声にたまたま廊下を歩いていたオスカーはぴたりと足を止めた。
「いくら冬らしくといってもこんなに寒くては困りますわ。なんとかしてくださいませ。」
「だーめー。クリスマスのために我慢しようって約束したじゃない! 経費で湯たんぽ買ってあげるから、ね。」
なんだかんだと話しは続き、結局ロザリアが根負けしたように女王の間を出てくるまで、オスカーはじっと聞き耳を立てていた。
ふう、とため息のように息を吐いた後、背筋を伸ばして歩きだしたロザリアを今来たように追いかけていく。

「よお、麗しの補佐官殿。何か悩みがあるなら、俺に相談してみないか?」
100人の女性がいたら99人はこの笑顔と甘い囁きにすぐに彼の虜になるだろう。
けれど、この目の前にいる女性はその100人のうちのたった一人に違いない。

オスカーはいつもより慎重に声をかけた。
冷たくあしらわれるのはもうたくさんだ。
本当に彼女が困っているならなんとかして力になりたい。
その思いが伝わったのか、ロザリアはふんと顔をそむけることも、聞こえているのに聞こえないふりをして、すたすた歩いていくこともせずに、オスカーをじっと見つめた。
蒼い瞳に映る自分の姿を確認して、オスカーはもう一度尋ねた。

「どうしたんだ?悩みがあるなら言ってくれよ。」
もしかして恋の悩みだったらどうするべきか、このときになってようやくそのことに思い当る。
しかし、ロザリアの口から出たのは思いもよらないことだった。

「寒くて眠れないのですわ。」
ロザリアは執務服の上から着たふわふわのロングカーデの前を合わせながら言った。
「クリスマスのために陛下が聖地を冬にしているでしょう?今までわからなかったのですけれど、とても寒くて足が冷えるんですの。
いつも夜中に目が覚めてしまって・・・。」
そう話すロザリアの顔は本当に青ざめていて、体調がよくなさそうに見えた。
「陛下が湯たんぽを用意して下さると言ったのですけれど、そんなもので本当に温かくなるのかしら・・・?」
ブルっと体を震わせたロザリアはオスカーを見ると言った。

「あなたは暖かそうでうらやましいわ。わたくしも炎の力が欲しいくらいですもの。」
ロザリアの瞳にいつにない柔らかな色が入って、オスカーはロザリアの手を取った。
「俺でよければいつでも暖めてやるさ。今夜からでも君のベッドに入れてくれるか?」
いつもならその軽口に怒りだして行ってしまうロザリアが今日は手を取られたままになって、黙っている。
逆に心配になったオスカーはロザリアの手を少し握った。

やっと顔を上げたロザリアは
「では、今夜からお願いしますわ。わたくしの部屋の前に着いたら窓を2回叩いてくださいませ。」
そう言うと、すたすたと歩いて行ってしまった。
あとに残されたオスカーは茫然とロザリアの後ろ姿と自分の手を交互に眺めた。
自分の耳がおかしくなったのかと手のひらで耳を叩いても、さっきの言葉は消えない。
オスカーは浮き立つ気持ちを抑えて、残りの執務をこなしたのだった。


今日はあれから一滴のアルコールも口にしていない。
大切なロザリアを愛するのに酒の力を借りたくなかったし、できうる限りの誠意を込めて全身全霊で臨みたかった。
オスカーはシャワーを浴びて上下黒の服に着替えると、家を出た。
早すぎても気が変わるかもしれないし、遅すぎても寝てしまうかもしれない。
言われたとおりに窓を2回叩くと、かちゃりと鍵のあく音がしてカーテンが揺れた。

「本当にいらしてくださったのね。」
暖かそうなネルのネグリジェに柔らかなウールのガウンを着たロザリアは、少し驚いた様子でオスカーを招き入れた。
オスカーの姿が明かりに照らし出されると、
「まるで泥棒見たいですわ。」とくすくすと笑う。
「君という青い薔薇を摘み取りに来た泥棒さ。花泥棒に罪はないというだろう?」
オスカーがロザリアに近づくと、彼女はにっこりほほ笑んで奥へと手招きした。

「ベッドはこちらですわ。」
こんなに胸が高まるのは初めての時以来だな、と心の中で苦笑する。
彼女の前では今までの経験値などまるで役に立たない。
ブルーのシーツがかけられた大きなベッドが、オスカーの視界の中でさらに大きく見えた。

「それではお願いしますわね。」
オスカーの後ろから声をかけたロザリアは、そのまますたすたと元の部屋に戻ってしまった。
振りかえったオスカーが凝視しているのに気づくと、ロザリアはこう言った。
「ベッドを暖めて下さるのでしょう? わたくしはもう少しやりたいことがありますの。おねがいしますわ。」

ドアがぱたんと閉まり、オスカーはロザリアの寝室に取り残された。
ぼんやりしたスタンドの明かりがベッドを照らしてオスカーを誘う。
しばらく絶句していたオスカーはくくっと笑うとベッドの上に寝転んだ。
確かに暖めてやる、と言ったが、彼女が一緒に寝るとは言わなかった。
笑いながらシーツの中に戻りこむ。
寒いというのは本当なんだろう。
彼女を熱くすることはできなくても、ベッドを暖めてやることは少しも嫌じゃない。
自覚はなくても緊張していたのか、ある意味、安心したオスカーは静かに目を閉じた。


ドアを閉めたロザリアはあまりの出来事に思わず胸を抑えた。
あんな軽口でまさか本当に来るなんて。
どうせいつものていのいい冗談だと思っていた。
オスカーの言うことはいつも自分を天にも昇るような心地にした後、奈落の底へ突き落すから。
女王候補のころも、補佐官になってからも、まともに名前を呼ばれた記憶がない。
「デートしよう。」 と言ってきて喜んで行けば、「昨日はレディたちと遅くなってしまってな。」
なんて二日酔いで現れたり。
遅刻は当たり前、気に入らなければさっさと帰る。

「そんなあなたをどうしたら信じられるというんですの?」
ロザリアは思わず声に出してつぶやいた。
しばらくしてそっと部屋をのぞくとオスカーは眠っているようだった。
目を閉じていれば、惑わされることもない。
ロザリアは静かにオスカーから離れたところに横になった。
大きなベッドは十分に間隔を広げてもまだ余る。
暖かいのは温度のせいだけではないような気がして、いつの間にか眠りにつくと、一度も目を覚ますことはなかった。


ロザリアの寝息が聞こえてきて、オスカーは閉じていた目を開けた。
「もう少し俺を信じてくれよ。」
オスカーは眠ったロザリアの髪を優しくなでた。
さらさらと青紫の髪が指からこぼれおちるたびに甘い薔薇の香りがして、オスカーは苦笑する。
確かに過去は変えられない。
けれどロザリアという少女を知ってからいつでも真剣に接してきた。
デートの前日につい飲みすぎたり、寝付けなくて寝坊したり、まるで少年のように恋しているというのに、彼女は。

「今日からクリスマスまで、毎日君に会いに来る。そうしたら俺を信じてくれるか?」
眠っているロザリアはなにも答えない。
オスカーはその額に軽く口づけると、ロザリアから少し離れて眠りについた。


「寒くはなかったか?」
目覚めてすぐ隣にオスカーがいることに気付いたロザリアは、首筋まで真っ赤になって頷いた。
「俺も暖かかったぜ。これから毎晩来てやるから安心しろ。」
ロザリアはくすりとほほ笑んだ。

「特に夜、お忙しいあなたのような方がこれから毎晩なんてありえませんわ。できない約束はなさらないほうがよろしくてよ。」
期待させないで、と心の中でつぶやく。
オスカーに目を向けるといつになく真剣なアイスブルーの瞳があった。

「必ず来る。」
オスカーはそれだけ言って、来た時と同じように窓から出て行く。
去り際にした頬へのキスの跡をロザリアはしばらく手のひらで押さえていた。


「本当にいらっしゃいましたのね。」
昨日と全く違う声で同じセリフを言ったロザリアは、しぶしぶという感じで窓を開けた。
「来ると言っただろう?」
昨日と同じ恰好でオスカーも言い返す。

同じようにオスカーを先にベッドに入れ、ロザリアは鏡の前で髪をとかした。
いつか来なくなるくらいなら、一度も来てくれないほうがいい。
騙されたと思うたびに感じる胸の痛みが怖かった。
そっとドアを開けるとまだオスカーは起きていて、ロザリアを手招きした。
初めに呼びつけたのは自分という責任感でもなく、ただ近くにいたいだけと気づいていても、わざと少し離れたところに横たわる。

「暖かいだろう? 俺のハートがこもっているからな。」
いつもの軽口に安心して、ロザリアはくすくすと笑ってシーツにもぐり込んだ。
その暖かさに体が溶けそうになる。
「おやすみ。」
額へのキスが合図のように眠りに落ちた。

「すぐに眠るのは君の特技なのか?」
オスカーが呆れたように言った。
もう何日にもなるのに、ロザリアはお休みの言葉と同時と言ってもいいほど、すぐに眠ってしまう。
「俺の前でそんなに無防備なのは君ぐらいだぜ。」
額にかかる柔らかな髪を分けると白い顔がのぞく。
あどけない寝顔はまるで天使のようで、何もする気にならない。

オスカーは少しロザリアに近づいた。
こうして、心の距離も目に見えれば楽なのに。
両腕を自分の枕の下に入れたまま、オスカーは横顔のロザリアを眺めた。
「どんな夢を見てる?」
つぶやいて目を閉じた。


目に見えて元気になったロザリアにアンジェリークは声をかけた。
「ロザリア、すっごく調子がよさそうね!湯たんぽで眠れるようになったの?」
途端に耳まで真っ赤になったロザリアを不思議そうに眺めた。
「実は・・・。」
「え~~~~!!!! それじゃ、オスカーと寝てるの?!」
しかもあのオスカーがただ寝てるだけ?!
あわてて言葉を飲み込んだ。 真っ赤になったまま頷くロザリアにアンジェリークはぱくぱくと金魚のように口を動かす。
「でも、ロザリア、オスカーのことは信じられないって・・・。」
「そうなんですの!でも、来ると言ってからもう2週間続いていますのよ。・・・どうしたらいいのかしら?」

真っ白になった頭がようやく動き出してアンジェリークは考え込んだ。
思えば、ロザリアが嫌いだとか信じられないとか言いながらも、オスカーを好きなのはわかりきっているし、オスカーだって隠してるつもりでも、ロザリアを好きだというのはたぶん全員気付いている。
当の本人を除いては。
「ねえ、きっとオスカーもロザリアに信じてほしいって思ってるんじゃないかな?来るって言ったから来たって言うんでしょ?」
「ええ。『今の俺を見てほしい』って言いましたの。」

あのとき、オスカーから軽い雰囲気は感じなかった。
「今までの俺は確かに君から見れば軽薄な男だろう。だが、これからの俺を信じてほしい。過去は変えられないが、未来をつくることはできるんだぜ。」
暖かいシーツの中で、確かに彼はそう言ったのだ。
自分が眠っていると思って言ったのかもしれないが、だからこそオスカーの本当の気持ちがあるような気がした。

「もうすぐクリスマスじゃない?この日まで続いたらオスカーのことを信じて話を聞いてあげたら?」
カレンダーはすでに12月の半ばを過ぎている。
あと、10日余り続いたら本当に信じてみるのもいいかもしれない。
「わかりましたわ。陛下の言葉に従います。」
仰々しく言うと、
「もう!こんな時ばっかり陛下なんだから!」
アンジェリークが膨れて、一緒に笑った。


真夜中近くになって、ロザリアがシーツにそっと滑り込んでくる。
おそるおそる横たわる瞬間が愛おしくてオスカーはじっと動かなかった。
枕の上をさらさらと流れる髪がふわりと香りを運んでくる。

「今日はすぐに寝ないんだな。」
横向きになってロザリアを見ると、じっと上を向いたまま目を開けているのがわかった。
「どうした? やっとときめいて眠れないくらいになったか?」
面白そうに言うオスカーのほうに頭を向けると、からかう口調に似合わない瞳がロザリアを見ていた。

「いつまで、来てくださいますの?」
「君が望む限りさ。」
永遠に。君が望むなら、全ての未来を捧げよう。
だがたとえ今そう言ったところで彼女は信じないだろう。
なにも言わないロザリアは目を閉じている。
もう眠ったのかと思った時、小さな声で何かを話した。

「クリスマスイブは大切な人と二人で過ごす日なんですって。もし・・・・。」
それきり途切れた言葉にオスカーは、ロザリアにシーツをかけ直す。
『もし、その日を一緒に過ごせたら、あなたを信じますわ。』
ロザリアが言いかけた言葉が聞こえた気がして、オスカーは彼女をじっと見つめていた。


オスカーが女性とカフェテラスにいるのが見えて、思わず身を隠したロザリアはその話し声に聞き耳を立てた。
聞くとはなく耳に入ってきた言葉に、ドキドキと動悸がおさまらなくなる。
「すまないな。もう俺は運命の女性を見つけたんだ。」
女性を見つめる目は優しかったが、今までのオスカーとは表情が違った。
穏やかな瞳から情熱の色はない。

「けなげだよね。ああやってさ、一人ずつに言ってんだよ?」
突然頭上から降ってきた声に驚いて見上げると、オリヴィエが立っていた。
「運命の女性ってさ。誰だと思う?」
答えないロザリアを見て、満足そうに微笑んだオリヴィエは、ロザリアの額をこつんと人差し指で叩いた。

「あんたも素直になんなきゃだめだよ。あいつがあれだけ本気なんだから、あんたも本気で答えてあげて。」
ひらひらと手を振っていくオリヴィエを見つめたまま、ロザリアは両手を胸にあてた。
心の中にいる人は・・・。
アイスブルーの瞳が自分を捕らえた気がして、ロザリアはその場から走り去った。



とうとうクリスマスがやってくる。
ツリーの飾りをもう一度点検して、ロザリアはオスカーが来るのを待った。
ツリーのイルミネーションはグラデーションの明かりを部屋中にきらめかせている。
今日は『特別な日』になるだろうか? 

時計の針はもういつもの時間を回っている。
ロザリアはなんども鏡の前と窓を行ったり来たりしながら、時計ばかり睨んでいた。
最後の最後で、また地獄の底に突き落とされる予感が襲ってきて、ロザリアは部屋の明かりを消した。
ツリーのライトだけの明かりが天井にキラキラとダイヤモンドダストのように映っている。
暗い所なら泣いても気にならない。

そう思った時、窓がコツコツとなった。
窓の向こうにいつものようにオスカーがいて、不敵に笑みを浮かべた。
「大切な人と過ごしたい日に間に合ったな。」
吸い込まれるように部屋に入ったオスカーの頭が濡れているのに気づいて、ロザリアはハンカチを差し出した。

「どうなさったの?」
「クリスマスイブに別れを切り出した男には当然の報いさ。…どうしても今日までに済ませておきたかったんだ。」
額にかかった濡れた髪をうるさそうに頭を振ってかきあげると、オスカーは熱い瞳でロザリアを見つめた。
アイスブルーの瞳はロザリアの体を縛り付けるように離さない。


「俺の未来のすべてを君に捧げよう。これからの俺の心も体もすべて君のものだ。クリスマスプレゼントとして受け取ってくれるか?」
恭しくロザリアの手を取ったオスカーはその手にそっと口づけた。
心の声が体の奥から聞こえてきて、ロザリアはただ素直に頷いた。
「わたくしの未来もすべてあなたに捧げますわ。受け取っていただけますか・・・?」

オスカーはロザリアを抱きしめると、そのままベッドへと運んでいく。
初めて抱かれたオスカーの胸にロザリアは体を預けた。
ロザリアを寝かせると、枕に広がった青紫の髪の間に両手をついて、ゆっくりと口づける。
今までの分も、そしてこれからの分も。
長い長い口付けの後、オスカーはロザリアを抱き寄せて横になった。
お互いの鼓動の音がゆっくりとひとつになっていく。
今まで何日も同じベッドで過ごしたけれど、これほど近い距離になったのは今が初めてだった。


しばらくじっと抱きしめあった後、恐る恐ると言った感じのロザリアの声が聞こえた。
「オスカー、あの、これでは眠れませんわ。」
「ん?もう寝るのか?」
まだなにもしていないのに。
頬をくすぐると、ロザリアは恥ずかしそうに真っ赤になってうつむいた。

「もうすこし、離れていただけません?」
「これくらいか?」
「もうすこし・・・。」
「これくらいか?」
「もうすこし・・・。」

これでは昨日までと大して変わらないじゃないか。
腕を伸ばさないと彼女に触れることができない距離まで離れるように言われて、オスカーは明らかに落胆した顔をした。
けれど、自分の足にひんやりした彼女の足がおずおずと触れてきたのに気づいて、ふっと笑みをもらす。
まずはこの冷たい足から暖めてやろうか。
彼女の全てを熱くするのはそのあとからで構わない。
触れてきた彼女の足にオスカーは自分の足を絡めるようにすると、恥ずかしそうに毛布をかぶったロザリアの髪を優しくなでたのだった。


Fin


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