「誰だってそうだろ!」
ドアから漏れてきた声に、ロザリアは思わず足をとめた。
もうすぐお茶の時間。
いつも通りポットを持って、鋼の執務室に来たのだが、少し早かったらしい。
大声で怒鳴るゼフェルのほかに数人の人の気配を感じて、ドアに耳をつけてみた。

「人のこと変人扱いしやがって。」
「そりゃあさ。俺だってどっちかっていえば大きい方がいいけどさ。」
かぶせるようなランディの声。
「だろ?男なら当たり前じゃねーか。」
「僕は本当に気にならないけどなあ。」
呆れたようなマルセルの声。
「ゼフェルみたいに大きければいいなんて、思ったこともないや。」
「だよなあ。俺も普通くらいでいいよ。」
二人の声に、ガタンと椅子の倒れる音がした。どうやら興奮したゼフェルが立ち上がり、倒れたらしい。

「オレはなぁ。でかい方が好きなんだよ!わかったか!」
ほとんど絶叫に近かった。


ゼフェルの異様な興奮ぶりにドア越しのロザリアは考えてしまった。
一体、3人は何のことを言っているのだろう。
はっきりと口に出して言われたことはないが、ロザリアはゼフェルをいわゆる恋人だと思っている。
毎日のお茶の時間もそうだし、ときどきする外出もなんとなく一緒にいることが多い。
ゼフェルはあの通りの性格だから、愛の言葉なんて死ぬほどの目に合わない限りは言わないだろうとロザリアは思っていた。
だから、こうしていつの間にか恋人になっている今の関係に、不満はなかったのだ。
けれど。

「大きい方が好き…?」
あれほどゼフェルがこだわることなのに、ロザリアには全く心当たりがなかった。
中ではまだわいわいと盛り上がる話し声が聞こえる。
ロザリアはポットを抱えたまま、補佐官室に戻ると、冷めかけた紅茶をカップに注いだ。
いつも通りの手順なのに、考えごとをしていたせいか、手元が狂い、中身をこぼしてしまう。
跳ねた紅茶が服にかかり、染みになる前に拭き取ろうとハンカチでぬぐう手に必死で力を込めた。
そして、気がついたのだ。

「もしかして…。」
ハンカチを当てたふくらみをロザリアはまじまじと見つめた。
男なら誰でも、大きい方が好きだと思うモノ…。
思い当ったことに赤面すると、頭を何度も振って、その考えを追い出そうとした。
でも、考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなってくる。
ロザリアはカップもそのままに慌てて部屋を飛び出すと、転がるようにある場所へと向かった。


「アンジェ!」
勢いよく開いた扉に、こぼれそうなほど目をまん丸にしたアンジェリークが立ちあがった。
「な、なにかしら・・・?」
はっきりと目が泳いでいるのは、ロザリアに知られてはマズイことがいくつも頭に浮かんでいるせいなのだろう。
「今はたまたま、休憩してただけなのよ?」
執務机の上に散らかるお菓子のカス。飲みかけのジュース。そしてマンガ。
ロザリアはサボりの証拠に目もくれず、本棚のガラス戸を開けた。

「まったく、あんたったらゴミくらいはちゃんとゴミ箱に捨てなさいな。・・・・ところであの本はどこかしら?」
「あの本?」
どうやら怒られるのではないらしいと悟ったアンジェリークは本棚を上から下まで探るロザリアの背中を見つめた。
もともと本棚というよりは本を突っ込む棚と化している場所だ。
ロザリアが望みの物を掘り出すのが大変なのはよくわかる。
「ね、何の本?そこにないかもよ?言ってくれたら、持ってくるから。」
背中越しにアンジェリークが声をかけると、ロザリアの動きがぴたりと止まる。
不審な動きに一瞬首をかしげたアンジェリークは、彼女に抱きついた。
「ねえってば。何の本?題名が分かったらすぐに持ってくるから。」

くるりとロザリアが振り向いて、二人の顔が至近距離に近づく。
アンジェリークがにっこりすると、ロザリアの顔が見る見るうちに赤くなり、耳の後ろまで染まって行った。
「あれですわ。」
「あれ?」
「だから、その、あれよ。」
「あれじゃわかんないって。」
もっともなアンジェリークの言い分にロザリアがため息をついた。
「大きくする方法。」
「え?」
「胸を大きくする方法の本ですわ!」
大声で言うロザリアはほとんど涙目で、その声に驚いたアンジェリークは思わず尻もちをついた。


「ふーん。それで、本を借りに来たんだ。」
さっきまでも食べていただろうに、ロザリアがゼフェルの部屋の前で耳にした会話を話している間もアンジェリークはお菓子を食べ続けていた。
話し終えて、ロザリアが黙ると、アンジェリークはジュースを飲んで、微笑んだ。
「よかった。ランディは普通でイイって。」
そうじゃない、と言いかけて、間違いではないと肩を落とす。
テーブルに置かれた1冊の本は「これであなたも巨乳になれる!」という、信じられないタイトルの本だった。
「じゃあ、この本はロザリアにあげるわ。だって、わたしはこのままでいいもの。」
アンジェリークの顔が悪魔に見える。
お菓子のかすを殊勝にもゴミ箱に落とし、アンジェリークがずずっと顔を寄せてきた。
「まずは食事療法からね。そしてストレッチ。最後は…ちょっと考えよう?」
「ええ。」
最後の項目「恋人に揉んでもらう」を実践するのは難しいと、二人の認識は共通していた。
とりあえず、できることから始めよう。
アンジェリークから本を受け取ったロザリアは、固い決意を示すようにぐっとこぶしを握りしめた。


お茶の時間だというのに、いつもの甘い香りはしない。
補佐官室にやって来たゼフェルはソファに横座りしてひじ掛けに足を乗せると、もくもくとおやつを食べるロザリアを見つめていた。
テーブルの上には、ロザリア愛用の薔薇の描かれた白磁の皿。
金の縁どりも優美な曲線もいつも通りのティータイムだ。
それなのに、部屋中に響く、この音。

「おい。…オメーはなんでそんなモン食べてんだよ?!」
ぼりぼりという音が止まり、ロザリアが顔を上げた。
「そんなもんじゃありませんわ。豆ですわよ。」
んなこたぁわかってる!と言いかけたのをぐっと堪え、ゼフェルは皿の豆をつまみ上げた。
見れば見るほど、普通の豆だ。
甘くも辛くもない、正真正銘の大豆。
豆まきでもないのに、こんなものを食べるのは年寄りだけだと思っていた。

「コレ、ウマいのかよ?」
4個ほどまとめて口に入れても、味はほとんどない。
「そうですわね。でも、おいしいかどうかはどうでもいいことなんですの。この大豆のたんぱく質というのがとてもいいのですって。」
「は?なににいいんだよ?」
他におやつもないのだから仕方がない。
ゼフェルは再び豆を口に入れながら、尋ねてみた。そんなに深い意味はない、ただの話題の一つとして。
それなのに、その言葉を聞いた瞬間、ロザリアは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
かーっと耳まで赤くなったのを見て、なぜかゼフェルまで心臓がドキドキとしてくる。

「な、なんだよ。」
「なんでもありませんわ。とにかく、今はコレを食べなければいけないんですの!」
ロザリアはムキになって豆を口に入れている。
こうなれば、これ以上ロザリアは口を割らないだろう。それはゼフェルもよくわかっていた。
仕方なく豆を手のひらで掴み、ぼりぼりと噛み砕いたのだった。


数日後、机の上に置きっぱなしだった書類の山を片づけていたゼフェルは、すうっと背筋が寒くなるのを感じた。
山の5合目くらいに埋もれていた書類には、ロザリアの綺麗な文字で大きく「緊急」と書かれている。
「たしかおとといだよな…。」
作業台の上の作りかけのモノに目を向けると、ゼフェルは大慌てでサインをして、書類をつかんだ。
どうせ怒られるだろうが…。急ぐのはロザリアのためにもなる。
自分のせいでまた残業にでもなったら、申し訳ないという思いもちらりと浮かんだ。
ノックをするのも忘れて、勢いよくドアを開けると、いつもなら笑顔で迎えてくれるロザリアの姿が机になかった。
不審に思い、部屋の中に視線を巡らせると。
ロザリアが床に寝ていた。

「おめー、何やってんだ…?」
うつぶせになって手をついていたロザリアがはっと顔を上げる。
まさかと思うが腕立て伏せをしていたように見えた。
見る見るうちに真っ赤に染まる顔。
がばっと音が聞こえるのではないと思うくらいの勢いで飛び上がったロザリアは床の上にちょこんと座ると、気まずそうにドレスの裾を直している。

「あの、ちょっとペンを落としてしまって。それで、あの、探していたんですの。」
明らかに挙動不審。
ロザリアは急にきょろきょろとあたりを見回すと、「ないですわね。どこへ転がってしまったのかしら?」と言いながら立ち上がり、机の椅子に座った。
なぜか気まずい沈黙が訪れる。
ゼフェルが机の上を見ると、ロザリアの愛用のガラスペンはきちんといつもの場所に置かれていた。

「あるじゃねーか。」
「あら。ホントですわ。さっき、確かに落としたと思ったのですけれど。」
まだ赤い顔をしながら、ロザリアは大げさに首をかしげた。
思わず突っ込みたくなったゼフェルだったが、ロザリアの青い瞳が恐ろしいほど真剣でなにも言えなくなってしまう。
仕方なく書類を手渡したゼフェルは、もやもやを抱えたまま、執務室へ戻ろうとした。

けれど、どうにも気になって、また補佐官室へ引き返すと、ロザリアは椅子に座ったまま、おかしなポーズを取っている。
目をつぶり、両手を胸の前に合わせて、まるでなにかを祈っているようだ。
ぐっと力を入れているのか、合わせた手のひらが震えている。
あまりに懸命な様子にゼフェルは唖然としてしまった。

「おい!なにやってんだよ!」
目を開けたロザリアは口を金魚のようにパクパクさせると、ゼフェルをじっと睨みつけた。
「おめー、オレに隠してることがあんだろ?!」
この間からずっとおやつは豆ばかりだし、今のポーズといい、妙によそよそしい態度といい。
思えば何から何まで怪しく感じる。

「なにもありませんわ!」
「ウソつくなよ!ぜってえ、おかしいだろ!」
「なんでもないと申しておりますでしょう!」

つんと横を向いたまま、ロザリアはゼフェルを見ようともしない。
強情で意地っ張りな彼女のこと。こうなれば本当にお手上げだ。
こうと決めたらまっすぐな、そんなところがゼフェルも気に入っているのだから。
忌々しげに絨毯を蹴飛ばすと、「もう知らねえからな!」と荒々しくドアを閉めた。
それから廊下を踏みぬきそうな勢いで部屋へ戻ると、今度こそ自分の執務室に閉じこもったのだった。


気まずいまま過ぎた、数日後。
「おい!それ、なんなんだよ!」
思わず叫んだのも無理はない。
呼びだされて仕方なく向かった女王の間の扉を開けた瞬間、玉座に座ったアンジェリークはこの間のロザリアと同じポーズを取っていた。
両手を胸の前で合わせ、ぐっと力を入れるところまでそっくりで。
ただ一つ違うのは、アンジェリークにはロザリアほどの真剣さがないことだろうか。
ずかずかと女王の間に入りこんだゼフェルに、アンジェリークはぷうと頬を膨らませた。

「おそーい!!!呼びに行かせてからもう30分も過ぎてるのよ。ヒマだったんだから、しょうがないじゃない!」
「急に呼びだしたのは、そっちだろ。それより、さっきのヤツ。あれ、なんなんだ?」
「あれ?」
「これだよ!」
ゼフェルがポーズをまねすると、アンジェリークはきょとんとした顔の後で、きゃっきゃと笑いだした。
「やだ~。ゼフェルは知らなくていいの!」
その言葉にカチンと来た。どいつもこいつも隠し事だ。
ゼフェルがイライラと腕を組んで黙りこむと、アンジェリークが猫なで声で言った。

「ね、ゼフェル、大きい方がイイってホントなの? わたし、聞いちゃったのよね~。」
まるで自分が聞いたような口ぶり。
アンジェリークはイヤな感じの薄笑いを浮かべながら玉座から身を乗り出している。
「な!なんだよ!おめー、あの時の話、盗み聞きしやがったな!」
頭から湯気でも出そうなほど、狼狽しているゼフェル。
おもしろくて、突っ込むのがやめられない。アンジェリークは手で口を押さえた。

「うふふ。だからロザリア、あんなに頑張ってるのよ? それにしても、ゼフェルってば、贅沢よね~。わたし、ロザリアは十分巨乳だと思うの。
一緒にお風呂に入ってる時に見ちゃうけど、すっごく綺麗だし、思わず触りたくなっちゃうくらいなんだから。」
もみもみと手を動かしたアンジェリークがゼフェルをちらりと見ると、なぜかゼフェルは直立不動だった。
「どうしたの?」
ピクリともしないゼフェルの顔がだんだん赤くなっていく。
そして、とうとう震えだした。

「ば、バカなこと言うんじゃねえ!ナニが巨乳だ!ふざけんな!!!!!」
「え?大きい方が好きなんでしょ?ゼフェルってば、隠さなくてもいいのよ~。」
「勘違いすんな!オレは巨乳派じゃねえ! 巨乳好きなのはランディだ!!!」
「えー!!!!」
静まり返る女王の間。
冷静に返った二人が、お互いの情報交換を始めたのは、しばらく時が流れてからだった。


豆をポリポリ齧るロザリアの口からため息がこぼれた。
あれから、ゼフェルと一度もお茶をしていない。
もともとゼフェルに少しでも好きになってほしいと思って始めたことだったのに、そのせいでケンカしてしまっては、まさに本末転倒だ。
お皿に乗った豆を恨めしげにつまみ上げたロザリアは、「お菓子が食べたいですわ…。」とつぶやいた。
再び出るため息に、気分は沈むばかり。

「おい!」
バタンと壊れそうな勢いで開いたドアにロザリアは目を見開いた。
大きく肩を上下させて、じろっとロザリアを見ているのはゼフェル。
思わず笑顔になりかけた唇をぐっと引き下げて、ロザリアはそっぽを向いた。
「なんですの?ノックもなしにドアを開けるなんて礼儀違反ではありませんこと?」
ゼフェルからの返事はない。
「聞いてらっしゃるの?」
改めてゼフェルの方を向こうとして、ロザリアの目の前が暗くなった。

抱きしめられているのだ、とわかるまで、数秒。
後頭部に添えられた手に力がこもると、ゼフェルの鼓動がロザリアの耳を打った。
「そんなモン、食う必要ねえよ。ヘンな体操もすんな。」
声を出そうとして息を吸い込むと、呼吸全部がゼフェルの香りに変わって、ロザリアは息を飲んだ。
「オレは、そのままのおめーが好きだ。だから、もう、なんもすんな。」
ぎゅ、っと音がしたような気がした。
抱きしめられた体よりも心が壊れそうになる。
『好きだ』という、そのたった一言だけで。

気がつくと、ロザリアの手もゼフェルの背中に回っていた。
初めてお互いの熱を知る時間がゆっくりと流れていく。
「でも、大きい方がいいのでしょう?わたくし、聞いてしまったんですのよ?だからゼフェルがわたくしの胸が小さいと不満に思っているんだとばかり…。」
「だから、違うってーの。あん時、オレらが話してたのはそんなことじゃねぇ。」
「でも…。」
「だーああ。もう、言うな! そのままでいいって言ってんだろ!」

むしろこれ以上大きくなられたら困る、とゼフェルは心の中でつぶやいた。
抱きしめた時から身体に触れる柔らかさに、とっくに穏やかでいられないのだから。
「では、なんですの?」
「は?」
「大きい方がいいモノですわ。わたくし、ゼフェルの好きなモノをもっと知りたいんですの。」
「そ、それは・・・。」

潤んだ瞳で見上げるロザリアに答えに詰まるゼフェル。
まさか『背が大きくなりたい』だなんて、それこそ死んでも言えない。
どういってごまかそうかとゼフェルが考えているその時に、女王の間ではアンジェリークが必死で腕立て伏せをしていたのだった。

頑固なくせに最後は謝るから ふきだす


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