Wonderful day

8月某日。
目を覚ました私は、枕元に置いてある携帯へと手を伸ばした。
時刻を確認し、もう一度目を閉じる。
予定よりも一時間以上早いし、昨夜、なかなか寝付けなかった分、予定時間まで寝なければ、明らかに睡眠不足になってしまう。
もしも、こんな大切な日にクマでも作ってしまったなら…死んでも後悔するだろう。

なんとか寝ようとして、頭の中で、ぴょんぴょんと柵を飛び越える羊を数えていると、首筋にじんわりと汗が滲んでくる。
このクソ暑い季節に羊なんて!
おまけに柵を飛び越えた羊たちがどんどん増えて、一面にモフモフがあふれかえる。
87匹まで数えたところで、
「もう無理!」
私はむくりと起き上がると、デスクの方を見た。

整理整頓されているとは言い難いデスクのちょうど真ん中。
そこだけがまあるく片付いている。
そして、その真ん中に今の私にとって世界一大切な手紙が置かれているのだ。
ベッドから這い出した私は、その手紙をそっと取り上げた。

くすんだブルーにバラのエンボス。
イマドキありえない蝋封も、かの地ならばさもありなんと妙に納得してしまう。
ヘンな折り目が付いてしまわないように、私は慎重に中身を取り出した。
もっとも、今更、中身を確認しなくても、すでに暗記するほど何度も見ているのだけれど。
やっぱり夢なんじゃないかと、確かめたくなってしまうのだ。

『お茶会のお誘い』

目に飛び込んでくるタイトルと、今日の日付を確認して、私は便箋を閉じる。
続いて、携帯でも日付を確認し、間違いないと頷いた。
今日の13時。
指定の場所に行けば、彼女に会える。

私はクローゼットを開き、今日のために準備したワンピースを体に当ててみた。
彼女の好きな薔薇をプリントしたワンピースは、普段使いにはいささか派手で、おそらく今日一度、袖を通した後はクローゼットの肥やしになるだろう。
けれど、私は即決した。
値段的にも少し背伸びをすることになってしまったけれど、もちろん後悔はない。

服を着替え、いつもよりも念入りに髪を梳く。
メイクも普段よりはずっと時間をかけた。
いつもは塗らないファンデーションを全面に塗り、軽くパウダーを乗せる。
マスカラは苦手だけれど、少しでも目が大きく見えるようにビューラーを当て。
瞼に白のシャドウ。 チークは元気なオレンジ。
リップは・・。
「やっぱり新色を買うべきだったかな~。」
愚痴をこぼしつつ、いつものカラーを塗った。
グロスで艶を与えることも忘れない。
最後の仕上げに、お気に入りのシトラスのトワレを振りかけた。

「あとは・・・笑顔は二割増し!」
鏡の前で、にっこり笑ってみたものの、引きつっているのが自分でもわかる。
掌を心臓にあて、鼓動を確かめると、異常に昂っていて、ちょっと怖い。
今、心電図を計ったら、波形異常で再検査間違いなしだろう。
けれど、これはいわゆるお医者様でも治せない病の一種だから。
私は大きく胸を開くようにして両手を伸ばし、深呼吸をした。
「よし! おっけー!」
指定された時間よりも一時間早く。
私は待ち合わせ場所に向かった。


「わおう・・・!」
待ち合わせ場所からここまで送ってくれた女性と別れて、私は目の前の建物を見上げた。
思ったよりもこじんまりとしたマナーハウスのような建物。
決して豪奢ではなく、むしろ質素だけれど、生き生きとした青葉に囲まれた緑濃い風景は、気持ちが落ち着く。
バラのアーチを覗き込むと、連なるガーデンにまっすぐな石畳が伸びていて、入り口はその奥になるようだ。
「バラだよ…。やっぱりなあ。」
私は頭の中に広がる妄想をぶんぶんと首を振って打ち消すと、深呼吸を繰り返した。

それにしても、さっきまでの出来事はまるでSF映画のようだった。
上下左右一面に星が流れる特別な通路は、まるで自分も流れ星になったみたいで。
たとえるなら、水族館のチューブトンネル。
魚の代わりに在るのは様々な星で、全部がキラキラと輝いている。
「星槽って言えばいいのかな~。」
アホみたいに口を開けている私に、おつきの女性がアレコレ説明をしてくれたけれど・・・正直ほとんどわからなかった。
とにかく女王のパワーはすごすぎて、とてもリアルとは思えない。
私はほっぺたをつねって、痛みを確認すると、薔薇のアーチをくぐった。

石畳を歩いていくと、小径は2つに分かれていた。
真っ直ぐに伸びる広めの道と、脇へそれていく細めの道。
おそらくまっすぐ行けば玄関にたどり着くのだろうが。
迷った私はバッグから招待状を取り出した。

「ガーデンパーティって書いてあるもんね。」
私は招待状を確認すると、小径の方へ足を向けた。
少し進むと、わずかながら人の気配が感じられる。
カチャカチャと陶器の触れ合うような音と、かすかな話声。
私は駆け足になりそうになるのを必死で抑えて、ゆっくりと石畳を歩いていった。
すると、すぐに木々の切れ間から視界が開けて、まぶしい青空が広がる。


たた様より Birthday Present


「いらっしゃい。 ちょうどケーキができたところですのよ。」
青々とした美しい芝生の敷き詰められたテラスに、彼女の楽しそうな声が響く。
瞬間、私はその場に立ち尽くしてしまった。
今まで何度も頭の中に描いてきたシーンがそのまま、そこにある。
夢みたいで瞼の裏がジーンと熱くなった。

エプロン姿のロザリアがケーキを運んでくる。
テーブルからオリヴィエ様が悪戯っぽくウインクを投げてくる。
夢じゃないのかと何度も瞬きして、それからは瞬きをすることさえもったいなくて。
もしも携帯持参が許されていたら、その場で写真を撮りまくっていただろうに…。
目に焼き付けるしかない!と、ばかりに、私はその光景を凝視していた。

「どうぞこちらに。」
突っ立っている私に優しく微笑んで、ロザリアが椅子を勧めてくれる。
私は導かれるまま、オリヴィエ様の向かいに腰を下ろした。
ロザリアの向かいでずっと顔を見ていたいという気持ちと、隣に座りたいという欲求のせめぎ合いの末、隣に座ることを選んだ。
ちょっとでも近くにいたいなんて、心の声が彼女に聞こえたら、間違いなくドン引きされるだろう。
私が座ると、ロザリアは手にしていたケーキをテーブルの中央に置く。
イチゴの敷き詰められたバースデイケーキには、名前入りのプレートが載っていた。

『Dear  ちゃおず Happy Birthday』

思わず、
「ひゃあ!」
訳の分からない声を出してしまった私に二人が優しく微笑んでくれる。
「ケーキ、お好きなのでしょう? わたくしの手作りで喜んでいただけるか、自信がないのですけれど。」
ロザリアは恥ずかしそうに小首をかしげている。
可愛すぎて気絶しそうで、言葉が出ない。
すると、すかさずオリヴィエ様が
「あんたの作ったものをこの子が喜ばないはずないでしょ? ね、ちゃおず。」
そう、フォローしてくれた。
私はブンブンと首を縦に振り、
「すっごくうれしいです! あーもう食べたくて泣きそうです!」
拳をぐっと握りしめて、思わず零した本音。
彼女の作ってくれたものならば、草履だって食べられそうな気がする。
ただの水だって、最高級のシャンパンになってしまうだろう。

私の真剣な想いを分かってくれたのか、ロザリアもにっこりとほほ笑んでくれる。
天使の微笑みは強烈な破壊力で、私の思考回路を振り切ってきた。
緊張すると喋れなくなる、と人は言うけれど、私の場合は。
「うわー、めちゃくちゃ美味しそうですね! 早く食べたいです!
 あ、まずは四分の一で! 足りなかったら、また切ってもらってイイですか?」
逆にやけに饒舌になってしまうのだ。
私のアホみたいな言葉にもロザリアは楽しそうに相槌を打ってくれる。
そして、切り分けてくれたケーキを私の前においてくれた。

日差しを浴びて宝石のようにキラキラ輝くイチゴ。
でも、食べるのがもったいないより、食べない方がもったいない!
私はフォークでカタマリを切り取ると、大きな口を開けてもぐもぐと咀嚼した。
「美味しいです! 本当に美味しい!」
口の中ですっと溶けていくクリームは、ほど良い甘さとミルクの香りを残している。
たっぷり空気を含んだふわふわのスポンジも、驚くほどに柔らかだ。
三層に分かれたベースの間にもびっしりとイチゴが敷き詰められていて、ほんのり甘いシロップまで、イチゴの香りがする。
シンプルだけれど、手間をかけてくれたことがわかるケーキ。
私はひたすらフォークを動かし、あっという間に皿を空にしてしまった。

「美味しかったです…。 あ、もう一切れ、いただいてもイイですか?」
「ええ。 もちろんですわ。」
ロザリアは優雅な所作で切り分けてくれる。
指先までも美しくて、ただそれだけのことなのに見惚れてしまった。
「そんなにたくさん食べてもらえて、嬉しいですわ。」
今度はすぐに食べずに、そのまま、ロザリアが紅茶をサーブしてくれるのを見つめた。
興奮しすぎて、一気に食べすぎたことが、今更ながら恥ずかしくなってくる。
「どうぞ。」
けれど、ロザリアはそんな私に眉を顰めることもなく、紅茶を勧めてくれた。

青いバラの描かれた優美な猫脚のカップは、このテラスにもロザリアにもピッタリだ。
一息ついて紅茶を飲んだ私は、ロザリアに向かってにっこりとほほ笑んだ。
「あ、この紅茶もオイシイですね! ダージリンですよね?」
「ええ。 わたくしの一番のお気に入りの茶葉なんですのよ。」
すっきりした若葉のようなダージリン。
テラスを吹き抜ける風のように爽やかで、時間を忘れてしまう。
私達はたわいもない話で盛り上がりながら、ケーキやクッキーを楽しんだ。

「ちょっと、あんた食べすぎじゃない?」
「あら、逆にオリヴィエはあまり食べてくれませんのね。」
二人の楽し気な会話も耳に心地よく。
私にとっては夢のようで…永遠の宝物になるような時間だった。


「そういえば、プレゼントなんだけどさ。 なにか欲しいものとかある?」
テーブルに片肘をついたオリヴィエ様が、いま思いついたかのように言いだした。
「プレゼント?! ええ?!」
思いもかけない質問に、私の目が丸くなる。
こうして招待してもらって、手作りのケーキをいただいて。
これ以上に幸せなことなんてないのに、プレゼントまでもらうなんて、全くの予想外だったのだ。
「なんでも言ってよ。 あ、ロザリア自身、は、残念ながらあげられないけどね。」
オリヴィエ様はからかうようにロザリアにウインクする。
ラブラブな二人の光景に、私の胸がきゅんと疼いたかと思うと、途端に閃いた。

「あの、キスしてほしいんですけど。」
ポツリとつぶやくと、今度はオリヴィエ様の目が丸くなる。
「え? なんて?」
驚いたように聞き返したオリヴィエ様に、私ははっきりと言いなおした。
「キスしてもらえませんか? 唇じゃなくても、頬とか額でもいいです!」
今日という日にしか、到底叶えられない願い。
私は一歩も引かない気持ちで、オリヴィエ様を見つめた。
しんと静まり返ったテラスに、爽やかな風の葉ずれの音が流れていく。
妙な緊張感に包まれた私の隣で、ロザリアがふうっと詰めていた息を吐き出した。

「よろしいんじゃありませんの? いつもちゃおずにはお世話になっていますもの。」
「ホントに?」
オリヴィエ様がニヤリと笑う。
「わたくし、そこまで嫉妬深いと思われているのかしら?」
「うーん、どっちかっていうと、私が嫉妬してほしいって思ってるのかも。
 ホラ、愛されてるって気がするじゃない?」
ロザリアの頬が赤くなる。
「そんなことで確かめなくたって…。」
「ん? 確かめなくてもわかってるってこと?」
「もう!…許すのは今回だけですわ。」
ロザリアが頬を赤くしたまま、そっぽを向くと、オリヴィエ様が私に向き直る。

「それじゃ、お姫様のお許しも出たことだし、いいかな?」
悪戯っぽくウインクして、オリヴィエ様が立ち上がろうとする。
二人の言い合う姿を微笑ましく眺めていた私は、そこでようやく間違いに気が付いた。

「ち、違います!」
オリヴィエ様の前で、両手をブンブンと横に振り、私は全力で否定する。
そうじゃない!!!
私じゃない!!!!

「オリヴィエ様がロザリアにキスをするところを見たいんです!
 二人のイチャコラではにゃーーんなところをリアルにガン見したいんです!!!」
オカシイと言われても否定できないけれど、本当のお願いなのだから仕方がない。
二人がラブラブでいること。
それが私の一番の楽しみなのだから。

私の心からの叫びを聞いたオリヴィエ様は、浮かせかけていた腰を再び椅子に戻して、テーブルに頬杖をついた。
ちらりとロザリアに向ける流し目がドキッとするほど色っぽくて。
私はなぜか心の中でガッツポーズしてしまう。

「…だってさ。 ロザリア、どうする?」
さっきよりもずっと楽しそうにニヤリと笑い、オリヴィエ様が問いかけると。
ロザリアはますます顔を赤くして
「し、仕方がありませんわね。 なんでも、と約束しましたもの。」
さっきまでとは明らかに様子が違う。
照れ照れの空気は、恋人に甘える可愛い乙女そのもので…もうすでに鼻血が出そうな勢いで悶えるしかない。
私はその空気も漏らさず心に焼き付けようと、二人の姿をひたすら見つめていた。

やがて、オリヴィエ様がふっと優しい笑みを浮かべ、ロザリアの頬に指を滑らせた。
「…ロザリア。」
囁くような声なのに、その中に込められた想いがしっかり伝わってきて、私の心臓までバクバクしてくる。
ロザリアの青い瞳が甘く揺れて、ほおがばら色に染まって…。
かすめるようにロザリアの頬にオリヴィエ様の唇が触れたかと思うと、そのまま唇が重なる。
ちゅっと響くリップ音。
ほんの一瞬だったけれど、私の頭の中にはしっかりとその光景が保存されていた。
美男美女、理想のカップルの夢にまで見た(実際妄想していた)シーン。

私は椅子から転がり落ちて、もんどりうって叫びたいのをじっと我慢して、スカートをぎゅっと握りしめた。
気合を入れていないと、その場で叫び出してしまいそうだし、気合を入れているのに、顔が笑ってしまうのだ。
まあ、鼻血を出したりしなかっただけ、自分を褒めてあげたい。
内心の狂喜乱舞も…恥ずかしそうに目を伏せているロザリアには気づかれていないはず。
たぶん。

「あ、ありがとうございます! このプレゼント、一生忘れません!!!」
かろうじて声に出した言葉は、自分でも笑えるほどに裏声になっていて。
そんな私を、オリヴィエ様は楽しそうに笑っていたのだった。


楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
辺りにオレンジ色の光が差し始めると、風の温度が一段低く変わった。
テーブルのカップの影が長く伸び、いやでも終わりを意識する。
ロザリアが空になった私のカップにお茶を注ごうとして、ポットを傾けると、注ぎ口からぽたりと雫が零れ落ちた。
ケーキもなくなり、その後に出してくれたクッキーもなくなり、お茶もなくなった。
それはパーティの終わりの合図。
私は
「そろそろ失礼しますね。」
自分から立ち上がり、二人に向かって頭を下げた。
優しい二人からはなかなか終わりを言いだしにくいだろう。
なんでも楽しいと思えるうちに終わらせた方がいいのだ。 …次を待てるから。

ロザリアを先頭にして、遅れて私、それからオリヴィエ様。
明日からの仕事の話などをぽつぽつ語りながら、バラのアーチをくぐる。
私は振り返ると、アーチの下に並んで立っている二人に、もう一度深く頭を下げた。
「これからもよろしくね。」
ロザリアがほほ笑んでくれて。
「あんまりひどい目に合わせないでよね。 あと、もっとイイこともさせて?」
オリヴィエ様が軽口を叩いてくれて。
だから私もにっこりと微笑み返して…
「ずっと好きですー!」
最後の挨拶は一世一代の告白になった。


目が覚めて、飛び起きると、そこはいつも通りの自分の部屋だった。
小さなソファと、パソコンデスク。
その隣にはアルパカの毛で作ったぬいぐるみが飾ってある。
携帯のボタンを押して、日付を確認してみれば、8月某日から、ちゃんと一日過ぎていた。

ベッドから這い出した私は、あの時見ていた彼女の手順を思いだしながら、紅茶を淹れてみた。
もちろん最初から上手くできるはずはなくて、カップを温めるのを忘れてしまったけれど。
淹れたばかりの紅茶からは白い湯気が上がっていて、扇風機の風が当たるたびに、ふわふわと流れる。
ダージリンの香りは、私の気持ちをすぐにあの時間まで巻き戻してくれた。

「は~、夢みたいだったなあ。」
やっぱりロザリアはキレイで可愛くて、ドキドキしっぱなしだった。
オリヴィエ様と並ぶとまた、乙女モードが増して、一気に可愛くなって、飛びつきたいくらいに魅力的だった。
あの時、その時。 あーんな時。
頭の中のショットを一枚一枚思い出しては、にやにや笑ってしまう。

ふと、夢だったのかもしれないな、と思った。
夢でもイイかな、とも。

けれど。
「あ。」
出勤前にバッグの整理をしていた私は、思わず声を上げた。
丸めたハンドタオルの中から出てきたのは、さらにティッシュで何重にもグルグル巻きにされたモノ。
『Dear  ちゃおず Happy Birthday』
食べるのがもったいなくて、こっそり持って帰ってきたチョコレートプレートだった。

「そっか~。」
飛び上がりたくなるのをぐっとこらえて、私は紅茶のソーサーにチョコプレートを置いた。
甘い香りと、指についたチョコを舐めた時に感じる確かな味わい。
これは夢なんかじゃない。

「よし! 今日も頑張るぞ!」
絶対今日から、毎日がいい日になる。
私はバッグを手に部屋から飛び出したのだった。


FIN
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