24時間のキス

1.

「お誕生日プレゼント、なにがいい?」
ふとお互いのペンが同時に止まった瞬間。
こういうのを気が合うというのだろうか。
目が合ったアンジェリークがにっこりと微笑むと、ロザリアは書類の上にペンを置いた。
そろそろお茶にしてもいいかもしれない。
時計の針を見たロザリアはにっこりと微笑み返すと腰を上げた。
「陛下の腹時計の正確さには本当に驚きますわ。」
「えー、ロザリアだって、そろそろ休憩したいって、顔に書いてあったわよ?」
なかなかにするどい突っ込みに、ロザリアは笑みを苦笑に変えた。

キッチンに広がる紅茶の香り。
甘い香りを胸いっぱいに吸い込むと、それだけで穏やかな気持ちになれる。
トレーにカップとお菓子を乗せて部屋に戻ると、アンジェリークが既にテーブルを片付けて、ちょこんと座っていた。
「今日のお菓子はブレッドプディングですわ。」
「うわー!おいしそう~~。」
満面の笑みを浮かべてフォークを握り占めているアンジェリーク。
うれしそうな顔を見るのがこちらも楽しみだ、なんてことはもちろん言わずに、お皿をテーブルに置いた。

「ね、ホントに欲しい物ないの?」
何度目かの質問に、同じように「ありませんわ。」と答える。
アンジェリークのがっかりした顔が悲しいが、本当にないのだから仕方がない。
ドレスもアクセサリーもそれこそ人並み以上に持っているし、いまさら、望む物もない。
正直にそう言うと、アンジェリークは少し考える表情をして、すぐににやりと笑った。
とってもとっても嫌な予感がして、ロザリアは思わずごくりと紅茶を飲み込んだ。
「じゃあ、わたしが考えたものでいい?」
甘いブレッドプディングが喉につかえる。
嫌な予感はますます大きくなるけれど、欲しい物は全く思いつかなかった。
それに。
サプライズのプレゼントというのも、面白いかもしれない。
初めてできた大切な友達からのものであれば、なおさら。
「ええ。楽しみにしていますわ。」
プレゼントをくれる、というその気持ちが、本当は一番のプレゼントなのだ。
そう思ったロザリアは、『絶対に拒否しない』という約束をさせられて、かえって嬉しいとさえ感じたのだった。

当日。
いつものように女王の間にやってきたロザリアは、胸に飛び込んできたアンジェリークを受け止めた。
「お誕生日おめでとう。これからも素敵なロザリアでいてね。」
「ありがとう。」
照れくさくて、ついそっけなく返事を返してしまった。
そんなロザリアに慣れているのか、アンジェリークはぎゅっと抱きついたまま離れようとしない。
「ね、こっち向いて。」
呼ばれて下を向いたロザリアの唇のすぐ横に、アンジェリークの顔が重なった。
あとすこしずれていたら、まともに唇が触れ合っていただろう。
危うくファーストキスが。
呆然としたロザリアにアンジェリークがにっこりと微笑む。

「わたしからのプレゼントよ。友情を込めてロザリアにキス。額にしようとしたんだけど、危なかったね。」
物はいらないって言うから、とアンジェリークは楽しそうだ。
ロザリアもほほえましいプレゼントに思わず頬が緩む。そう、アンジェリークの言葉の続きを聞くまでは。
「みんなにも頼んでおいたから。ロザリアの誕生日プレゼントに愛を込めてキスをしてあげてね、って。」
みんな? 
聞き返す間もなかった。

「ロザリア!」
ノックもなく開いた扉から、飛び込んできたのはマルセル。その後ろからランディがおずおずと顔をのぞかせている。
「お誕生日おめでとう!」
マルセルはロザリアのそばまで近づくと、小さな花束を差し出した。
青紫の柔らかな花弁がロザリアの手の中でゆれる。
思わず微笑んだロザリアの視界に金の髪が広がったかと思うと、頬に暖かなものが触れた。
「プレゼントだよ。陛下から、今年はキスを贈ってね、って言われたんだけど、どうしてもお花もあげたかったんだ。
今朝、庭に咲いてたんだけど、ロザリアに良く似た色でしょ?」
キスのおまけに花束。なんだか逆のような気もするけれど。
無邪気なマルセルにロザリアもキスを咎めるわけにはいかなくなってしまった。
「俺も手伝ったんだ。この、リボンのところだけだけどね。」
見れば少し傾いたリボンがいかにもランディらしい。
何度も繰り返し直したために出来たリボンのシワを、ロザリアが指先で伸ばしていると、なぜかもじもししているランディの横っ腹をマルセルが肘で押していた。
意外に強い力なのか、ランディがうっと息を詰まらせている。
「えっと、俺からも、いいかな・・・?」
なにを?と聞く前に額に唇が触れた。
真っ赤な顔をして頭を掻くランディを、つい真正面から見つめてしまう。
「あ、あのさ。陛下からの命令だからで、その・・・。ごめん。」
膝にくっつくのではないかというように頭を下げたランディにロザリアは吹き出した。
「ありがとう。」
恥ずかしくて、花束で顔を隠してしまったけれど、嬉しい気持ちは十分伝わったのだろう。
マルセルはアンジェリークにウインクをすると、ランディの背中を押すようにして部屋を出て行った。

「さあ、ロザリア。今日は補佐官室に戻って。みんながくるから、なるべくお部屋にいてね。」
コロコロと笑うアンジェリークを恨めしげに眺めてみても、今更変わらないはずだ。
いっそ逃げ回るよりは受けて立とう。
ロザリアは女王の間から戻ると、補佐官室でいつもの様に執務を始めた。


秋の気配のする風が窓辺を揺らすと、机の上の一輪挿しの花が甘い香りを醸し出す。
青紫の花の名前は知らないけれど、確かにロザリアの髪の色に似ていた。
誰にともなく笑みが浮かぶと、ドアをノックする硬い音。
まさか、と思いつつ開けたドアの向こうでジュリアスはコホンと咳払いをひとつした。
「今日はそなたの誕生日だそうだな。おめでとう。」
目を合わせようとしないジュリアスにロザリアは首をかしげた。
「ええ。ありがとうございます。」
なぜか流れる沈黙。
「手を貸してくれぬか?」
ジュリアスが手こずる様な案件があっただろうか。
昨日回した書類を頭の中に浮かべながら、ロザリアはうなづいた。
「資料は必要かしら?それとも誰かの協力でも?」
もしかしてクラヴィスに頼まなければならないような案件があったのかもしれない。

ロザリアが返事を待っていると、ジュリアスはそらしていた視線をようやくこちらに向け、小さなため息もらした。
「いや、手を貸すとはそういう意味ではない。・・・手を。」
ジュリアスが紳士の様に右手を差し出すと、ロザリアも自然にその手に自らの手を乗せた。
淑女としての振る舞いはジュリアスから見ても申し分ない。
ダンスを申し込む時のように、ジュリアスの唇が甲に触れた。
「このようなプレゼントでよいのか?」
言われて今の所作の意味に気が付く。
敬意を込めたレディへのキスに、ロザリアはにっこりと微笑みを返した。
「ありがとう。とても嬉しいですわ。」
「うむ。これからも私と共に・・・。いや、もちろん、私だけではなく、宇宙のためになのだが。」
珍しく照れたような口調のジュリアス。
それを見れた事がすでに貴重なプレゼントだ、とは黙っておいたロザリアだった。


いつもよりずっと静かなおかげで、予定よりも早く執務が片付いて行く。
こっちのほうがありがたいプレゼントだ、とロザリアが考えていると、またノックの音がする。
次はゼフェルあたりかしらと想像していたロザリアの予想は見事に外れ、思わず椅子から立ち上がってしまった。
「こんにちは。お邪魔ではありませんか?プレゼントをお届けにまいりました。」
リュミエールはわかる。
去年の誕生日にもハーブティをくれたのだから。
けれど、その後ろに立つ大きな黒い影にロザリアは驚いた。
「確かにお誘いはしましたが、無理にではありませんよ。クラヴィス様の御意志です。」
リュミエールが微笑みながら、静かに横へ体を滑らせる。
ポカンとしたままのロザリアの手をとったクラヴィスは、迷わずにその甲へと唇を落とした。
「お前にはこの場所がふさわしい。」
クスリと笑ったロザリアにクラヴィスが怪訝そうに眉を寄せた。
「ジュリアスと同じ場所ですわ。」
「・・・そうか。」
「ありがとう。あなた方からの尊敬はとても励みになりますもの。」
明るいところでクラヴィスの瞳を見るのは久しぶりだ。
透んだ紫水晶を無機質だと思った事もあったけれど、その優しさを今はもう知っている。
フっと唇のはしをあげ、すぐに出て行くクラヴィスと入れ替わる様にリュミエールが手を取った。
「私からも。どうかお手を。」
柔らかく撫でるように触れる唇。
いつものように優しい微笑みをたたえたリュミエールに、ロザリアも優しく笑みを返すことができた。


「あの~、いいですかねえ。」
のんびりした声での催促にロザリアはドアを開けた。
開けられないのも道理だ。ルヴァは前が見えない程の本を抱えて、歩くのもよろめいているのだから。
「ふうー、重かったです。」
ドサリとセンターテーブルに本をおろしたルヴァは凝った肩をほぐすように腕をぐるぐると回した。
「ぜひ貴女に読んでいただきたい本を、と思いましたら、ずいぶんたくさんになってしまいました。」
「まあ。」
「これなんかは、100年も前の本なのですがね、とても美しい言葉が並んでいて・・・。」
あれこれと本を取り出しては、目の前に並べている。
このままでは、全ての本の解説を始めてしまいそうだ。
「あとでゆっくりと読ませていただきますわ。」
慌てて本を自分の方に向けたロザリアをルヴァがじっと見つめていた。
「あの~、実はもう一つプレゼントをしたいのですが。目を閉じていただけませんか?」
やはり。もう4度目ともなればいい加減予想がつく。
「これでよろしいかしら?」
青紫の睫毛が伏せられて、彼女を強く彩る青が消える。
白い顔にほのかに紅いつややかな唇が目に痛い程だ。
全く無警戒なのは嬉しい事なのか、悲しむ事なのか。
女王候補の頃から、頼りにしてくれている事は確かなのだが、それ以上の感情を彼女が抱いているかは、ルヴァにわかるはずもなかった。

このまま唇に触れたら。
彼女はそれを愛だと受け止めてくれるだろうか。
一瞬迷って、ルヴァはそっと瞼の上に唇を寄せた。
「陛下から必ずプレゼントするように言われましてねえ。」
ハッと目を開けたロザリアにルヴァは微笑んだ。
彼女の頬が少し赤らんでいる事に少しは希望を持っていいのかもしれない。
補佐官室を出たルヴァはついスキップしてしまう足を軽く叩いたのだった。


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