アンジェリークの惚気話や最近の聖殿の噂話。
話をしながらお茶を飲んで、お菓子を食べて。
気が付けばすっかり日が暮れていた。
「ご飯どうする? わたし、全然お腹空いてないわ。」
「そうですわね。 わたくしもですわ。」
食べ散らかしたお菓子の袋を数えれば、もちろんお腹が空いているはずもない。
もっともその大半はアンジェリークのモノだったが。
「とりあえず、新しいお茶でも淹れましょうか。」
そう言って、ロザリアが奥のミニキッチンへ入っていった時、ドアが鳴った。
「はいはーい。」
アンジェリークは気軽に返事をすると、すぐに立ち上がり、ドアを開けた。
本当なら、もっと気をつけるべきだったのかもしれない。
でも、くつろいだ気分のせいで、すっかり忘れていたのだ。
ココがロザリアの部屋で、こんな時間に尋ねてくる人物はおそらく一人しかいないだろうという事を。
「あ。」
ドアを開けた瞬間、アンジェリークの頭に、いろんな記号が思い浮かんでは消え、最後にロザリアの顔が残った。
しかも、かなりの…怒り顔。
けれど、アンジェリークはすぐに思い直して、オリヴィエに向かってにっこりとほほ笑んだ。
「いらっしゃい。 何か急ぎの用?」
「ん~。 まあ、急ぎってわけでもないけど。
今日、あんたが来てるの知ってたからさ、よかったら一緒にデザイン画を見てくれないかと思って。」
「デザイン画?」
「そう。 今度のパーティのドレス。」
オリヴィエは手にしていたスケッチブックを軽くアンジェリークに振って見せた。
アンジェリークもドレスの一件は知っていたし、オリヴィエのデザインに興味もある。
なによりもさっきロザリアと話していたこと。
これはもしかすると、神様がアンジェリークに与えた試練、なのかもしれない。
きっと後でロザリアに死ぬほど怒られることになるだろうから。
ちらりと奥へと視線を向けたアンジェリークは、まだロザリアがキッチンから出てこないことを確認すると、オリヴィエを中へと招き入れた。
「わ・・・。」
部屋の中ほどまで進んで、オリヴィエはぐるりと辺りを見回している。
目を丸くしているオリヴィエは、いったい何を考えているのか。
少しだけ嬉しそうに見えるのが気のせいでないとイイのだが。
奥からかちゃりと聞こえた茶器の音に、アンジェリークの心臓が飛び跳ねた。
ロザリアがキッチンから戻って来たのだ。
「お、オリヴィエ…!」
オリヴィエの姿を認めた瞬間、ロザリアは茶器を乗せたトレーを手にしたまま、固まった。
なぜ彼がココにいるのだろう。
恥ずかしさと混乱で耳まで赤くなりながら、アンジェリークを睨み付けても、アンジェリークは知らん顔で目を逸らしている。
いろいろ言いたいのは山々だが、とにかく今は。
どう言い訳しようか必死で考えているロザリアの目の前で、オリヴィエはたくさん並んだぬいぐるみの棚をじっと見つめている。
彼の顔に笑みが浮かんでいるのに気が付いて、ロザリアの足が震えた。
笑われているのだ。
気が遠くなりそうで、ロザリアがいつになく乱暴にトレーをテーブルに置くと、その茶器の音でオリヴィエが振り向いた。
「あ、ロザリア。 ごめん、勝手に入らせてもらったよ。」
いつもと同じ調子のオリヴィエに、ロザリアは目を丸くした。
彼は何も感じていないのだろうか。…この部屋を見ても。
「え、あ、べつに・・・かまいませんわ。」
上手く言葉が出ないロザリアに、
「ごめんね。 わたしが入ってもらったの。 デザイン画を見てもらいたい、って言うし、わたしも見たいし!」
ね、とでも言うように、アンジェリークとオリヴィエは顔を見合わせて頷きあっている。
「…カップをもう一つ用意してきますわ。」
ロザリアはため息交じりでそう告げると、再びキッチンへと向かった。
冷静になろうとロザリアは深呼吸を繰り返した。
キャビネットに並んだカップは補佐官室に置いてあるものとはまるで違う。
可愛らしい動物柄のもの。 バラモチーフでももっとラブリーな雰囲気のもの。
とにかくオリヴィエに似合いそうなものはなにもない。
ロザリアは中でも一番大人っぽく見える、ピンクのギンガムチェックのカップを取り出した。
…部屋を見られてしまった以上、もう取り繕いようもないし、どのみちこれ以上のものはないのだ。
『子供っぽいんだね』
家庭教師の彼の言葉と重なるように、オリヴィエが苦笑する顔が浮かぶ。
大人でオシャレなオリヴィエに釣り合いたいと、頑張ってきたのに。
やっと大人のキスに応えられるくらいにはなれたのに。
きっとまた以前のような子供扱いに逆戻りだ。
半分はやけくそ、半分は諦めの気持ちでロザリアはカップを持って、部屋へと戻っていった。
「ヤダ~! オリヴィエったら~。」
アンジェリークの笑い声。
声のする方を見れば、アンジェリークとオリヴィエは二人とも、ふわふわのくまのぬいぐるみを抱いて、何やら楽しそうに話をしている。
ぬいぐるみを撫でるオリヴィエの手は、ごく自然な動きのように見えた。
「でさ、その時、アイツはどうしたと思う?」
「なに? まさか倒れちゃったとか?!」
「惜しいね。 くるっとUターンして走って逃げてったんだよ。」
「うそー! その話、初めて聞いたわ。」
「そりゃ言えないでしょ。 男の沽券にかかわるってもんだよ。」
会話だけ聞けば、まるで女の子同士だ。
まさにトークに花が咲く、といった調子で会話をつづける二人。
ロザリアはテーブルにカップをおくと、アンジェリークの隣に腰を下ろし、膝を抱えた。
積極的に会話に参加する気にはなれず、振られた話に適当に相槌を繰り返していく。
今の話題が終わった、その次こそ、ロザリアにとっては辛い時間になるだろうと覚悟して。
「あ、ロザリア来たし、デザイン画を見たいな。」
アンジェリークに促されると、オリヴィエが思いだしたようにスケッチブックを取り上げた。
「そうだね。 あんまりおしゃべりが楽しいもんだから、ついホントの要件を忘れるところだったよ。」
パチンと、長い睫毛がウインクをする。
ロザリアは曖昧に微笑みを返した。
オリヴィエの整えられた指がスケッチブックをめくる。
最初のページに書かれたデザインは、海のように深い真っ青なロングドレス。
全体的にタイトな印象で、ボディラインを強調した優美なデザインだ。
次のページも似たようなロングドレスだが、胸元のレースが少し大ぶりで、透け感が増している。
さらに次は、サイドに深いのスリットの入ったオリエンタルなドレス。
大人っぽい雰囲気の中に優雅さのあるデザインが続いた。
アンジェリークがページをめくり、ロザリアがそれを目で追う。
進んだページもまたブルーがメイン。
けれど、若干、色味が淡くなり、スカートにふくらみが出ていているようだ。
始めのページのドレスに比べれば、柔らかい雰囲気。
それからもアンジェリークはドンドンページをめくっていった。
「わあ・・・。」
思わずアンジェリークの口からため息が漏れる。
ページをめくるたびに、ドレスの印象はどんどん変わっているのだ。
ロイヤルブルーだった生地がパステルブルーになり。
幅広だったリバーレースがふわふわのチュールに変わり。
タイトなロングドレスがいつの間にか…柔らかなフレアミニになっていた。
「これは・・・。」
最後のページまでたどり着いて、ロザリアは思わずオリヴィエをじっと見つめた。
とたんに優しく微笑むダークブルーの瞳にぶつかり、ロザリアの鼓動が大きく跳ねる。
「…ずっとね、あんたのためのドレスを作りたいって考えて、ここにデザインを書いていったんだ。
初めは、あんたらしいブルーで、キレイなボディラインを生かしたタイトなロングドレスをイメージしてた。
いつもあんた自身が、大人っぽく見られたいと思ってるみたいだったしね。」
オリヴィエの言葉にロザリアの頬に熱が集まる。
ロザリアの背伸びをオリヴィエは気が付いていたのだ。
「だけど、あんたと二人で庭園を歩いた時のことや、カフェでお茶した時のこと。
猫に驚いたこともあったよね。
それから、笑顔だったり、困った顔だったり…。
いろんなあんたを思いだしてるうちに、だんだんこうなっちゃったんだ。
最初はこれじゃ似合わないんじゃないか、って思ったりもしたんだけどね。
このドレスを描いたころには、あんたにはこういうドレスが本当は似合うはずだって、そう思うようになってたんだよ。」
最後のページのドレスは、まるで花のようなドレスだった。
淡いブルーからホワイトへのグラデーション。
ビスチェタイプのすっきりした上半身と対照的に、幾重にも重なったチュールのティアードのスカートがウエストからふんわりと広がっている。
あちこちに飾られた大き目のリボンコサージュ。
背中の編上げのリボン。
どこを見てもふわふわで、女の子らしいラブリーな雰囲気にあふれている。
「でも、それは私の勝手な思い込みで、あんたは気に入ってくれないかもしれない。
だから、どうしても見てほしかったんだ。
私が思う、『あんたのためのドレス』を、ね。」
女王試験が始まったころ、オリヴィエにとってのロザリアは、高飛車で気位が高くて、傲慢なお嬢様にしか見えなかった。
それが変化したのは、いつからだっただろう。
本当の彼女が繊細で傷つきやすくて、とても…心の優しい純粋な少女だと気がついて。
きっと彼女の心の奥にある、柔らかな部分に惹かれたのだ。
…この隠されていた部屋と同じような。
「気に入ってくれた?」
伺うように、隣へと腰を下ろしたオリヴィエに、ロザリアはゆっくりと頷いた。
物心ついてから、ずっと憧れていた女の子らしいドレス。
こんな可愛いが好きだなんて、誰にも知られたくなかったのに…でも、本当は気付いてほしかったのかもしれない。
「オリヴィエ、わたくし、とても…。嬉しい…。」
「私も初めてわかった気がしたんだ。
濃いブルーの似合うキレイで凛としたあんただけじゃない。
このドレスが似合うようなカワイイあんたも、全部ひっくるめて好きなんだってことが、ね。
だから、もう隠さないで、あんたの『好き』を皆にも伝えればいい。
このドレスを着て、可愛いをたくさん身に着けて。
『好き』って言葉は、みんなを幸せにする魔法の呪文みたいなもんなんだから。」
ふと、オリヴィエの指がロザリアの頬へと伸びる。
「オリヴィエ…。」
恥じらいながらも重ねられた視線は、次第に恋人同士の熱っぽさへと変わっていく。
オリヴィエの顔がゆっくりとロザリアへと近づいていった、その瞬間。
「わ、わたし、今日は帰ろうかな~~~。 お邪魔みたいだしい~。」
目のやり場に困ったように、アンジェリークがすっくと立ち上がった。
緑の瞳に見下ろされて、
「え?!」「あ。」
間の抜けた声を同時に出したロザリアとオリヴィエが固まる。
まるでこの世界に二人きりでいるような気がしていたけれど。
…アンジェリークがいたことを二人ともすっかり忘れていた。
その隙にアンジェリークは、
「ばいばーい! 素敵な夜を過ごしてね。」
意味深な微笑みを残して、あっという間に部屋を出ていってしまった。
部屋に残されたのは、目が合うだけでくすぐったいような、甘い空気と恋人たち。
ドアの向こうでアンジェリークが 「わたしも彼のところに行こ~っと!」と、グッと拳を握って走り出していたことは、もちろん気付かず。
部屋着のままで聖殿を走る女王に、警備兵がちょっとだけ驚いたことも・・・もちろん知るはずもなかった。
そして。
「ロザリア。」
アンジェリークの消えたドアを眺めていたロザリアが、その声に振り向くと、オリヴィエの唇が重なる。
熱い口づけは、オリヴィエの想いを余すところなく伝えてくれて。
なぜ、こんなことを知られたくらいで、彼が心変わりするなんて思っていたのか。
こんなにも想ってくれていることに、目を瞑っていた自分が恥ずかしくなる。
深くなるキスと同じくらい、深くなる気持ち。
今ならロザリアも彼の全部を受け入れられる…彼の全てを受け入れたい。
「あの、オリヴィエ。
…明日の朝、あなたにわたくしのお気に入りのカップを使ってほしいんですの。
ピンクのベアとブルーのベアがリボンで結ばれている柄なんですけれど。
とても可愛くて、まだ、わたくしも一度も使っていないんですのよ。
でも、あなたになら…。 使っていただけるかしら。」
オリヴィエは目を見開いた。
「え。それって・・・。」
耳まで赤くなって俯いたロザリアの姿に、オリヴィエの心が躍る。
朝を一緒に迎えたい、と、彼女なりの言葉なのだと、わかったから。
「じゃあ、明日から、そのカップは私専用、ってことでイイ?」
返事の代わりにロザリアが胸の中に倒れ込んでくる。
「好きだよ。」
「好き、ですわ。」
お互いに呪文を掛け合いながら、ベッドへと倒れ込む。
ふわふわのぬいぐるみたちが、愛し合う二人を静かに見守っていた。
FIN
…甘々なおまけも読んでみる?