1.
「俺は孤児院育ちなもんでね。そういう事はよくわかんねェんだわ。」
これで大抵の人間は黙り込み、文句を言った自分を責めるか、もしくは憐れみを込めた目で見つめてくる。
女ならなおさらだ。
それなのに。
「わたくしは主星の貴族の出身ですわ。」
目の前の女は顔色一つ変えない。
レオナードは足を組んだまま、顔を天井に向けると、わざと聞こえるように溜息をついた。
「別にアンタの育ちに俺は興味ねェんだよ。」
「あら、あなたが先におっしゃったから、マナーとして、お答えしただけですわ。」
なおも説教を続けようとしたロザリアに、今度は机を指ではじいた。
「聞こえなかったのかよ?孤児院育ちだからわかんねェって。」
「レオナード。」
再三、話を遮られたせいか、ロザリアは綺麗な眉をひそめて、レオナードをにらみつけた。
「だからなんだというんですの? わからないのは、あなた自身の問題でしょう? この問題と、あなたの育ちにはなんの関係もありませんわ。
それとも、同情でもしてほしいのかしら? 悪いけれど、わたくしはそんな安っぽい感情を持ち合わせておりませんの。」
きっぱりと言い返されて、レオナードは言葉に詰まってしまった。
こういうお高くとまった女ほど、この手の話に弱いはずだったのに。
「聞いていますの? レイチェルにこれ以上負担をかけるようなことはなさらないでくださいませね。」
「ああ…。」
ぼんやりしていたせいで、つい返事をしてしまった。
「たしかに約束しましたわよ?」
舌打ちしたが、もう手遅れだ。
ロザリアはさっきまでの厳しい表情を解くと、突然、にっこりとほほ笑んだ。
それが、まるで薔薇のようで。
今まで、見たこともなかったような、彼女の表情が目に焼き付いてしまった。
だからなんなのか、なんて、あえて追及しようとは思わなかったけれど。
「あー、くそ!わかんねェ!!」
あの日から、執務には真面目に取り組んでいるものの、聖地に来るまでまともに文字を書くこともなかったのだ。
分からないことが多すぎて、頭が痛くなってくる。
レオナードは書類を乱暴に取り上げると、部屋を出た。
「おい、フランシス。これなんだけどよォ。」
ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできた情景にレオナードは目を丸くした。
ソファに座るフランシスの上に女官が乗っている。乱れた衣服と特有の空気。
明らかな、ナニの最中。
その女官とばっちり目があった。
「きゃー!!!」
叫び出したいのはこっちだ、と思いながら、レオナードは下を向いた。
「おいおい、場所を選べよなァ。」
バタバタと女官が走り去る音がして、勢い良くドアが閉まる。
レオナードが顔を上げた時にはもう、フランシスはいつものように微笑んでいた。
「なにか…御用でしょうか…?」
「用がなきゃ来ねえよ。…ったく、つまんねェもん見せやがって。」
くすくす、とフランシスが癇に障る笑い声を立てた。
「申し訳ありません…。あなたに刺激が強すぎるはずもないでしょうが…。」
「ガキじゃねェんだ。ガタガタ言うつもりはねェよ。ヤりたきゃヤってろ。」
実際、そんなことはどうでもよかった。
顔だけは綺麗なこの男みたいに、女とヤって一秒後に涼しい顔をしているなんて芸当は、どうせ自分には出来そうもない。
「あなたは意外にロマンチストですからね…。」
「いちいちムカつくこと言いやがって。」
ちっと舌打ちして睨みつけても、フランシスに動じる気配はない。
貴族出身、なんて奴らはどうしてこうも、感情が顔に出ないのか。
だからこそ、一瞬だけ見えた笑顔がたまらなく印象的だった。
ちらっと青い瞳が頭をかすめて、レオナードは無意識に頭を振った。
そういえば。
部屋に戻ったレオナードは腕を組んで、机に足を乗せた。
この聖地にきてから、女とヤるどころか、艶っぽい話をしたことさえ一度もない。
こんなに長い間、禁欲状態なのも、生まれて初めてだ。
夜の世界での生活が長かったせいもあり、相手に困った記憶はない。
それなりに顔も身体も悪くないし、ケンカも強かったから、あの町でははっきり言って、モテていたほうなのだ。
それが、聖地では。
女官どもは怖がって近付いてこない。
エンジュはガキだし、レイチェルみたいな煩い女はそそられない。陛下には風来坊みたいなオトコがいる。
そもそも四六時中顔を突き合わせていても、今まで何一つ、感じたことがないのだ。
ロクな女がいないじゃないか、と思わず長いため息が出る。
ふっと、ロザリアの顔が浮かんだ。
性格は知らないが、とんでもない美人なうえに、体つきも実に自分好みだ。
あんまりオトコに免疫はなさそうだが、自分の手でイイ女に育ててやるのも面白い。
それに、ちらっと見えた笑顔だけでなく、もっと別の、たとえば、腕の中で恥じらう姿も見てみたい。
ベッドの中で乱れる姿も。
考え出したら、その役を他の男に渡す気にはなれなくなっていた。
あっちの宇宙にも、フランシスのような手の早い男がいる。
早く『俺の女』にしなければ。
じっとしていられなくなった理由がふと気になったが、考えるより行動なのがレオナードだ。
とりあえず、勝手に次元回廊を操作すると、神鳥の宇宙へと向かった。
「よォ!」
目を丸くしたロザリアに、レオナードは大股で近付いた。
相変わらず綺麗で、凛としている。
男の気配もなさそうで、なぜか安心した。
「あのよ、お前に言いたいことがあってよォ。」
「なんですの?」
怪訝そうな表情のロザリアを前に、レオナードは話しかけた口をポカンと開けた。
よく考えたら、なんと言えばいいのか、わからなくなったのだ。
まさか『ヤらせろ。』とは言えないし、『俺の女になれ。』でもダメだろう。
沈黙してしまったレオナードをロザリアの青い瞳がじっと見つめている。
どうしたら、この女とヤれるのか。
思いついた答えは、単純明快。『好きになってもらう』。それしかない。
レオナードはポケットの中でくしゃくしゃになった書類をとりだした。
さっき、フランシスに尋ねようとして、そのまま丸めてしまったものだ。
「これなんだけどよォ。なに書いてあんだか、全然わかんねーんだわ。」
「まあ、そのためにわざわざ?」
レオナードの用事が執務にかかわることだったのが嬉しいのか、ロザリアは書類を覗きこんだ。
ベール越しに青紫の髪が見え、ロザリアが動くたびに、そこから甘い花の香りがする。
いつもきっちりまとめてる髪を下ろしたら、この女はどんな顔をするんだろう。
妄想が膨らんで、ロザリアの言っていることの半分くらいしか頭に入ってこない。
「おわかりになりまして?」
急に聞き返されて、レオナードははっと我に返った。
「おお。すまねェな。よくわかったぜ。」
実際は、全然よくわかっていないが、あとでエルンストあたりを脅して教えてもらえばいい。
「なぜ、わたくしに?」
「あっちの奴らに聞くとバカにされンだろ?ココまで来りゃ、バレねえしよ。」
とっさのいいわけだったが、ロザリアはすっかり信じたようだ。
「もし、分からないところがあれば、いつでもいらして。わたくしに教えられることなら、教えますわ。」
「そうか、ワリいな。」
ロザリアの言葉に、レオナードは心の中で小躍りした。
これで、いつでも、ここへ来ることができる。
好きになってもらうには、まず、会わないと話にならないのだから。
レオナードはロザリアに添削された書類を眺めながら、心が不思議とうきうきしてくるのを感じていた。
それから毎日のように、レオナードは神鳥の宇宙に通った。
『執務について教えてもらいたいが、他の人にはそのことを話さないでほしい』と、ロザリアには頼んである。
恥ずかしいからだ、とロザリアは思っているようだが、実際は違う。
虫除けのためにも、ロザリア以外にはかえって、口説いてるということを知られた方が都合がいいのだ。
「こないだの礼だぜェ。とっときな。」
レオナードが机の上に置いたネックレスにロザリアは目を輝かせている。
「ありがとう。とても素敵ですわ。」
嬉しそうな顔にレオナードまで嬉しくなってきた。
たいていの女がアクセサリーのプレゼントを喜ぶことを、経験上知っている。
たまたまメルの執務室に行ったら、置いてあったネックレスだ。
ちょっと寄こせ、と脅したら、ビービー泣いて閉口したが、ロザリアにプレゼントする、と言ったら、泣き止んだ。
ガキの世話は面倒だが、この女がこんなに嬉しそうな顔をするなら、これからかまってやるのも悪くない。
もっといいモンを横取りできる可能性もある。この女が、もっと喜ぶような。
「今日はなにかしら?」
早速ネックレスをつけたロザリアが笑っている。
初めは警戒心アリアリの様子だった女も、このごろはだいぶ打ち解けてきたようだ。
前は滅多に見られなかった笑顔も、来れば必ず見せてくれるようになった。
「あのよ、ココなんだがなァ。」
ロザリアが近付いてくると、いつでも甘い香りがしてくる。
レオナードはこの香りが苦手だった。
なぜか胸が苦しくなるような、そんな気がするのだ。
もし、この女とヤる時は、この香水は止めさせねえといけねえな、と思う。
息が苦しくなっては、まともにヤる事もやれない。
「レオナード、今日はもう終わりにしてもよろしくて?」
「はァ?まだ早いだろ?」
時計を見れば、まだ3時前だ。
来てから1時間も経っていないのでは、あっという間すぎて、物足りない。
しかも一刻も早く好きにさせないと、欲求もたまる一方だ。
「ごめんなさい。今日は予定がありますの。」
申し訳なさそうに言ったロザリアに、ふとひらめいた。
「その用事ってのはなんだ?俺もついてってやるぜェ。」
いくらヤる為とはいえ、こう毎日勉強ばかりが続くのに、レオナードも飽きてきていた。
たまにはこの女と違う場所にも行ってみたい。
違う場所なら、また違う顔も見れるかもしれない。
「でも…。あなたには、あまりいい場所ではないと思いますわ。」
「なんだァ。いい場所っていうのはよォ。酒が出るとか、どうせそんなことは期待してねェから気にすんな。」
「そういうことではないのですけれど…。」
まだ逡巡しているロザリアに、レオナードは強引についていくことにした。
ロザリアはちらちらとレオナードを気にしながら、星の小道を抜け、歩いていく。
初めて来た神鳥の主星は、文明の発達度合いが聖獣の宇宙とは格段に違っていた。
整った街並みは、緑も多い。
通りを歩く洒落た人々と次々とすれ違った。
レオナードがいろいろ話しかけてみたものの、ロザリアはどこか気もそぞろな様子で、足だけを動かしている。
しばらく歩いて、大きな教会の門の前に立つと、ロザリアは覚悟を決めたように、中へと入った。
似ている。
門の前で、レオナードは足をとめた。
似たような作りの場所に、見覚えがある。
「ちっ。」
ロザリアが連れてくるのをためらった理由がわかった。
女を見た子供たちが一斉に中から駆けだしてきたからだ。
「ねえ、おじさん、ロザリア様の彼氏?」
「あン?おじさんだとォ?」
子供たちはレオナードに睨みつけられてもひるむことなく、周りを取り囲んでいる。
「そんなわけないよ~。このおじさんとロザリア様じゃ全然つりあわないじゃん。」
「そうだよね~~。」「ホントー。ありえない~。」
「お前らなァ。」
レオナードが拳を振り上げると、子供たちは逃げるふりをしながらも、また近づいてきた。
気がつけば、追いかけっこをして遊んでいるようになっている。
遠くからロザリアの視線を感じて、レオナードは子供たちを前に座り込んだ。
「ったくよォ。俺はもういい年なんだからよ。あんまり走らせんじゃねェよ。」
「俺様とあの女がどういう関係か知りたいのか?」
親指でロザリアを指すと、子供たちが頷いた。
背中越しだが、ロザリアもこっちに注目しているのがわかる。
無意識に言葉が出た。
「俺はあの女に惚れてんだよ。あっちがどう思ってンのかは、知らねェ。」
わっと上がった歓声にロザリアがものすごい形相で走ってきた。
いつも冷静なロザリアの真っ赤な顔。
澄ましてるよりずっと可愛らしいと思った。
「あ、あ、あなたは子供たちに何を!!!」
「あン?こいつらがしつこいからだろォ。お前の教育が悪いんじゃねーの。」
子供たちが大声で笑い、怒るロザリアを囃したてている。
同情することが恥ずかしくなるほど、楽しそうな子供たち。
安っぽい感情と女が言った理由が分かった気がした。
日が暮れ始めたころ、二人は教会を後にした。
オレンジ色の光が長い影を作り、あわただしい人波に飲み込まれそうになる。
レオナードは早足で歩くロザリアに置いて行かれないように、その後を追いかけた。
星の小道は繁華街から少し離れた場所にある。
ようやく人波が途切れ、辺りの人影が消えた時、不意にロザリアが足をとめた。
「さっきの言葉は本当ですの?」
振り向いたロザリアの青い瞳が揺れている。
不安なのか、期待なのか。
とりあえず、ココは押すところだ、とレオナードは直感した。
「ああ。お前に惚れてる。俺様が言うんだから間違いはねェ。」
きっぱり言い切ると、ロザリアは耳まで真っ赤になって、うつむいた。
怒って赤くなった時も可愛いと思ったが、あの時よりも数倍、いや数十倍可愛いような気がする。
「お前はどうなんだ?」
しばらく、沈黙があった。
即座に却下されなかった、ということは、もしかすると、「好きになってもらう作戦」は案外上手くいってるのかもしれない。
「ごめんなさい。あなたのことをそんな風に考えたことがありませんでしたの。」
レオナードにとって、それはかなり衝撃的な言葉だった。
すでに思いつく限りの布石は打ったし、実際、この女以外は自分たち二人が特別な関係にあると思っているだろう。
無言になったレオナードをどう思ったのか、ロザリアが続けた。
「わたくし、そんなことを言われたのが初めてで…。もう少し、時間をいただきたいんですの。あなたのこと、きちんと考えてみますわ。」
これだけの女を、神鳥の宇宙の奴らは誰も手を出していないらしい。
あいつら、ホモなのか?とレオナードが考えていると、あっという間に神鳥の聖地に着いていた。
「また、来るからよォ。返事、考えといてくれよなァ。」
レオナードが言うと、ロザリアはわずかに頬を染めて頷いたのだった。