Be My Valentine!

1.

いつもの時間よりも一時間以上早く目を覚ましたロザリアは、トートバッグを肩に屋敷を後にした。
日頃は小ぶりなショルダーを愛用しているが、今日は荷物が多い。
手持ちの中で一番大きなこのトートバッグでも、ギリギリ全部が入るかどうかというくらいなのだ。
しかも、この荷物は押し込むわけにはいかない。
潰れたり、壊れたりしたら大変なことになるからだ。
色とりどりの包装紙にキラキラのリボン。
今日という日のためにロザリアが用意した、たくさんのチョコレート。
重いバッグを抱え、よろよろと歩きながら、ロザリアは誰にも会わないように補佐官室へと急いだ。

その数分後。
いつも通り執務開始時刻の30分前に出仕したジュリアスは、部屋の前に何かが落ちていることに気が付いた。
遠めからでもわかる、華やかな色。
ジュリアスは足を速めて近づくと、それを拾い上げた。
「なんだ。これは。」
ちょうど両掌に乗る程度の大きさのピンク色の小箱に、大きなオーガンジーの金のリボンが結ばれている。
可愛くて、華やかな、いかにもプレゼントといったデザインだ。

「落とし物であろうか。」
ジュリアスは手の中の箱をじっと見つめ考えてみた。
昨夜の帰りには、こんなものは存在しなかった。
とすれば、昨夜から今朝にかけて置かれたことは間違いない。
しかし、ここは仮にも宇宙の中心である聖地のさらに中心の聖殿だ。
誰にでも容易に侵入できるというわけではない。
ちらりと、不穏な考えが頭をよぎった。
「まさか、爆弾、などというものではあるまいな。」
包みを開けて、中身を確認したいのはやまやまだが、それによって考えられる危険性も無視できない。
開けた瞬間ドカン、という、映画のシーンが頭に浮かんでくる。
結果、ジュリアスは包みを手にしたまま、その場にしばし固まることになった。

すると、背後から元気な声が聞こえてくる。
「あ、ジュリアス様! おはようございます!」
駆け足でジュリアスのそばにやってきたのはランディだ。
屋敷から走ってきたのか、軽く息を弾ませて、爽やかな笑顔を浮かべている。
ランディはジュリアスの横に並ぶと、その手の中の包みにすぐに気が付いたようで
「あ! ジュリアス様! それ!!」
ジュリアスが思わず顔をしかめるほどの大きな声を上げた。
「うむ。 今朝、部屋の前に置いてあったのだ。
 なにかわからぬゆえ、研究院で調査を頼もうかと考えていたところだ。」
言いながら、ジュリアスはその考えが最適だと思った。
研究院ならば箱を開けずに中身を鑑定することもできるだろう。
早速、研究院に向かおうと、足を出した瞬間、ランディの手がジュリアスの袖を掴んだ。

「なんだ?」
眉を寄せて振り返ったジュリアスに
「ジュリアス様、それ、チョコレートですよ!
 絶対そうに決まってます!」
ランディが楽しそうに笑う。
「なに?」
「だって、今日はバレンタインじゃないですか。
 きっとジュリアス様にチョコを渡したくても、直接渡せない、恥ずかしがり屋の女の子が部屋の前に置いていったんですよ!
 よくドラマとかでもあるじゃないですか。」
ランディはなにもかもわかった、という顔で、うんうんと頷いている。

ジュリアスは手の中の箱を改めて見直してみた。
たしかにいかにもといった雰囲気の箱。
そして、軽く鼻を近づければ、確かに甘いチョコレートの香りがする。

「いいなあ、ジュリアス様。
 手作りのチョコレートなんて、本命チョコですよね。
 俺もそういうのが欲しいです…。」
はあ、と、大げさなため息を零して、ランディはジュリアスの手の中の箱をじろじろと見ている。
なんとなくジュリアスは箱を隠すように
「ランディ。 これが何かはっきりするまで他言せぬように。」
と告げ、執務室に入ると、それを中央のテーブルの上に置いた。
よく見える位置に置いたのは、もしも誰かが取りに来た時に、すぐに返せるようにというつもりだったのだが。

「バレンタインか…。」
執務をしていても、目の端に箱が映り込み、なんとなく戸惑ってしまう。
直接渡されていないだけに、ピンとこないのだ。
ランディの言うように「手づくり」の「本命チョコ」であるとするならば…。
「いったい、誰であろうな。」
ようやくそのことに思い当たって、ジュリアスの手が止まる。
チョコをプレゼントされるということは、すなわちジュリアスに想いを寄せる女性がいるという事ではないのか。
そのような女性がいるとは…にわかには信じがたい。
けれど気にならなくはない。
「いや、知られたくないことを探るような真似は相手にも失礼であろう。」
言い聞かせるようにつぶやいて、ジュリアスはそのことを頭から追い出すように執務に没頭し始めた。


一方、ジュリアスと別れて、自分の執務室に向かったランディは、ドアの前で這いつくばっていたところをマルセルに出くわした。
「何してるの? ランディ。」
「やあ、マルセル。 実はさ、さっきジュリアス様の部屋のドアの前にチョコレートがあってさ。
 俺のところにもないかな~って探してみたんだ。」
ランディはジュリアスに他言するなと言われたことなどすっかり忘れていた。
というよりも、チョコレートのことで頭がいっぱいで聴いていなかったのだ。
「ふうん。・・・え?!
 ジュリアス様のところに?!」
驚くマルセルにランディは残念そうにため息をつく。
「ああ、やっぱり俺のところには無かったよ。」
「僕も気が付かなかったよ。 チョコ、大好きなんだけど。 誰かくれないかな。」
お互い違う理由でガッカリしているのに、なぜか同志のように寂しく和んでいると。

「おい、今の話は本当か? 俺よりも先にジュリアス様がチョコをもらうとは…。
 まあ、最終的には俺が多くなるだろうがな。」
「そのようなことを…。 数よりも質と言う事なのではないでしょうか?
 秘められた想いの強さは、ジュリアス様のチョコレートの方が大きいように思います。」
いつの間にか集まっていた人の中で、なぜか険悪なムードになり。

「ああ~、ジュリアスにチョコレートですか。
 たしかにチョコレートにはストレス軽減の作用がありますからねえ。」
どうでもいい薀蓄が披露され。

「チョコレートなんて甘ったりーもん、オレはいらねー。」
「チョコが好きとかそういう問題じゃないだろ。
 バレンタインなんだぞ。」
「はあ? 気色わりーな。 どーせもらえなかったんだし、ランディ野郎は黙ってろ。」
「なんだって?」
「もう、二人とも止めなよ。」
お決まりのケンカが始まったところで、近くのドアが勢いよく開いた。

「…うるさい…。」
物憂げに出てきたクラヴィスに、皆の口がぴったりと閉まる。
勢いそがれて解散はしたものの、そこからは本当にあっという間で。
結局、そのまま執務室にこもってしまったジュリアスの知らないところで、「匿名のチョコレート」のうわさは、瞬く間に聖殿中に広がっていたのだった。



執務を進めていたロザリアは、聖殿中のざわざわした空気を特に気に留めていなかった。
毎年、この日はなんとなく浮ついた空気になるものだ、
しかも、自分的にも今年は他人を気にしている場合ではない。
ロザリアは奥の間にちらりと視線を向け、小さく息を吐いた。
チョコレートの入ったトートバッグが、あの部屋の奥に隠してあるのだ。
みんなの分は午後から配り、そして、最後に…。
その時のことを考えただけで心臓がバクバクして、頭の中が沸騰しそうになる。
去年もその前も。 女王候補だった時から、義理としてしか渡せなかったチョコレート。
今年こそは、と気合を入れて手作りして、何度もシミュレーションをくりかえした。
今日は絶対に残業はしたくないと、ロザリアがペンを握り直したところで、大きくドアが開いた。

「ねえ!!!!」
勢いよく部屋に飛び込んできたのはアンジェリーク。
女王になってから数年経つというのに、彼女のこういうところは相変わらずで、すでにロザリアも怒る気力がなくなっている。
「なんですの?」
「重大なニュースよ!」
「なにかしら?」
すっかり慣れているロザリアは、スルーするつもり満々で、アンジェリークを促した。
もっとも、逆の意味で慣れているアンジェリークはそんなロザリアの態度などまったく気にせずに、ずいずいとロザリアの横まで来ると、耳打ちした。

「あのね、ジュリアスに匿名のチョコレートが届いたんだって。」
「まあ! それは確かに大ニュースですわね。」
ロザリアは思わず目を見開くと、ペンを置き、アンジェリークに向き直った。
「でしょ? 匿名ってのがまたそそるっていうか、気になるわよね~。
 あのジュリアスにもとうとう春が来るのか~。」
あれだけの美形にもかかわらず、今までジュリアスの周囲で浮いた噂を聞いたことはない。
それについては・・・まあ、彼の性格からして当然とも思えるのだが。

「喜ばしいことではありませんの。 
 それにジュリアスも恋を知れば、陛下のことにも寛大になるかもしれませんわよ。」
「え?! そうかな?!
 だったら、この恋をなんとかうまくいかせなきゃ!
 ねえ、まずは敵情視察してみない?」
「敵情視察?」
首をかしげるロザリアの腕を、アンジェリークが引っ張りあげる。
「ジュリアスがもらったチョコを見に行きましょ?
 どんなチョコか興味あるぅ。」

別にジュリアスは敵じゃない、と言いかけたロザリアだったが、アンジェリークに引かれるまま立ち上がっていた。
なんと言ってもジュリアスのチョコレートに興味がある。
好奇心が抑えられないのは、ロザリアも同じだったのだ。
二人は少しはしゃぎながら、急ぎ足でジュリアスの執務室へと向かった。

形ばかりのノックの後、即座にドアを開けたアンジェリークに続いて、ロザリアも中へ入る。
すると、例のチョコレートらしき包みは、すぐ目の前のテーブルにちょこんと置かれていた。
「わ! コレが噂のチョコ?
 すごーい! 可愛いーー!! センスいい―――!!!」
アンジェリークが一目散にチョコめがけて走り、それを持ち上げてしげしげと眺めている。
ジュリアスはもう騒がれ過ぎて飽きているのだろう。
実際、二人が来る前に、一通りの守護聖達がやってきて、なんだかんだと探られていた。
ジュリアスはわずかに不快そうに眉を寄せたが、それでも女王の来訪ということでわざわざ席を立ち、二人の方へと歩み寄ってきた。

「恐れながら女王陛下。
 私の物と決まったわけでは…。」
「え、だって、部屋の前に置いてあったんでしょ?
 ジュリアス宛に決まってるじゃなーい。 照れなくていいんだから。」
ハイテンションな女王は匂いを嗅いだり、裏面を覗き込んだり忙しい。
その隣でロザリアは石のように固まっていた。

なぜ、これが?
ただのそっくり?!
そんな馬鹿な?!

ロザリアの頭はとにかく混乱していて、言葉も出ない。
この包みはどう見ても…ロザリアの手作りだ。
包装紙もリボンもロザリアが時間をかけて吟味したもの。
見間違えるはずがない。

「ね、ジュリアス。 この贈り主が誰か、本当にわからないの?」
「はい。 今のところは。」
「ふーん。 噂が広まったら、かえって名乗り出にくくなっちゃうかもしれないわね。」
「そうでしょうか?」
「そりゃそうよ! だって、黙っておいていくような奥ゆかしい子なのよ?
 恥ずかしが屋さんに決まってるわ。」

アンジェリークの言葉にジュリアスも納得したのか、それ以上は何も言わない。
ジュリアスも初めての出来事に困惑しているのだ。
誰かがジュリアスに好意を寄せてくれているという事実はとても嬉しいが、誰かわからないというのもモヤモヤする。
かといって、騒いで暴き立てることも、あまりしたいとは思えない。
秘めていたいのならば、きっと訳があるのだろう。

「でも知りたいわよね~。 ね、ジュリアスもそうよね?」
アンジェリークは一歩も譲る気配がない。
「ロザリア。どうしたらいいと思う?」
ところが、アンジェリークが問いかけても、ロザリアは真っ青のまま、ぼんやり立っている。
あまりにも驚いて声も出ないのか。
わかる気もするがジュリアスに対して失礼すぎる、と、アンジェリークはロザリアの身体を大きく揺すった。

「ね、ロザリア。…ロザリアってば!」
揺すられてようやくロザリアは意識を取り戻したかのように、はっと目を見開いた。
「な、なにかしら?」
「あのね、どうしたらこの贈り主を突き止められるかって、こと。
 何かいいアイデアはない?」
「え?!」

贈り主…。
ロザリアの背中を冷たい汗が伝う。
何度見ても、どう見ても。
アンジェリークが手にしているのは、ロザリアが作ってきたチョコレートだ。
でも、なぜ、あのチョコがここに…。
もしかしたら、ただ似ているだけかも知れない。
だって、自分のチョコはあのバッグの中にあるはず。
でも。
そう思ったらどうにもいてもたってもいられず、ロザリアはくるりと体の向きを変えた。

「え?ロザリア?!」
驚くアンジェリークに
「ごめんなさい。 急用を思いだしましたの。」
言い残して、いつもの3倍の早足で補佐官室へと戻っていった。


部屋に駆け込んで、バッグから覆いの布をはぎ取る。
家を出る時にあふれそうになっていたから、中身が見えないように、ショールをかぶせていたのだが…どうやらそれが仇になったらしい。
聖殿についてから中身を確認していなかったのだ。
確認のためにチョコを一つづつ取り出してみると、予定よりも一つ足りない。
しかも、よりによって…本命一つだけが無くなっている。

「ああ…。」
ロザリアは、ぺたりとその場にへたり込んだ。
数合わせならなんとかなる。
けれど、本命用はまさにこの宇宙に一つしかない。
もちろん代わりなどあるはずがないのだ。
「どうしたらいいの…。」

頭に浮かぶ選択肢はふたつ。
一つはジュリアスの執務室に引き返し、事情を話してチョコを返してもらう事。
これは合理的なような気がするが…実のところとても困難だろう。
ジュリアスのチョコの話題はすでに聖殿中に広まっている。
もしもロザリアが取り返せば、それもまた新たな噂になることは間違いない。
一番恐ろしいのは、取り返したチョコの行方を皆に探られることだ。
ロザリアが誰のために本命チョコを持ってきたのか。
ヘタをすれば、渡すところを監視される恐れもある。
みんなに見られながら、一世一代の告白をするなんて。
「それは嫌ですわ。 絶対に!」

とすれば、もう一つ。
完全にしらばっくれる。 これしかない。
手間暇かけたチョコを諦めるのは非常に後ろ髪引かれることだが、もうそれ以外は考えられない。
今年こそ告白したい、と気合を入れたバレンタインでも、こうなれば、もう、神様が止めておけと言ってるような気がする。
そもそも長く拗らせてしまった恋なのだ。
手遅れなのかもしれない。 …なにもかも。

ロザリアは覚悟を決めると、残りのチョコレートの袋をほどき、別の袋に詰め替え始めた。
8袋に詰めていたチョコクッキーを9袋に分け直せば、たりなくなった分は、何とか間に合うだろう。
けれど。
袋を手にしたロザリアの口からが長いため息が零れた。


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