1.
「うっそー! やだ! ちょっと、コレ、信じらんない!」
今日も平和な聖地の午後。
お茶の支度をしていた補佐官ロザリアは、素っ頓狂な女王アンジェリークの声に眉をひそめた。
常日頃、女王らしくと言い聞かせているというのに、ちょっと油断するとすぐこの調子だ。
「…一体なんですの?」
いささかうんざりした口調で尋ねてみると。
「だって、コレ! 見て!」
ふかふかのソファに背中を沈めるように座っていたアンジェリークは、よいしょっと身体を弾ませるようにした後、勢いよく飛び出してきた。
手にはさっきまで読みふけっていた雑誌。
アンジェリークは興奮した様子で、その雑誌をテーブルの上に、バンっと叩きつけた。
「ここ、ここ!」
大きく広げられたページのド真ん中。
『街で見つけたオシャレNo.1』
とあるファッション誌のコーナーのようだ。
妙に派手でキラキラした男女のスナップ写真が所狭しと並んでいる。
最近アンジェリークがゴシックファッションに凝っているのは知っていたが、まさかこんな雑誌まで買いこんでいるなんて思ってもいなかった。
本当に、一体どうやって手に入れてくるのだろう。
「わたくしはこういうファッションには興味がないと、言ってるでしょう?」
紙面を一瞥したロザリアは、かるくため息をついた。
アンジェリークに勧められて、ロザリアも着てみたことがある。
似合わないわけではなく、むしろアンジェリークなどはかなり興奮して、写真まで撮っていたのだが、ロザリアはどうも好きにはなれなかった。
もともと目立つことはそれほど好きではないのに、この髪色のせいなのか、なぜか人目を引いてしまう。
その上、あんなファッションでは、見てくれと言っているようなものだ。
聖殿内ならともかく、あんな格好で外に出るなんて、考えただけでも恐ろしい。
プレゼントと言って、その服を押し付けて来たアンジェリークから、なんとか逃げ回ったのも最近のこと。
「そうじゃなくて! ココ。 見てよ!」
アンジェリークが指差した先。
一番大きなスナップ写真は『No.1』と言うだけあって、雑誌のまるまる1ページを使って紹介されている。
「…オリヴィエ?!」
まじまじと眺めて、ロザリアは仰天した。
そこに映っているのは、どう見ても、夢の守護聖オリヴィエその人だ。
「だよね! こんな人、ちょっと他にはいないわよね!」
確かに。
『オシャレは私のDNAの一部かな』
そんな言葉と一緒に、数々のポーズを披露するオリヴィエは、とても輝いた顔をしている。
いつもと違うストレートの髪に長く入ったピンクのメッシュ。
黒の光沢のあるロングコートを軽く羽織り、黒のパンツに、ヒールの高いスタッズのついた黒のブーツ。
それだけでもかなり印象的なのに、前を開けたコートの隙間から覗くインナーは透け感のあるレース素材で、胸元には大きなシルバーのクロスがぶら下がっている。
ドキッとするほど扇情的な姿。
指輪やブレスといったアクセサリーも、いつもとは雰囲気の違うゴツメの物ばかりだ。
まさにお手本のようなゴシックファッションに身を包んだオリヴィエが、そこに映っていた。
「さすが~~。 男の人でここまで似合ってる人、見たこと無いわ!」
アンジェリークが感心したように、何度も頷いては、いろんな角度から雑誌を眺めている。
ロザリアもじっと紙面のオリヴィエを見つめた。
雑誌の彼は、本当にモデルよりも素敵だ。
言うまでもなくメイクもばっちりで、非の打ちどころがない。
思わず写真を撮りたくなったカメラマンの気持ちもわかる。
「
わたしもオリヴィエにコーディネートしてもらおうかな~。」
はしゃぎまくるアンジェリークを横目にロザリアは小さくため息をついた。
どう見ても、ロザリアの様子は嬉しそうではなく、むしろ落ち込んでいる。
紅茶を蒸らす時間を測るための砂時計も、すっかり砂を落しているのに、まだロザリアは固まったままだ。
さすがに不審に思ったアンジェリークは、ロザリアの顔を覗きこんだ。
「どうかしたの?」
ふいにロザリアの目の前に現れる緑の瞳。
「どうもしませんわ。」
言いながら、とっくに砂の落ちた砂時計を見て、ロザリアは慌ててポットを傾けた。
出しすぎた紅茶はいつもよりも明らかに色が濃い。
ロザリアは少しためらった後、大きくため息をついて、カップをアンジェリークに差し出した。
「…失敗ですわ。 ミルクを足せば大丈夫だと思いますけれど。」
ミルクをとりに行こうとしたロザリアの腕を、アンジェリークが掴んで引きとめる。
「ミルクなんていいから。…なんかあるんでしょ? 話して。」
アンジェリークにも、もうロザリアの性格はわかっている。
こうやってなんでも自分の中に隠してしまう、悪いところ。
執務だってなんだって、そつなくこなしてしまっているけれど、実際は抱え込みすぎの頑張りすぎなのだ。
もちろん、それはいいところでもあるのだけれど、親友としてはもどかしい。
じっと見つめ合うこと数秒。
「…ミルクなしでは苦いですわよ?」
ロザリアは向かいの椅子に腰を下ろした。
数日前。
聖殿の中庭で薔薇の手入れをしていたロザリアは、急に背後から声をかけられた。
「いい香り。 あんたが手入れするようになってから、ここも見違えたよね。」
軽いウインクと一緒に、オリヴィエが近付いてくる。
ロザリアは霧吹きの手を止めて、にっこりとほほ笑んだ。
どちらかというと人見知りのロザリアは、女王試験が始まった頃、誰ともなかなか打ち解けられなかった。
今でこそ親友のアンジェリークとも、最初の一歩には、それはそれは時間がかかったものだ。
男性自体にも免疫がなかったこともあり、守護聖達とは特に距離を置く時間が長く、ロザリアは孤立気味だった。
そんな中、唯一、話しかけてくれたのがオリヴィエ。
派手な衣装や気軽な口調に、初めこそ眉をひそめたけれど、次第に心許せる相手になっていった。
今でも、ロザリアにとって一番気安く接することのできる男性であることは間違いない。
「ここの花壇自体がもともと素晴らしいのですわ。先代の緑の守護聖様がデザインされたのですもの。」
褒められたことは素直に嬉しいのだが、ロザリアのしていることは、薔薇の世話だけだ。
庭全体の見事な調和は、造園技術によるところが大きいことは理解している。
「まあ、カティスの腕は認めるけど、あんたが来る前は、結構ひどかったよ。
あんただって最初はかなり苦労してたじゃないか。」
「そうですわね。 オリヴィエにもずいぶん手伝っていただきましたわ。」
「ホント。 あんなに服をダメにしたことは私の人生でもそうはなかったね。
ま、おかげでこの庭が見れるんなら、安いもんだって思ってるけど。」
爽やかな風に一輪咲きの大きな薔薇が揺れている。
わずかに漂う花の香りは、薔薇からなのか、オリヴィエからなのか。
いずれにせよ、ロザリアにとってはとても心地がいい。
オリヴィエと一緒にいるときは、無理をして頑張らなくてもいいような気がする。
最初から、彼はロザリアの垣根を気にしないでいてくれた。
今はオリヴィエという人間が誰に対してもそうなのだとわかっているけれど、あの時のロザリアには大きな救いだったのだ。
ロザリアが再び花に霧をかけているのをオリヴィエが背中から眺めている。
彼は見かけによらず気配り上手だから、彼女を焦らせたりはしない。
ロザリアがひととおり花の手入れを終えた後、ようやく口を開いた。
「あのさ、こないだ、一人でぶらぶらしにセレスティアに行ったんだよ。」
時々オリヴィエがセレスティアに出かけていることは知っている。
ロザリアもアンジェリークとお忍びで行くことがあるのだから、そのあたりは暗黙の了解だ。
「そしたら、偶然、あんたの、あのイヤリングに似たヤツをアンティークショップで見つけてね。
たぶん、雰囲気からして、同じブランドのモノだと思うんだ。 買ってこようかとも思ったんだけど、あんたにも一回見てほしくて。」
「あのイヤリングですの?」
まだオリヴィエが話している途中なのに、思わずロザリアは声をあげていた。
オリヴィエの言う、『あのイヤリング』は、ロザリアが生家から持ってきてずっと大切にしていたものだ。
なのに先日、いつの間にかどこかで片方だけ落としてしまった。
下界ではすでに半世紀以上の時が流れ、ロザリアがイヤリングを買った店もなくなっている。
もう同じものを買うことは不可能。
本当にショックで、ロザリアは、失くしたことをオリヴィエに話しながら、涙を流してしまったほどだった。
あのイヤリングに似たものがある、と聞けば、とても穏やかではいられない。
「ぜひ見に行きたいですわ。 どこのお店ですの? セレスティアでしたら、今度の週末にでも行ってこれますわ。」
声を弾ませたロザリアに、オリヴィエもにっこりとほほ笑んでいる。
「ちょっとわかりにくい場所なんだ。 一緒に行くっていうのは、どう?」
オリヴィエは微笑んだまま、ロザリアを見つめている。
ロザリアは彼の思いがけない申し出に少し驚いたものの、すぐに頷いた。
「ええ!お願いしますわ。一人では少し不安ですもの。あなたが一緒なら、安心できますわ。」
「じゃあ、今度の日の曜日に。 セレスティアの門の前に11時でいい?」
「わかりましたわ。」
失くしてしまったイヤリングのことで頭がいっぱいだったロザリアは、その時、深く考えていなかった。
二人でセレスティアに行く。
公務でもなく、全くのプライベートで。
まるでデートみたいに。
補佐官室に戻って、一息ついて、ロザリアはやっと、その事実を理解した。
オリヴィエと、もとい、男性と二人きりで出かけること自体、女王試験以来ではないか。
公務ではたいてい護衛がいるから、厳密に二人きりで出かけることなどない。
「
…どうしたらいいのかしら?」
もちろん断ろうと思ってはいない。
イヤリングのことは気になるし、オリヴィエとなら二人きりでもいい。
ただ、純粋に、慣れないことに困っている。
それに、今、この雑誌のオリヴィエを見た途端、ロザリアには急に別の不安が襲ってきたのだ。
彼と二人で街を歩くのに、自分はあまりにも不釣り合いな気がする。
個性的でオシャレなオリヴィエ。
街を行く人々の視線を集めずにはいられないだろう。
それに比べて、ロザリアはいたって平凡だ。
名家に生まれたこともあって、ドレスばかりを着ていたし、それも自分の意志はほとんど反映されなかった。
出入りの業者がそのシーズンのものを全て用意してきて、ロザリアがやることと言えば、その中から気に入ったモノを選ぶという程度だったのだから。
それに、清楚や礼節といった身にしみついた感覚はなかなか払拭できるものではない。
自然、ロザリアの選ぶ服は当たり前なものが多かった。
「へえ! とうとうオリヴィエったら!」
「え?」
かなり真剣に悩みを打ち明けたというのに、アンジェリークときたら、ふざけているとしか思えない反応だ。
少し怒りを込めて、ロザリアがじっと眉を寄せて睨みつけると、アンジェリークは慌てたように胸の前で両手を振った。
「ようするに! オリヴィエとのお出かけの時に着ていく服に悩んでるってことよね!」
アンジェリークも何度もロザリアと外出しているから、もちろん知っている。
たしかにロザリアの私服は、清楚で上品だが、普通だ。
質の良いことはわかるブラウスとスカート、もしくはワンピース。
美人でスタイルもいいから、それで十分すぎるほど綺麗なのだが、あのオリヴィエの隣に並ぶとなれば、見劣りするのは否めないだろう。
なんといっても彼はコレだ。
「ね、こないだの服、着ていったらどう?」
ピンとアンジェリークの脳裏に閃いたのは、この間、ロザリアに着せてみた、あの服。
もともとアンジェリークが自分用に買ったのだが、サイズが合わなくて、ロザリアにプレゼントしたのだ。
本当にうっとりするくらい似合っていて、読者モデルに応募しようかと思ったくらいなのだから、間違いない。
「あれなら、このオリヴィエと雰囲気もぴったりだし。 個性的なオシャレだって思ってくれるんじゃないかな?」
ロザリアが返事をするよりも早く、アンジェリークはクローゼットを開けると、服をとりだした。
受け取りを拒否されてしまったので、この部屋に置いたままだったのが、こんな時に役立つなんて。
うきうきと服を整えるアンジェリークの隣で、ロザリアはじっと考えこんだ。
アンジェリークがプレゼントしてくれたのは、黒を基調にしたミニ丈のワンピース。
膝が出るくらいの丈というのもロザリアにとってはかなりの冒険だが、なによりもデザインがすごい。
何段にも重なるバッスルスカートの腰元に、大きなリボン。
コルセットを彷彿とさせるボディラインには編上げのリボンがあり、胸元にある大きなリボンに繋がっている。
肩紐を首の後ろで結ぶようになっているので、肩はむき出しで、胸元も心もとない。
編上げのタイツもラバーソウルのブーツも、ロザリアには信じられないものばかりだ。
「この手袋と、ネックレスも重要ポイントよね~。」
アンジェリークは自分のワードロープからもいろいろと出してきて、コーディネートを始めている。
「じゃ、コレ着てみて。」
ざっくりと渡されて、ロザリアは眉を寄せたまま、頷いた。
鏡の前の自分は、まるでいつもと違っている。
着替えをしたロザリアは、なんだか落ち着かない気持ちで、鏡の前で何度も身をひるがえしてみた。
その横でアンジェリークが、うっとりした様子で、目を細めている。
「似合うわ~。 このまま箱に入れて飾りたいくらい~。」
ギュッと抱きつかれれば、悪い気はしない。
この間はただ奇妙だと思ったが、こうして一揃いで着てみると、まるで自分が別世界の住人にでもなったような気がする。
雑誌の中のオリヴィエと、同じ世界の住人。
ほんの少しくすぐったいような気がして、自然と頬が赤らんでくる。
「絶対これがいいわ! オリヴィエだって、惚れ直しちゃうんだから!」
やたらとはしゃぐアンジェリークが、今度は髪飾りを出してきてはロザリアの頭に当て始めた。
ロザリアには今一つ理解できないのだが、アンジェリークは本当に楽しいらしい。
まさに嬉々とした様子で、次から次へと小物を引っ張り出してきた。
そして、写真を撮っては、まだああでもないこうでもないと悩んでいる。
「コレで完璧!」
黒薔薇のついたカチューシャで長い髪を留めると、アンジェリークが手を叩いた。
ようやく一セットのコーディネートが出来上がったのは、お茶の時間どころか、執務の時間も終わった頃だった。
ほとんど押し付けられるようにアンジェリークからコーディネート一式を受け取ったロザリアは、部屋の一番目立つ所にそれを掛けておくことにした。
見ているうちに馴染むかもしれないという気持ちもどこかにある。
それに本当にその服は可愛かったから、見ている分には飽きないのだ。
フリルとレースとリボン。
ロザリアも大好きな女の子の憧れが詰まった服。
雑誌で見たオリヴィエと並べば、もしかして、恋人同士に見えてしまうかもしれない。
「イヤですわ。」
勝手な想像にロザリアは慌てて頭を振った。
恋人だなんて、彼にとっては、ただの親切に過ぎないのに。
そんな考えを持ったことが恥ずかしくて、ロザリアはその週、なるべく誰にも会わないように執務に没頭していた。